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2014年3月31日月曜日

書評『やっぱりドルは強い』(中北 徹、朝日新書、2013)ー「アメリカの衰退」という俗論にまどわされないために、「決済通貨」「媒介通貨」「基軸通貨」「覇権通貨」としての米ドルに注目すべし


「アメリカの衰退」が語られるようになってからどれだけたつのだろうか。おそらくその始まりは2001年の「9-11」からだろう。同時多発テロ事件である。

1941年の日本海軍による真珠湾攻撃はあくまでも太平洋上の離島であり、アメリカ本土が直接攻撃されたわけではなかった。その衝撃はアメリカ人のみならず、全世界に与えたのであった。

「9-11」を境に猛烈な反撃が開始されたわけだが、しかしその結果イラクやアフガニスタンで戦費の浪費と人命の損傷は著しく、その他地域、とくに東アジアにおける米軍のプレゼンスが低下し、ときを同じくして中国が急激に増大してきたことなど、軍事面に顕著に見られる「衰退」である。

さらに2008年のリーマンショックで中産階層(ミドルクラス)の崩壊がさらに加速し、アメリカ人の「内向き」志向もまた加速している。外交よりも内政、というわけである。この状況を反映してかオバマ大統領のもとにおいては国際的な軍事介入はめっきり減少してしまった。

だが、ほんとうにアメリカは「衰退」しているのだろうか? この「常識」は疑ってかかったほうがいいのではないだろうか。

こういった「疑問」に、「決済システム」という地味だが、きわめて大きな存在である「見えざるシステム」に着目したのが本書である。


「決済通貨」「媒介通貨」「基軸通貨」「覇権通貨」としての米ドル

本書で説明されていることは、帯に書かれているキャッチコピーに尽きる。

基軸通貨が強い本当の理由とは?すべての通貨はドルなしには取引できない。
金正日のマネーロンダリング失敗 
ドルに抑えこまれた戦前の日本
人民元⇒ドル⇒円のからくり
今後の通貨制度はどうなる
ドルの流れを理解すれば、すべての原因が明らかになる!

そう、米ドル(US Dollar)が国際貿易の決済制度においてもつ「基軸通貨」としての意味を知れば、米ドルが「覇権通貨」であることの意味もわかるはずだ。これがわかれば「覇権国」の意味も理解できるだろう。

「決済通貨」としての米ドルを「基軸通貨」としてもつ米国の最終兵器が「金融制裁」である。「軍事力」を行使しなくても「金融制裁」が大きな効果をもつ。

それは、アメリカが直接からんでいない第三国間の通貨取引も、必ず米ドルを媒介して行われているからだ。それが経済的合理性にかなっているからだ。これが「媒介通貨」としての機能であり、使用されればされるほどネットワーク効果が働いて、それ以外の選択肢がなくなっていく。だから、依然として圧倒的に米ドルが「決済通貨」として使用されているのである。


(「第2章 基軸通貨の本質」(P.59)より)

たとえ、アメリカ経済が「衰退」しているとしても、米ドルがもつ「基軸通貨」としての位置づけは別個の話なのである。

戦前の日本がアメリカの虎の尾を踏んで「金融制裁」によって経済的に窒息し、米ドルを媒介としない「円元パー」という円通貨圏をつくったものの運営に失敗し国民経済が窮乏化したこと。

北朝鮮がマカオにもつ中小銀行の口座をアメリカ政府によって凍結され、「金融制裁」によって締め上げられたこと、これらはみな「媒介通貨」としての米ドルという通貨をもつアメリカのパワーの源泉でもある。

前者の日本は 1930年代の話であるが、後者の北朝鮮の話は 2005年から2007年の話であり、つい最近のことなのだ。前者のケースにおいては最終的に全面戦争になったが、後者のケースにおいてはその気配すらない。北朝鮮による威勢のいい挑発的な言動は、実際面とはイコールではないのである。

アメリカがもつ「金融パワー」は、軍事力に頼らない圧倒的なパワーとして行使されているのだ。本書を読めば、「アメリカ衰退」という俗論にまどわされることもなくなるはずだ。

国際貿易や金融実務にかかわっている人であれば「常識」だと思うのだが、「はじめに」によれば高名な経済学者でも知らない人がいるらしい。ビジネス実務の世界と経済学研究者の世界との乖離(かいり)が顕著にあらわれた分野なのだろう。

本書は、これ以上ないほど懇切丁寧にわかりやすく解説してくれる良書である。ややくどいのが難点だがレクチャーと割り切るべきだろう。著者の説明に従って読み進めれば、国際経済の基本について理解も深まるはずだ。





目 次

はじめに
第1章 世界を震え上がらせるドルの威力
 1. すべての国際取引はドルが媒介する
 2. 北朝鮮・金正日総書記を苦しめた金融制裁
 3. 真珠湾攻撃も金融制裁が引き金だった
 [年表] 北朝鮮のマネーロンダリング問題にまつわる外航交渉
第2章 基軸通貨の本質
 1. クロスボーダー決済の仕組み
 2. 媒介通貨としての米ドルの役割
第3章 米国の「金融権力」の内実
 1. 決済と取引情報の関係
 2. スイスで進行中の「スケープゴート」劇
 3. 国際決済の仕組みとその問題点
 4. 決済リスクと中央銀行の役割)
第4章 基軸通貨国の特性
 1. アメリカの経常収支赤字とファイナンス
 2. IMFの「二枚舌」政策
 3. 基軸通貨国が持つ特権
 4. アメリカでは通貨危機は起きない)
第5章 基軸通貨制度の現状と将来
 1. 米ドルはいかに強いか
 2. ドルに対抗できる通貨はない
 3. 基軸通貨国の経営収支赤字は、本当に問題なのだろうか?
おわりに

著者プロフィール

中北 徹(なかきた・とおる)
1951年生まれ。経済学者。一橋大学経済学部卒業後、外務省に入省。ケンブリッジ大学経済学大学院修了後、東洋大学経済学部教授。専門は国際経済学、金融論。日本銀行アドバイザー、官邸の諮問機関であるアジア・ゲートウェイ戦略会議で座長代理を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

北朝鮮制裁・デルタ銀行問題の謎 (田中 宇、2007年7月3日)

ビットコイン、最大の“ライバル”の実像「リップル」は仮想通貨の本命か (日経ビジネスオンライン、2014年4月22日)
・・グローバル化して世界中を自由に動くマネーというイメージが一般人のみならず経済人にもあるようだが、実際はマネーにも「国境」があることをうまく説明してくれているので引用しておこう。これが「現実」なのだ。

現在の決済プロトコルが「国ごとに異なっている」というのはどういう意味か。

ロング氏: 現在の国際間決済の業界構造を見ると、そこには(ACH=自動決済センターや国際的な送金情報網である「スイフト」、銀行、決済代行業者など)複数の異なるプレーヤーが関わり、多層構造ができあがっている。しかも、インフラに相当するクリアリング(清算)やセトルメント(決済)といった機能がグローバルレベルで統一されておらず、決済システムは事実上、国や地域ごとにクローズドになっている。

ウクライナ危機で反ドル政策を加速させたいロシア-あらかじめ準備されていた制裁対抗措置に見えるプーチン大統領のしたたかな狙い(JBPress、2014年5月20日)
・・「その後、4月末の制裁の拡大局面では、クレジットカードのビザとマスターカードが制裁対象のSMPバンクなど2行が発行するカードの決済を止める措置も含まれた。 ロシアの一介の商業銀行が国際的な資金決済ができないというのはにわかに信じがたいが、実は米国にはそれを可能にする金融権力を持っている。今回のウクライナに関する一連の騒動で、米国の弱体化が強調されるものの、特に国際金融の世界における米国の地位はいまだに堅牢なのだ。 具体的に言うと、現金を除くすべてのドル決済はニューヨーク連邦銀行が管理人となって在ニューヨークの銀行間で決済される仕組みとなっている」


