昨日(2011年6月24日)、「生誕100年 人間・岡本太郎 展」(川崎市岡本太郎美術館)にいってきた。
今年(2011年)は、岡本太郎が 1911年2月26日に生まれてから 100年にあたる。
2011年5月8日まで国立近代美術館(東京・竹橋)で開催されていた「生誕100年 岡本太郎展」を見逃した人も、常設展「生誕100年あっぱれ太郎 岡本太郎の仮面」とあわせて訪れることをすすめたい。
「生誕100年 人間・岡本太郎 展」(川崎市岡本太郎美術館)が「生誕100年 岡本太郎展」(国立近代美術館)と違うのは、前者には「人間」という文字が入っていることだ。
ポスターに掲載されている「どうしても本職というなら人間です」という岡本太郎のコトバにそれは端的にあらわれている。
画家とか、文筆家とか、カメラマンとか他人が勝手につけたレッテルを拒否し、「職業は人間だ」と言い切る岡本太郎の啖呵(たんか)にも似た物言いにしびれる思いをするのはわたしだけではないだろう。ああ、やっぱり岡本太郎はいい! そういう気分にさせてくれる名コピーである。
会場の川崎市岡本太郎美術館は、岡本太郎の母である作家・岡本かの子の出身地にまつわる地縁による。岡本太郎作の彫刻作品「母の塔」(1971年作)がシンボルタワーとして設置されているのは、それにまつわる彫刻としてふさわしいからだ。
生田緑地(神奈川県川崎市)の丘のうえにある美術館までは、緑あふれる遊歩道を散策しながらの道のりとなる。
最寄りの駅は、小田急線の向ヶ丘遊園駅。ここからタクシーでワンメーター710円乗って、日本民家園入り口で下車して、そこから5分ほど歩くのがいちばん近い。今回は、町田市に用事があったので、早めに家をでて途中下車して美術館に立ち寄った。この美術館にくるのは8年ぶり、2回目の訪問である。
展覧会は、前期・後期の2期に分かれている。
前期:2011年4月16日(土)~7月3日(日)は、岡本太郎と実際に会い、活動をともにした人たちを中心にしたもの。後期:2011年7月7日(木)~9月25日(日)は岡本太郎の影響を受け、岡本太郎の精神を継承する人たちを中心に紹介するもの。
前記に正規料金900円(大人1枚)で入場したら、チケットのうらに200円割引のスタンプを押してくれる。後期の展覧会に入場する際に200円割引になるということだ。
それも理由の一つかどうかわからないが、前期だけのカタログ(図録)はないらしい。ミュージアムショップで聞いたところ、後期がはじまった7月末に出るとのことである。ちょっと残念な気がした。
会期: 前期:2011年4月16日(土)~7月3日(日)
後期期:2011年7月7日(木)~9月25日(日)
http://www.taromuseum.jp/exhibition/current.html
料金: 一般900(720)円/高大学生・65歳以上700(560)円/ 中学生以下 無料
※本料金で常設展もご覧いただけます
※( )内は20名以上の団体料金
休館日: 月曜日(祝日を除く) 、祝日の翌日(土日を除く)
主催: 川崎市岡本太郎美術館、NHK横浜放送局
協力: 岡本太郎記念館、すわ製作所、株式会社シュヴァン、小田急電鉄株式会社、東京急行株式会社
■常設展も見逃せない
企画展には、常設展の会場を通っていくことになる。8年ぶりの訪問だが、なんといっても楽しみは「座ることを拒否した椅子」をみて、「手の形をした椅子」に座ること。こういう遊び心にみちた彫刻作品(?)を見て、直接ふれることができるのは、子どもではなくてもワクワクするものだ。
常設展のテーマは「生誕100年あっぱれ太郎 岡本太郎の仮面」。日本の東北や沖縄だけでなく、韓国やそれ以外の世界中の仮面の写真を撮影し、収集もした岡本太郎にとって、仮面や顔は重要なテーマの一つである。
岡本太郎というと、大阪万博(1970年)の「太陽の塔」ばかりが有名だが、パリ時代の10年のあいだには、パリ大学で民族学者マルセル・モースのもとで民族学(エスノロジー ethnology)を学んでおり、仮面にはなみなみならぬ関心を終生もちつづけていたようだ。
大阪万博では、人類学者の泉靖一、梅棹忠夫とともに、世界中の仮面や神像を収集するプロジェクトに深く関与していたことは、すでにこのブログでも 書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) に書いてある。
今回の常設展で何よりもわたしの目をひいたのは、ガラスケースのなかに展示されていた『世界の仮面と神像』(岡本太郎・泉靖一・梅棹忠夫編、朝日新聞社、1970)という箱入りの大型美術本。
大阪万博の仕事は、こういう形でも結晶していたのかという感慨とともに、この収集品が梅棹忠夫が館長として実現に奔走した国立民族学美術館(大阪・千里)の基礎になったのだと思うと、あらためて岡本太郎の仕事の意味を、絵画や彫刻にのも限定することの視野の狭さを感じるのである。
■企画展「生誕100年 人間・岡本太郎 展」
常設展が終わるところから、企画展が始まる。バナー(のぼり)に記された岡本太郎のコトバの一つ一つを読みながら進むことになる。
こうしたバナーの一つに書かれているのが、「どうしても本職というなら人間です」という名コピー。これを目にして、またあらためて Wow !(ワオ!) という気持ちになる。
さて、企画展は、岡本太郎と実際に会い、活動をともにした人たちを中心にした展示だ。中心にあるのは「パイラ星人」のイメージ。岡本太郎といえば目だが、その目をカラダのまんなかにもったパイラ星人とは、映画「宇宙人東京に現る」のためにデザインされたものとか。
岡本太郎の母かの子と父一平の「聖家族」。作家・岡本かの子と漫画家・岡本一平の一人っ子として、なに不自由なく育った岡本太郎は生まれながらにして全身芸術家だったわけだ。家族にまつわる思いでの品々の展示。
