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2021年10月31日日曜日

映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』(2021年、英米)を初日の初回に見てきた(2021年10月29日)-「9・11テロ」の容疑者をめぐる「基本的人権」がテーマの法廷サスペンス

 

2001年の「9・11テロ」がらみでグアンタナモ収容所に合計14年間も(!)拘束されていたモーリタニアン(=モーリタニア人)の獄中手記を映画化したものだ。原作の手記は2015年に出版され、世界的ベストセラーになったという。 

映画の冒頭に This is a true story. とあるので、脚色は最小限に抑えられているのだろう。だが、それでもノンフィクション系のエンターテインメントとしてすぐれた作品になっているのは、事実のもつ重みのなせるわざであろう。 

モーリタニア人容疑者の弁護を業務外のプロボノ(pro bono)で引き受けた「人権弁護士」を演じた米国人ジョディー・フォスターだけでなく、容疑者を立件し起訴するタスクフォースの責任者となった「米海兵隊検察官」を演じた英国人カンパ-バッチの演技力はすばらしい。難しいテーマを扱っているが、最後まで引き込む力がこの映画にある。 



この映画は、「基本的人権」がメインテーマだといっていい。さすが17世紀に「人身保護令」(habeas corpus)を生み出した英米法の基本原理である「法の支配」(the rule of law)の世界観が反映した作品だ。

キーワードの「人身保護令」(habeas corpus:英語だと「ヘイビアス・コーパス」は、17世紀半ばに英国(イングランド)で成立した原則だ。拘束された容疑者をめぐっての人権擁護はここから始まっているのだ。この原則は、米国憲法にも引き継がれている。

だが、はたしてこの原則がモーリタニア人容疑者に適用されているのかどうか、それが問題なのだ。

「グアンタナモ収容所」は、なぜかキューバにある「グアンタナモ米海軍基地」に設置されている。20世紀初頭に米国がキューバから「永久租借」したため、革命後もキューバに米国の基地が存在し、また「租借地」であるがゆえに米国からも「治外法権的な存在」になっているのだ。 

このグアンタナモ収容所に「9・11」関連のテロリスト容疑者たちが拘禁され、虐待によって自供を強いられていた事実が明るみになり、オバマ大統領が閉鎖命令を出した記憶は新しい。だが現在に至るまで閉鎖されていない。

「米国にとっての闇」のような存在が、グアンタナモ収容所なのだ。 


「拷問による自白」というと、「治安維持法」時代(1925年~1945年)の日本を想起するが、権威主義国家の中国だけでなく、米国でもまた依然として人権蹂躙が行われているのが実態なのだ。 

だが、米国が中国と根本的に異なるのは、政府の不正や不当行為を暴き批判するジャーナリストや弁護士の存在である。そして、「拷問による自白」は米国憲法違反だと抗命する検察官の良心米国の民主主義が危機的な状況にあるとはいえ、それでも米国のほうがはるかにマシなのはその点だ。そんな感想をこの映画を見ていてあらためて持つのである。 

ノンフィクション系の法廷サスペンスとしてすばらしいだけでなく、「人権問題」という大きなテーマに正面から立ち向かった映画として見るべきだといえよう。



***

蛇足だが、映画を見るまで、モーリタニアをモーリシャスと勘違いしていたことに気がついた。いやはや、なんとも(^^; 

モーリタニアもモーリシャスも、ともに海に面したフランスの植民地であったが、モーリタニアは大西洋に面したアフリカ北西部の砂漠の国イスラームのスンニ派が国教

だから、モーリタニア人と「9・11テロ」の主犯格であったアルカーイダとの接点が留学先のドイツで生まれたのであった。 これは映画を見てからの後付けの知識なり。


<関連サイト>

「周囲が地雷だらけで脱走が不可能な上、マスメディアにも実態が見えない海外基地、さらにはキューバ国内でもアメリカ合衆国内でもない、国内法でも国際法でもない軍法のみが適用される治外法権区域・・またアメリカ同時多発テロ以降は、中東などからのテロリズム容疑者の尋問と収容を、この基地でおこなった。その背景は、アメリカ合衆国憲法下では被疑者の人権を保障しているため、租借条約上、米国が完全な管轄権を持ち、かつ米国の主権下ではない「灰色地帯」を利用することをもくろんだものと考えられている」