国際緊急経済権限法(IEEPA)
・・「国際緊急経済権限法(若しくは、国際非常時経済権限法 International Emergency Economic Powers Act 略称 IEEPA)は、1977年10月28日より施行されたアメリカ合衆国の法律。合衆国法典第50編第35章§§1701-1707により規定されている。安全保障・外交政策・経済に対する異例かつ重大な脅威に対し、非常事態宣言後、金融制裁にて、その脅威に対処する。具体的には、攻撃を企む外国の組織もしくは外国人の資産没収(米国の司法権の対象となる資産)、外国為替取引・通貨及び有価証券の輸出入の規制・禁止などである」(wikipedia日本語版)。

・・ギリシアの経済学者で政治家のヤニス・ヴァルファキスは、中ロの政治指導者も資産はドルで保有しており、中国人民元が米ドルに取って代わろうとなどと考えるはずがないと指摘している。

(2023年10月4日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・戦前の日本がアメリカの虎の尾を踏んでアメリカの「金融制裁」によって経済的に窒息し、米ドルを媒介としない「円元パー」という円通貨圏をつくったものの運営に失敗し国民経済が窮乏化したこと、そしてこの延長線上に大東亜戦争開戦があったこと

書評 『朝鮮半島201Z年』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2010)-朝鮮半島問題とはつまるところ中国問題なのである!この近未来シミュレーション小説はファクトベースの「思考実験」

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい ・・アメリカをビジネス、経済、金融からみる

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える ・・地政学で考えれば当分のあいだ米国の優位は揺るがないだろう

書評 『イギリス近代史講義』(川北 稔、講談社現代新書、2010)-「世界システム論」と「生活史」を融合した、日本人のための大英帝国「興亡史」
・・「覇権通貨」は英国のポンドから米ドルにシフトしたが、英米アングロサクソンが国際金融の中心にあること自体に変化はない

書評 『ユーロ破綻-そしてドイツだけが残った-』(竹森俊平、日経プレミアシリーズ、2012)-ユーロ存続か崩壊か? すべてはドイツにかかっている ・・ユーロの迷走により、いまだ米ドルの「覇権通貨」としてのパワーが脅かされるには至っていないのが国際経済の現状

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論
・・この状態では中国の人民元が「覇権通貨」として米ドルに取って代わる日が来るとは考えにくい

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説
・・私企業である日本の中小商社が発行した通貨ピコラエヴィッチ。通貨発行の本質もそのテーマの一つである経済小説

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)
・・「補完通貨」というオルタナティブなマネーである「地域通貨」の仕組みとその背後にある思想を知る

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある ・・「国際メガメディア」という英米系の英語メディアが牛耳るグローバル世界

(2014年4月22日 情報追加)


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2014年3月30日日曜日

書評『持たざる国への道 ー あの戦争と大日本帝国の破綻』(松元 崇、中公文庫、2013)- 誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著


「財政史」という、いっけん地味だがきわめて重要な観点から描いた「高橋是清後の日本」。もともとは 『高橋是清後の日本-持たざる国への道-』(大蔵省財務協会、2010) というタイトルで出版されたものを大幅に加筆し、2012年4月の日銀の黒田総裁による「非伝統的金融政策」も織り込んで新版である。

新版では元版の副題「持たざる国へに道」をメインタイトルにし、「あの戦争と大日本帝国の破綻」があらたな副題に変更された。わたし自身この副題を含んだあらたなタイトルに惹かれて読み始めた。「持たざる国」「あの戦争」「大日本帝国の破綻」というキャッチワードである。

著者は一貫して「あの戦争」と書き、「先の大戦」とも「太平洋戦争」とも「大東亜戦争」とも書かない。それは著者の認識では、真珠湾攻撃からはじまった「日米戦争」こそ国際政治経済の観点からみた日米経済関係、日本の財政構造から絶対に回避しなければならなかった戦争だという思いとともに、日米戦争の伏線となった中国大陸での戦争は、日米戦争がはじまるまで宣戦布告なき戦争であったことが念頭にあるためだろう。苦々しい思いが伝わってくる表現である。

ではなぜ日本は、世界の中心にある英米アングロサクソンを敵に回す戦争を起こしてしまったのか? 

冒頭でもみたように、著者は現役の財務官僚としての豊富な体験と読書から「財政史」の観点からその解答を考察している。「財政」とは「国家」そのものである。財政とは、国民から税金という形でカネを集め、そのカネを運用しながら民生安定のための再分配を行い、国家の将来のために必要な投資を行うことだ。

イレギュラーに発生し、しかも国民の人命と国家財政を大きく毀損(きそん)する可能性があるのが戦争である。日清戦争では多額の賠償金をゲットしてペイしたが、辛くも逃げ切った日露戦争ではコスト割れし、外債発行によって資金調達した借金が長く財政を圧迫しつづける。このように財政の観点から考えると、たとえ20世紀前半が「戦争の時代」であったとはいえ、戦争は回避するに限るというのが財政の観点であろう。

本書は、一般に流布しているわかりやすい「欺瞞的な説明」を排して、国家税制と日銀の金融政策の観点から「あの戦争」を考察したものだ。読むにあたっては経済と財政の基礎知識が必要だが、読めば大いに得るものは大きい。


財政史の観点から見た無謀な戦争に突入して自滅した理由

本書は二部構成である。「第一部 持たざる国への道」「第二部 軍部が理解しなかった金本位制」で構成されている。第二部は第一部の補足解説として執筆されているるが、独立して読んでも面白い。

「第一部 持たざる国への道」では、中国大陸における日本陸軍の占領政策が経済と財政の基本を理解しないものであったたために日本の窮乏化を招き、英米中心の国際金融の世界を敵に回すことによって自滅した歴史を財政史の観点から描いている。

「第二部 軍部が理解しなかった金本位制」は、江戸時代の通貨と財政の仕組みを押さえたうえで、明治維新以降の日本近代の財政と通貨制度が、その後、英米を中心とした先進国の世界標準となった「金本位制」の枠組みと制約条件のもとで運営されたことをくわしく説明している。

著者の主張は以下のとおりである。

経済と財政の基本を理解していなかった軍部が、軍需物資の大半をアメリカから輸入していた(!)にもかかわらずアメリカの虎の尾を踏むような愚策を続けた結果、日本は英米を中心とする国際資本市場から締め出されることになる。

日露戦争以来、外債によって国際資本市場から資金調達するのが当たり前になっていたのが日本であるが、それが不可能になっただけでなく、外国貿易の決済も米ドルで行えなくなったのである。

「ブロック経済」化が進展する世界情勢のなか、軍部主導で中国大陸の占領地で米ドルを媒介としない「円元パー」という等価による固定レート制の「円通貨圏」策を展開したが、経済と財政の基本を知らない愚策であり、これが日本国内から大陸への正貨流出を招き、日本の窮乏化へと追い込むことになる。「持たざる国」となったことが戦争の引き金となったのである

この真因を理解せず、「英米に追い込まれた」というわかりやすい説明を信じた国民が軍部を積極的に支持しただけでなく、むしろ突き上げた結果、無謀な戦争に突入したのであると。

じつに明快な説明ではないか。文庫版の詳細な解説を執筆している加藤陽子教授の  『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009) などの著作とあわせて読むと、納得のいくものである。

著者はまた、「開戦時の日米の国力差」のほうが「日露戦争時の日露の国力差」より小さかった(!)ことにも注意を向けている。後者が戦わなければ滅亡したかもしれない戦争であったことは否定できないが、はたして前者はしなければならなかった戦争なのか? 英米アングロサクソンを敵に回すことの意味を考えればそう言わざるをえないだろう。

