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2026年6月18日木曜日

五浦海岸の「六角堂」に行ってきた(2026年6月18日)― ボストン美術館に始まった岡倉天心巡礼が35年目にしてようやくほぼ完結

 (六角堂 筆者撮影。以下同様)


今週水曜日のことだが、梅雨が本格化する前の晴れ間の一日、思い切って五浦海岸の六角堂に行ってきた。

五浦海岸は茨城県北部、福島県との県境の勿来(なこそ)にも近い。東京と仙台の中間に位置する太平洋に面した海岸である。この地にある「六角堂」とは、そこで晩年を過ごした岡倉天心が建てた瞑想スペースのことだ。ベンガラ色の木造の小建築物である。

太平洋に面した六角堂は、たいへん残念なことに2011年3月11日の東日本大震災の巨大津波で流されてしまった。だが、関係者の努力によって、早くも翌年にはオリジナルの戻した再建がなされている。 


よみがえる!六角堂(総集編)


アクセスの面からいうと、わたしが現在住んでいる千葉県北西部から中途半端に遠い五浦には、なかなか行くことがなかった。だが今回の訪問が実現したことで、米国留学中の35年ほど前にボストン美術館で始まった「わが天心巡礼」がようやくほぼ完成に近づいたことを意味している。 

晩年の岡倉天心は、秋から春にかけての一年の半分はボストン美術館で東洋美術部門の責任者として働きながら、春から秋にかけては五浦をベースに活動していた。そんな日米往還の暮らしを、52歳で没するまで数年間つづけていた。

日本に帰国中も多忙であった天心にとって、五浦は静養の場であり、英気を養う場であったようだ。六角堂で瞑想し、小船を浮かべては海釣りする日々であったらしい。横浜に生まれ育ち、当時の日本人としては例外的に海外を飛び回っていた天心は基本的に海派であった。

六角堂の向こうは、太平洋をはさんで北米大陸である。シアトルやサンフランシスコと対面しているのだ。

「アジアは一つ」(Asia is one)というフレーズで有名な天心だが、実際に五浦に地を訪問して思うのは、むしろ日米親善の意味合いのほうが強いのではないかという感想である。 

「太平洋の架け橋」といえば『Bushido』の新渡戸稲造だが、同世代の岡倉天心もまたその役割を担っていたことを想起すべきであろう。 


*****


梅雨が本格化する前の晴れ間に、思い切って行くことにしたのは、いくら晴れていても真夏ではちょっとつらいからだ。とはいえ当日の日差しは意外と強く、帰宅したらかなり日焼けしてることに気がついた。日焼け止めを塗っておくべきだったな、と

「思い立って」ではない、「思い切って」行ったのである。というのも、行くかどうか迷っていたからだが、ひさびさに地図帳を開いて日本地図を見ていたら、日帰りで行って帰ってこれるとわかった。

常磐線の普通列車を乗り継いで片道3~4時間、往復で7000円弱である。時間距離からいえば京都や大阪までと変わらない。千葉県北西部に住んでいるので、五浦には東京を経由せずにいける。まあ、たいしたアドバンテージでもないが・・・




当日は5時に起床して6時前に出発、柏駅から常磐線に乗ってひたすら北上する。

常磐線で取手より向こうに行くのは、その昔出張で日立グループの関連会社を訪問して以来のことだ。千葉県の住民にとって、茨城県は北で接しているのにもかかわらず、意識面で遠い存在なのだ。 つくば学園都市や鹿島神宮には何度も行っているのだが・・・


(常磐線路線図 ジョルダンより


常磐線の普通列車で北上していて思うのは、茨城県はさすが「常陸風土記」の地であるということだ。「左には山、右には海」。東で太平洋に面している。太平洋の向こうから日が昇る。日が立つから日立であり、常陸(ひたち)の国なのである。

