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2021年6月25日金曜日

「元祖・知の巨人」立花隆氏の代表作『宇宙からの帰還』(1983年)にインスパイアされた日本人宇宙飛行士12人へのインタビュー『宇宙から帰ってきた日本人』(稲泉連、文藝春秋、2019)-2021年4月に亡くなった立花隆氏を悼む


「元祖・知の巨人」であった立花隆氏が亡くなったというニュースを知った。今年(2021年)4月30日に急性冠症候群でお亡くなりになったという。6月下旬になってようやく情報公開されるに至ったようだ。

すでにガンを患っており、そのこと自体をテーマとしてNHKの番組や書籍をつうじて知的に探求していた立花隆氏だが、知的好奇心の塊のような本人にとって、享年80歳はあまりにも短すぎたというべきだろう。ご冥福をお祈りします。合掌。

現在の日本は「知の巨人」がインフレ状態だが、これはもっぱら出版関係者のマーケティング戦略によって仕立て上げられたものに過ぎない。

とはいえ、文理の垣根を越えて旺盛な知識欲をフル回転させていた立花隆氏は別格であったというべきだろう。

晩年には「知の虚人」という揶揄や批判もあったが、それだけ巨大な存在だった証(あかし)である。


■立花隆氏の傑作ノンフィクション『宇宙からの帰還』

私は、立花隆のノンフィクション作品をすべて読んだわけではないが、個人的には『宇宙からの帰還』が立花隆の最高傑作であると思っている。

宇宙開発というきわめつきの理系のテーマでありながら、宇宙飛行士として宇宙から地球を見た草創期の人たちの精神の内面やライフストーリーに迫ったノンフィクション作品だ。

米国人宇宙飛行士12人へのインタビュー集であり、初版の単行本は1983年に出版されている。すでに40年近く前のことになる。


社会人になってからのことだが、この本を絶賛していた1年先輩にあたる同僚の話を聞いて興味を抱き、さっそく文庫版で読んでみた。そしてその内容に大いに感心したことがつよく記憶に残っている。この本はスゴイ、と。

中公文庫版(新版)の内容紹介を引用しておこう(*太字ゴチックは引用者=さとうによるもの)

宇宙から地球を見る。この極めて特異な体験をした人間の内面には、いかなる変化がもたらされるのか。十二名の宇宙飛行士の衝撃に満ちた内的体験を、卓越したインタビューにより鮮やかに描き出した著者の代表作。宇宙とは、地球とは、神とは、人間とは――。知的興奮と感動を呼ぶ、壮大な精神のドラマ。


このテーマの延長線上に『臨死体験』など、さまざまな人間の「内面世界」への探求がつづいていく。

いわゆる「宇宙」が「アウター・スペース」(=外的宇宙)であれば、精神世界は「インナー・スペース」(=内的宇宙)である。科学ジャーナリストでもあった立花氏の知的好奇心の対象として、精神科学の要素は最初から大きなものであった。

意外と知られてないが、むしろインナースペースである精神世界への関心のほうが立花氏の本質に近いのではないだろうか?

『田中角栄研究』でメジャーデビューしたためそればかりが強調されるが、文藝春秋社を2年で辞めて東大文学部に学士入学して哲学を学び直した立花氏、「神秘哲学」への関心の深い人であった。これは『神秘哲学』の著者でもあった『井筒俊彦全集』の月報でも語っていた。



『宇宙から帰ってきた日本人』は『宇宙からの帰還』へのオマージュ

さて、立花隆氏の『宇宙からの帰還』へのオマージュとして行われたのが、ジャーナリストの稲泉連氏による『宇宙から帰ってきた日本人-日本人宇宙飛行士全12人の証言』である。

『宇宙から帰ってきた日本人』に登場する日本人宇宙飛行士たちの多くが、『宇宙からの帰還』を読んでインスパイアされたと語っている。それほど『宇宙からの帰還』は後世への影響力の大きなノンフィクションだったのだ。そしていまなお読み継がれているロングセラーでもある。

