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2025年4月29日火曜日

書評『左利きの言い分 ー 右利きと左利きが共感する社会へ』(大路直哉、PHP新書、2023)ー「右利き」の人こそ読むべき本。必要なのはインクルージョンとユニバーサルデザイン

 

 子どもの頃から「左利き」(レフトハンド)の人に対しては関心をもっていた。

わたし自身が「右利き」(ライトハンド)であるため、少数派である「左利き」の存在が目立つからであり、左手で字が書けることに驚きとともに、理系的(?)な観察精神が喚起されたからだ。 

そんな「左利き」について驚きを感じたのは、アメリカに留学したときのことだ。いまから30年以上も前のことである。

授業中に左手でノートをとっている学生が少なくないことに気がついたのだ。「左利き」が当たり前のようにいるのか、と。日本と違って、「右利き」に矯正されることがないのだろうな、と。 

そしてまた、最近知ったばかりなのだが、作家で政治家であった石原慎太郎もまた「左利き」だったこともある。 芥川賞を受賞した『太陽の季節』は2日で書き上げたが、左利きで書いた原稿が汚くて読みにくいので、3日かけて清書しなおしたのだ、と。

その特徴だったチックのような症状も、子どもの頃に学校で「左利き」を矯正された際にぶたれたことが遠因になっていたらしい。


■「左利き」の人が書いた万人のための本

そんなわたしが、最近読んで大いに納得しているのが、『左利きの言い分 ー 右利きと左利きが共感する社会へ』(大路直哉、PHP新書、2023)という本だ。  

全体をつうじて網羅的に書かれているが、ほぼすべてのファクトにはエビデンスが示されており、人口の1割前後の発現確率である「左利き」について、身体そのものと、身体と脳、身体文化という観点から論じられている。 

字を書く際や箸を持つ際、習字の際の苦労など、現代社会に生きる「左利き」の人の特性や、社会生活を送るうえでの苦労の数々について、はじめて気づいたことも多々ある。

人物エピソード的には、先にあげた石原慎太郎だけでなく、坂本龍一や正岡子規、エリザベス2世、さらには東條英機といった著名人も「左利き」だったことを知る。

その人物を知るうえでは、「左利き」という要素がその人の精神にあたえる影響を無視してはいけないのだ。

具体的な苦労は直接その本を読んでいただければいいが、江戸時代の武士で「左利き」だった人は、刀剣の扱いには苦労していたことも書かれていて、はっとする思いがした。

刀は左の腰にさして、右手で抜くというのが作法だが、「左利き」の武士は矯正されたのだろう、と著者は推測している。身体文化のテーマとして考える必要がある。

現代に生きる「左利き」の人の苦労を知るだけでなく、歴史理解のためには、「左利き」の苦労を考慮にいれなくてはならないと痛感する。


■カバーのイラストの内容が気になったから

ところで、この本が気になって手にとったのは、カバーのイラストの内容が気になったからだ。 

「駅でモヤモヤ」という吹き出しの文と、自動改札を通過する際に左手でタッチする女性のイラストが描かれ、小さな文字で「自動改札では腕をクロスさせなければならない」と書かれてある。

「右利き」のわたしはいつも「左手でタッチ」しているので、なぜモヤモヤするのか違和感を感じたのだ。というのも、 財布のなかにPASMOが入れてあって、その財布はズボンの左のポケットに入れているので、左手で財布を取り出して左手でタッチするのが、わたしにとっては当たり前の日常になっているからだ。 

このイラストが気になって、自動改札を通過する際には、自分の前を歩いている人の行動を観察しているが、たしかに左手でタッチする人は少ない。「右利き」は右手でタッチするのが当たり前のようだ。

もしかすると、そんなわたしは少数派なのかもしれないな、と。 とはいえ、「左利き」の女性でスカートをはいている場合は、腕をクロスさせる際にモヤモヤを感じるのかもしれないなと、あらためて気がついた。

自分の常識でもって、無意識のうちに判断してはいけないな、と自戒する。 自分の場合は、利き手ではない左手をつかいこなせるように、意識的に訓練してきたことがあるのかもしれない。 

