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2024年1月31日水曜日

書評『アカデミアを離れてみたら ー 博士、道なき道をゆく』(岩波書店編集部、岩波書店、2021)ー キャリアと人生を「リセット」した若手理系研究者たちの自分史が読ませる

 
 

博士号を取得したあと、研究者としてのキャリアと人生をリセットして、さまざまな道に進むことになった若手理系研究者たち、とくに理学部を中心とした21人の人生半ばの自分史だ。 

たまたまその存在を知った本だが、電車での移動中の読書に持ち込んで読んでいたら、ひとりひとり異なる具体的なライフストーリーが面白いので、ついつい熱中して読んでしまった。 

キャリアチェンジについて語られることも多い今日この頃だが、学部はもとより、修士から博士課程までいってからの転身はきわめて壁が厚い。いわゆる「つぶし」が効きにくくなるからだ。 

精神的な壁を超えるというか、キャリアと人生をリセットするためにはマインドセットの切り替えが必要であり、転身を妨げているさまざまなメンタルブロックを解除して、「実社会」に向けて一気に踏み込む必要がある。 

登場する21人のほとんどは、1980年前後生まれの若手研究者。ここで「研究者」と書いたのは、アカデミズムの場を離れても、程度の違いはあれ「研究」そのものは不可能ではないことを、21人の事例が示しているからだ。 

わたしの場合は、基本的に子どもの頃から「勉強」は嫌いだが「研究」は大好きなので、 「研究」はいまでも自分なりに続けている。論文は書かないが一般書という形で世の中に貢献することにしている。

高校3年になる前に理系から文転し、大学4年になる前には研究者の道には見切りをつけて修士課程には進学せず、学部卒業後はさっさとビジネスパーソンになってしまった人間だが、それでもアカデミズムへの未練や、未練を断ち切ることの意味については十分わかっているつもりだ。

知識社会化がすすみ、科学技術立国が叫ばれている割には、理系研究者への処遇に大きな問題がある現在の日本。そんな状況である以上、自分の道は自分でみつけなくてはならない。

自分の能力と適性をできるだけ早い段階で自覚し、アカデミズムの研究者とは違うオルタナティブな選択もあることを知ることは、これから研究者への道を進む若者には必要不可欠となる。 

そして、そんな若手の「研究者」たちを活かすためにも、公的機関だけでなく、民間企業はさらに門戸を開いて、キャリアチェンジの手助けをするべきだとつよく思う。最初から応用を目的とした工学以外の理系分野でも、活躍する場はたくさんあるのだ。 

経営者や人事管理関係者も読むべき本だ。若手研究者たちが日々どんなとで悩み、苦闘しているかを知る必要がある。理系人材の採用と活用は、ダイバーシティ&インクルージョンのテーマでもあるからだ。 


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目 次
はじめに 
1 企業につとめる 
2 組織にとらわれずに生きる 
3 教育・研究をささえる 
4 組織をおこす 
5 「越境」をかさねて 
あとがきー博士号取得者の苦難と希望


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2024年1月30日火曜日

書評『蓮の暗号 ー<法華>から眺める日本文化』(東晋平、アート・ダイバー、2022)ー 日本文化の底流を流れる「法華」の思想を多面的に考察

 


著者は文筆家で編集者。高橋伸城氏と志をおなじくする人である。

厳密な論証が求められるアカデミズムに属していないことを逆手にとって、比較的自由に想像力の翼を拡げて、「日本文化における法華」というテーマを追ったものだ。

多岐にわたるトピックを扱っているが、わたしにとって興味深く思われたのは、「天文法華の乱」(1536年)という「愚行」によって壊滅的打撃をうけた京都町衆の法華衆が、大いなる反省のもとに和平路線を貫いたことを考察した文章である。(第2章~第5章)。
 
この和平路線は、武に対する文の優位という形で、戦国時代末期から江戸時代初期という激動期を生きた本阿弥光悦以下の法華衆の系譜に表現されたと考察している。なるほどと思う。

日蓮が出現する以前に『法華経』が日本文化においてはたしてきた大きな意味合いについて、さらに深く考えていく必要を感じた。『源氏物語』にもあらわれているように、平安朝の女性たちがなぜ『法華経』につよく惹かれたのか。その理由は「女人成仏」という思想にあるのだ、と。