『宇宙から帰ってきた日本人』を読んだのは2019年の年末に出版されてからすぐのことだが、翌年に始まったコロナ騒ぎのなかで大きな話題にならなかったのは残念なことだ。立花隆氏の逝去を機会に取り上げてみたいと思う。

稲泉氏が12人の日本人宇宙飛行士と語った内容については「目次」をみるとよい。

1. この宇宙で最も美しい夜明け―秋山豊寛の見た「危機に瀕する地球」 
2. 圧倒的な断絶―向井千秋の「重力文化圏」、金井宣茂と古川聡の「新世代」宇宙体験
3. 地球は生きている―山崎直子と毛利衛が語る全地球という惑星観
4. 地球上空400キロメートル―大西卓哉と「90分・地球一周の旅」 
5. 「国民国家」から「惑星地球」へ―油井亀美也が考える「人類が地球へ行く意味」 
6. EVA:船外活動体験―星出彰彦と野口聡一の見た「底のない闇」 
7. 宇宙・生命・無限―土井隆雄の「有人宇宙学」 
エピローグ 宇宙に4度行った男・若田光一かく語りき


日本人としてはじめて地球の外に出たのは、当時TBS記者の秋山豊寛氏であった。冷戦崩壊前のソ連時代のことである。1989年から1990年にかけてのことであった。

すでに4度も宇宙に滞在し、日本人としては最長の宇宙滞在記録をもつJAXA(宇宙航空研究開発機構)所属の若田光一氏まで、日本人宇宙飛行士の体験と知識の蓄積はかなり進んでいる。


『宇宙からの帰還』の米国人宇宙飛行士たちとの違い

『宇宙からの帰還』に話を戻してみよう。

いまでも記憶につよく残っているのは、地球を出てから宇宙から株式投資を続けていた宇宙飛行士のことだ。いかにもアメリカ人らしいな、と思ったものだ。

だが、もっとも強い印象を受けたのは、宇宙からの帰還後に宗教意識が覚醒してキリスト教の伝道師になった元宇宙飛行士の話だ。

だが、『宇宙から帰ってきた日本人』を読む限りでは、日本では宇宙体験をしてから「伝道師」になったケースはないようだ。

真珠湾攻撃に参加した総隊長の淵田美津雄氏が、敗戦後にキリスト教に入信して伝道師として戦勝国・米国を回った話はあるが、日本人宇宙飛行士にはその手の事例はないようだ。伝道師は伝道師でも、「科学の伝道師」として活躍されている方は毛利衛氏を筆頭に多いのだが・・。

キリスト教という一神教と日本の多神教世界との違いだろうか。「近代科学」がキリスト教の内側から生み出されたものであることが、日本人には常識となっていないためか。

いずれにせよ、宇宙開発の草創期の米国人宇宙飛行士たちの体験と、それからすでに半世紀以上もたつ現在の日本人宇宙飛行士たちとのあいだ知識の蓄積は、想像以上に大きいと考えるべきなのだろう。


■宇宙旅行が宇宙飛行士以外にも開かれる時代の意識

一度は宇宙から地球を眺めてみたいという気持ちは、だれもが一度はもったことがあるはずだ。「地球は青かった」というソ連時代の宇宙飛行士ガガーリンの述懐が、いまなお語られるのはそのためだ。

だが、現在でもそれを実現できる人はほんの一握りに過ぎない。きわめて強い意志と重力に耐えられる健康状態と体力、そしてチャンスをものにできた幸運な人にだけ開かれた「狭き門」である。

