ルーマニアの独裁者であったチャウシェスク大統領とその妻が逮捕され、形式的な即席裁判によって死刑を宣告され、20年前のきょう銃殺刑になった。
すでに歴史上の一エピソードとなっているのかもしれない。
ルーマニアのハンガリー系住民の居住地域の中心であるティミショアラで反乱が発生してから、あっという間にルーマニア全土に広がった反乱。
第二次世界大戦で使用されたような旧式なライフル銃を使用しての市街戦の映像が記憶に焼き付いている。
それもつかの間、チャウシェスク大統領夫妻が逮捕され、処刑された。
ベルリンの壁崩壊のニュース映像をリアルタイムで見れなかった私も、さすがに年末は手が休まっていたので、自宅でルーマニア動乱のニュースをフォローすることができた。
天安門事件から始まった1989年の動乱は、ベルリンの壁崩壊で頂点に達し、そしてチャウシェスク大統領の処刑で幕を閉じた。20世紀でもっとも長い一年だったような気がする。
チャウシェスク大統領夫妻の即席裁判と銃殺シーンについては、その当時日本のTVでも視聴したが、現在では YouTube で、英語のナレーションと字幕がついた映像をみることができる。
装甲車から引きずり出されるチャウシェスク、たった19分間の即席裁判とその直後の銃殺刑の瞬間、そして銃発射による硝煙のあがるなか、チャウシェスク夫妻の死亡が確認されるシーンがある。題して、Nicolae Elena Ceausescu executed(7分26秒)
のちに、チャウシェスク大統領夫妻の処刑は、ルーマニア共産党内の「宮廷革命」といわれた。共産党支配の終焉ではなく、共産党内の反チャウシェスク派が動乱に乗じて政敵を抹殺した事件だったという。
私の世代が中学校の「地理」で勉強していたルーマニアは、産油国であるがゆえに、燃料エネルギーをソ連に依存する必要がなく、チャウシェスクはソ連に対しては自主独立路線を貫く"英雄"として、西側諸国ではみなされていた。ある意味、ユーゴスラヴィア(当時)のチトー大統領のような存在だったような記憶がある。
チャウシェスク大統領夫妻は、ルーマニアの首都ブカレストから、北朝鮮に向けて脱出する寸前に逮捕されたと、その当時はいわれていた。
もし脱出に成功して北朝鮮に亡命していたら、その後どうなっていただろうか。ハーグに召還されて裁判にかけられていたことだろうか。
すでにチャウシェスク時代、悪化していたルーマニアの経済的苦境はいまだに続いているようだ。最近はどうかしらないが、ルーマニアではエイズ被害が拡大し、都市部ではマンホール・チルドレンが大量に発生したときいている。
1992年に私がはじめてトルコのイスタンブールにいったたとき、やけに金髪女性が多いなと思ったのだが、聞くところによれば、その当時のイスタンブールの売春婦はルーマニア人が多かったという。イスタンブールからは陸路でつながっているし、直通列車もあるから、その話は正しい情報だったと思われる。
独立以前のルーマニアは、オスマン・トルコ帝国の統治下にあった。
いまだに、ルーマニアとブルガリアにはいっていないのが残念である。ハンガリーのルーマニア国境近くまではいっているのだが。
EU加盟も決定しているルーマニアは、欧州では賃金水準が低いので、製造業の誘致が積極的に行われている。
紙とエンピツがあればできるのでカネがかからないという理由で、共産主義時代から数学にチカラが入れられてきた旧共産圏、とくにルーマニアには、腕利きのコンピュータ・ハッカーが多いとも聞いている。
豊かな先進国では理数離れが止まらないが、経済的に豊でない国では数学が人的資源の大きな武器になっているようだ。これは共産政権時代の"正の遺産"といえるだろう。
もちろん、インターネット犯罪大国と化したルーマニアを正当化する意図はまったくない。数学に限らず、科学技術というものは諸刃の剣であり、使い方次第で善用もできれば、悪用もできる。社会の安定がすすめば、数学レベルの高さは国家発展に善用されるはずである。
ルーマニアは、体操競技の妖精コマネチだけではないことを知るべきだろう。もっともナディア・コマネチは、ハンガリー系ルーマニア人である。
バルカン半島にあって、多数派であるスラブ系でないルーマニアは、ラテン系の言語をもつ民族である。
日本語ではルーマニアというが、本来の発音はロマーニアに近いことからもわかるように、ローマをその民族名と国名に含んでいる。
もっとルーマニアに注目すべきであろう。
P.S. この記事の閲覧数が多いのを感謝する意味で、YouTube キャプチャ画像を付け加えた(2011年2月24日)
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