「持たざる国」というタイトルについては誤解を生むといけないが、もともと「持てる国」が転落して「持たざる国」になったのではなく、「持たざる国」が経済の愚策によって窮乏化し、身の丈をはるかに超えてムリにムリを重ねた結果、破綻したしたと理解するべきだろう。

とくに「円元パー」という、日本と植民地における通貨政策が、実質的な意味で、海外市場に活路を見出した中小商工業者優遇策となっており、政治的には廃止が難しかったことも著者は指摘している。

「円元パー」による正貨流出による国内のカネ回りの悪化という形の国民が窮乏化したこと戦争のための大規模動員による人的資源不足(・・その結果、植民地と占領地から労働不足解消のための強制徴募を行ったことが現在も訴訟という形で尾を引いている)・・・・。これでは戦争に勝てるわけがないではないか。失敗すべくして失敗したことは誰の目にも明らかではないか。

昭和の陸軍軍人たちもまた当時のエリート官僚であるが、その教養においては工学と人文学にかたより、社会科学、とくに経済学の理解が欠けていたことが大きな問題だったのだ。

読んでいて思うのは、日米戦争は経済合理性の観点だけでなく、軍事的合理性の観点からいっても「誤算」以外のなにものでもなかったということだ。当時の日本は、米国から軍事関連物資を輸入していたのである。その米国と戦争するなどということ自体が常軌を逸していたわけである。





財政史の観点からみたせ「戦前」と「戦後」の連続性

本書は、「戦前」と「戦後」の連続性「戦前」と「戦後」の連続性に気づかせてくれる本として読むことも可能だろう。

明治維新以来の近代日本は、経済と財政の基本を知らない軍部に振り回され、誤算によって英米アングロサクソンを敵に回す愚をおかしたが、敗戦後は明治維新以来の「親英米路線」に復帰した。財政と金融の観点でいえば、敗戦後は国際金融の世界に復帰したということである。

米ドルという基軸通貨を中核にした国際貿易における決済システムを握っている米国、「サッチャー革命」によって金融街シティが「ウィンブルドン化」によって復活した英国。英米アングロサクソン中心の国際金融体制はきわめて強固である。国際金融の世界は、依然としてアングロサクソン世界の独壇場である。

「財政史」という観点からみると、「戦前」と「戦後」の断絶よりも連続性のほうがつよいことを本書を読んでいて実感する。連続性という観点から明治維新以降の日本近現代史をみると、大東亜戦争の4年間が「親英米路線」からの「逸脱」であったと理解すべきなのではないかと思うのである。英米アングロサクソンとの協調は日本の支配層にとっては「国是」なのである。みずからを英国流の立憲君主として理解していた昭和天皇にとってもそれは「常識」であった。

とはいえ、戦時下において大蔵省(当時)が戦費捻出のためにさまざまな策を講じていることに注目しておくべきだろう。また戦前は「金本位制」の制約のもとに金融財政があったという理解も不可欠だ。

戦時中の昭和15年(1940年)に税制改革を筆頭にさまざまな「戦後改革」が先行して実施に移されていたこと、この点は本書にはいっさい言及がないが、大蔵省出身の経済学者・野口悠紀夫教授が『1940年体制』というネーミングで一般化したとおりである。

野口教授の『1940年体制』は、「戦時体制」が現在にいたるまで強固に解体されないまま残存しているのが問題だというのがメインテーマであったが、国際標準の金融財政制度から逸脱するものがあったとしても、日本独自の制度が戦後復興と高度成長を実現する原動力になったことは否定できない。

著者は強調しているわけではないが、戦後復興と高度成長を実現する前提条件が、敗戦後のハイパーインフレーションによる国家債務帳消しにあったことは重要である。

国家が公債発行と日銀による引き受けをつうじて日本国民からかき集めた「負債」は、裏返しにみれば国民の「資産」であったが、敗戦後のハイパーインフレーションで「国家債務」が帳消しにされ、その後の高度成長実現のためのラッキーな前提になったという点である。国民からの借金が踏み倒されたということであり、国民資産を犠牲にした実質的な大増税であったのだ。

この歴史的事実はアタマのなかに入れておいたほうがいい。

すでに財務省(旧大蔵省)は財政再建のためのラストリゾートとして「前例」をもっているのである。「前例主義」の官僚のマインドセットからいえば、ふたたび実行に移される可能性なきにしもあらずと考えるのが自然というべきだろう。

2013年4月から開始された日銀による国債大量購入という「非伝統的な金融政策」だが、これはすでに戦前の高橋是清が実施したものであることを著者は指摘している。ただし「出口戦略」を誤ったのが井上準之助による金本位制復帰とデフレ政策であったのが歴史的事実であった。はたして今回の黒田日銀総裁は「出口戦略」をスムーズに実行できるのか?

いま日本の財政はふたたび破綻にむかって突き進んでいる。学ばねばならない教訓は多い。だが、教訓を学んだとて、悪化する現実という津波には飲み込まれてしまうのかもしれない。


国家指導者の視点から国家経営を考える

著者は本書出版時は内閣府事務次官というポストにあった現役の財務官僚であり、統治する側の視点から国家経営を考えている。

財務省(旧大蔵省)の視点なので「上から目線」を感じなくはないが、政策担当者の思考を知るうえで貴重な一冊といえるだろう。

先に戦時中の金融財政改革について触れたが、戦時中に導入された直接税や源泉徴収などはあくまでも「税金をとる側」(=タックスコレクター)のものであって、「税金を払う側」(=タックスペイヤー)のものではない本書はタクスペイヤーの視点を欠いていることを指摘しておかなければならない。

経済の基本がわかっていないと、昭和の軍人を見る視点には「司馬遼太郎史観」(・・もしそういうものが存在すればだが)的なものを感じなくはないが、それは厳然たる事実であるので否定する余地はない。

現在の自衛隊幹部がどこまで経済と財政について理解しているか知らないが、専守防衛時代においては占領地経営の必要はないので、考えなくてもいい課題かもしれない。

財政史を狭義の専門家以外にも読んでもらうことを意図した本なので、じっくりと読み込めば得るものは多いはずだ。ぜひ読んでほしい本である。





目 次

第一部 持たざる国への道
 第1章 あの戦争はなんだったのか
 第2章 日本の孤立を招いた上海事変
 第3章 中国戦線の実態
 第4章 「持たざる国」への道
  1. 池田蔵相(第一次近衛内閣)の対英米協調路線
  2. 満洲経営と華北分離工作
  3. 国内経済の犠牲における満洲の発展
  4. 華北における経済戦の敗北-自ら招いた正貨流出問題
  5. 実らなかった戦争回避路線
  6. 米国との経済的な交戦状態への突入
  7. 金(きん)の献納運動-対米金塊現送
 第5章 予算制約の有名無実化
  1. 盧溝橋事件前
  2. 世相の変遷
  3. 大蔵省の「物の予算」と日本銀行による軍需産業支援
  4. 臨時軍事費特別会計(昭和12年9月10日~21年2月28日)
  5. 欲しがりません勝つまでは-国民貯蓄奨励運動
  6. 皇国租税理念-6倍もの大増税
  7. 予算統制の有名無実化
  8. 紙の上だけの物動計画
  9. 国家の災いをもたらしたもの-陸軍のエリート教育
 第6章 誤算による日米開戦
  1. ABCD包囲陣
  2. 誤算による日米開戦-日露戦争との違い
  3. ハイパー・インフレ-無理な物資調達による巨大な戦争被害
 第7章 先の戦争が残したもの
  1. 経済的、財政的な負け戦に終止符を打った敗戦
  2. 先の戦争が残したもの-税制、教育制度、地主制度の改革
  3. 地方への財源保障
 第8章 軍部の暴走を許したもの
  1. 明治22年の内閣官制
  2. 弱い首相を支える試み
  3. 軍の暴走-シベリア出兵と軍の機密費
第二部 軍部が理解しなかった金本位制
 第1章 江戸の通貨制度
 第2章 江戸の金銀複本位制から明治の金本位制へ
 第3章 金本位制の番人だった日本銀行
 第4章 英米の中央銀行-悩み多き金融制度の守護神
おわりに
解説(加藤陽子)
参考文献
関連年表