とはいえ、すでに米国ではNASAではなく、民間ハイテク企業が宇宙開発の大きな役割を果たすようになってきている。

この7月にはブルーオリジン社で宇宙に飛び出そうとしているアマゾン創業経営者のジェフ・ベゾス氏を先頭に、その後のはスペースXのイーロン・マスク氏(テスラモーターズの創業経営者でもある)、英国のリチャード・ブランソン氏のバージン・ギャラクティック社がそれに続くことになる。(*2021年7月2日現在の情報では、ベゾス氏の7月20日に先駆けてリチャード・ブランソン氏が7月11日に宇宙に出るようだ。男の子的競争心かな(笑))

もちろん、純粋な知的好奇心以外の要素も働いていることは否定できないが、億単位のカネを出せば宇宙に出ることは可能になってきた時代なのだ。

きわめて高度な専門レベルの教育を受けた科学者たちとは違う一般人たちが、宇宙に飛び出そうとしているのである。あらたな時代が始まろうとしているのである。

こうした一般人の「宇宙体験」と「意識の変容」については、今後つぎつぎと語られることになっていくことであろう。まだまだ現時点では、宇宙への旅が当たり前とはなっていない状況だから、面白い話が聞けるのではないかと期待している。




<関連サイト>

・・生前に親交のあった方々からのお別れのメッセージ





(2021年7月22日 情報追加)


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書評 『バイオスフィア実験生活-史上最大の人工閉鎖生態系での2年間-』(アビゲイル・アリング/マーク・ネルソン、平田明隆訳、講談社ブルーバックス、1996)-火星探査ミッションのシミューレーションでもあった2年間の記録

『インセプション』(2014年)と『インターステラ』(2010年)-クリストファー・ノーラン監督の大作を2本つづけて視聴(2020年12月13日)





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2021年6月23日水曜日

「國威宣揚」という石碑が日本各地に残っている ー 明治天皇による「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」(慶応4年=明治元年)に由来する「近代日本」の出発点

 
「國威宣揚」という石碑が日本各地に残っている。

冒頭に掲げたのは、東京都江東区の深川一丁目児童遊園に堂々と屹立(きつりつ)している石碑だ。4年前にはじめて見たときは驚いたものだ。よりによって、なぜ児童公園にあるのか、と。

いまこの「國威宣揚」について書いているのは、まったく違う場所でおなじ文言が書かれた石碑を目撃したからだ。つい最近のことである。

JR総武線と武蔵野線、そして東京メトロと東葉高速鉄道のジャンクションである西船橋駅から、10分程度離れた京成電鉄の京成西船駅(旧駅名:葛飾駅)に向かう途中に、目に入ってきたのは「國威宣揚」という4文字が記された石碑だった。


気になったらすぐに写真を撮って記録することが大事。そのときはすこし急いでいたのだが、10歩歩いてから戻って即スマホで撮影。これは基本動作である。写真さえ撮っておけば、あとから記録から記憶が蘇るからだ。


文字がかすれているのでわかりにくいが、たしかに「國威宣揚」と書かれている。文字列の上には日の丸らしきものが刻まれているが、これは、たまたまそう見えるだけのことだろう。国旗掲揚の際に、ひもを通す穴であろう。


■大東亜戦争開始以前に建てられた「國威宣揚」の石碑

東京都江東区の深川一丁目児童遊園の「國威宣揚」についてもう少し見ておこう。


石碑の裏面には、かすれてよく見えないが、昭和12年(1937年)と書かれてあった。1941年に始まった大東亜戦争時代ではないが、日中戦争が始まり戦時色が強まり始めていた「戦前」に建てられたことがわかる。


これまで目撃したのは、東京都江東区と千葉県船橋市の2件だが、おそらく日本全国各地にこの石碑は現存しているのだろう。たしかに、ネット検索してみると、いろんな画像がでてくる

西船橋の春日神社のものは現在のところアップないようなのでここで取り上げることにした。なお、西船橋の春日神社にある石碑の裏面には「昭和15年1月1日建立」と刻まれていることを確認した。


昭和15年とは1940年、いや皇紀2600年である! そうか、それにあわせてあらためて「国威宣揚」が強調されたというわけか!(*この件は、2021年6月28日に追記)

オリンピックがらみで「国威発揚」という表現がよくつかわれるが、石碑には「国威発揚」ではなく「国威宣揚」とある。正確にはこれまで記述してきたように、正字体による「國威宣揚」である。


■「國威宣揚」とは何か?

