(プミポン国王作曲のジャズ作品集 CD マイコレクションより)
タイ王国のラーマ9世プミポン国王が崩御された。2016年10月13日。 ついにその日が来てしまった。X-Day が来ることはわかっていたというものの、まさか・・・・。 1927年生まれの88歳であった。いまはただ、ご冥福を祈るばかりです。合掌。
東南アジアの偉大な指導者たちが、つぎからつぎへと世を去っている。
2015年にはシンガポールの国父リー・クアンユー氏(享年91)、
2012年にはカンボジアのシハヌーク国王(享年89)・・・。みな88歳を超える長命で、激動の戦後アジア史をリードしてきた創業者ともいうべき巨人たちであった。
タイのプミポン国王の存在を強烈に意識したのは、
流血事態となった1992年の「5月騒乱」の際の映像である。国王の前に横座りでひざまずく首相と反対派リーダー。この映像は強烈な印象を見る者に感じさせるものがあった。わたしはこの映像を、米国を去る前の自動車旅行中にモーテルのテレビで CNN の報道として視聴したのだった。
(国王の前にひざまず首相 wikipediaより)
さらに意識するようになったのは、2007年からあしかけ3年にわたってタイ王国で暮らしていた頃である。単なる旅行者としての印象と、居住者としての印象では大いに異なるものがある。
いたるところに遍在するプミポン国王の肖像画。
ビルの壁面に肖像画、歩道橋には垂れ幕、道路の中央分離帯には肖像画のパネルが、建物の内部に入れば、
オフィス内にはかならず国王の「ご真影」。現地法人を立ち上げたわたしも、当然のことながら「ご真影」は写真屋で購入して用意した。
■
タイ現代史におけるプミポン国王
プミポン国王とタイ現代史について知れば知るほど、その存在の大きさを意識するようになる。
国民統合の象徴として政治的な安定感をもたらしたという側面だけでなく、ジャズやヨットといった多趣味の才人でもあったこと。みずから作曲もし、サクソフォン・プレイヤーでもあった。
国王の権威だけでなく、その人間性によって国民から広く敬愛される存在であった。まさに「賢人王」というにふさわしい人であった。
タイの歴史において、
プミポン国王は、チュラーロンコン国王と並んで、大王の名にふさわしい。
ちなみにラーマ5世は明治大帝の同時代人である。ラーマ5世も明治大帝も、アジアで「近代化」を推進した君主である。現王朝のチャクリ王朝は1792年に成立、プミポン国王は9代目であった。そのためラーマ9世というのが正式名称である。プラム・ガウである。
米国のボストン生まれで、スイスのフランス語圏のローザンヌで教育を受けたプミポン国王は、
「西欧近代化」を体現した存在であったともいえよう。その一方、立憲君主でありながら、
ヒンドゥー的な王権神授説による東南アジアの王朝の君主として
、「神聖にして不可侵」な存在でありつづけた。
タイの王室を考えるには、戦前の日本を想定すると理解しやすいだろう。近代天皇制のもとの日本の天皇も、「西欧近代化」を体現する存在であるとともに、神道の祭司という側面をもつ。
午前8時と午後6時に国歌が流れる時間帯には、歩行者も立ち止まって直立不動の姿勢を取ることが求められるのがタイ王国である。
大衆消費社会でありながら、戦前の日本が同時に存在するという不思議な空間といえようか。
プミポン国王の70年の在位が終わったことは、
タイ国民には深い喪失感として長期的にじわじわと影響を及ぼすだろう。
タイ国民は1年間にわたって喪に服すことが求められている。最初の30日間は「歌舞音曲」の自粛が求められる。さすがに前国王のラーマ8世アーナンダ国王のように服装期間が3年ということはないが、それでも経済活動の観点からいって1年は長い。
わたしがタイに在住中の2008年に、プミポン国王の実姉ガラヤニ王女が亡くなった際は、町中が黒衣状態になっていたことを思い出す。今回はそれ以上の悲しみのなかにあり、徐々に黒衣状態は減少していくだろうが、それでも黒衣を着続けるタイ国民もいるはずだ。
政治経済情勢にも、間違いなく大きな影響を与えるだろう。いや
東南アジアを超えて、東アジアにも大きな影響を及ぼすことは必至だ。なぜなら、
タイは、日本と中国の影響力行使競争の主戦場の一つであるからだ。
しかも、第2次世界大戦で日本と同盟を組んだタイ王国に対して、英国は厳しい態度で臨んだが、米国は密接な関係を持ち続けてきたこともあり(・・米国とタイのあいだには特恵関税がある)、米国とタイの関係も太い。ベトナム戦争中は、タイは米軍の後方支援基地を提供していた。米中の影響力行使競争の舞台でもある。
■
「在位70年」のもつ意味
「在位70年」はタイの王政において最長であるが、
「70年」という年月のもつ意味について考える必要がある。
プミポン国王の70年の在位は、30年を一世代とすると二世代以上の期間にまたがる期間となる。つまり、
タイ国民の大半は、それ以外の期間を知らないのである。
プミポン国王「以後」に生きるひとのは、そのほとんどがプミポン国王「以前」を想像できないということになるのだ。