著者プロフィール 
松元 崇(まつもと・たかし) 
1952年、東京生まれ。1975年、国家公務員上級試験と司法試験に合格。1976年、東京大学法学部卒業。同年大蔵省(現・財務省)入省。1980年米スタンフォード大学MBA取得(同時に日本人として初めて優秀学生として表彰される)。1982年尾道税務署長、1983年証券局総務課課長補佐、1986年主計局主計官補佐、1991年熊本県企画開発部長、1993年銀行局中小金融課金融会社室長、1994年主税局総務課主税企画官、1995年主計局調査課長、1997年主計局主計官、2001年主計局総務課長、2003年大臣官房参事官兼審議官、2004年主計局次長、2007年内閣府政策統括官(社会経済システム担当)、2009年内閣府大臣官房長を経て、2012年より内閣府事務次官に就任。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

アベノミクスの原型・高橋是清の経済政策を顧みる 積極財政の誤解と国債の日銀引き受けから学ぶこと (松元 崇、ダイヤモンドオンライン、2014年12月12日)

(2014年12月12日 項目新設)




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大東亜戦争前後の日本近現代史

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書評 『やっぱりドルは強い』(中北 徹、朝日新書、2013)-「アメリカの衰退」という俗論にまどわされないために、「決済通貨」「媒介通貨」「基軸通貨」「覇権通貨」としての米ドルに注目すべし
・・「戦前」は大日本帝国、そしていま北朝鮮が「決済制度」を利用した覇権国米国の「金融制裁」で締め上げられた

書評 『ユーロ破綻-そしてドイツだけが残った-』(竹森俊平、日経プレミアシリーズ、2012)-ユーロ存続か崩壊か? すべてはドイツにかかっている ・・ユーロの迷走により、いまだ米ドルの「覇権通貨」としてのパワーが脅かされるには至っていないのが国際経済の現状

高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3)
・・外債発行で英米を中心とする国際資本市場からの資本調達に成功した理由

書評 『イギリス近代史講義』(川北 稔、講談社現代新書、2010)-「世界システム論」と「生活史」を融合した、日本人のための大英帝国「興亡史」
・・「「サッチャー革命」による金融街シティの変貌が、ジェントルマン資本主義から新自由主義への完全な移行をもたらしたことも、著者の問題意識が歴史家でありながら、きわめてアクチュアルなものであることを感じさせる。現在のシティは、すでに白洲次郎が語っていたような金融界ではない」

泣く子も黙る IRS より督促状!?
・・米国の内国歳入庁(Internal Revenue Service)は日本の財務省に該当。IRSを騙るフィッシングメールのお話

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある ・・「国際メガメディア」という英米系の英語メディアが牛耳るグローバル世界。アングロサクソンは金融だけではないメディアも握っているのである。

書評 『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)-日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底解剖
・・「歴史のどの時点に視点を置くかによって、見える景色はがらりと変わってくるのである。第2章で日米関係の歴史を例にとって著者は説明しているが、二国間関係というものは友好と対立をくり返すものであり、「友好」時代に出発点を置くか、「対立」時代に出発点に置くかで「陰謀説」が生まれるかどうかが決まってくるものだ」


財政こそ国の要(かなめ)

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるために

書評 『ユーロ破綻-そしてドイツだけが残った-』(竹森俊平、日経プレミアシリーズ、2012)-ユーロ存続か崩壊か? すべてはドイツにかかっている

ドイツを「欧州の病人」から「欧州の優等生」に変身させた「シュレーダー改革」-「改革」は「成果」がでるまでに時間がかかる
・・等価交換策といえば、「ドイツ再統一」にあたって通貨ドイツマルクの東西の交換比を 1:1 にしたドイツのコール首相(当時)のことを想起するが、このケースにおいては経済実態よりも政治を優先した結果であった。もちろん、その結果、旧東ドイツが統一ドイツの財政悪化を招いたことは言うまでもない。悪化した財政を立て直したのがシュレーダー首相とその政策である「アゲンダ2010」であった。

書評 『成金炎上-昭和恐慌は警告する-』(山岡 淳一郎、日経BP社、2009)-1920年代の政治経済史を「同時代史」として体感する
・・財政悪化がもたらしたもの

高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3)


通貨について知る

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説
・・私企業である日本の中小商社が発行した通貨ピコラエヴィッチ。通貨発行の本質もそのテーマの一つである経済小説

三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・日本軍占領下のビルマで発行されたルピー軍票に書かれた大日本帝国の文字

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)
・・「補完通貨」というオルタナティブなマネーである「地域通貨」の仕組みとその背後にある思想を知る

(2014年4月22日、12月12日 情報追加)


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2014年3月29日土曜日

書評『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある



この本は現代人の必読書だ。つまらないビジネス書など読んでいるヒマがあったら、この本をじっくり熟読したほうがいい。それだけの価値がある本である。

現役のドキュメンタリー番組ディレクターである著者は、「国際メディア情報戦」について「まえがき」でこう書いている。ちょっと長くなるが引用文を読んでいただきたい。

情報戦というと、CIA やら MI5 やらの情報機関が水面下で暗躍する、「ごく一部の人しか知らない情報」をいかにゲットするかの戦いのことで、自分には直接関係ないと思ってはないだろうか。
しかし、世界は違う。
・・(中略)・・
重要な情報こそ外部に発信し、それを「武器」にすることが、国際社会で生き残るうえで不可欠になっている。「情報戦」とは、情報を少しでも多くの人の目と耳に届け、その心を揺り動かすこと。いわば「出す」情報戦なのだ。情報とは、自分だけが知っていても意味はない。現代では、それをいかに他の人に伝えるかが勝負になっている。
 ・・(中略)・・
本書では、それを「国際メディア情報戦」と名付けた。その戦いは、21世紀に入りさらに激しさを増し、国際社会のあらゆる面に広がっている。そのプレイヤーも、アメリカ大統領からPRエキスパート、国際テロリストまであらゆる層に広がっている。(P.4~6)

現代とは、「影響力競争」の時代なのである。それは、敵を叩くよりも、一人でも味方を増やす競争だ。「数の力」で敵を包囲し、敵を圧倒する戦いなのである。モノをいうのは広告宣伝ではなく、「PR」(パブリック・リレーションズ)である。「イメージ」のチカラである。映像とコトバによるイメージのチカラである。秘密情報を握るよりも情報発信する時代なのである。しかし虚偽情報や情報捏造は逆効果だけでなく、命取りになりかねない。

つまるところ、旧来の常識は完全に死んだのである。日本人は考え方を抜本的に転換しなくてはならないのである。これは国家レベルだけではなく、企業組織でも、個々人でも同様だ。学校内でも家庭内もそうだろう。

「イメージ」が「リアリティ」を凌駕する時代である。現代の「戦場」を制するのはイメージのチカラといって過言ではない。「グローバル世論」を形成するのは国家ではなく、目と耳をもった個々の人間だ。その一人一人の脳内に好印象を植え付け、自分の味方に変えることがカギになる。

ブランド戦略構築と同じロジックである。ビジネスパーソンなら「マインドシェア」をめぐる戦いという表現をつかってもいいだろう。味方づくりである。ファンづくりである。

いちど味方にしたら継続的に味方になってもらわなければ意味はない。サステイナブルでなければ意味はない。しかし、強力なイメージもあっという間に逆転されることもある。だからこそ「戦い」なのである。「情報戦」なのである。