「國威宣揚」が気になったのでネット検索しているうちに、「国威宣揚」の文字が「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」に含まれていることがわかった。「おくちょうあんぶ こくいせんよう の ごしんかん」と読む。

「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」というものが知ったのは今回がはじめてのことだ。いまのいままでまったく知らなかった。

Wikipediaに記述によれば、「億兆安撫国威宣揚の御宸翰(おくちょうあんぶこくいせんようのごしんかん)とは、明治元年3月14日(1868年4月6日)、「五箇条の御誓文」の宣言に際して明治天皇が臣下に賜ったことば」とある。詔勅(royal decree)である。

「御宸翰之御写」が早稲田大学図書館にあるようで、その画像がアップされている(*下記にその一部を拡大)。「國威宣揚」は、「國威を四方に宣布し・・」という文言から取られたようだ。


「億兆安撫国威宣布の御宸翰」の全文は、 国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。詔勅の要旨は以下のようなものだ。引き続き wikipedia から引用しておこう。

中世以来、表面には朝廷を尊んで、実は敬して遠ざけていたため、君主と臣下の間は遠く隔たってしまったが、それでは君臨の意味がない。このたび朝政を一新するにあたり、国民の中に一人でもそのところを得ないものがあれば、それはすべて私、天皇に責任があるのだから、骨を折り心を苦しめて善政をおこなおうと思う。お前たちはよくよくこの方針を理解し、私見を捨てて公義を取り、天皇を助けて、国家をまもり、皇祖皇宗の神霊を慰めよ。
 

「五箇条の御誓文」が天皇が皇祖神に対して誓ったものであるのに対して、これは臣下と国民に向けて出された声明である。

「億兆」とは国民全体のことであり、天皇は「天下億兆、一人も其処を得ざる時は、皆朕が罪なれば」と述べて政治への決意と責任感を示した。Wikipediaにはそう書かれている。

明治初年度の時点では、いまだ国民国家という概念も実体もなかったので「国民」という表現は適切ではないが、日本という国に暮らす「民」すべてに向けての声明であるという点は重要だ。

「五箇条の御誓文」についてはよく知られているが、「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」についてはまったく知らなかった。はじめて知ったという驚きとともに、いかに知識が偏っているか痛切に感じる。

「國威」という概念は、すでに慶応4年(=明治元年)には存在していたのか、と。しかも、詔勅として臣民に下されていたのだと。

「國威宣揚」という文言は古くさい印象はぬぐえないし、いまさら「国威宣揚」や「国威発揚」でもないだろうという気持ちがある。正直なところ敬遠したい気持ちがなくもない。