The Mauritanian https://en.wikipedia.org/wiki/The_Mauritanian を読んでおくこと、実在の人物についての記述が参考になる。


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2021年10月23日土曜日

書評『暁の宇品-陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(堀川惠子、講談社、2021)-日本近現代史の欠落部分を埋める歴史ノンフィクションの傑作

 

『暁の宇品-陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(堀川惠子、講談社、2021)を昨日読了した。日本近現代史の欠落部分を埋める貴重な歴史ノンフィクションだ。さまざまテーマにまたがる、じつに読みごたえある1冊であった。  

現在は「広島国際フェリーポート」として、近隣の島々や対岸の松山などにいくフェリー便の出発点となっているが、かつて宇品は軍港であった。しかも、陸軍の軍港! 帝国海軍の鎮守府があった広島県の呉(くれ)とは別に、帝国陸軍の(!)軍港が広島市の宇品に存在したのである。 

(現在の宇品港は路面電車の終点 筆者撮影)

大陸や周辺諸国(台湾や朝鮮半島)への「外征軍」として位置づけられた帝国陸軍だが、兵員と軍事物資はすべて海上輸送にたよる必要があった。日本は、海に囲まれた島国なのである。

では、なぜ瀬戸内海の宇品なのか? なぜ海軍ではなく陸軍なのか? この問いに対する答えは、本書の前半の内容そのものといっていい。

(瀬戸内海を結ぶフェリーのハブ港としての宇品港)
 
諸外国と違って、海軍が海上輸送をまかないきれなかった「持たざる国・日本」の後進性大型船舶の建造が禁止されていた「鎖国」の後遺症のせいである。だが、それだけにはとどまらない、複雑な事情があったことが詳述されている。 

(海から見た宇品港 筆者撮影)

序章と終章あわせて全体で13章で構成されている本書は、知られざる陸軍の海上輸送を3人の司令官の生涯と、その任務を中心に描いている。日清戦争と日露戦争から大東亜戦争の敗戦、それも広島への原爆投下という形で終わった日本近代史そのものといっていい。 

日露戦争の時点では、きわめて重要な位置づけを与えられていた兵站(ロジスティクス)が、なぜ日露戦争後は軽視されるようになったのか。きわめて重要な機能であるにもかかわらず、日の当たる存在ではなくなっていった兵站部門。ここに帝国陸軍の大きな問題が存在したことは周知の通りだろう。 

とはいえ、当時の世界の軍事大国であった英米に先んじて本格的な上陸作戦を「第1次上海事変」(1932年)で成功させた立役者が、陸軍の海上輸送部隊であったことは、特筆すべきであろう。海軍陸戦隊だけでなく、陸軍も大規模な上陸作戦を実行したのだ。

「尖閣問題」がらみで、占領された島嶼を奪回するための「上陸作戦」が近年クローズアップされてきているが、日本人の先見性は評価すべきであろう。

だが、残念なことに対米戦であった「太平洋戦争」においては、ガダルカナルをはじめ、ことごとく失敗に終わったことも否定できない事実である。

現在でも米海兵隊(USMC)の独壇場ともいうべき上陸作戦だが、帝国陸軍が先鞭をつけたものの、猛烈な勢いで「学習」した米国にお株を奪われてしまったのである。ここにも日本の弱点がある。

成功体験をノウハウ化してマニュアル化し、組織全体に普及させることができずに終わってしまう日本。しかも、米海兵隊の上陸作戦すら、太平洋戦争や朝鮮戦争時代とは異なり、21世紀の現在はあらたなステージに入っていることは、読者は認識しておくべきだ。