米英を中心とする英語メディアによって世論形成がされるという現実

「国際メディア情報戦」の主戦場である「国際メガメディア」とは、端的にいって米英を中心とする英語メディアのことである。米英アングロサクソンを中心とする英語メディアによって世論形成がされるというのが世界の現実なのだ。

英国のBBC、米国のCNN、FOX、そして地上波のABCやNBCもまた。いいわるいではない、これが世界の現実だ。この流れのなかに中東カタールのアルジャジーラなどの新興勢力も含まれる。

そう、英語なのである。英語が支配的なグローバル言語なのである。たとえ一億人を越える使用者がいるといっても、残念ながら日本語はローカル言語に過ぎないのである。映像によるイメージだけではない。英語によって脳内に形成されるイメージのチカラもまた、きわめて大きな武器となるのである。

著者は現役のドキュメンタリー番組ディレクターだが、NHKの番組をもとに執筆した書籍デビュー作『戦争広告代理店-情報操作とボスニア紛争-』(講談社、2002)で明らかにしたように、ボスニアが国際世論を味方につけた最大のカギは、「民族浄化」(ethnic cleansing)というキャッチコピーの発見と英語化である。これが決定的な意味をもったのだ。


(『戦争広告代理店』(高木徹、講談社、2002) より)


「民族浄化」(エスニック・クレンジング)というコトバは一度でも耳にしたらけっして記憶から消えることがないほど強烈なコトバである。そして「民族浄化」というバズワードがタグやインデックスとなって、映像や音声イメージと結びつき脳内に刻みつけられ、そのコトバを聞くたびにイメージ記憶が想起されることになる。

「民族浄化」というコトバの普及とともに、「ボスニアは"善人" セルビアは"悪人"」というイメージが完全に定着しまった。これをひっくり返すのは容易なことではない。それくらい映像とコトバによって形成されたイメージの影響力は強力なのである。



日本はいま「国際メディア情報戦」のまっただなかにいる

著者が「終章 倫理をめぐる戦場で生き残るために」で指摘しているように、「現代の総力戦」はメディアの力をつかって自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある。テレビ、新聞雑誌、ハリウッド映画、オリンピックまで含めた「国際メディア総力戦」なのである。

日本にとって、「いまそこにある危機」とは中韓「反日」連合との戦いだ。だが、「メディアの力をつかって自らの倫理的優位性を世界に納得させる」という点においては、現時点においては劣勢にあることは否定できない。厳しい戦いを強いられている。この意味は本書を通読することで、いやというほど知ることになろう。

第二次世界大戦後にホロコーストが「人道に対する罪」として確立した。事後法は遡及不可能という批判はあるが、これが米英を中心にした英語世界、ひいてはグローバル世界全体の「価値観」だ。その他の類似の行為もまた「人道に反する行為」とみなされる。事実そのものの提示も重要だが、人に訴えるチカラが強いのは」イメージであり、それはパーセプションの問題なのだ。

その現実を踏まえたうえで、いかに日本の味方を一人でも多く増やしていくか。世界中でいかに一人でも日本のファンを増やすかという競争をしなくてはならないのだ。相手を叩くだけでは最終的に勝つことはできない。「自らの倫理的優位性を世界に納得させる」ことが重要なのである。

現在ではテレビの国際放送が「国際メディア情報戦」の中心であるが、もちろんインターネットもそのなかに含まれるし、旧メディアであるラジオや新聞雑誌やパンフレット、そして書籍も含まれる。

いや、英語ではなく日本語によるなにげない個人的な「つぶやき」もまた「情報発信」である。ブログやツイッター、フェイスブックなどのSNSにおける発言はデジタル情報であり、シェアをつうじていとも簡単に「拡散」される。そういう意識が重要である。国民すべてが「国際メディア情報戦」の担い手なのだ。その自覚が必要なのだ。

ふたたび繰り返すが、この本は現代人の必読書である。必ず読んでいただきたい。もし読んでいなければ、『ドキュメント 戦争広告代理店』『大仏破壊』もあわせて読んでほしいと思う。

日本と日本人が国際社会のなかで生き残るためのマインドセットと武器を手に入れるために。


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目次

まえがき
序章 「イメージ」が現実を凌駕する
第1章 情報戦のテクニック-ジム・ハーフとボスニア紛争
 1 アメリカを動かし、世界を動かす
 2 「民族浄化」の誕生
 3. 敵には容赦しない
 4 日本ではなぜPRが根付かないか
第2章 地上で最も熾烈な情報戦-アメリカ大統領選挙
 1 1992年のウォー・ルーム
 2 ピンチをチャンスに変えたオバマ 
第3章 21世紀最大のメディアスター-ビンラディン
 1 ビンラディンの「基地」と「雲」
 2 スター記者を狙え
 3 アルカイダから届いた番組企画書
第4章 アメリカの逆襲-対テロ戦争
 1 ブッシュ政権に呼ばれた「広告界の女王」
 2 ビンラディンのカリスマを破壊する
 3 物語としてのビンラディン殺害
第5章 さまようビンラディンの亡霊-次世代アルカイダ
 1 アルジェリア人質事件
 2 ボストンテロ事件
 3 オープンソース・ジハード
第6章 日本が持っている「資産」
 1 日本の強みをどうPRするか
 2 情報戦どころではない
 3 なぜ東京は勝てたか
終章 倫理をめぐる戦場で生き残るために
あとがき

著者プロフィール

高木 徹(たかぎ・とおる)
1965年、東京生まれ。1990年、東京大学文学部卒業後、NHK入局。ディレクターとして数々の大型番組を手がける。NHKスペシャル「民族浄化~ユーゴ・情報戦の内幕」「バーミアン 大仏はなぜ破壊されたのか」「情報聖戦-アルカイダ 謎のメディア戦略-」「パール判事は何を問いかけたのか-東京裁判・知られざる攻防-」「インドの衝撃」「沸騰都市」など。番組をもとに執筆した『ドキュメント 戦争広告代理店』(講談社)で講談社ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞をダブル受賞。二作目の『大仏破壊』(文藝春秋)では大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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<参考>

タリバーンによる「人類の文化遺産」バーミヤン仏教遺跡の破壊について(再録)

アフガニスタンを事実上制圧しているイスラーム原理主義集団タリバーンが、「人類の文化遺産」バーミヤンの仏教遺跡の破壊を開始したと報道されている。考えただけで激しい怒りを感じる。このように不寛容なタリバーンに対しては、武力行使を含めた国際的制裁が必要ではないか。武力行使が仏教の理念に反することは十分わかっているが、とはいえ、このような文化破壊が公然と行われるのを座視していいのだろうか?

同じアジアでも、東南アジアの状況はまったく異なる。事実上のイスラーム国インドネシアには、世界の三大仏教遺跡の一つであるボロブドゥール立体曼荼羅があるが、ジャワ島民はこれを破壊するどころか、ジャワ島の誇りとして旗に描いているぐらいだ。アフガニスタン隣国のイスラーム国パキスタンですら、観光資源ともなりうるガンダーラの仏教遺跡を保護している。

イスラームは本来的に寛容なはずである。オスマン帝国がかつてそうであった。しかしながら、タリバーンは違う。イスラームの国際的イメージをはなはだしく悪化させているタリバーンの行為は、イスラーム法に照らしてまったく問題がないといえるのだろうか。

国連ユネスコの破壊中止勧告のほか、ニューヨークのメトロポリタン美術館やインド政府が磨崖仏を引き取ってもかまわないと申し出ているらしい。タリバーンには、イスラーム法の厳密な解釈にとらわれることなく、柔軟な交渉をおこなってもらいたい。イスラームの国際イメージを取り返しのつかないまでに悪化させることは、自らの命運に跳ね返ってくることを認識しなくてはいけない。それとも、イスラーム原理主義者には因果応報なんて観念は存在しないのか。(2001年3月3日)。

(出典: つれづれなるままに(2001年3月3日) かつてブログ開設前に自分が書いていたもの)


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<ブログ内関連記事>

ファクトよりもイメージで動くのが人間のさが

書評 『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)-日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底解剖

「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる

「セルフブランディング」と「セルフプロデュース」、そして「ストーリー」で「かたる」ということ-「偽ベートーベン詐欺事件」に思う


イメージの記憶と想起のメカニズム

書評 『脳の可塑性と記憶』(塚原仲晃、岩波現代文庫、2010 単行本初版 1985)

書評 『受験脳の作り方-脳科学で考える効率的学習法-』(池谷裕二、新潮文庫、2011)記憶のメカニズムを知れば社会人にも十分に応用可能だ!


