原著のタイトル Het Oostindisch Kampsyndroom を直訳すると『蘭領東印度シンドローム』となるらしい。1992年にオランダで出版された570ページを超える大著だそうだ。
本書は、そのなかから、とくに日本に関連する14章を選んで、再編集した日本語版だ。『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』というタイトルは日本語版オリジナルである。
つい最近、この本の2年後に出版された『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000)という現代オランダ文学を読んだ。ともに、第二次大戦前のオランダ領東インド(=現在のインドネシア)に生まれ、その地で少年時代を過ごした著者の体験をベースにしたものだ。
2000年が日蘭交流400周年であったためだろう、オランダ関係の本が多数出版されているが、この本もその一冊である。わたしはこの本を出版後の1999年に読んでいるが(・・自分がもっている本にそう記録してあるのでトレースできる)、15年後の2014年にに再読して思うのは、内容についてほとんどなにも覚えていなかったという、わたしにとっては衝撃的な事実だ。
15年前は、インドネシア独立は日本のおかげだという考えに支配されていたためだろうか。どうも、この本をオランダ人による贖罪の書のように捉えていたのかもしれない。読みの浅さには恥じ入るばかりである。
■オランダの「反日」もまた「被害者意識」からくるもの
いわゆる「自虐史観」という表現が日本でつかわれるようになったのは冷戦構造崩壊後のようだが、本書にも自虐史観っぽい側面があることは否定できない。だが、ほんとうは「自虐」ではなく、「自省」なのだ。
オランダの世論を知る立場にはないからわからないが、冷戦構造が崩壊した1992年頃は、第二次世界大戦終了から約半世紀にあたる時期であり、同様にステレオタイプな通説を否定する議論が出始めたのかもしれない。
日本とは真逆の世論だが、オランダの世論は「植民地喪失」の原因となった日本による占領と4年間の軍政には全面的に否定的な立場が通説であったようだ。それほど「植民地喪失」という事実は、オランダ人にとっては受け入れがたいことだったようだ。満洲などの植民地を喪失した日本人とはまったく違うのである。
一言でいえば、オランダ社会には根強い「反日意識」が底流に存在するようだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というあれである。ただし、「反日」といっても中国や韓国のそれと大きく異なるのは、オランダは植民地だったのではなく、日本のせいで植民地を喪失したという身勝手な被害者意識である。
昭和天皇が訪欧した際に、英国やオランダで厳しい出迎えを受けたことは、日本人に世の中の現実を知らしめてくれる衝撃的な事件であった。このことを覚えている人は、ある一定上の年代層だろうが、若い世代も、「事実」として価値判断抜きで知っておく必要がある。ロイヤルファミリーどうしの関係と一般市民の意識とはイコールではない。
■オランダと日本とのあいだのパーセプションギャップ
オランダについては、もっぱら「鎖国」時代の唯一の通商相手であることばかりが日本の教科書で強調され、戦後のオランダはチューリップと風車のイメージでしか一般には語られてこなかった。あとは画家ゴッホと浮世絵の関係などだろうか。「格闘技大国」オランダというイメージを持っている人もいるだろう。
ビジネス界では、日本にとって経済的にみればオランダよりもインドネシアのほうがはるかに重要であり、デヴィ・スカルノ夫人の存在を持ち出すまでもなく、日本とインドネシアの関係は切っても切れない関係であったことも、植民地からインドネシアを解放した日本軍は賞賛されこそすれ、非難される筋合いはない、というコンセンサスがあったのではないだろうか。
そんなこともあって、オランダにとって東インド(=インドネシア)という植民地を喪失したことの意味を、なかなか日本人は想像することができないようだ。どうも、日本人が満洲を喪失したのとは同列で論じることはできない、被害者意識やトラウマのようなものかオランダ社会には長く存在したようだ。
オランダが東インドに進出したのは16世紀から。ちょうどその頃、日本との貿易をつうじた関係が開始されたわけだが、オランダは東インド会社という半官半民の植民会社をつうじてジャワ島のバタヴィア(=現在のジャカルタ)を中心にして日本貿易を行っていたのである。だからオランダと東インドは、なんと4世紀以上わたる関係があったわけだ。
日本による軍政はたった4年であり、400年に及ぶ日蘭関係のなかの、たった1%に満たない期間であったが、日本側とオランダ側ではまったく異なるとらえ方がされている。
日本人は健忘症の傾向があるとはいえ、その後の敗戦と復興のどさくさで、日本国民はそれどころではなかったことが第一にあげられよう。
