(雪村周継 「月夜独釣図」 ドラッカー・コレクションより)
『ドラッカー・コレクション珠玉の水墨画- 「マネジメントの父」が愛した日本の美-』(千葉市美術館)に行ってきた(2015年5月28日)。千葉市美術館の「開館20周年記念展」である。会期 2015年5月19日から 6月28日まで。
ドラッカーとは、もちろん「マネジメントの父」といわれた経営学者で社会生態学者のピーター・ドラッカー(1909~2005)。「ドラッカー・コレクション」とは、その
ドラッカーが生涯をかけて収集した日本美術のコレクションである。みずから
「山荘コレクション」(Sanso Collection)と名付けていた。
しかも、その
収集の出発点であり、中心であったのが室町時代の水墨画。
ドラッカーと水墨画の取り合わせは、ビジネスやマネジメントしか関心のない人にはピンとこないだろうし、逆に日本美術愛好家にはドラッカーといってもピンとこないかもしれない。それくらい一般的には水と油のような関係の組み合わせである。
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水墨画のなかに「没入」するドラッカー
「正気を取り戻し、世界への視野を正すために、私は日本画を見る」と、コレクター本人が書いているらしい。
人によってはアウトドア活動であったり、スポーツであったりするが、
雑事にまみれた実務の世界などの「アクティブ・ライフ」(Vita activa)から離れて「没入」する対象が、書斎派のドラッカーの場合は掛け軸で水墨画であったということだ。
「没入」は「沈潜」といっていいかもしれない。無意識に始まったものとはいえ、その後に確立された、
ある種の瞑想法にも近い自己(再)発見のテクニックではないか、と思われる。
水墨画といえば雪舟くらいしか思い浮かばないのが一般的な日本人の反応だろうが、
ドラッカーのコレクションは日本人もまったく知らないような絵師の作品にまで及んでいる。
収集がもっとも活発であった時期は、マネジメントにかんする考察がもっとも活発に行われていたクリエイティブな時期と重なるという。
「没入」と「創造性」の関係について示唆的な話である。
無意識のうちに集中している状態は、ハンガリー出身の心理学者チクセントミハイの提唱した
「フロー」の概念に該当する。
水墨画世界のなかに「没入」することが、ある種の「観想的生」(Vita contemplativa)であったと考えれば、
ドラッカーにとって、一点を除いてすべてが掛け軸であった日本美術のコレクションを「観る」ことが一番のストレス解消策であり、インスピレーションの源泉でもあったと考えるべきなのだろう。
経営はアートかサイエンスか、という議論が昔から続いているが、答えは言うまでもなく両方である。ここでいうアートとは「芸」「と「術」の双方を含むものであるが、
ドラッカーのマネジメントはより人間重視のアート志向といっていいだろう。
ドイツ語圏のウィーン出身で、「教養」のもつ重要性を熟知し、みずから実践していた人である。
しかも、
ドラッカーが日本美術に目覚めたのは偶然の出会いからだという。
ナチス支配の強まるドイツを逃れ、
ロンドンで証券アナリストをやっていた25歳のとき、1934年6月である。雨宿りのために入った美術館の展示を見て、突然恋に落ちてしまったのだという。
ドラッカーの日本とのかかわりは、マネジメント指導を通じた日本企業とのかかわりよりもはるか前に、日本美術との偶然の出会いから始まっていたのである。
その時代に誕生したのが、
思想家ドラッカーの出世作でチャーチルにも大きな影響を与えた名著『経済人の終わり』(The End of Economic Man)である。マネジメント概念の確立以前のドラッカーには、思想家としての側面と水墨画愛好家という側面があったわけだ。
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30年ぶりの「ドラッカー・コレクション」の企画展
『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画』を企画したのは、
ことしが開館20年目の千葉市美術館。同時に開催されている
「歴代館長が選ぶ所蔵名品展」にも現れているように、初代館長の辻惟雄氏、第二代館長の小林忠氏、そして現在は第三代の河合正朝氏はいずれも日本美術史研究の泰斗である。
三代目館長は、