「知られざる存在」となっていた陸軍の海上輸送。歴史に名の残るような司令官たちがかかわっていたわけではない。帝国陸軍という巨大官僚組織の組織人として生きなくてはならなかった矜持と悲哀歴史をつくっているのは、有名人だけでない、名前が残ることもない無数の人たちなのである。 

そんな陸軍の海上輸送という未解明の分野に果敢に挑んで、その全体像を解明した、広島に生まれ育った著者の執念と力量には賛辞を送りたい。

細部に至るまでおろそかにしない、じつに綿密な仕事でありながら、大局観を見失わない全体像をみわたす視線の両立。これは、なかなかできることではない。 

敗戦から75年以上もたった現在、すでに生存者はほとんど存在しない時代になってしまった。そんな時代の歴史ノンフィクションのあり方についても、価値ある試みといっていいだろう。ぜひ読むことを薦めたい。 わたしもまた友人のノンフィクション作家から薦められて読んだのだが、それはまことにもって正解であった。 





目 次
序章 
第1章 「船舶の神」の手記
第2章 陸軍が船を持った
第3章 上陸戦に備えよ
第4章 七了口(しちりょうこう)奇襲戦
第5章 国家の命運
第6章 不審火
第7章 「ナントカナル」の戦争計画
第8章 砂上の楼閣
第9章 船乗りたちの挽歌
第10章 輸送から特攻へ
第11章 爆心
終章

著者プロフィール
堀川惠子(ほりかわ・けいこ) 
1969年広島県生まれ。『チンチン電車と女学生』(小笠原信之氏と共著、日本評論社)を皮切りに、ノンフィクション作品を次々と発表。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)で第32回講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』(講談社)で第10回新潮ドキュメント賞、『永山則夫―封印された鑑定記録』(岩波書店)で第4回いける本大賞、『教誨師』(講談社)で第1回城山三郎賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(文藝春秋)で第47回大宅壮一ノンフィクション賞と第15回早稲田ジャーナリズム大賞、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社)で第23回AICT演劇評論賞、『狼の義―新 犬養木堂伝』 (林新氏と共著、KADOKAWA)で第23回司馬遼太郎賞受賞。(講談社サイトより)


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2021年10月20日水曜日

新刊『超訳ベーコン 未来をひらく言葉』(佐藤けんいち編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021)の「はじめに」が無料で事前公開。しかも「購読者特典」つき!

 
来る10月22日発売の新刊『超訳ベーコン 未来をひらく言葉』(佐藤けんいち編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021)ですが、「はじめに」が無料で(!)事前公開されてます。 


「ベーコンって誰?」 
「なぜ、いまベーコンなの?」 

そんな疑問をもたれて当然でしょう。

もちろん「ベーコンの言葉」が本書の中心ではありますが、背景知識を「はじめに」で仕入れていただくと、より理解が深まるものと思います。

しかも、今回の新刊には「購読者特典」がついています。新機軸です。


「英語圏でよく引用されるベーコンの名言20」がそれです。英和対訳版なので、英語を書く際にはそのまま使えますよ。QRコードは購入してご覧ください。

この「特典」を見逃すなかれ!




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2021年10月19日火曜日

コリン・パウエル将軍が亡くなった(2021年10月19日)-また一人「湾岸戦争」の老兵が消えていった・・

 
コリン・パウエル将軍がお亡くりなった。コロナとの合併症だという。享年84歳。ジャマイカ移民で、はじめて四つ星の将軍まで上り詰めた米国人だ。 

パウエル将軍は、1990年の「湾岸戦争」(The Gulf War)のとき統合参謀本部議長として、現場指揮官のシュヴァルツコフ将軍とのコンビで米国をパーフェクトゲームで勝利に導いた陸軍軍人。 

MBAコースに留学して米国生活を送っていた時期と重なっていたので、リアルタイムでニュースを視聴していた頃を思い出す。 

パウエル将軍は、陸軍から派遣されてMBA(経営学修士号)を取得していることもあり、尊敬だけでなく親しみも感じてきた。派遣されてのMBA取得(システム専攻)について、政治将校へのキャリアパスについては、日本でも出版された『マイ・アメリカン・ジャーニー -コリン・パウエル自伝 上中下』(角川文庫、2001)に詳しく書かれている。  

