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2021年4月30日金曜日

書評『プーチンの思考-「強いロシア」への選択』(佐藤親賢、岩波書店、2012)-鋭い考察と深い洞察ゆえに2021年現在でも読むに値する内容

 

日本語のプーチン関連書では「参考文献」としてあげられることに多い本なので、2012年出版とやや古い感がなきにしもあらずだが、読んでみることにした。 

通読してみての感想は、2021年時点で読んでも基本的に内容的には古くなっていない、というものだった。なぜなら、全編にわたって鋭い考察と深い洞察に充ち満ちているからだ。 

先に米国の現代ロシア研究者たちによる『プーチンの世界』が決定版だと書いたが、謎に満ちた指導者プーチンにかんしては、さまざまな角度やアプローチによって分析する必要があることは言うまでもない。

本書の著者は、出版時点で共同通信記者。ロシア滞在歴10年。2003年12月から2007年2月までモスクワ支局勤務、その後1年半後の2008年9月からは支局長として、リアルタイムでプーチンの動向を現地で見てきた点に特徴がある。 

この期間は、プーチン大統領の最初の任期の8年と、その後4年間のメドヴェージェフ大統領のもとでプーチン首相という「タンデム」(*二頭立て馬車のこと)という変則的な形での政権運営期間にあたっている。 

なぜ2012年にプーチンがふたたび大統領に戻ることを決意したのか、この考察が本書のキモといっていいだろう。 

2000年から2008年までのプーチンが、ソ連崩壊後に大混乱に陥った祖国ロシアを正常軌道に戻した役割を果たしたとすれば、2012年以降のプーチンは「強いロシア」の維持と発展をミッションとしているからだ。 

2021年現在から振り返ると、プーチンの大統領復帰は「既定路線」であったかのように思いがちだが、かならずしもそうではなかったのである。 

プーチン路線の継承者として前面にでてきたメドヴェージェフだが、知らず知らずのうちに両者の違いが表面化してきたのである。

これは、安部政権の継承者として登場した現在の菅(スガ)首相の動向をみていると納得されることだろう。ポジションについてしまえば、人間は知らず知らずのうちにポジションにあわせて変化していくものである。 

東欧の「カラー革命」に端を発した2008年のグルジア(=ジョージア)侵攻2011年の「アラブの春」が引き起こしたリビア爆撃とカダフィ政権崩壊での対応が、プーチンの大統領復帰の決め手となったようだ。 

著者はあとがきで次のように記している。 

言論や報道の自由よりも秩序と安定を優先する手法には共感できなかったが、2012年3月の大統領選で当選を決めた後の勝利宣言で思わず涙を見せたプーチンを見て、「この人がロシアの最高指導者として背負っている責任は普通の人には計り知れないほど重いのだ」と気付き、胸を突かれる思いをした。この時あらためて感じた「プーチンは何のために大統領に復帰するのか、何をしようとしているのか」という疑問が、本書執筆の直接の動機になった。 (*太字ゴチックは引用した私によるもの)

世界最大の領土をもち、多民族・多宗教国家のロシア。日本人の想像をはるかに超えた難題を抱えたロシアの国家運営を行うには、ある種の使命感がなければ、とてもその最高指導者の責務など果たすことはできないことは確かなことだ。 

2012年に大統領に復帰して以降、現在に至るまでその職にとどまっているプーチンだが、マッチョぶりを示していながらもすでに68歳であり、やや衰えが見えてきたような気がしないでもない。かつてのようなキレが感じられないのだ。ソ連崩壊後に生まれた世代との、価値観にかんする世代間ギャップも拡大している。 

実質的な終身大統領の道を歩みつつあるが、「余人をもって代えがたし」という属人的な支配体制は、ロシアが抱えている腐敗構造、官僚主義、行政依存といった悪弊は改革されることなく温存することにつながっている。改革を先送りしてきたツケが回ってきている。もはや、改革の時期は逸してしまったようだ。 

プーチン体制の今後についてどうなるか、2012年時点の考察と2021年時点の考察とでは、当然のことながら異なるものとなるが、プーチンの基本的な思考パターンについて知ることは、考察のためにきわめて重要な基礎となる。 

指導者の基本的な思考パターンというものは、状況に応じて微調整があってたとしても、外部環境が変化によって変わることはあまりないからだ。 




目 次 
はじめに 
第1章 大統領復帰の誤算-プーチン苦戦の背景
第2章 「WHO IS PUTIN?」再考
第3章 「垂直権力機構」の限界
第4章 タンデムの成果と欠陥
第5章 プーチン復帰後の外交と国防
第6章 「プーチン後」への動き
おわりに-古いロシア、新しいロシア
主な参考文献 