オランダもまた、第二次大戦中はドイツに占領され、国土が荒廃したことは日本と同じであったのだが・・・。
■著者ルディ・カウスブルック氏の立ち位置と「自省」という行為
本書の著者ルディ・カウスブルック氏は、1929年にオランダ領東インドに生まれ、少年時代には日本軍の民間人抑留所で厳しい抑留生活を送った人である。
同じような立場にあった人たちが、第二次大戦後の植民地喪失後のオランダで、日本を糾弾する言論活動を続けていたなか、さまざまな資料とみずからの体験をもとに、オランダ人にとっての植民地、植民地の住民であったインドネシア人、そして日本について、冷静な反省を行った記録である。だから、「自虐」ではなく、「自省」の記録なのである。それは知的でかつ、誠実な行為といえよう。
この「自省」という行為は「理性」に基づくものであり、決まり文句とステレオタイプな見解に真っ向から反論することである。だが、それを活字として世に問うことは、さすがにヨーロッパであるとはいえ、かなりの勇気をともなうものであったに違いない。あの自由なオランダですら、ある種の「空気」が支配する社会であることが本書の記述からうかがわれるのだ。
著者の記述にみられるように、同じ事実であっても、インドネシア国民から見れば「独立」だが、オランダから見れば「喪失」であるという、立場によってまったく異なる意味である。
そして日本はたった4年間の軍政であったとはいえ、被統治者であったインドネシア人の民族意識を高め、結果としてオランダによる植民地の終わりを早めたことは否定できない。日本の敗戦後オランダは戻ってきてふたたび圧政を敷いたが、ほどなくして植民地からの撤退を余儀なくされることになる。日本占領時代に、オランダへの帰属意識は一掃されていたからである。
著者の立場は、いわば「複眼的」といってよいものであろう。いや、日本語の『きけわだつみの声』にまで目を通し、内容について言及する姿勢からうかがわれるのは、「複眼的視点」を超えた「三点測量」(トライアンギュレーション)とでもいうべき視点が感じられる。
日本人でもこのような三点測量(トライアンギュレーション)で見ることのできる人は、そう多くはあるまい。なによりも日本人に求められのは、相手の立場に立ったイマジネーションであるとつよく思うのである。
(原著カバーは著者が収容されたスマトラ島の収容所)
■オランダのオランダ人と植民地のオランダ人は同じか?
オランダ人植民者たちが東インドの現地人に対してとった過酷な態度。こういう態度で接してからこそ、独立運動を誘発し、日本軍による占領によって独立への流れが加速したことは否定でのできない事実である。
本書の記述によれば、1929年にはオランダの現地人への過酷な態度はアメリカから非難を受けているし、欧州の植民地帝国であった英国もフランスも、この時点においては、「道徳的」とはほど遠い状況であったが、オランダより植民地経営は巧妙であったようだ。
大英帝国の「分割統治策」は現在でも「負の遺産」として大きな禍根となっているが、それでも植民地経営においては、きわめて有効なものであったことは否定できない事実ではある。なによりも証拠に、ごく一部の国を除いては、旧英国植民地はほとんどが英連邦に加盟している。
本書には言及はないが、南アフリカの支配者であるブール人(=ボーア人、アフリカーナー)もまたオランダ系であったことを想起すべきかもしれないと考えることに意味があるかもしれない。以下の記述を読んでみてほしい。
そして非ヨーロッパ世界にかんするかぎり、プロテスタンティズムの与えた影響はあまりないか、あっても望ましくないものであった。というのもプロテスタンティズムの予定説は、選民思想と結びついて、ヨーロッパ人以外を「人間」として認めない方向に向かったからである。・・(中略)・・北米大陸のインディアンの場合に明らかなように、プロテスタントは彼らを人間として認めず、殺戮、殲滅をもって恥じないどころか、それを神の摂理の名のもとに正当化したのである。地球上で最後まで公式にアパルトヘイト(人種隔離)政策を維持しつづけたのがオランダ系カルヴァン派の子孫の建国した南アフリカ共和国であったのは、偶然ではない。(『宗教改革とその時代(世界史リブレット)』(小泉徹、山川出版社、1996) P.85~86 より引用 太字ゴチックは引用者=さとう)
昨年アパルトヘイト廃止の闘志であったネルソン・マンデラ元大統領がお亡くなりになったが、アパルトヘイトはなんと1991年(!)まで撤廃されなかったのである。
もちろんオランダ系移民が建国した共和国であった南アフリカの状況と、オランダ王国の直轄領となったオランダ領東インドを同列で論じることに無理はあるかもしれないが、植民者の現地人への態度はある程度まで似たようなものがあったと言っても過言ではないように思う。