室町時代の水墨画研究家の河合正朝氏。まさに『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画-』のテーマを扱うのにこれほどの適任者がいないというだけでなく、じつは
今回の企画展は、河合氏自身が30年前に企画した展覧会をさらに精選し、パワーアップしたものだとのことだ。
「公式サイト」の紹介文には、企画展の趣旨が以下のように記されている。
人口当たりでは最大の読者を持ち、特に影響が大きく深かった日本。しかしこれまでのさまざまな "ドラッカー学" の中でも、美術コレクションが意味したものについての考察は、未開拓の分野であったと言えましょう。 本展は、知られざる存在となりつつあった本コレクションを改めて調査し構成した、初公開作品を含む111点の里帰りとなるものです。コレクションの軌跡をたどり、ドラッカーその人への関心と彼が美術を通じて見た日本という視点を加えながら、新たな切り口で作品の魅力をご紹介いたします。
企画展は8部構成となっている。
序章 日本美術との出会い
第1章 1960年代、初期の収集
第2章 室町水墨画
第3章 水墨の花と鳥 動物画の魅力
第4章 聖なる者のイメージ
第5章 禅画 江戸のカウンターカルチャー
第6章 文人画の威力
終章 書斎に吹く風 クレアモントのドラッカー
それぞれの展示作品につけられたキャプションを読むと、
ドラッカーによる日本美術のキーワードは、意匠としてのデザイン、トポロジー、そして統合性と両極性とある。ドラッカーは、日本美術と日本文明の特色は、美術だけではなく経営にも現れているとみているようだ。
今回の企画展は展示品だけでなく、
「目録」(2,300円)もじつによくできているので購入することをぜひすすめたいが、目録所収の論文や関係者の回顧録やコラム記事などすべて読み、あらためて展示作品を目録の掲載されている写真で眺めていると、またさまざまな角度から思考を深めることが可能となる。
デザイン性や統合性については、日本美術については比較的よく語られてきたことだが、
トポロジーという把握が印象に残る。
トポロジーとは位相幾何学のことである。
遠近法の背景にある西欧の幾何学でも、中国の対称性の代数学でもなく、
日本美術はトポロジカルというのはドラッカーならではの理解だが、なかなか美術だけをやっている人間から聞くことのない指摘である。トポロジーはギリシア語のトポス(=場)からの派生語だが、
「現場」など、なによりも「場」を重視する日本人の志向性を想起させるものがある。
ドラッカーが禅仏教に傾倒したという話は聞かないが、
みずから収集した水墨画や禅画のコレクションをつうじてドラッカーは禅的なものに強く影響を受けているようだ。禅画をカウンターカルチャーと位置づけるのは、1970年代のアメリカ、とくに西海岸のトレンドとは無縁ではあるまい。世代は大きく異なるが、
禅仏教に傾倒し、日本好きであったスティーブ・ジョブズと同時代を生きていたのである。
青年期まで過ごしたウィーンやフランクフルトなどで接していた、
第一次世界大戦と同時代の「ドイツ表現主義」が実現できず終わったことを、すでに江戸時代の日本人が禅画で実現していたというドラッカーの発言もまた興味深い。日本文明の根底の一つを形成している、
禅仏教的な知覚による直観的把握について語っているわけだが、西洋美術との比較で禅画を見直してみるのも、一つの鑑賞方法であろう。
ドラッカーは西欧文明の中心地の一つであるウィーンに生まれ育ったユダヤ系の知識階層出身者であり、
自分自身が徹底的に教育を受けたデカルト的な分析的知性と日本美術をつうじて学び取った知覚による直観的把握を大事にしてきたようだ。この両者が合わされば、まさに鬼に金棒だろう。西欧人にとっては後者が、日本人にとっては前者を強化することが重要である。
この企画展の英文タイトルは、Masterpieces from the Sanso Collection: Japanese Paintings colleted by Peter F. and Doris Drucker となっている。収集はドラッカー個人によるものではなく、夫婦によるものであったことにも注目しておきたい。
「ドラッカーコレクション」は、基本的に著名な絵師の著名な作品よりも、日本人ですらまったく聞いたことのないような絵師も多く、テーマ性のきわめて明確なコレクションだが、
なかにはいま日本でも人気の高い若冲の水墨画もある!
「梅月鶴亀図」(1795年)がそれである。マグネットも販売されていたのが、美術マグネット・コレクターとしてはうれしいかぎりだ。