退役後は国務長官としても活躍されたが、2003年の「イラク戦争」(=第2次湾岸戦争)では、開戦のきっかけとな大量破壊兵器文書にもとづいた国連演説が汚点として残ったが、この件については『リーダーを目指す人の心得』(飛鳥新社、2017)でも振り返っており、過ちを認めて真摯な反省の弁を述べている。その誠実な姿勢がまた、あらたな尊敬をまた生み出す源泉となったことは間違いない。 


『リーダーを目指す人の心得』は、今年2021年になってからはじめて読んだが、これはほんとうにすばらしい本だ。  

軍隊時代と国務長官時代の具体的で豊富なエピソードを引き合いに出して語りながら、どのポジションにおいてもリーダーとしてどう振る舞うべきかについて説かれている。しかも、上から目線ではまったくない。パウエル氏の人柄や人徳をしのばせる内容の本になっている。 

英語のオリジナルのタイトルは、"IT WORKED FOR ME  In life and and Leadership" (それは自分には役に立った-人生において、リーダーシップにおいて)というものであり、けっして万人にあてはまるなどと大言壮語しない。それがまたすばらしい。 

そんなコリン・パウエル将軍がお亡くなりなったのは、ほんとうに残念だ。哀悼の意を表したい。ご冥福をお祈りします。合掌 




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2021年10月16日土曜日

記録映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(2020年、日本)-「熱情」と「言霊」という2つのことばが残響を残し続ける

(公式サイトより)

 『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(2020年、日本)を amazon prime でようやく視聴。「伝説の討論会」をはじめて映像で見た。108分。 

1968年5月13日に開催された「伝説の討論会」の映像が残されているのは、TBSのカメラが入っていたから。すでに70歳台前半の全共闘の元関係者が「ライトがまぶしかった」と証言している。 その原盤フィルムが発見されたことが、この記録映画の公開につながった。


「対決」として始まったはずの討論会は、「天皇」というただ一点の相違をのぞいて、共通性を確認して終わる。「盾の会」という極右は、新左翼の「全共闘」という極左は、「反米ナショナリズム」という点でおなじだったわけだ。「反対物の一致」だな。

「反知性主義」(・・「反アカデミズム的」という本来の意味で使用されている)においても、丸山真男に対する態度で両者は共通している。 

三島由紀夫が会場に残した「熱情」と「言霊」という2つの「ことば」が残響を残し続けている。この余韻は、50年を経た現在でも残っている。関係者の記憶だけでなく、映像記録として残ったことによって、その場に追居合わせなかった人びとの心にも。 

 
三島由紀夫は、東大の討論会の前に、一橋でも討論会を行っていたことを今回はじめて知った。 先にもみたように、「東大全共闘」は1968年当時かがやいていたブランドの一つであり、TVメディアも情報価値ありと認識していたから、映像が残されたわけだ。

三島由紀夫と全共闘。ともに1968年前後という時代を象徴する存在であった。




<関連サイト>



<ブログ内関連記事>





■1970年前後という時代

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・遅れてきた右翼少年によるテロをともなった「政治の季節」は1960年に終わり、以後の日本は「高度成長」路線を突っ走る。「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと
・・三島由紀夫と同時代の1960年代後半は、日本でもドイツでもイタリアでも「極左テロの季節」であった

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した
・・「日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思ってゐる人たちと、私は口をきく氣にもなれなくなってゐるのである。」(三島由紀夫)


ユートピアと革命幻想の終焉

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・「三島由紀夫が「盾の会」の制服を、辻井喬(=堤清二)の西武百貨店に依頼してつくってもらったことが『ユートピアの消滅』に回想されているが、この二人は主義思想の違いを超えて親しかったというだけでなく、同質の人間として、同じような志向を逆向きのベクトルとして共有していたというわけなのだ。つまり二人とも絵に描いたような「近代人」、しかも「近代知識人」であったということだ。」



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2021年10月15日金曜日

リドリ-・スコット監督の映画『最後の決闘裁判』(2021年、英米)を日米同時公開の初日(2021年10月15日)に見てきた。ひさびさの本格的な中世もの歴史ドラマは、たいへん見応えのある作品だ!