また、「能と法華経の関係」についても重要な指摘が、京都の西陣生まれの歴史学者の上原専禄について考えるヒントを与えてくれた。わたしは上原専禄の孫弟子にあたるのだが、上原専禄は西洋中世史を専攻した歴史学者であるが、深い日蓮信仰の持ち主でもあった。

日露戦争における父親の戦死後、養父となった叔父のもとで、少年時代から「能」と『法華経』を暗唱するまでみっちり仕込まれたとことの意味についてである。ようたくストンと理解することができた




「法華の系譜」のなかにいないわたしとしては、本書で展開される著者の思想に全面的に賛同するわけではない。違和感がまったくないわけではない。

現代美術の宮島達男氏は、著者によれば、法華経の生命観を創作の哲学的基礎にしているという。宮島氏が自身の創作の「3つのコンセプト」は、「変化しつづけること」「あらゆるものと関係を結ぶ」「永遠に続く」に集約されるそうだ。

最初の2つはわたしにもまったく違和感なく受け入れられる。そもそも「無常」とは、万物が時々刻々と変化する相のもとにあることであり、万物はすべてつながっているというのが、仏教の発想であるからだ。

だが、最後の「永遠に続く」は、なんとなくピンとこないものがある。

わたしも基本的にブディストであるが、永遠についてはほとんど考えることはない。むしろ、形あるものはすべて滅びるという思想を「無常」に見いだしている

もちろん、形をもたないものは永遠の生命をもつという言い方も可能だろう。形あるもので、永遠に続くものを創造できるのであれば、クリエイター冥利に尽きるというべきであろう。
 
この「永遠に続く」という観念は、『法華経』ならではの発想なのだろうか? 無知ゆえにわたしにはわかりかねるので保留にしておこう。

とはいえ、「わびさび」でもない、「アニミズム」でもない、「武士道」でもない、「法華」の系譜に日本文化の底流を流れるもうひとつの流れについての認識を深めることができたことは、本書の大きな収穫であった。

『法華宗の芸術』(高橋伸城、第三文明社、2021) とあわせて読むべき本である。きわめて重要だが、よく見えていなかった「もうひとつの日本」を知ることができる。


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目 次
メトロポリタンの燕子花 ―プロローグ 
第1章 「琳派」という系譜―私たちが思う「和風」の誕生 
第2章 茶の湯の成立―室町時代のゴージャス
第3章 利休と法華―茶の湯と法華の意外なつながり 
第4章 桃山文化の原動力―なぜ動乱の世に美が開花したか 
第5章 光悦の実像をさがして―時代を動かしたプロデューサー 
第6章 タゴールが見た「蓮」―インド・ルネサンスと日本 
第7章 目覚めた人―思慮ある人は、奮い立ち、努めはげめ 
第8章 敦煌莫高窟―アジアの記憶の古層をたどって 
第9章 道成寺伝説―最古のエンターテインメント 
第10章 「風神雷神図」異聞―屏風絵のなかに隠されたもの 
第11章  北斎「Big Wave」―一瞬のなかにひろがる永遠 
第12章 ガジェットの仏陀―受け継がれる〝法華芸術〟 
千年紀への曙光―エピローグ
あとがき 


著者プロフィール
東晋平(ひがし・しんぺい)
文筆家・編集者。1963年神戸生まれ。現代美術家・宮島達男の著書『芸術論』(アートダイバー)、編著書『アーティストになれる人、なれない人』(マガジンハウス)などを編集。


<関連サイト>



「・・美術史において、すべてを宗教という観点から考察することはむろん間違っている。しかし、それをまったく無視して、芸術家の天賦の才や血のにじむような努力、あるいは社会環境に因縁を求めることも正しい方法とはいえないであろう。なぜなら、宗教はそれらを創り出す最も重要な要素だからである。」


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2024年1月29日月曜日

書評『法華宗の芸術』(高橋伸城、第三文明社、2021)ー 近世日本美術史の知られざる「法華衆の系譜」をさぐった美術本

 

『法華宗の芸術』(高橋伸城、第三文明社、2021)を読了。近世の日本美術史において、日蓮と法華経の教えを奉じる「法華衆」が意味するものを探求したアート本だ。  

先週金曜日(2024年1月26日)におとづれた「特別展 本阿弥光悦の大宇宙」(国立博物館・平成館)の会場で本書を購入したのは、本阿弥光悦が日蓮宗の熱心な宗徒であり、宗教をおなじくする職能ネットワークの中心にいた人であることを詳しく知ったからだ。 

