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2026年9月11日金曜日

「9/11」(2001年)から25年(2026年9月11日)― 受け取りかたに日米で違いがあるのは当然だ

 
本日は2026年9月11日。もう25年になるのか‥…。

その日、仕事先から帰宅してTVつけたら、2機目が突入するのをリアルタイムで目撃したことが強烈に記憶に残っている。9時台のニュース番組で渡辺真理アナウンサーだった。
 
YouTube を起動したら、DW(ドイッチェ・ヴェレ)作成のドキュメンタリー「9/11 - The day that changed the world | DW Documentary」が表示されているので、さっそく視聴してみた。86分。

9月11日の早朝からツインタワーの崩壊、そしてアメリカが反撃に出るまでが、時系列に沿って追跡される。ところどころに関係者のインタビューが挿入され、当時のなまなましい記憶が再生される。




テロリストたちが空港で搭乗手続きをする映像から始まり、ハイジャックによってトランスポンダーが切られてエアコントローラーとの交信が途絶、CAたちが機内通話をつかって機内の状況を連絡したものの、航路を変更した航空機がニューヨークに向かい、ツインタワーに突入する。

2機目が突入し、熱のためタワーが崩壊する前、耐えきれずに窓から身を投げる人たち。次から次へと地面にたたきつけられ、バシッツという音が響き渡る。視聴する側も耐えきれない気持ちになる。米国のTV局も、こういう映像を中継するのは止めることにしたと関係者が証言している。当然だろう。

そしてワシントンD.C. に向かったハイジャック機は、ホワイトハウスへの突入は断念し、迂回して国防省のペンタゴンに突入。米国史上はじめての本土攻撃であった。



「米国が攻撃を受けたのはパールハーバー以来だ」

関係者インタビューでなんどもクチにされるのが「米国が攻撃を受けたのはパールハーバー以来だ」という発言だ。

たしかに、米国領だが本土から離れたハワイのパールハーバー(=真珠湾)の奇襲攻撃は1941年であり、それからまる60年後に「9/11」となったことは歴史的事実である。「パールハーバー」は米国人にとってシンボリックな意味をもつ。

「パールハーバー」が引き合いに出されるのは、日本人からすれば、かならずしも気持ちのいい発言ではない。だが、米国人の観点からすれば、それは間違いなく確かな歴史的事実であり、この攻撃に対する国民の激しい怒りが米国政府による反撃を支持したのも当然だろう。

アルカーイダのテロリストたちは、それこそアメリカの「虎の尾」を踏んでしまったのだ。

まずはアフガニスタン、そしてイラクでの戦争が始まり、テロリスト組織アルカーイダのウサーマ・ビン・ラディン暗殺で、「9/11」の復讐の第一幕は終わる。「9/11」から10年後の2011年5月2日のことであった。


(NYで体験したジャーナリストによるルポ 画像をクリック!



■「9/11」から数年後の空気感はおなじ米国でも西海岸と東海岸で違っていた

「9/11」の何年後か忘れたが、米国出張のついでに NY に寄った際に、ずいぶん「愛国的」になっていたことを鮮明に覚えている。いたるところに星条旗があった。そんなことは、自分が留学していた1991年前後には見られなかった光景だった。

ところが、NY入りする前に滞在していた LA とはずいぶん雰囲気が違っていた。おなじアメリカといっても、現場から遠く離れた西海岸のカリフォルニアと直接的な被害のあった東海岸のNYとは空気感が違っていたのも確かなことだった。

そして、米国人と日本人の受け取りかたも違っているのも当然だろう。日本からNYまでは物理的距離があるだけでなく、日本語話者にとっては英語という言語の壁もある。

その日本では、1995年には1月に「阪神大震災」、3月にはサリンガスによるテロの「オウム真理教事件」、2011年には「3/11」という東日本大震災という巨大な自然災害が発生しており、どうしてもその中間にあった「9/11」の記憶もかすれがちなのだ。

NYのテロで直接の犠牲者となった日本人もいるが、その関係者以外の日本人にとっての意味合いが異なるのである。

たとえリアルタイムで映像を視聴したとして衝撃を受けたちはいえ、海の向こうの出来事だったからだ。物理的な距離と心理的な距離は、インターネット時代でも縮むわけではない。時間がたつとそう思わざるをえない。

「9/11」から25年になる本日、当時のことを記憶から引っ張りだして書いてみた。


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・・アルカーイダのウサーマ・ビン・ラーディン暗殺作戦



■パールハーバー(真珠湾)





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