このほか交友のあった芸術家の絵画作品のなかでは、岡本太郎を息子のようにかわいがっていたという北大路魯山人の陶芸作品と、岡本太郎の陶芸作品をならべた展示は興味深い。それにしても北大路魯山人の陶芸作品には圧倒される。
写真家としての岡本太郎も、パリ時代に写真家ブラッサンスやロバート・キャパとの交友から始まっているようで、写真もまた全体活動の一つであったとともに、民族学者の目がそこにあることにあらてめて気が付かされる。
大阪万博時代のグッズや人生相談を連載していた男性週刊誌「週刊プレイボーイ」のバックナンバー実物などが展示されている。「週刊プレイボーイ」がこれだけ大量に陳列されているのを見るのは、これはこれである意味では壮観だ。
わたしにとって今回いちばんの収穫は、岡本太郎が手元においていた「フランス語の蔵書400冊」の一部の展示を見ることができたことだ。
岡本太郎の死後、蔵書の大半は散逸(さんいつ)してしまったらしいのが残念だが、フランス語の蔵書だけは奇跡的に(!)残っていたらしい。
戦前のパリ時代に収集した蔵書は、東京大空襲でぜんぶ焼けてしまったらしいが、戦後も民族学や人類学、宗教学関連の最新研究書を取り寄せて読んでいたようだ。そしてそのフランス語の専門書がまとまったままのこsれたことはじつに大きな意味をもつ。
パリ時代に交友のあった思想家ジョルジュ・バタイユや、民族学の師であるマルセル・モースについては比較的知られていることだが、戦後の岡本太郎は宗教学者ミルチャ・エリアーデのフランス語著作を多く取り寄せて読みこんでいたらしい。これはじつに大きな発見だ。岡本太郎の戦後の作品に、エリアーデの読書から得た知見が反映さえれていると考えると、これはじつに関心をそそられる。
じつはわたしも宗教学の目が開かれたのは大学時代に読んだ『聖と俗』や『生と再生』、『永遠回帰の神話』などだが、岡本太郎がとくに熟読していたのは大著『シャマニズム』のようだ。
インドに留学してヨーガを習得し、世界中の宗教を研究したルーマニア出身の宗教学者エリアーデ(1907~1986)は、亡命後はフランス語で著作を発表していた。フランス語で知識を吸収していた岡本太郎の射程にエリアーデが入っていたということは言及されているのは見たことがないので、知られざる隠し球だったのかもしれない。
この事実をしったあとは、さらに岡本太郎の「人間」としての全体像が大きく膨らんでいくことだろう。
■ミュージアムショップにて
今回の訪問目的の一つは、過去の展覧会のカタログ(図録)を購入することであった。
『岡本太郎「藝術風土記」 Art topography by Taro Okamoto-Japan, 50 Years ago-』という 川崎市岡本太郎美術館の2007年度の企画展のカタログである。税込み 1,500円。
『岡本太郎の沖縄』(日本放送出版協会、2000)、『岡本太郎の東北』(毎日新聞社、2002)として出版されている「縄文」探索写真紀行のほかに、岡本太郎は日本全国を写真で切り取っている。長崎、京都、出雲、岩手、大阪、四国、といった日本各地の写真もまた、民族学者・岡本太郎の目をとおして切り取られた「50年前の日本」の貴重な写真の数々である。
この展覧会にいかなかったわたしは、図録だけでも入手さうたいと思っていた。増刷されることがあるのかどうかわからないので、ぜひはやいうちに入手をすることをすすめたい。
一枚の写真がもつ情報量はきわめて多い。同じく民族学者であった梅棹忠夫の写真集『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)などと比較したいものである。
今回は8年ぶりの訪問となったが、マグネットには面白いものがなかったのは残念。それが理由ではないが、「生誕100年 岡本太郎展」では買わなかった「太陽の塔のフィギュア」を買ってしまった。
どうも、1970年の大阪万博で「太陽の塔」に魅了されてしまった小学生は、40年たったいまでも「太陽の塔」には呪縛さえれつづけているようだ。もちろん、いい意味の呪縛だが(笑)。
<関連サイト>
NHKスペシャル 太郎と敏子-瀬戸内寂聴が語る究極の愛-(2011年6月23日放送)
・・なぜ岡本(旧姓平野)敏子は岡本太郎の養女になったのか、やっとその理由がわかった。じつはプラクティカルな意味もあったのだった。
<ブログ内関連記事>
「生誕100年 岡本太郎展」 最終日(2011年5月8日)に駆け込みでいってきた
書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・この本の表紙は「縄文人の彫刻」であある
書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)
本の紹介 『アトリエの巨匠に会いに行く-ダリ、ミロ、シャガール・・・』(南川三治郎、朝日新書、2009)
マンガ 『20世紀少年』(浦沢直樹、小学館、2000~2007) 全22巻を一気読み・・大阪万博の太陽の塔を見ることのできた少年たち、見ることのできなかった少年たち
「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた
・・パブリック・アートとしてのメキシコの「壁画運動」。岡本太郎もその影響を大きく受けており実作もしている。メキシコで発見され里帰りした壁画は、2008年以降は渋谷駅に展示され、有るべき姿でよみがえった
「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・宗教学者エリアーデの『聖と俗』について、ややくわしく言及してある
書評 『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)
・・民族学者・梅棹忠夫が撮影した写真の数々
(2012年7月3日発売の拙著です)
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