つい先頃、日本は「戦後70年」を体験したが、1989年に崩御された昭和天皇の在位は64年であった。すでに平成になってから28年もたつが、いまだに「昭和時代64年間」は圧倒的な存在感を日本人に及ぼし続けている。その時代を生きた人間がまだまだ社会の第一線に存在するからだ。
例として引き合いに出すのは適切かどうかわからないが、
1991年に崩壊したソ連も、1917年の「ロシア革命」から74年で崩壊したことを想定のなかに入れておくべきかもしれない。
「70年」という年月は、それ以前の長い年月を個人の体験のなかから想起することがほぼ不可能なので、
「移行期」には大きな混乱をともなうことが多いのだ。
しかも、
プミポン国王はあまりにも偉大すぎた。
偉大すぎる人物の後継者となる者は、とくにそれが「世襲」の場合は、なにかと前代が引き合いに出されて人物比較をされてしまう宿命にある。経営者であろうが国王であろうが、それは同じことだ。
■
「王位継承」もまた「世襲」
世襲の難しさは、大きく分けて二つある。まず王位承継する本人にとっての難しさと、それを受け入れる国民にとっての難しさだ。
王位継承する本人にとっては「覚悟」の問題であり、これはある程度まで幼少期からの帝王教育によってカバーされる。
一方、
受け入れる国民の側からみれば、それは「納得」の問題になる。この人のリーダーシップに従って自分は幸せになれるのか、自分の家族を幸せにできるのか。これはリーダーシップというよりも、フォロワーシップの問題だ。従うチカラのこと。これは意外と重要な問題だ。
だが、
『自省録』で有名な古代ローマ帝国の「哲人皇帝」マルクス・アウレリウスの息子が粗暴だったことを想起せずにはいられない。
あまりにも素晴らし過ぎる父親は、結果として息子をスポイルしてしまうことが多々ある。これは父親にとっても、子どもにとっても不幸なことだ。もちろん、皇太子については噂だけで判断するのは適切とはいえまい。
王国においては、国王死去にともない、ただちに新王即位が宣言されるのが普通である。なぜなら、王位継承において断絶を生じさせず、反対勢力による介入を防止するためである。
フランス語の Le roi est mort. Vive le roi ! というフレーズは、
前後で同じ roi(=国王)という単語が登場するが、前者は逝去した国王、後者は即位した新たな国王であり、同じ人間ではない。日本語に訳せば、「国王は崩御した。新王万歳!」となる。
タイ王国の王位継承については、すでにワチラロンコーン皇太子が継承することで決定済みのようだ。制度的な意味では問題ないのだが、現在64歳の皇太子本人はすぐに即位することは避けたい意向のようだ。国民世論の動向を見極めたいという思いもあるのではないだろうか。
したがって、
しばらくタイ王国は国王不在の状態がつづくことになるが、それが望ましいことかどうかはわからない。不確定要素と考えるべきであろう。
■
何が起こるかわからない時代に
タイは2014年のクーデターによって軍政がつづいている。タイ陸軍としては、軍政を敷いている状態であったことは不幸中の幸いとみなしているかもしれない。そうでなくても国論が二分された状態が続いており、陸軍がグリップしている軍政のもとでは、反対派も表だった行動にでにくいことは確かである。
何が起こるのかわからない時代だ。タイ王国にかんしても想定外のことが起こらないとは限らない。十分に覚悟しておくことが必要だろう。
PS 暫定摂政にプレーム氏が就任(2016年10月18日)
ワチラロンコーン皇太子が即位するまで、憲法上の規定にもとづき、暫定摂政に枢密院議長の
プレーム・ティンスーラーノン氏が就任した。プレム氏は1920年生まれで現在96歳。陸軍大将を経て1980年に首相に就任。8年間首相を務めた。プミポン国王の信任がきわめて厚く、枢密院議長として全面的に支えてきた存在である。タイ政治の安定装置として機能してきた「影の実力者」といってよいが、
皇太子との関係はかならずしも良好ではないという噂が以前から流れており、今後の動向にいかなる影響を及ぼすか注視が必要である。
(2016年10月18日 記す)
PS2 ラーマ10世ワチラロンコーン国王が即位(2016年12月2日)
タイのワチラロンコン皇太子、新国王に即位 (BBC News、2016年12月2日)
・・「国会にあたる国民立法議会が即位を要請したのに応えて、皇太子はテレビ中継された即位式で正式に新国王となった。」 10月13日以来、50日近い日数を置いてからの即位となる。大多数のタイ国民にとって初めて目にする王位継承となる。新国王は「ラーマ10世」となるが、タイ人のあいだではチャクリ王朝の末路にかんする伝説が語られていることを想起してしまうが・・・。まずは王位継承がスムーズに進んだことに安堵する。
(2016年12月3日 記す)
PS3 あらたに
「国王の前にひざまく首相」の画像を加えた。(2017年10月28日 記す)