オランダ領東インドの末期から、日本による軍政を経てインドネシア独立に至るまでの歴史については、『インドネシ民族意識の形成(歴史学叢書)』(永積昭、東京大学出版局、1980)という知られざる(?)名著がある。ぜひ機会があれば読んでいただきたいと思う。
フランス人は『ラマン』や『インドシナ』といった映画で植民地時代のベトナムをノスタルジックに語る映画を作成してきた。大英帝国崩壊後の英国人も、大英帝国消滅という「受け入れたくない現実」を受け入れるために苦闘してきたことは、比較的知られているようだ。
だが、オランダからはそういう映画は日本に来ないし、オランダが植民地を喪失して「小国」となったという事実すら日本人の常識とはなっていないようだ。
植民地消失がそのまま衰退につながらなかった日本だが(・・なんせ「戦後」に人口が5,000万も増えて、人口規模が1.5倍になったのだ!)、さすがに少子化により人口減少が顕在化し、国民一般に衰退が感じられるようになってきている。
縮小する母国の現実をいかに受け入れるか、オランダの事例もまた日本人にとっては研究に値するものではないかと、2014年のいま感じるようになっている。
重要なことはバランスのとれた「ものの見方」。夜郎自大にならず、卑屈にも自虐的にもならず、「事実」を「事実」として受け取り、とるべきアクションを冷静に検討し、そして行動に移すという、冷めた知性をにもとづいた言動を行っていきたいものだ。
目 次
序文-憂いと哀れみ
オランダ領東インドの日本化
無人地帯の予言者
沈思一千年の美
きけわだつみのこえ
決まり文句と暗示
山の人間
あるギリシャ悲劇
デリの大地
鮫
太平洋のポンペイ
ボーフェン-ディグルの十五年間
神々の黄昏-オランダ領東インドの没落
日本茶に塩入れて
訳者あとがき
原註および訳註
参考文献
関連年表
著者プロフィール
ルディ・カウスブルック(Rudy Kousbroek)オランダの著名な評論家、エッセイイスト。コラムニスト。哲学博士。1929年、旧蘭領東インド(現インドネシア)生まれ。1942年オランダ軍降伏により、スマトラ島の日本軍民間人抑留所に収容される。1946年オランダに引き揚げる。アムステルダム大学で数学・物理学を専攻。同時に有名な文学運動 "五十年代派" に参加。パリに移る(1950~1990年)。1953年、処女短編「南回帰線時代を葬る」を発表。1968年、エッセイ集『パリ1968年革命について』。1975年、全作品によって、オランダの最高の文学大賞であるP.C.ホーフツ賞を受賞。1995年には『蘭領東印度シンドローム』(本訳書)、さらに自伝的エッセイ『再び生国の土を踏んで』はベストセラーに。その他、哲学的エッセイな多数の作品がある。(カバー記載の情報より)。
訳者プロフィール
近藤紀子(こんどう・のりこ)
翻訳家。1941年、山梨県生まれ。1963年、東京外国語大学インドネシア語科卒業。六四年オランダ政府給費生としてライデン大学に留学。オランダ近代文学を専攻する。以来ライデン市に在住、紀子ドゥ・フローメン(De Vroomen)の名前で日本文学の紹介につとめる。翻訳書に大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』『芽むしり仔撃ち』『万延元年のフットボール』、大岡信『遊星の寝返りの下で』、安部公房『短編集』、オランダ語から日本語への訳書として『西欧の植民地喪失と日本』(草思社刊)、著書として『連句・夏の日』『大江源三郎・文学の世界』などがある。(カバー記載の情報から)。
<ブログ内関連記事>
■オランダ領東インドと日本
書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド
・・『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』の2年後に日本で翻訳出版された。ともに健忘症の日本人への警鐘と受け取りたい。重要なことはバランスのとれた「ものの見方」。夜郎自大にならず、卑屈にも自虐的にもならず・・
・・日本占領時代のジャワ島の捕虜収容所が舞台
スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・「第二次大戦中、軍属として海軍に徴用され、インドネシアのジャカルタで通訳官として海軍に勤務していた鶴見俊輔」の「お守りことば」というフレーズを紹介してある
■オランダと植民地
「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる
・・熱帯植物園で有名なインドネシアのボゴールは、オランダ植民者にとっての「夏の避暑地」として建設されバウテンゾルグ(無憂)と命名された
書評 『ニシンが築いた国オランダ-海の技術史を読む-』(田口一夫、成山堂書店、2002)-風土と技術の観点から「海洋国家オランダ」成立のメカニズムを探求
・・オランダにとっての東インドとは?