 
リドリ-・スコット監督の映画『最後の決闘裁判』(2021年、英米)を「日米同時公開の初日」(2021年10月15日)にTOHOシネマズで見てきた。ひさびさの本格的な中世もの歴史ドラマで、たいへん見応えのある作品であった。  

「真実」をめぐるテーマと、役者の演技力と重厚な映像があいまった重厚な作品である。最近の映画には珍しく、2時間を超える153分の長尺だが、最初から最後まで飽きの来ない緊密な構成で制作されている。 

1386年にパリで実際に行われた「決闘裁判」(duel: trial by combat)を題材として発見した監督の慧眼と、映画に仕立て上げた監督の力量には、まったきもって感嘆し脱帽する。

しかも、現代的なテーマ(とくに女性のあり方)を、時代ものという制約条件を越えないギリギリの範囲内で表現している点も、この映画を面白くしている点であるといえよう。なぜなら、歴史物とは、つねに舞台を過去に設定した現代劇であるからだ。 




「決闘裁判」とは、封建制時代の西欧で行われていた、決闘によって神の前で白黒をハッキリさせることを目的とした裁判のことだ。判断を神にゆだねた神判であり、かつ自力救済的性格が強かったものだ。だが、実質的にフランスではこの映画で取り上げられた「決闘裁判」が最後のものとなった。 

時代は、ペスト(黒死病)が猛威を振るったあとの寒冷期の14世紀フランス。舞台は、フランス北部のノルマンディー地方「封建制」の最盛期であり、中世のフランスの封建領主である騎士の主人公は、最前線で勇猛さを鳴らしていたが、財政問題には苦悩していた。 

騎士の不在中に、その妻がレイプされた事件から問題が始まった。犯人として疑われたのは、騎士(knight)とはもともと友人関係にあったが、出世で大きく差をつけられた従騎士(squire)。ライバルとなった従騎士に対する嫉妬と怒り、そういったネガティブ感情が爆発して、自分自身と家の名誉を護るため裁判に訴えることにする騎士。 


だが、確実な証拠がない以上、騎士、その妻、従騎士の三者の主観的見解には、おなじ「事実」にかんして語っていても、ぞれぞれズレがあるのは当然だ。「真実」は、いわゆる「藪の中」にあるわけだ。この映画は、その事情を三者のそれぞれ主体にした三部構成によって、うまく処理している。まったくおなじ映像が、異なる解釈を生み出す妙味である。 


世俗の裁判所では公平な裁判が下される可能性が低いと感じた主人公の騎士は、「決闘裁判」によって神前で白黒つけることを欲し、その要望が国王によって認められる。そして、1386年12月29日、雪の舞う真冬のパリで決闘裁判が行われることになった。

冒頭とラストの「決闘裁判」のシーンは、手に汗握るものに仕上がっている。甲冑に身を固め、馬上で槍を抱えて突進・・・。すばらしい! 歴史エンターテインメントとして見るべき作品だ。 





■補足コメント1 -「決闘裁判」について

そのものズバリのタイトルの『決闘裁判-ヨーロッパ法精神の原風景』(山内進、講談社現代新書、2000)には、1386年の「ドゥ・カルーズ 対 ルグリ」の「決闘裁判」について2ページを割いて説明されている。  

この記述によれば、この「決闘裁判」が史実であったことが確認されるだけでなく、じっさいは「パリで行われた最後の決闘裁判」であったと限定すべきことがわかる。「フランスで行われた最後の決闘裁判」は1549年のものであった。ただし、最終段階で国王が仲介に入っため、1386年のものと違って、後者においては死者はでていない。 