著者プロフィール
佐藤親賢(さとう・ちかまさ)
1964年埼玉県生まれ。東京都立大学法学部卒業。1987年共同通信社入社。1996~97年モスクワ大学留学。東京本社社会部、外信部を経て2002~03年プノンペン支局長。03年12月~07年2月モスクワ支局員。08年9月からモスクワ支局長。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

 


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2021年4月29日木曜日

書評『プーチンの世界-「皇帝」になった工作員』(フィオナ・ヒル/クリフォード・ガディ、畔蒜泰助監修、濱野大道/千葉敏生訳、新潮社、2016)-これぞプーチン分析の定番の基本書

 

友人のロシア経済専門家から読むように強く薦められてから3年。単なるレファンレンス書としてしておこうかと思ってもいたが、腰を据えて読むことにしたのである。

小さな活字の二段組みで500ページ超の単行本は、日本語訳でも読むのに骨が折れる。だが、その骨折りに値する内容だと確信できた。 

(原書2015年改訂増補版)

原題は、Mr. Putin: Operative in the Kremlin (Geopolitics in the 21st Century) by Fiona Hill and Clifford G Gaddy, 2015。日本語訳は、原本2012年の改訂増補版(2015年)の翻訳。 


■なぜ米国人による本書が基本書となるのか?

読む前まで、なぜ「プーチン分析の決定版」がロシア人によるものではなく、米国人研究者によるものか?という疑問を抱いていた。 

だが、読み進めていくうちにわかってきたのは、好き嫌いや良い悪いといった価値観ではなく、忖度なしで虚心坦懐に事実ベースで分析する姿勢こそ重要だということだ。この目的からいえば、ロシア人によるものにはバイアスが多すぎるということになるのであろう。

著者の2人は、民主党系のシンクタンクであるブルッキングス研究所(The Brookings Institution)に在籍する現代ロシアを専門とする研究者である。実像を把握しにくいプーチンのような人物には、インテリジェンス的な分析が最適のアプローチであることがわかる。 

断片的な情報や状況証拠から全体像を再現する手法は、ビジネスパーソンとしても大いに見習うべきものがある。 


■プーチンは「6つのペルソナ」 が複合した複雑な人物

さて、著者たちは、プーチンを複雑な人物であるという前提で分析を行う。

プーチンが表舞台に登場してから最初の大統領の任期を終えた2008年までをベースに要素分析を行っている。分析の切り口として「6つのペルソナ」を抽出し、この6つのペルソナ複合してできあがっている人物だとする。 

① 国家主義者 
② 歴史家 
③ サバイバリスト(=サバイバルを至上命題とする人物) 
④ アウトサイダー 
⑤ 自由経済主義者 
⑥ ケースオフィサー(=諜報員) 

いっけん相矛盾しながらも、これらの要素が生身の人間のなかで融合し、ときに応じてその一部が前面に出てくる。そう理解すると、プーチンを把握できるようになるのだ、と。 

なによりも主権国家としてのロシアのサバイバルがミッションのため、たとえ民権を制限しても国家の存続が優先されるべきだとする「国家主義者」であり。

そしてまた本人も、サバイバルを至上命題とする「サバイバリスト」である。「サバイバリスト」は、結果として生き残った「サバイバー」とは異なる概念だ。

多民族・多宗教国家のロシアはとかく遠心力が働きがちであり、「国民統合」を図るために、使える事例を恣意的にロシア史のなかから引っ張り出してくる「歴史家」である。かなりの読書家であり、とくに歴史関係の本をよく読んでいるらしいとのことだ。

モスクワに対してサンクトペテルブルク出身であり、KGBでも主流ではなく傍流、その他さまざまな意味でインサイダーでありながらも距離を置く「アウトサイダー」であった。

KGB将校としての「ケースオフィサー」としての職業訓練が第二の天性となっており、国内外で工作員として情報を引き出し、思うように人を動かす術を身につけている。相手の弱みを握って脅すという手法である。そのためなによりも情報を重視する。

共産党護持のためのKGB出身であっったが、ソ連崩壊を招いたのは共産主義にもとづく非効率的な経済運営であったとして、社会主義的計画経済は全否定する「自由主義経済主義者」である。この点はきわめて重要だろう。