テニスやゴルフなどと違って、あるいは剣道とも違って、合気道の稽古においては、左右の両半身をバランスよく鍛えることが求められていることもあるのだろう。



「右利き」の人は「左利き」の人の苦労を知るべき

現代人のほとんどはキーボードで入力するので、利き手以外の手も使用することが当たり前になっている。 

とはいえ、人口の9割を占めるマジョリティである「右利き」の人は、「左利き」の人が抱えている苦労について知り、「インクルージョン」(包摂)の観点から、「ユニバーサルデザイン」の重要性を意識し、積極的に導入を働きかけていくことが求められる。 

だからこそ、この本は「右利き」の人こそ読むべきである。

どうしても効率性の観点から「右利き」が優先されがちであるが、「左利きにやさしい社会」づくりが必要なことを認識しなくてはならないのである。


目 次
まえがき 
序章 左利きはどのくらい存在し、なぜ生まれるのか 
第1章 左利きの苦労 
第2章 世界の宗教は左利きをどう捉えたのか 
第3章 日本における左利きの歴史 
第4章 左利きの脳と身体は優れているのか 
第5章 左利きの才人、偉人たち 
第6章 「右利き社会」から「左利きにやさしい社会」づくりへ 
主要参考文献 
左利きのためのサポートファイル

著者プロフィール
大路直哉(おおじ・なおや)
大阪府高槻市生まれ。滋賀県大津市育ち。左利き。早稲田大学卒業後、英国滞在中に左利き専門店との出会いがきっかけで利き手への探究心が開花。帰国後、出版関連業などに携わりつつ、日夜、歴史に埋もれた左利きの姿を追うべく関連記事や文献の発掘にいそしみ左利きに関する著作を出版。その後も左利きへの問題意識が絶えることはなく、2018年に映像クリエイター兼カメラマンの masajiro とともにウェブサイト「日本左利き協会」を設立。左利きにとって役立つ情報発信や総合学習への協力など、左利きと右利きがともに共感し合えるコミュニティづくりに取り組んでいる。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2025年4月28日月曜日

『自省録 ー 歴史法廷の被告として』(中曽根康弘、新潮社、2004)を出版20年後にはじめて読む。 政治家は結果責任が問われる存在。その評価はリアルタイムだけではなく、歴史の審判に耐えうるかどうかが問われなければならない

 

 ネット書店の amazon で「自省録」と検索すると、マルクス・アウレリウスの『自省録』がでてくることは言うまでもないが、同時にでてくるのが中曽根康弘の『自省録』である。  

『超訳 自省録』を最初にハードカバーの単行本で出したのは2019年のことであるが、出版後からから中曽根氏の本のことはずっと気になっていた。中曽根氏が101歳で大往生したのはその年の11月のことである。

正式なタイトルは『自省録 ー 歴史法廷の被告として』(中曽根康弘、新潮社、2004)。すでに20年以上前の出版である。この本だけでなく、著者の中曽根氏の存在もまた、歴史の彼方に遠ざかりつつある。

 政治家は、経営者やプロスポーツの監督と同様に、あくまでも「結果責任」を問われる存在だ。

「歴史法廷の被告として」という副題は、政治家の仕事がリルタイムだけでなく、時間が経過したのち、さらにはその死後においてどう評価されるかは、「歴史の審判」に待つしかないという覚悟を示したものである。

この本もまた「歴史法廷の被告」の陳述書としての位置づけをもつ。 広く一般国民に読んでもらい、国民みずから判断してほしいという願いのもと、「ですます調」で書かれている。

中曽根氏が首相だったのは、1982年から1987年までの5年間。当時は大学生だったわたしからみたリアルタイムの中曽根首相は、マスコミでの評価を反映した毀誉褒貶相半ばする存在であった。風見鶏や田中曽根内閣、あるいは不沈空母といったフレーズがつきまとっていた。

だが、「改革」という一点にかんしては、大きな仕事をなしとげた人であることは間違いない。「国鉄改革」を中心とした三公社の民営化、その他もろもろの施策は「戦後日本社会」の膿を出すことに成功したといえよう。このことは、大学を卒業してビジネスの世界に入ってから大いに実感することになった。 

わたしが就職活動をしていた頃は、民営化前夜ではあったが電電公社や国鉄の時代であり、会社訪問している。結局、いずれも縁はなかったものの、仕事で国鉄清算事業団の案件にかかわることで、国鉄民営化と地域分割スキームのキモを知ることになった。