このように「決闘裁判」は、フランスでは16世紀で完全に終わったが、イングランドでは続いたのであると山内氏は書いている。英米法における「当事者主義」は、この流れのなかにあるのだ、と。そしてまた、神が介在しない「決闘」は、「決闘裁判」が廃れたあとに生まれてきたものだ、と。 

「決闘裁判」は、「決闘」という形態の「裁判」だったのであり、法制史で扱うテーマであることは、『概説 西洋法制史』(勝田有恒/森征一/山内進編著、ミネルヴァ書房、2004)にも記述されている。  



■補足コメント2 -西洋中世史の「常識」について

「決闘裁判」じたいは史実にもとづいているとはいえ、セリフまわしや心理描写などは、もちろん創作であり演出がされているだろう。 「決闘裁判」のシーンの細部についても、言うまでもない。だが、「決闘裁判」の展開そのものは、史実そのままなのである。ネタバレになるので、ここには書かないが。 

大学学部時代にヨーロッパ中世史を専攻したわたしにとっては、たいへん面白い作品であった。細部に至るまで、綿密に時代考証が行われた作品だといえよう。 

セリフが英語なのは、それはそれでよい。フランス語で製作しても、視聴者が少なくなるため採算が取りにくいからだ。 使用されている英語には古風な表現もでてくるが、現代風のスラングが少ないので、比較的聞き取りやすいかもしれない。英語学習教材にはいいのではないか。

セリフにラテン語がそのままでてくるが、まったく字幕をつけてないのは問題じゃないかな? 

主人公のライバルとなった従騎士がラテン語を読みこなす設定になっているのは、もともと聖職者を目指していたからだと作品のなかで語られる。ラテン語の読み書きができるのは司祭や修道士などの聖職者に限定されていた時代だからだ。この映画には登場しないが、読み書きと計算ができた商人とユダヤ人は例外であった。 

そう、中世の騎士は、読み書きできなかったのである! 騎士は無学文盲だったというのが、西洋中世史の「常識」だ。この点に注意して映画をみるとよいだろう。日本でも同時代の中世武士は似たようなものだった。語の厳密な意味での封建制が存在したのは、西欧と日本だけである。

そのうえで、主人公の騎士が、戦争に参加した報奨として金貨を受け取るシーンがあるが、騎士が文書を読まないまま、文字ではなく記号で署名しているシーンに注目してみよう! 

騎士はパリからノルマンディーの領地まで、自分で金貨を運んでいるが、これは武装している騎士だからできたことだ追い剥ぎや強盗が当たり前のように存在し、 「自力救済」が当たり前だった中世では、現金の持ち運びはきわめて危険であり、商人は決済に際しては、修道院ネットワークによる「為替」を使用していたのである。 

全体的に暗くて重い映像となっているのは、そもそもあの時代には電気がなかったし(当たり前だが忘れがちなこと!)、地理的には濃霧の多いフランス北部であり、しかも「寒冷期」だったことが、うまく表現されている。 

主人公の妻がレイプされた事件が、「決闘裁判」に発展した原因となったわけだが、なぜ「十字軍」時代なのに、夫が不在期間中なのに「貞操帯」が使用されていないのだ? そんな疑問をもつ人もいることだろう。

「風俗史」に登場する貞操帯だが、じっさいは十字軍時代には使用されていなかったのが実態のようだ。実物として登場するのは、もっぱら16世紀以降のルネサンス時代以降らしい。 その点も、時代考証がきちんと行われている証拠となる。

などなど、中世史をやった人間には、この映画にコメントしたいことは山ほどあるが、ここらへんでやめておこう。

結論としては、現代的なテーマを表現しながら、時代考証は綿密かつ的確に行っている点がすばらしいのである。


<関連サイト>

・・「最後の決闘裁判は1億ドル(約120億円)の製作費をかけて作り上げられましたが、興行収入はわずか2700万ドル(約30億円)と、興行的に振るわなかった」

(2021年11月25日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

・・リドリー・スコット監督はSFものも得意。主演はおなじくマット・デイモン。過去も未来も「現在」から見たら「異世界」である!









 

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