「情報ダダ漏れ時代」の「情報戦」

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)-対テロリズム実務参考書であり、「ネットワーク組織論」としても読み応えあり

映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』をみてきた-アカデミー賞は残念ながら逃したが、実話に基づいたオリジナルなストーリーがすばらしい

バカとハサミは使いよう-ツイッターの「軍事利用」について

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える
・・「反共」という「敵を叩くアンチ」から「倫理的優位性」の主張への転換


情報発信力を鍛える

書評 『ことばを鍛えるイギリスの学校-国語教育で何ができるか-』(山本麻子、岩波書店、2003)-アウトプット重視の英国の教育観とは?

書評 『言葉でたたかう技術-日本的美質と雄弁力-』(加藤恭子、文藝春秋社、2010)-自らの豊富な滞米体験をもとに説くアリストテレス流「雄弁術」のすすめ

書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)-日本語の「言語技術」の訓練こそ「急がば回れ」の外国語学習法!
・・外国語に翻訳しやすい日本語を意識して書くこと、これが外国語上達の「急がば回れ」でかつ「もっとも確実」な方法である


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書評『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)- 日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底解剖


「世の陰謀の種はつきまじ・・・」、そうつぶやきたくなるのは私だけではないだろう。

これは、「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」という狂句をもじったものだ。石川とは石川五右衛門のことである。といっても『ルパン三世』のことではないので念のため(笑)

『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)は、明治維新から日露戦争をへて大東亜戦争に至る日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底的に解剖してみせた本だ。

タイトルをみたら「奇書」の類かという感想をもつかもしれないが、これはむしろ「トンデモ説」撲滅委員会代表が斬るとでもいった内容の本である。筆致はいたって冷静、具体的な「陰謀説」を俎上に乗せて捌いているが、腕前はじつに見事である。

本書は一般向けの新書本だが、方法論は厳密である。なんせ現代史の分野では、内外で「陰謀説」が発生し続けてきた歴史事件を多数扱ってきたプロの歴史家である。しかも大蔵省勤務の経歴をもつ法学部出身者でもある。この本では弁護士ではなく検事の役を務めている。1932年生まれの当年とって82歳であるだけに、さすがに日本現代史の生き証人としても説得力がある。

さて、本書で取り上げられる「陰謀説」は、「田中上奏文」(・・いわゆる田中メモランダム)、張作霖爆殺事件、第二次世界大戦、東京裁判、コミンテルン、CIA、ユダヤ、フリーメーソンといった日本近現代史の定番といった数々である。

とくに読みでがあるのが第3章と第4章。内容は「目次」の小見出しをこの記事のあとに掲載しておいたので、ご覧になっていただきたい。

第3章では、日米開戦の経緯と米国による占領政策がらみの「陰謀説」が検証されるが、日本は「騙された被害者」だという思い込みが、「陰謀説」がはびこる温床になっていることがよく理解できる。

歴史のどの時点に視点を置くかによって、見える景色はがらりと変わってくるのである。第2章で日米関係の歴史を例にとって著者は説明しているが、二国間関係というものは友好と対立をくり返すものであり、「友好」時代に出発点を置くか、「対立」時代に出発点に置くかで「陰謀説」が生まれるかどうかが決まってくるものだ。

「反米主義」というのが、アメリカには何を言っても許されるという「甘えの構造」以外の何物でもないこともよく理解できる。その証拠に、「陰謀説」を主張する評論家の面々は絶対に日本語以外での評論活動を行わない。もし英語で発表したら、徹底的に粉砕されるのは間違いない(笑) つまりは「閉ざされた言語」である日本語世界のなかでのマスターベーションに過ぎないというわけだ。

第4章は、「コミンテルン陰謀説と田母神史観」と題されているが、「田母神史観」とは現役の航空幕僚長時代に物議を醸す論文を発表して、シビリアンコントロールの観点から解任された田母神俊雄(たもがみ・としお)氏が主張する日本近現代史にかんする一連の歴史観のことである。ある種の「歴史修正主義者」(リビジョニスト)といっていいだろう。著者は「田母神史観」について以下記のような評価を行っている。

いずれも以前から流布され、専門家の間ではなじみの話題ではあるが、受け売りが多いとはいえ、諸説をかき集めて一堂に並べたのはユニークな着想といえよう。とかく陰謀論を唱える人士はある特定のテーマだけにのめり込む傾向があり、相互の交流は乏しく体系化ないし集大成を試みる人はいなかった。
はからずも田母神の手法は不十分ながらも体系化への流れを創ったことでインパクトを強め、共鳴者や応援団が一部のメディアを通じ昭和史の「書き換え」を迫る動きへ発展する。(P.150)

「体系化」とは、プロの歴史家らしい冷静な「評価」である。一定の評価を行ったうえで、「陰謀説」の内容検証を行っているので読み応えがある。「陰謀説」の検証をつうじて、シロウトが陥りやすい落とし穴を明らかにする手法は見事であるといえよう。

著者は、「第5章 陰謀史観の決算」で「陰謀説」の見分け方について説明してくれている。小見出しをそのまま引用すれば、陰謀説は以下のような特徴があるとしている。

「因果関係の単純明快すぎる説明」「飛躍するトリック」「結果から逆行して原因を引きだす」「挙証責任の転換」。一言でいってしまえば、「陰謀説」の主張者や応援団は、「無節操と無責任」ということに尽きる。別のい方をすれば、いっけん正しいようにみえるが、非科学的以外の何物でもないということだ。

わたしは、「表現の自由」という立場に立つが、自衛隊を退役しシビリアンとなった田母神氏本人はさておき、彼を手放しで礼賛する「応援団」の知識人たちの姿に、どうしても不思議な印象と違和感をもってしまう。そのほとんどが理系の素養を欠いた人文系の評論家で、一部を除けばプロの歴史家はそのなかにはほとんど含まれていない。検証なき仮説、予断にもとづく思い込みのオンパレード

信じたいという「気持」や「心情」は理解できなくはないが、歴史学の史料批判という方法論からはずれた床屋談義や居酒屋トークにしか思えないのである。酒を飲みながら「トンデモ」について語るのはじつに楽しいが、まともに信じているとしたら、それはもうビリーバー(believer)の領域に踏み込んでいるとしかいいようがないのである。信じたい人はどうぞ信じてください。「信じれば救われる」(新約聖書・使徒行伝)のであるから。

しかしそれにしても、冒頭にもつぶやいたように「叩けども叩けども・・・」ある。まさに「陰謀説」叩きは「もぐら叩き」状態。

わたし自身、大学学部の卒論で「中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活」なるタイトルで、「陰謀説の一大地雷原」(笑)であるユダヤ関連をテーマにしたものだから、歴史的事実と妄想としての陰謀説のより分けにはきわめて敏感である。だからこそ、「それにしても・・・」となんどもつぶやきたくなるのだ。