だが、この文言が明治天皇によって改元前の慶応4年に出されていたことの意味を受け取らなければ、「近代日本」を知ることにならないと、あらためて深く感じている。


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<関連サイト>
「幼弱」の身で即位した天皇は、慶応4年3月14日に国家の基本綱領を、「五箇条の誓文」と「億兆安撫 国威宣揚の宸翰」で天下に告げ知らせました。この政治綱領は、新政府の方針を、新国家を統治する政治の主体者である天皇の想いとして説いたものです。 
とくに「国威宣揚の宸翰」は、冒頭で「朕幼弱を以て猝に大統を紹き爾来何を以て万国に対立し、列祖に事へ奉らんと朝夕恐懼に堪へさるなり」と語り、武家政権の下で「朝政衰てより」「表は朝廷を推尊して実は軽して是れを遠け億兆の父母として絶て赤子の情を知ること能はさる様計りなし、遂に億兆の君たるも唯名のみに成り果」た状況から説き起こし、最後に世界における日本の姿を提示しました。
日本は、世界が大きく開け、各国が雄飛している「世界の形勢にうとく旧習を固守し一新の効」をはからず、「九重に安居し一日の安きを偸み百年の憂を忘るるときは遂に各国の凌侮を受け」ている。この現状こそは、上は「列祖」を辱しめ、下は「億兆を苦し」めることとなったのだと。
そこで天皇は、親らが「四方を経営し汝億兆を安撫し遂には万里の波涛を拓開し国威を四方に宣布し天下を富岳の安きに置んことを」と、天皇の国日本の明日を言挙げしております。 この決意は、「今日ノ事、朕自身骨ヲ労シ、心志ヲ苦メ、艱難ノ先ニ立」つことで、「治蹟を勤メテコソ始テ天職ヲ奉ジテ億兆ノ君タル所ニ背カザルベシ」と負うべき天皇の強き政治的主体性による宣言です。
しかし天皇は、「今日朝廷の尊重は古へに倍せしが如くにて朝威は倍衰へ上下相離るゝこと霄壤の如し かゝる形勢にて何を以て天下に君臨せんや」と、高らかに「億兆安撫 国威宣揚」を問いかけたものの、おのれの統治に不安をいだいてもいた。まさに天皇の政治的主体性は、不安にさらされていただけに、文明国家としての法的枠組みを整備し、確乎たるものに造形されていかねばならなかったのです。


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PS あらたに「国威宣揚」を発見! 船橋市の道祖神社

2022年1月8日の初詣のため意富比神社(=船橋大神宮)を参拝したあと、「世界最小の東照宮」である船橋東照宮を参拝し、そのまま船橋駅方向に向かって歩いて行くと、道祖神社が目に入った。参拝を済ませたあと石造りの鳥居の外に出たところ、目に入ってきたのが「国威宣揚」の石碑だった(下記の写真参照)。犬も歩けば棒に当たる、いや「国威宣揚」の石碑が目に入る。意外なところに、まだまだありそうだ。(2022年1月8日 記す)



PS あらたに「国威宣揚」を発見!2 船橋市の神明神社

本日(2023年12月9日)、またあらたに「国威宣揚」を発見。船橋市飯山満(はざま)にある神明神社である。ここもまた隣がしんめい幼稚園であり、神社と幼稚園や児童公園との親和性が高いというべきか、なぜか「国威宣揚」が撤去されずに残っている。犬も歩けば棒に当たる。発見次第、また情報を追加していきたい。(2023年12月9日 記す)



PS またまた「国威宣揚」を発見!3 船橋市海神の「龍神社」(りゅうじんんしゃ)

本日(2024年1月5日)、初詣で船橋市海神の「龍神社」を訪れたが、なんとここにも「国威宣揚」があった! これまた「紀元二千六百年記念」である。ちかづいて石碑に刻まれた文字を見ていると、なんと鈴木貫太郎書とあるではないか! 「ポツダム宣言」を受諾したあの鈴木貫太郎首相である。どういうつながりがあったのか知らないが、なにごとも「現地・現物・現実」の「三現主義」が重要だなと、あらたに痛感した。(2024年1月5日 記す)





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2021年6月22日火曜日

「カネノナルキ」は風に乗ってやって来た-なるほど生命力の強いからこそカネがナル!

 
鉢植えの「カネノナルキ」(=カネのなる木)を育てている人は多いと思う。そのネーミングから、カネをもたらしてくれる縁起の良い植物として好まれているからだ。うちの実家にもあるが、ずいぶん大きくなっている。

そんな「カネノナルキ」が、わが家のベランダの雨樋のそばですくすくと育っている。ふと気になって写真を撮ってみたら、側面からみるとずいぶん茎も太くなっている! 