鹿島神宮や筑波山は、「万葉集」以来、古代から歌で取り上げられることの多い地であるが、それ以外にも大甕(おおみか)など古代を思わせる地名に歴史を感じさせられるものがある。茨城県は、もっとよく知らなくてはならないな、と今回の旅をつうじて思うようになった。

(六角堂への最寄り駅は大津港駅)



■最寄り駅の大津港駅から歩いて40分

五浦海岸へのアクセスは常磐線の大津港駅となるが、直通列車はない。普通列車で水戸駅の一駅先の勝田駅まで行き、そこで5両編成の列車に乗り換える。この列車も常磐線の終点まで行くわけではない。

自宅を出てから約4時間弱、けっこう遠いなあ、と。10時18分着の列車から大津港駅で下車したのは数人のみ。とはいえ、意外なことに有人駅であった。帰途のことを考えて時刻表を見たら、昼の時間帯は1時間に1本である。まあ、そんなもんだろう。 太平洋岸を走る常磐線はローカル線なのである。

駅前にロータリーがあるがクルマはまったくない。意外なことにセブンイレブンがあった。


(大津港駅前のロータリ セブンイレブン側から撮影)


ネットで検索したら某訪問記にはレンタサイクル利用とあったが、さらに調べてみると残念ながら10年前に廃業(!)してしまったとあった。というわけで最初から歩いて行くことにしていた。

六角堂まで約35分から40分くらいとスマホの GoogleMap に表示される。約40分くらいなので自分的にはたいしたことはない。天心の在世当時は、みな駅から歩いていたのだからね。


(所要時間は往復時間 片道なら六角堂まで40分前後)


大津港駅からは道路が整備されているが、クルマの往来はほとんどない。もちろん歩いている人など皆無である。

しばらく歩いていくと右手に「風船爆弾放球基地跡」の看板が目に入る。そうなのだ、この五浦の地から先の大戦末期には風船爆弾が発射されたのだ。五浦と北米の西海岸は対岸なのである。

とはいえ、晩年は日米親善を生きた岡倉天心のことを考えれば、なんともいえない皮肉な話ではある。横山大観も『大観画談』(講談社、1956)で同様の感想を戦後に語っている。




すでに廃墟と化した旅館が数軒目に入ってくる。「チームラボ幽谷隠田跡」の廃墟もあった。「幽谷隠田跡温泉」に隣接して期間限定で設定されていたチームラボの「跡」。さすがに「跡」の「跡」とはねえ(苦笑)




五浦には岡倉天心関連の遺跡や美術館などがあるが、どうも「観光地」にはなりきれていないようだ。いや、むしろ俗化してないほうが、地下の天心にとっては好ましいというべきかもしれない。 天心は、当時の茨城県知事から鉄道を敷くことを提案されたが断ったらしい。

さてさらに歩きつづけると左手に海が見えてくる。ああ、海だ。太平洋だ。海はいい。駅から歩いてきた人は、みなそういう感想をもったのではないだろうか。




横浜に生まれ育った岡倉天心は、海好きだったのだろう。 これまた実際にその地を訪れると実感される。



■「天心先生之墓」を詣でてから「六角堂」へ

「六角堂」に向かって歩いていくと、その手前の右手に「天心先生之墓」がある。東京の染井墓地の岡倉家の墓から分骨され、この地にも墓がつくられたらしい。案内看板がなければ見落としてしまうかもしれない。


(天心先生之墓は石段を登ったうえにある)


「天心先生之墓」は、盛り土をした小さな塚で墓標も墓石もない。仏教式ではなく道教式だという。


(岡倉天心の墓は道教式)


かつて訪れたことのある、日本海側にある石原莞爾の墓も盛り土による塚だが、岡倉天心の墓はそれよりはるかに小さい。日本海の彼方の大陸に向いている石原莞爾。太平洋の彼方のアメリカに向いている岡倉天心。


(長屋門)

まずはここにお詣りしてから「六角堂」に向かう。 道路をはさんではす向かいの左側に「長屋門」がある。ここで入場料400円を払って中に入る。ここは茨城大学五浦美術文化研究所が管理している。