著者が歴史学の厳密な方法論にもとづいて「陰謀説」を叩いても、それで陰謀説がこの世から消えることはない。なぜなら、ビリーバーの耳にはまったく響かないからだ。

思いこみが信仰レベルまで達しているのがビリーバーだが、まさに「釈迦に説法」「馬耳東風」。人間のコトバを聞く耳を持たない馬にたとえるのは馬に失礼だろうが、独自の「世界観」を脳内に構築しているビリーバーには、いったん信じ込んだら最後までといった趣がある。

とにかくこれは面白くてためになる本だ。日本近現代史の素材を「反面教師」として提示している本書を読むことを大いに推奨したい。といっても、ビリーバーには「馬の耳に念仏」であろうが(笑)




目 次

第1章 陰謀史観の誕生-戦前期日本の膨張主義
第2章 日米対立の史的構図(上)
第3章 日米対立スティネットとの史的構図(下)
 食わせてもらった負い目
 占領体制のアメとムチ
 「アメリカ化」の貸借対照
 国内消費用の東京裁判史観
 ウォー・ギルトと「甘えの構造」
第4章 コミンテルン陰謀説と田母神史観-張作霖爆殺からハル・ノートまで
 田母神史観の検討
 張作霖を殺したのはソ連工作員?
 河本の犯行を示す8つの確証
 満洲事変から日中戦争へ
 ルーズベルト陰謀説とは
 トーランドとネイヴ
 スティネットと幻の日本爆撃
 ホワイトとハル・ノート
第5章 陰謀史観の決算
 コミンテルン
 ヒトラーとナチ党
 CIA・MI6対KGB
 ユダヤと反シオニズム
 戦後期のユダヤ禍論
 フリーメーソン
 オカルトへの誘い
 仕掛人対「トリック破り」
 因果関係の単純明快すぎる説明
 飛躍するトリック
 結果から逆行して原因を引きだす
 挙証責任の転換
 無節操と無責任
あとがき

著者プロフィール

秦 郁彦(はた・いくひこ)
1932(昭和7)年、山口県生まれ。現代史家。東京大学法学部卒業。ハーバード大、コロンビア大留学。プリンストン大客員教授、拓殖大教授、千葉大教授、日大教授を歴任。法学博士。1993年度菊池寛賞受賞。『慰安婦と戦場の性』『靖国神社の祭神たち』など著作多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)

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「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは



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2014年3月28日金曜日

「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる


2014年を騒がしてきた再生医療分野における「STAP細胞事件」、マスコミやネットでの持ち上げ方と引きずり下ろし方の展開は、ジェットコースターのように激しいものがありますが、どうも問題の本質からは遠いのではないかと感じておりました。

NHKの特集番組を製作した担当ディレクター自身による著書 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)を読むと、「科学社会」における「科学倫理」の問題が構造的なものであることがよくわかります。

本書で取り上げられた、2002年に発覚して一大スキャンダルとなった「史上空前規模の論文捏造事件」と、2014年の「STAP細胞事件」は、物理学と医学・生物学専門分野と、捏造の規模が違うものの、「既視感」(デジャビュー)を感じてしまうのです。

「史上空前規模の論文捏造事件」とは、「超電導」の分野でノーベル賞に最も近いといわれたドイツ人の「若きカリスマ物理学者」が、アメリカのベル研究所を舞台「超電導」の分野英国の『ネイチャー』や米国の『サイエンス』などの科学専門ジャーナルに矢継ぎ早に発表した26本の論文にかんするもの。

その論文の大半に実験データ捏造による不正(misconduct)が発見されたのです。しかも、論文捏造が発覚するまで、なんと3年(!)もかかっています。

一方、「STAP細胞事件」は、日本人の「若い女性研究者」が、実験データ捏造と論文捏造を行った事件。あっという間に脚光を浴びて、あっという間に地に墜ちた事件です。

日本のこの事件では、わずか2カ月たらずで急展開しているのは、そうでなくても研究不正が発生しやすい医学・生物学分野で、しかも「若い女性研究者」であるというファクターを抜きには考えられないでしょう。

ともに科学ジャーナルの『ネイチャー』を舞台にしたものであり、研究者の国籍が日本とドイツと異なりながらも、科学立国の30歳前後の若い研究者である点、しかもアメリカ東海岸の「科学社会」とかかわっている点も共通しています。

また、ストーリー性の強調といった点は、たしかに「偽ベートベン事件」の佐村河内守氏と同じですが、研究者がかかわる「科学社会」に固有の問題は、マスコミ報道だけでは理解できません。


「科学社会」における構造的問題

本書は、国内外のテレビ番組コンクールで受賞したNHKの特集番組をもと書きおろされたものです。

残念ながら番組は見ていないのですが、番組では紹介されていない膨大な取材内容をもとに書きおろされた本書を読むと、ドキュメントとして興味深いだけでなく、科学の専門コミュニティにまつわる構造的な問題が手に取るように理解できます。


「史上空前規模の論文捏造事件」のケースにおいては、なんと論文捏造が発覚するまで3年もかかったいます。その理由はなぜか? なにが背景にあったのでしょうか?

本書の「第9章 夢の終わりに」の小見出しをあげておきましょう。「科学社会」における「科学倫理」がなぜ機能しなかったのか、その輪郭がなんとなく理解できるでしょう。

●正しさが担保されない現実
●「間違い」への寛容
●不正を立証する困難
●気づかれにくい小規模の捏造
●捏造が「再現」される可能性
●「狭い専門領域
●「再現性」の幻想
●「金(かね)の生(な)る木」と秘密主義
●国家というプレッシャー
●成果主義の功罪
●内部告発は可能か
●「共同研究」のあいまいな責任
●科学の「変容」と科学界の「構造的問題」

上記の小見出し意外に重要なキーワードとしては、「信頼を基本にした科学社会」、「不正(misconduct)と間違い(mistake)の違い」、「確証バイアス」、「論文引用回数(サイテーション)」、「商業出版物である科学ジャーナルのインパクト・ファクター」などをあげておきましょう。くわしくは本書を読んでみてください。



「狭い世界」では「空気」が働きやすく「世間」が形成されやすい

自然科学分野とはいえ、人間がかかわる社会、しかもきわめて「狭い世界」での事象であるだけに、避けて通れない倫理的問題が発生します。

「狭い世界」は、本質的に「空気」が働きやすい「世間」的な要素をもっていることを示しています。

たとえ特定の研究者の論文に不正や捏造の疑いをもったとしても、コミュニティ全体にその研究者を称賛する「空気」が醸成されていると一人では反対しにくいこと、さらにその世界の学界ボスが称賛しているとなれば、なおさら反対はしにくい。これは「世間」以外の何者でもありません。

「狭い世界」では「空気」が醸成され「世間」が形成されることは、日本だけではなく、アメリカであっても同じことがわかります。

わたし自身は、大学受験前に「文転」して社会科学系にいったので自然科学分野出身ではありませんが、米国の工科大学の大学院で学んでいた時代、理工系の研究室に出入りしていた頃を思い出しながら読みました。

米国人や日本人の研究者たちとの交流をつうじてさまざまな話をしてましたが、科学(サイエンス)であれ工学(エンジニアリング)であれ、基本的に研究室を基本にした狭い人間関係というコミュニティであるのはたしかなことです。この点は、日本もアメリカも同じでしょう。本書を読めばドイツもまた同じであることがわかります。つまり普遍性のある話なのです。

「科学社会」における「科学倫理」の機能不全問題は、どうしたら解決することができるか?