本書の第1部に取り上げられているアーチストは、本阿弥光悦、俵屋宗達、狩野永徳、長谷川等伯、楽道入、狩野探幽、尾形光琳、尾形乾山、葛飾北斎、歌川国芳、河鍋暁斎、神坂雪佳、速水御舟と、17世紀初頭から20世紀まで及んでいる。 

このうち「琳派」という概念を定着させた神坂雪佳以外は、みな法華経信仰につらなる人びとであることを知った。日本美術史にこういう系譜が見いだされるのか、と。 

考えてみれば、「平家納経」という豪華絢爛な美術作品はすでに平安時代末期にもあったな、と。カラフルなビジュアルの背景に法華経を書写した巻物のことだ。国宝である。

とはいえ、本書でとりあげられた本阿弥光悦以降の近世の諸作品には、信仰や思想がダイレクトに表現されているわけではない。その点が、「わびさび」の日本美術との違いであるようだ。

禅宗をバックグラウンドにした禅画や水墨画浄土真宗などを背景にしたポピュラーアート とは違い、作品から日蓮の教えや法華経の世界観を読み取ることは難しい。

美術史を専攻した著者は、以下のように指摘している。わたしなりに要約しておこう。 

「いまここ」の目の前にある「万物」に寄せる関心、「現世志向」であることは法華経信仰からくるものだが、それにもかかわらず造形においては制約条件とはならなかったこと。そいうった特性があるため、日本はもとより海外でも受け入れられたのであろうと、

本書は「第三文明社」という出版社からもわかるように、もともとは「聖教新聞」の連載を単行本にしたものだという。著者自身も創価大学の出身だとプロフィールにある。

 だが、こういったプロフィールで安易な判断しないほうがいい。本書で紹介されている「法華衆の芸術」の具体的な作品に表現されているとおり、広く外に向かって開かれた姿勢と記述が、最初から最後まで一貫しているからだ。 

著者の問題関心と出発点が法華経信仰にあるのだとしても、けっして狭い宗派に制約された発想や記述ではない。だからこそ、読んでいて発見があるだけでなく、大いに耳を傾けたくなるものがあるのだといえよう。 

日蓮や法華経信仰に親しく接してきたわけではない、わたしのような人間が読んでも、大いに目を開かれるものがあった。

近世の日本美術を見る際の「あらたな視点」を手に入れることができたのは、最大の収穫であった。読む価値のある1冊である。 


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目 次
はじめに
第1章 法華衆とその作品
 本阿弥光悦 ー 法華芸術の“プロデューサー”
 俵屋宗達 ー「琳派」の光源
 狩野永徳 ー 天下人に愛された絵師
 長谷川等伯 ー 桃山画壇の雄
 楽道入 ー 型のなかで型を破る
 狩野探幽 ー 江戸狩野派の礎を築く
 尾形光琳 ー「琳派」の大成者
 尾形乾山 ー 誇り高き陶工
 葛飾北斎 ー 変わり続けた絵師
 歌川国芳 ー 奇想天外の絵師
 河鍋暁斎 ー 即興の名手
 神坂雪佳 ー いまにつながる「琳派」
 速水御舟 ー 世界的な大芸術を
第2章 西洋との出会い
 西洋に広がった法華芸術
 「北斎」から「HOKUSAI」へ
第3章 「法華衆の芸術」をめぐって 
 対談 宮島達男(現代美術家) 
 インタビュー 河野元昭(東京大学名誉教授)
おわりに 
法華衆関連年表

著者プロフィール
高橋伸城(たかはし・のぶしろ)
1982年、東京都生まれ。ライター・美術史家。創価大学を卒業後、英国エディンバラ大学大学院で芸術理論、ロンドン大学大学院で美術史学の修士号を取得。帰国後、立命館大学大学院で本阿弥光悦について研究し、博士課程満期退学。



PS 「琳派」が「印象主義」(impressionism)だとすれば、「禅画」は「表現主義」(expressionism)か?