(正面から見た長屋門)


天心関連の展示スペースがあり、ざっと見てから、さっそく六角堂への道を下る。








平日の午前中、しかも好天に恵まれたとはいえ梅雨時だからだろうか、ほとんど訪れる人もいなかったのは幸いだった。六角堂の周りはスペースが限られているので大人数が同時に滞在することはできない。




 六角堂のなかには入れないが、ガラス窓越しになかを見ることはできる。ガラス越しに太平洋を見ることもできる。




天心自身は、六角堂のことを「観瀾亭」(かんらんてい)と呼んでいたらしい。「瀾(大波)を観る亭(東屋=あずまや)」という意味である。




六角堂の前には波で洗われてできた奇岩が並んでいて、これらが天然の防波堤になっているが、沖合には島がまったくないひたすら拡がる水平線と青い海。 天心はこの小さな六角堂に座り、瞑想していたのだな、と。そして、天心の没後にここを訪れた旧友のインドの詩人タゴールもまた六角堂で瞑想したのだな、と感慨にふける。 


(約270度のパノラマを動画で)


寄せては引く太平洋の波、打ち寄せる波が奇岩揃いの巌にあたって砕け散る波しぶき。日差しは強いがさわやかな海風、磯の香りに松の匂いが重なる。五感をフルに解放してマイナスイオンに浸りきる心地よさ。 波の音を中心とし、鳥の声や風の音などの自然音以外に雑音はいっさいない。この環境なら現在でも瞑想は可能だ。 




瞑想といえば山のなかというのが一般的なイメージだろうが、風光明媚な海に面した六角堂での瞑想に、晩年の岡倉天心を解くカギのひとつがありそうだ。

そういえば、若き日の空海もまた太平洋に面した洞窟の瞑想で神秘的体験をしているな、と。空と海で空海。海がもつ象徴的な意味も含めて、密教や道教に精通していた天心が海に感じていたものは深いものがある。こういった感想は、実際に現地を訪れてみないと実感できない。 




東日本大震災の津波被害は、10m超だっとたいう。六角堂も土台を残して根こそぎ流されてしまったのである。

つい先日の2026年6月8日、フィリピンのミンダナオ島でマグニチュード7.8規模の大地震が発生し、日本の太平洋沿岸で津波注意報が発令されている。海外で大地震が発生しませんようにと祈るような気持ちであった。

そうでなくても、鹿島神宮に要石(かなめいし)があるように、茨城県は地震の多いところだ。前日には茨城県南部を震源とする地震があったが、内陸の地震なので津波は発生していない。

六角堂からすこし坂を上がったところに、修復保存されている「天心邸」がある。岡倉天心の旧居である。天心邸から六角堂の頭越しに太平洋が見える。




敷地内には、天心邸の左隣に、天心の横顔のレリーフの下に横山大観が揮毫したという「亜細亜ハ 一(いち)な里」と書かれた石柱もある。天心の意図に反して、大東亜共栄圏のプロパガンダに悪用された「アジアは一つ」というフレーズ。この石柱は大戦中の遺物というべきだな。保存することに意味はある。




その後、さらに展望台まで足を伸ばして、高所から六角堂を鳥瞰してみる。現代風ならバーズアイというよりもドローンアイというべきか。展望台への道の中腹から見た六角堂は、ちっちゃくてかわいらしい。




展望台から見る太平洋もまたすばらしい。 




これまた留学中のことだが、西海岸のサンフランシスコ湾から太平洋を眺めたとき、ああこの向こうには日本があるのだなと思ったことがあった。そのときぁら35年、今度は五浦から太平洋の向こうにはアメリカがあるのだなあ、と思ったのであった。 



■「日本美術院」はこの地にあった

 六角堂から歩いて10分くらいの海岸沿いに「日本美術院跡」がある。切り立った絶壁の上にある。まさに絶景である。絵のようなといってよい絶景である。




絶壁の上に立っていたという「日本美術院」の跡地から見る風景は、まさに絶景としかいいようがない。柵が設置されているが自撮り危険(!)であろう。転落したらまず即死間違いなし。 これまた実際に現地に行ってみないと実感できないものだ。 