*
『The King Never Smiles: A Biography of Thailand's Bhumibol Adulyadej 』(Paul M. Handley、2006)は、
「不敬罪」の存在するタイ王国内では発禁であり、タイ国内への持ち込みも禁止されている。プミポン国王の伝記的事実をタイ王国の現代史と東南アジア情勢のなかに位置づけて、きわめて詳細で深い分析がされている。日本語訳は、なぜか出版されていないので、英語版だが関心のある人には読むことを強く薦めたい。
<関連サイト>
Candlelight Blues
by His Majesty The King of Thailand
タイ「プミポン国王」とは何だったのか?(樋泉克夫、Foresight、2016年10月13日)
ユニクロもモノクロに、悲しみに沈むバンコク 街は平静、パニックは日系スーパーの店頭だけ? (三田村蕗子、日経ビジネスオンライン、2016年10月17日)
プミポン国王死去、後継濃厚な皇太子はどんな人か 浅見靖仁教授にタイ情勢を聞く (BLOGOS、2016年10月22日)
・・法政大学の浅見靖仁教授へのインタビュー記事。読みであり。
プミポン国王様がご崩御されたバンコクの今を実録レポート!(ティラキタ駱駝通信、2016年10月26日)
・・写真多数の現地レポート
プミポン国王大誤算、タイ君主制が存続の危機に 皇太子がドイツで豪遊、海外でタクシン元首相と密談か (末永恵、JBPress、2016年11月8日)
・・ここまで書いてもいいののか?という内容だが、可能性は低くないk
タイ最大の危機は喪が明けた時に訪れる? 皇太子はいつ即位するのか~背後にちらつくタクシンの影 (川島博之、JBPress、2016年11月15日)
・・タクシンを支持する東北部の農民が武装蜂起すれば内戦が始まり、混乱の末の共和制以降というシナリオ。あり得ない話ではない
(2016年10月17日、23日、11月8日・15日 情報追加)
<ブログ内関連記事>
■
プミポン国王とタイ王国関連
『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2) ・・タイのプミポン国王ラーマ9世は「足るを知る経済」を提唱する哲人でもある
タイのあれこれ (8)-ロイヤル・ドッグ
タイのあれこれ (14) タイのコーヒーとロイヤル・プロジェクト
「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)
■
東南アジアの「巨人」たち
巨星墜つ リー・クアンユー氏逝く(2015年3月23日)-「シンガポール建国の父」は「アジアの賢人」でもあった
シハヌーク前カンボジア国王逝去 享年89歳(2012年10月15日)-そしてまた東南アジアの歴史の生き証人が一人去った
「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)
■
国論が二分されたタイ王国
「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)
書評 『赤 vs 黄-タイのアイデンティティ・クライシス-』(ニック・ノスティック、めこん、2012)-分断されたタイの政治状況の臨場感ある現場取材記録
来日中のタクシン元首相の講演会(2011年8月23日)に参加してきた
タイで8年ぶりにクーデター(2014年5月22日)-今後の推移を考えるには、まずは前回2006年の「9.19クーデター」のおさらいから始めるのが第一歩だ
『国際シンポジウム 混迷続くタイ政治:その先に何が待っているのか』("Thailand’s Turbulent Politics: Peering Ahead")に参加(2014年3月27日)
書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)-急激な経済発展による社会変化に追いつかない「中進国タイ」の政治状況の背景とは
■王位継承もまた「世襲」
「世襲」という 「事業承継」 はけっして容易ではない-それは「権力」をめぐる「覚悟」と「納得」と「信頼」の問題だ!
天皇陛下のお気持ちに応えることこそ日本国民の義務(2016年8月9日)
・・「生前退位」をご希望なさっている天皇陛下。タイ王国の場合もラーマ7世は「立憲革命」の後に「生前退位」しているが、ラーマ9世プミポン国王は「生前退位」することなく崩御されるまで王位にあった。
スムーズな王位継承のためには、「生前退位」によってみずからが新国王の「後見役」となるブータン型の王位継承モデルが望ましいかもしれない。
(2016年10月17日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。
ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。
禁無断転載!
end