『自省録 ー 歴史法廷の被告として』の目次は以下のとおりだ。 

序章 総理大臣の資質 
第1章 政治家が書き遺すことの意味 
第2章 人物月旦(げったん) 戦後日本の政治家たち 
第3章 人物月旦(げったん) 海外の偉大な指導者たち 
第4章 わが政権を回想する 
第5章 これからの世界を読む 
第6章 漂流国家、日本のゆくえ 
あとがき 

「第5章 これからの世界を読む」は2004年時点での「これからの世界」なので、2025年時点で読んでもあまり面白くはないが、それ以外の章はじつに面白い。 

中曽根氏と胸襟をひろげてつきあったサッチャー元首相も含め、海外の政治家で世界史的に大きな仕事を成し遂げた人は、大冊の膨大なメモワール(回顧録)を残すことが多い。アジアならシンガポールのリークアンユー元首相もそうだ。

回顧録を記すことが歴史に対する責任だとされているからだが、中曽根氏の本書はページ数もあまり多くない。先にも触れたように、多くの日本国民に読んでほしいから、あまり大部なものとしなかったのであろう。 

政治家としての、首相としての「自省録」は、たいへん興味深いものがあったが、政治家になる前の旧制高校時代や海軍時代についても、もっと取り上げてほしかったところだ。 

『自省録』というタイトルが、おそらく旧制高校時代に読んだであろうマルクス・アウレリウスに由来すると思われるが、その点にかんする記述がまったくないのは残念なことであった。 

自慢や自己満足に陥ることなく、あくまでも主観をつうじたものであっても、事実を述べる陳述書。裁かれるのは政治家本人であり、裁くのは後世に生きる日本国民である。それが、歴史の審判というものだ。 

この覚悟が歴代の首相にあるのかどうか、そして現在の首相にあるのかどうか、厳しく問われなければならないのである。

リアルタイムという短期の評価だけで政治家を判断することはできない。 もちろん、すべてにおいてダメダメであり、後世において評価されることもないであろう首相が、この日本にはきわめて多いのが残念なところではあるが・・・ 


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2025年4月23日水曜日

亀戸天神の「藤まつり」に行ってきた(2025年4月22日)

(亀戸天神の藤棚 筆者撮影) 


近くにいく用事があったので、じつにひさびさに「亀戸天神」(=亀戸天満宮)に立ち寄ってみた。亀戸天神は、JR総武線の亀戸駅から歩いて近い。

「♪天神様の細道じゃ~」と口ずさみながら、天満宮にお詣りにいくのは、べつに受験祈願というわけではない。いまこの時期には「藤まつり」が開催されていることを知ったから。


(「藤まつり」の公式サイトより)


いまが盛りの藤棚は、美しい藤色に染められている。天神様といえば梅の花という連想があるが、亀戸天神では梅の花よりも藤の花。なぜそうなったのかは知らないが。


(太鼓橋から見た藤棚 筆者撮影)


桜が散ったあとは藤の花。日本という国は、ほんとうにすばらしい。つくづくそう思う。


(安藤広重の「名所江戸百景 亀戸天神境内」 Wikipediaより)



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2025年4月22日火曜日

フクロウ型の「鳥よけ」を導入 ー 繁殖期に入ると鳥の糞害が増加するので、とりあえず実験的に設置してみることにした

 
春が去り初夏を迎えつつあるいま(・・いや、すでに真夏日かい!?)、鳥の鳴き声には心地よいものがある。 

だが、繁殖期を迎えつつあるいま、鳥のフンガイを警戒しなくてはならない。干している布団や洗濯物にフンなどされたら、それこそフンガイものだ。 


 「メイド・イン・チャイナ」だが、通信機能のない雑貨なので、個人情報を吸い取られるというセキュリティ上の危険はなかろう。 




フクロウの形をしていて、風でクルクル回るとキラキラ光る。付属としてついていた鈴2つは、集合住宅のベランダでの使用では迷惑だろうから、とりはずしておく。

カラスは賢いから難しいだろうが、それ以外の鳥には効果があると考えたい。カラス以外の案山子(かかし)の効果を期待しているが・・

なにごとも実験してみなくては。 



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