岡倉天心の五浦移住にあわせて呼び寄せられた、門下の日本画家たちがこの地で画業に精進したのである。横山大観や菱田春草、下村観山、そして木村武山の4人。 

展望台に向かう途中に映画『天心』で使用されたロケのセットがそのまま残されている。関心のる人は訪れてみるといいだろう。






■茨城県立岡倉天心記念五浦美術館の「常設展」で天心関連の展示


「日本美術院跡」から歩いて「茨城県岡倉天心記念五浦美術館」に向かう。




美術館の敷地内には「天心の句碑」があると案内板にあったので歩いてみる。「句碑」とあるから、はて天心は俳句を詠んでいたのかと思ったが、そうではない。漢詩である。漢詩を記した銘板であるが、これをいったいなんと表現するのだろか。「漢詩銘板」かな?

何枚かある銘板のひとつに、『岡倉天心 物ニ観ズレバ竟ニ吾無シ』(木下長宏、ミネルヴァ書房、2005)で有名になった(?)、一節をふくんだものがあった。





なぜか不思議なことに「観物竟無吾」の一節に光があたっている。「物ニ観ズレバ竟ニ吾無シ」である。

ところが、左に記された読み下しには「物を観るに、竟(つい)に吾無し」とある。この銘板がいる制作されたのかわからないが、残念な話である。「物ニ観ズレバ竟ニ吾無シ」と読み下さなければ天心の美術観がわからないだろう、というのが木下氏の見解だからだ。

さて美術館に入ることにする。「常設展示」として岡倉天心関連の貴重な展示があるのだが、500円余計に払って企画展「斎藤清のパリ、そして日本」も見ることにする。 




斎藤清は、あえて木版画で作品を発表してきた人である。

いままでまったく知らなかったが、この人はまずアメリカ人から最初に評価が始まったらしい。パリ滞在を薦めたのも、コレクターのひとりであるアメリカ人実業家だったのだとか。
Wikipediaで調べてみたら、日本語版の解説より英語版のほうがはるかに充実している。パリに行ったのも、アメリカ人実業家がパトロネージしたらしい。

初期の「凝視する眼」のシリーズもいいが(・・これがアメリカ人たちから評価されたらしい)、晩年の会津をテーマにした連作版画がすばらしい。

******

「天心さん」というマスコット人形がおいてあった。「撮影可能」なので撮影したが、岡倉天心は亡くなってからすでに110年以上もたっていて「過去の人」になっているから、地元の子どもたちに親しみをもってもらうためには、こういうことも必要だろうな、と。郷土出身の偉人ではないが、郷土に縁の深い人物として。




「岡倉天心ものがたり」という「子どものためのパンフレット」はよくできている。

常設展の会場前には「横顔のレリーフ」が掲げられている。新海竹蔵作とある。




常設展には、岡倉天心関連の、とくに自筆書簡などが貴重な品々が展示されている。天心の釣り船や、門下の横山大観や下村観山の日本画も展示されている。



■帰途もまた常磐線の普通列車で太平洋を窓越しに見る

さて、五浦での滞在は約4時間、ふたたび歩いて大津港駅まで戻り、常磐線の普通列車を乗り継いで帰る。

駅間距離が長いので、かなりのスピードで走る常磐線ではあるが、さすがに3時間以上も普通列車に乗車しつづけるのはしんどいものがある。とはいえ、充実した一日を過ごすことができたのだは幸いだった。 

北茨城の梅雨入りは6月20日からとのニュースがあったから、まだ現地は梅雨入りしていなかったのだな。ということは、梅雨のあいまの晴れ日というわけではなかったことになる。

再訪することがあるかどうかわからないが、この日の体感をともなった体験は、今後も長く記憶に残ることであろう。

(終わり) 


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