8階建ての7階に住んでいるのだが、風雨の強い日に飛んできた木くずなどのゴミが吹きだまって堆積した場所に生えていた。いまから数年前だったように思う。 


タネが飛んできたのか、それと折れた小枝が飛んできて、それが根をはやしたのか、まったく定かではない。南アフリカ原産のカネノナルキは、差し葉や挿し木で簡単に増やせるそうだ。 

雨樋の機能が阻害されるまでは、ゴミはそのままにしてほっておこうと思っているうちに、ずいぶん成長したものだ。水やりなどいっさいしていないが、着実に成長している。じつに生命力が強い植物だ! 

(もう1箇所でも育っている)

風に乗ってやってきたカネノナルキ。これは大事にしないといけないな、と思う。幸運とはもたらされるものであり、それはつかみとるものだ。勝手に生えてきたといってカネノナルキを雑草扱いしては、それこそカネを失いカネないからね。

どうか、風に乗ってやってきたカネノナルキが、わが家にカネをもたらしてくれますように!




PS カネノナルキのおすそわけ

メアリー・ポピンズではないが、風にのってやってきて、ベランダで勝手にすくすくと育っていたカネノナルキ。生命力のかたまりのような南アフリカ原産の多肉性植物。カネノナルキを霜で枯らしてしまった実家に「おすそわけ」することにした。手頃な容器にいれて電車で移動。幸田露伴流にいえば「分福」。幸福は独り占めにしないこと。福よ、拡がれ!(2021年9月26日)



<ブログ内関連記事>

・・日本に1年滞在した分類学者リンネの弟子の植物学者ツンベリーは、南アフリカとジャワで植物調査を行ったのち来日した

・・大英帝国は南アフリカやインドから多くの植物品種を本国に持ち帰って改良し、食区民地経営の・・にするとともに、市民階層の植物観賞に提供した



 
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2021年6月21日月曜日

苦境の経営者を救った『超訳 自省録』!-「月刊 PRESIDENT」の最新号(2021年7月2日号)の小特集「絶対外れなし。超!超!超一流24人のわが生涯最高の本一冊」に『超訳自省録』が登場!

 

大和ハウス工業社長CEOの芳井敬一氏が「厳しいときに助けられた哲学書」として取り上げてます。担当編集者からの連絡で知りました。 

「PART2. 実践 リーダーと組織のあるべき姿」6冊のなかの1冊です。

本書との出会い 2019年
 「非常に厳しい経営環境に置かれたとき、後輩がプレゼントしてくれた本であ る。本書のなかにある「運命がもたらすものを歓迎せよ『すべては織り込み ずみだ」との言葉を読み、とても助けられたいまも、よいときも、厳しいときも、 傍らに置いて読む、私にとっての大切な哲学書になっている

1冊の「哲学書(超訳)」が、厳しい経営環境のもと苦境にあった経営者を救ったわけですね! 

素晴らしいことです。人助けになったわけです。ああ、この「超訳」の仕事はやってよかったな、と強く思います。この機会に皆さんもぜひ!






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2021年6月20日日曜日

書評『復活! 日英同盟 インド太平洋時代の幕開け』(秋元千明、CCCメディアハウス、2021)-英国の動きを注視せよ! 世界情勢は確実に動いている

 
英国海軍史上で最大となる空母クイーン・エリザベスが、去る2021年5月22日に母港のポーツマス港を出港した。スエズ運河を越えてインド・太平洋海域に向かうことになる。 

インド・太平洋海域に「常駐」することになる航空母艦を中核にした空母打撃軍は、総員3000人規模の大所帯である。今年2021年の夏には、日本に寄港することになっている。多国籍による合同軍事演習も計画されているという。 

ついに英国が動き出したのだEUのくびきを離れて、英国は独自の動きを開始する。空母の派遣は、英国の国家意志の「見える化」である。 

だが、この動きはけっして「ブレクジット」(=EU離脱)によってもたらされたのではない。覇権国としての米国のパワーが弱まりつつある現状を踏まえて、それ以前から「グローバル・ブリテン構想」のもと、着々と準備を進めてきたのである。 