医学・生物分野における米国の ORI(= Office of Research Integrity:米国研究公正局のような独立機関を設立し、研究不正が発生しない「仕組み」をつくることも重要です。

とはいえ、若い研究者の卵たちは「狭い世界」のなかで、指導的立場にある研究者の日常的な振る舞いすべてから「学ぶ」のである以上、科学倫理は研究者すべてが実践しなければ意味がありません

つまり、座学をいくら行っても解決されるものではないということです。研究者としてのスタート地点である博士号を取得する時点に、すでに問題の根があるからです。

本書には、米国の研究者の3分の1は、なんらかの形で不正にかかわっていると紹介されてますが、「科学倫理」の徹底はそれほどむずかしいのです。人間の行動と心理がかかわってくるからです。


「科学倫理」にかんする問題はタックスペイヤーとして関心をもつべき

「STAP細胞事件」が一過性のスキャンダルとして終わることなく、「科学社会」にかかわる本質的な問題として日本全体で国民的な議論が深まることを期待したいと思います。

なぜなら、舞台となった理化学研究所(=理研)の約1,000億円の研究資金は、その大半が日本国民の「血税」によってまかなわれているためです。その意味では騙されやすい一部の民間人からカネをまきあげた佐村河内守氏よりも、はるかに罪は大きいというべきでしょう。

そうでなくても財政悪化が進行している現在、予算には優先順位をつけて執行される必要があります。ただしい予算執行のためにも、タックスペイヤー(納税者)として大いに関心をもたなくてはなりません。

本書は「科学ジャーナリスト大賞2007」を受賞しています。迫真のドキュメントとして興味深く読めるだけでなく、ジャーナリスト魂ここにありと感じることのできる本書は、ぜひ読んでおきたい一冊として推奨します。


* 研究者「個人」と研究室という「組織」、そして「学会」というコミュニティという「社会」にかかわる問題については、姉妹編のブログ 「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる! も参照していただけると幸いです。




目 次

はじめに
プロローグ
第1章 伝説の誕生
第2章 カリスマを信じた人々
第3章 スター科学者の光と影
第4章 なぜ告発できなかったのか-担保されない「正しさ」
第5章 そのとき、バトログは-研究リーダーの苦悶
第6章 それでもシェーンは正しい?-変質した「科学の殿堂」
第7章 発覚
第8章 残された謎
第9章 夢の終わりに
 正しさが担保されない現実 「間違い」への寛容 不正を立証する困難 気づかれにくい小規模の捏造 捏造が「再現」される可能性 狭い専門領域 「再現性」の幻想 「金(かね)の生る木」と秘密主義 国家というプレッシャー 成果主義の功罪 内部告発は可能か 「共同研究」のあいまいな責任 科学の「変容」と科学界の「構造的問題」 日本は大丈夫なのか?
 日本学術会議の対応
 アメリカ型でよいのか
 第2、第3のシェーンを防ぐには
エピロ-グ-「わからなさ」の時代に
放送歴・受賞歴・番組スタッフ一覧

本書の元になったNHK特集番組『史上空前の論文捏造』は、以下の4つの賞を受賞。
① バンフ・テレビ祭 最優秀賞
② アメリカ国際フィルム・ビデオ祭クリエイティブ・エクセレンス賞
③ アルジャジーラ国際テレビ番組制作コンクール銅賞(調査リポート部門)
④ 科学技術映像祭・文部科学大臣賞

著者プロフィール

村松 秀(むらまつ・しゅう)
1968年、横浜生まれ。東京大学工学部卒業。1990年NHK入局。「NHKスペシャ ル」「クローズアップ現代」「サイエンスアイ」等を担当し、環境、先端科学、 医療、生命倫理など主に科学系番組の制作に携わってきた。特に環境分野では、 環境ホルモン問題を日本で最初に報道、その後も継続して取材を続ける。「地球!ふしぎ大自然」「迷宮美術館」など新番組の立ち上げも多い。現在、科 学・環境番組部専任ディレクター、「ためしてガッテン」デスク。NHKスペ シャル「生殖異変」で放送文化基金賞本賞、地球環境映像祭大賞、科学技術祭内閣総理大臣賞、戦後60年関連企画で毎日芸術賞特別賞など受賞多数。著書に 『生殖に何が起きているか』(NHK出版)、『環境から身体を見つめる』(アイオーエム)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

科学ジャーナルの『ネイチャー』

理化学研究所(=理研)

米国史上最悪の「科学研究不正」の反省と対処に学ぶこと (大西睦子、フォーサイト、2014年4月3日)
・・1932年から1972年まで40年間にわたり、アラバマ州タスキーギの農村で、米国政府の公衆衛生局によって行われた、米国史上最悪の研究不正と言われる「タスキーギ梅毒実験」について

ハーバード大学内でも勃発した世界的著名教授の「論文撤回」騒動 (大西睦子、フォーサイト、2014年4月30日)

裸の王様だったSTAP細胞研究者-こんな研究に数十億円の税金を注ぎ込んだ責任を明らかにすべし (伊東 乾、JBPress、2014年4月9日)
・・研究所の人事そのものに問題があることが示唆されている

【STAP細胞論文問題】科学史上最悪のシェーン論文捏造事件が残した教訓と防止策 (ハフィントンポスト、2014年4月14日)
・・「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)とは「シェーン論文捏造事件」のこと

STAP細胞論文、世界一の不正で「教科書に載る」 改革委員会が指摘 (ハフィントンポスト、2014年6月14日)
・・「STAP細胞の論文をめぐる問題で、理化学研究所(理研)が設置した外部有権者による改革委員会は6月12日、小保方晴子さんらが所属する「発生・再生科学総合研究センター(CDB)」を解体することなどを求める提言書を公開した。同じ日に開かれた改革委員会の記者会見では、委員らがこの問題について「世界の3大不正の一つ」「教科書になる」などと発言。被害は理研だけにとどまらず、今後発表される日本の研究者の論文全体にも影響が及ぶ可能性を指摘した。・・(中略)・・研究者の倫理観を研究している信州大学特任教授の市川家国氏は、STAP論文問題では様々な不正が同時に行われている点を挙げ、2002年にアメリカで起こった「超電導研究不正(シェーン事件)」や、2005年に韓国で起った「ES細胞捏造(ファン・ウソク事件)」と並び、三大不正事件の一つであると断言。「3つの事件のなかでも一番がSTAP細胞論文の問題で、これから教科書的に扱われることになる」と述べた。」

(2014年614日 情報追加)






<ブログ内関連記事>

「セルフブランディング」と「セルフプロデュース」、そして「ストーリー」で「かたる」ということ-「偽ベートーベン詐欺事件」に思う
・・この記事で「騙された消費者もまた共犯者」という趣旨で書いているが、騙された被害者はあくまでも日本国民の一部である。「STAP細胞事件」は、国の予算=納税者の血税を使用しているので、結果として国民全体を被害者にしたのと同じである。河内守よりも、より悪質であるといわざるをえない

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・「壊れた『世間』にかわって現在の日本人、とくに若い人たちを支配して猛威をふるっているのが『空気』だという指摘は、実に納得いくものである」「安定した状態ではその組織なり人間関係の中で『世間』が機能するが、不安定な状態では『空気』が支配しやすい。/『世間』が長期的、固定的なものであるのに対し、『空気』は瞬間的、その場限りの性格が強い」。

書評 『見える日本 見えない日本-養老孟司対談集-』(養老孟司、清流出版、2003)- 「世間」 という日本人を縛っている人間関係もまた「見えない日本」の一つである
・・解剖学者の養老孟司氏は「学会は世間」であると言っている

集団的意志決定につきまとう「グループ・シンク」という弊害 (きょうのコトバ)
・・グループシンクという「空気」がつくりだす「集団浅慮」のワナ

映画 『es(エス)』(ドイツ、2001)をDVDで初めてみた-1971年の「スタンフォード監獄実験」の映画化
・・視線という権威、権力が支配する空間が「世間」。集団同調圧力は日本人以外にも働くのである

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」
・・「世間」も「空気」も特殊日本的現象ではない

レンセラー工科大学(RPI : Rensselaer Polytechnic Institute)を卒業して20年

書評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所-』(宮田親平、河出文庫、2014)-理研はかつて「科学者の楽園」と呼ばれていたのだが・・

(2014年5月9日 情報追加)


 
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