西洋人は浮世絵や琳派の作品に「印象派」を見て取ったようだ。

・・ドラッカーは禅画や水墨画を日本の「表現主義」とみなしていた。
「青年期まで過ごしたウィーンやフランクフルトなどで接していた、第一次世界大戦と同時代の「ドイツ表現主義」が実現できず終わったことを、すでに江戸時代の日本人が禅画で実現していたというドラッカーの発言もまた興味深い。日本文明の根底の一つを形成している、禅仏教的な知覚による直観的把握について語っているわけだが、西洋美術との比較で禅画を見直してみるのも、一つの鑑賞方法であろう。」
・・「琳派」が「印象主義」(impressionism)だとすれば、「禅画」は「表現主義」(expressionism)となろうか? 


<関連サイト>



「・・美術史において、すべてを宗教という観点から考察することはむろん間違っている。しかし、それをまったく無視して、芸術家の天賦の才や血のにじむような努力、あるいは社会環境に因縁を求めることも正しい方法とはいえないであろう。なぜなら、宗教はそれらを創り出す最も重要な要素だからである。」


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2024年1月28日日曜日

「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」(パナソニック汐留美術館)に行ってきた(2024年1月26日)ー 東西文化の融合を建築で行った20世紀アメリカを代表する建築家

 

「フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築」(パナソニック汐留美術館)に行ってきた。20世紀を代表する米国の建築家である。 

フランク・ロイド・ライトといえば、「帝国ホテル」を設計したことで知られている建築家だ。今回の展覧会は、その「帝国ホテル二代目本館100周年」を記念したものである。 

帝国ホテルの開業日は1923年9月1だった。なんとその日の正午に関東大震災が発生したのである。だが、大震災の被害はほとんど受けなかったという。(・・・ただし、現在の帝国ホテルはその後に改築されたものである)。 

「パナソニック汐留美術館」の開館20周年記念でもあるという。そういえば、いちばん最初にいったときは、まだ名称が「松下電工ミュージアム」だったな。 

このミュージアムは、いかせん会場スペースが狭いのが難点だ。思ったよりも来場者が多く、フランク・ロイド・ライトの関心が高いことがわかった。 狭いスペースゆえの意図せざる効果というべきか?




フランク・ロイド・ライトは帝国ホテルの設計で有名だが、なんと1907年から1922年までに7回も来日して、日本の建築と浮世絵に惚れ込んでいた。浮世絵のアートディーラーの仕事もしていたらしい。

とくに影響を受けたのが安藤広重である。会場には「名所江戸百景」などの作品が展示されており、その構図における影響関係が可視化されていた。 浮世絵を飾ることを意図した住宅設計もある。

浮世絵がフランス印象派やゴッホ米国ではホイッスラーなどの絵画に多大な影響を与えたことは知られているが、浮世絵の構図が建築の分野にあたえた影響についても知るよい機会となった。 この件は、まだまだ知られていないことかもしれない。

シカゴ万博(1893年)で日本を知り、万博会場に日本から出展され建築された「鳳凰殿」(フェニックスガーデン)に惚れ込んで日本への理解を深めたフランク・ロイド・ライトは、シカゴに自分の建築事務所を開いている。 

直接の接点はないと思うが、そのシカゴ近郊の地方都市に1907年から10年以上にわたって滞在していた鈴木大拙ともにシカゴ万博がらみでシカゴに縁のあるこの2人は、ほぼ同世代のこの人物であり、同時代の空気をシカゴで吸っていたことになる。 

米国から日本へのアプローチと、日本から米国へのアプローチ。方向は違うがそれぞれの文化に大きな影響を与え東西文化の融合をなしとげた人物たちのことを考えるのは、なかなか面白い。 

会場で購入した「図録」(鹿島出版会、2023)を読みながら、そんなことを考えている。



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PS フランク・ロイド・ライトを尊敬するアート・ガーファンクルはもともと建築家志望だった

サイモン&ガーファンクルには「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」(So Long, Frank Lloyd Wright)という曲がある。いまから半世紀以上前の1970年の曲だ。

その昔、フランク・ロイド・ライトって誰?と思って聞いていたが、その後1990年になったからはじめてアメリカで暮らすようになってから、アメリカを代表する建築家であることを知ったのであった。




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・・アメリカ人実業家と日本美術コレクター


■日本と縁の深い建築家

・・フランク・ロイド・ライトに誘われて帝国ホテル建築のために初来日している



■パナソニック汐留美術館





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