なぜ「経営現地化」が必要か?-欧米の多国籍企業の歴史に学ぶ
・・・グローバルビジネスの原型である「オランダ東インド会社」についての記述あり 「「植民地」における企業経営の経験が非常に大きいと思われます。 英領インドにおける英国の東インド会社(East India Company)、蘭領東インド(=現在のインドネシア)におけるオランダの東インド会社が典型的な事例です。英国とオランダの双方に本社のある、エネルギーのロイヤル・ダッチ・シェル(Royal Dutch Shell)や、食品のユニリバー(Unilever)のような英蘭系グローバル企業は、その最右翼というべきでしょう。 要は、限られた駐在員ですべてをこなすのは不可能なので、「二重支配体制」を創り上げたのです」
■17世紀以降のオランダ
「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった
・・フェルメールとスピノザをつなぐものは光学レンズであった
書評 『チューリップ・バブル-人間を狂わせた花の物語』(マイク・ダッシュ、明石三世訳、文春文庫、2000)-バブルは過ぎ去った過去の物語ではない!
・・17世紀オランダの「バブル経済」
書評 『学問の春-<知と遊び>の10講義-』(山口昌男、平凡社新書、2009)-最後の著作は若い学生たちに直接語りかけた名講義
・・「1920年代から1930年代にかけて全盛期を迎えたオランダのライデン学派という知的サークルのなかから生まれてきたのが『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ)という比較文化論の傑作。山口昌男がフィールドワークの地として選んだインドネシアの島々は、かつてオランダの植民地であり、戦時中は日本に占領されていたことも語られる。その意味では、中心であるジャワではない、辺境のインドネシアについて知ることもできる内容である。ブル島、アンボン島、フローレス島・・・。さきに独立した東チモール以外はほとんどだれも知ることない島ばかりだ」
幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③
・・蘭学とオランダ語書籍がなぜ佐倉に集積しているのか?
書評 『オランダ風説書-「鎖国」日本に語られた「世界」-』(松方冬子、中公新書、2010)-本書の隠れたテーマは17世紀から19世紀までの「東南アジア」
■ヨーロッパによる植民地支配
コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)
・・ベルギー領コンゴという「闇の奥」
会田雄次の『アーロン収容所』は、英国人とビルマ人(=ミャンマー人)とインド人を知るために絶対に読んでおきたい現代の古典である!
・・英国人を代表とする西欧人(=白人)のアジア人に対する蔑視が鮮明に表現された名著
■「ものの見方」
書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)
書評 『座右の日本』(プラープダー・ユン、吉岡憲彦訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2008)-タイ人がみた日本、さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ
書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある
・・欧州諸国は植民地支配について謝罪はいっさいする姿勢は見せないとはいえ、それ以外の点にかんしては「倫理的優位性」を示すことが国際社会における生き残りの条件であることを示している
■その他-本論との関係で
「われわれは社会科学の学徒です」-『きけわだつみのこえ 第二集』に収録された商大生の手紙から
(2022年12月23日発売の拙著です)
(2022年6月24日発売の拙著です)
(2021年11月19日発売の拙著です)
(2021年10月22日発売の拙著です)
(2020年12月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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