この一連の英国の動きを理解するためには、『復活! 日英同盟 インド太平洋時代の幕開け』(秋元千明、CCCメディアハウス、2021)を読むといい。英国のシンクタンク王立防衛安全保障研究所(RUSI)の日本特別代表の著者が、過不足なく簡潔に解き明かしてくれる。  

「日英同盟」復活に向けた動きが、いま進行しているのである。 

米国の横やりによって1923年に破棄させられた「日英同盟」は、最終的に1941年に日本を英米との戦争に導く結果となった。 

だが、現在においては、英国も日本もそれぞれ別個に米国とは強固な同盟関係を維持している。この背景があってこそ、日英は再び関係を強化しつつあるのだ。日英関係の強化は、日英それぞれの米国との同盟関係を補完することになる。 

英国の動きの背景と、日本の動きの背景はそれぞれ異なるが、地政学的にみたユーラシア大陸の両端に位置する「海洋国家」としての利害関係は一致している。これは、北極海を中心に地球儀を俯瞰してみれば、すぐにでもわかることだ。 

世界情勢は、1904年の日露戦争前夜と似てきたのである。だが、2020年現在は、ロシアに加えて中国がそこに登場してきた。いや、正確にいえば、ロシアの弱体化と入れ替わりに中国が台頭してきたというべきだろう。その中ロが事実上の軍事同盟関係として安全保障上の脅威ちなってきた。

「大陸国家」の海洋進出がもたらす脅威への対応がいまふたたび喫緊の課題となってきたのだ。 

そして、実質的に復活しつつある「新・日英同盟」の先にあるのは、「日米英三国同盟」である。 日米同盟、英米同盟、そしてインド太平洋海域を東西南北でつなぐ「日米印豪のクアッド」(Quad: Quadrilateral Security Dialogue、その他さまざな形のアライアンスは、自由意志によるコアリションとして機能していくことになる。

EUからはインド太平洋地域に大きな利害を有するフランスを先頭に、主に経済の観点からコミットしているドイツもまた、この動きに参加すべく動き出している。 

世界情勢は確実に動いているのである。米国だけを見ていてはダメなのだ。英国の動きに大いに注目しなくてはならないのである。





目 次 
序章 
第1章 同盟の段階へ 
第2章 グローバル・ブリテン 
第3章 インド・太平洋へ 
第4章 なぜ、新・日英同盟なのか 
第5章 軍事同盟からの決別 
第6章 動き出す新・日英同盟 
第7章 英空母来航と日本 
おわりに 
参考文献・資料 

著者プロフィール
秋元千明(あきもと・ちあき)
英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)日本特別代表。 早稲田大学卒業後、NHK 入局。30 年以上にわたり、軍事・安全保障専門の国際記者、解説委員を務める。東西軍備管理問題、湾岸戦争、ユーゴスラビア紛争、北朝鮮核問題、同時多発テロ、イラク戦争など、豊富な取材経験を持つ。一方、RUSI では1992 年に客員研究員として在籍した後、2009 年、日本人として初めてアソシエイト・フェローに指名された。2012 年、RUSI Japan の設立に伴い、NHKを退職、所長に就任。2019年、RUSI日本特別代表に就任。日英の安全保障コミュニティーに幅広い人脈があり、両国の専門家に交流の場を提供している。大阪大学大学院招聘教授、拓殖大学大学院非常勤講師を兼任する。著書に『戦略の地政学』(ウェッジ)等がある。


<関連サイト>

英国は日本を最も重視し、「新・日英同盟」構築へ-始動するグローバル・ブリテン(秋元千明 英国王立防衛安全保障研究所〔RUSI〕日本特別代表、Newsweek日本版、2021年3月16日)

「新・日英同盟」の始まりを告げる英空母「クイーン・エリザベス」来航が残した宿題(秋元千明 英国王立防衛安全保障研究所〔RUSI〕日本特別代表、Newsweek日本版、2021年9月21日)

(項目新設 2021年9月22日)


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