これらの要素分析を踏まえて一言でまとめれば、目的達成のためには手段にはこだわない「現実主義者」だということになろう。イデオロギーで動く人間ではない。


■「自由経済主義者」としてのプーチンの基盤 

本書の記述で興味深いのは、情報機関KGBがソ連のなかではもっとも経済を重視した組織であったということだ。これが「自由経済主義者」としてのプーチンの基盤にある。 

のちにソ連共産党書記長となったアンドロポフが KGB長官時代に改革路線を実行1975年に「プーチンの世代」の人間が採用されたこと、レニングラード大学法学部卒業のプーチンKGB 職員時代採用後の1984年にKGBの教育機関「赤旗大学」の1年コースに参加、米国の経営学書『Strategic Planning and Policy』(1978年)のロシア語訳をつうじて「戦略思考」を学んでいると推測されることである(*)。 

(*)同書の日本語訳はない。タイトルをあえて訳せば『戦略計画と政策』となる。「計画経済」における「計画」と、自由主義経済における「戦略計画」の違いに留意。同書のロシア語訳は著者である William R. King と David I. Cleland 両氏に無断で行われたものと考えられる。なお、プーチンの博士論文でも無断引用されているようだ。


また、東ドイツのドレスデン駐在(1985~1990年)にベルリンの壁崩壊を経験し、末期状態のソ連に帰国したプーチンは、ペレストロイカ時代のソ連を知らないのである。この事実はきわめて重要だ。 

さらに、工作員としてドイツ語に堪能なプーチンだが、英語での直接コミュニケーションはできないという。この事実もまた重要だ。プーチンの直接的な西欧認識は英語と英米人を介したものではなく、ドイツ語とドイツ人を介してのものだということになる。 

ドイツから帰国後、KGB職員のままサンクトペテルブルク副市長として担当していたのは、外資誘致の許認可事業であった。こうしたキャリアをつうじて経済通となったのである。 


■「株式会社ロシアのCEO」として国家を統治するスタイル 

そんなプーチンが2000年に大統領に就任してから確立したのが、「株式会社ロシアのCEO」として国家を統治するスタイルである。この切り口がそのネーミングも含めて、ビジネスパーソンである私には興味深い。 

「主権国家」としてのロシアの生き残りとミッションとし、そのため「戦略」として主要産業のエネルギー産業(石油とガス)をコントロールして財政安定を実現する。

多民族国家で他宗教国家としてのロシアの国家統一を維持するため、「愛国主義」を求心力として活用し国民統合に注力する。 

そのために能力が高く、かつ忠誠心が高い少数の人物を信頼して任せる。その他の分野でも、少数のお気に入りの人間を信頼して任せ、要所要所を管理してグリップするスタイルである。 


(本書の中文版 英語版や日本語版とのイメージの違いが興味深い)

もちろん状況の変化に応じて、プーチン自身が前面に出て手動操作的に「戦術」面での微調整を行う国民の前に直接姿を現し、さまざまなパフォーマンスを行い対話するパフォーマンスを重視するのもそのためだ。これは企業経営のスタイルとよく似ている。 

いったん主要なポジションについた人間は、よほどのことがない限り、簡単にクビを切ったりはしない。逆にいえば、簡単に足抜けできない仕組みでもある。

きわめて属人性の強い仕組みであり、エリート層は利益を共有する運命共同体となる。 IMFショックの頃はやった表現をつかえば「クローニー・キャピタリズム」ともいうことになろう。

この仕組みで国家を運営することは、効率的で効果的だが、属人性が強いので制度的な脆弱性が存在する。いわゆる「余人をもって代えがたい」状況は、癒着を生み出す原因となるだけでなく、経営トップになにかあった場合は大きなリスク要因ともなりうる。 

企業経営においては株主によるチェックというガバナンスが働くが、大統領選挙という機会しかステークホールダーである国民によるチェックが働かない現在のロシアの制度には、欠陥があることは言うまでもない。 国家の運営は、企業の経営とはイコールではないのだ。もちろん、制度としての民主主義のない中国共産党よはマシであるが。

はたして、この仕組みがいつまで維持できるのか? もし維持できなくなったときプーチンは、そしてロシアはどうなるのか? ・・


500ページ超の内容を一言で要約するのはきわめて難しいが、急がば回れである。きわめて有用な内容が満載の書籍である。 現代ロシアの現在と行く末に関心のある人には、読むことを推奨したい。 


PS 共著者の1人のフィオナ・ヒル氏について

英国生まれで現在は米国籍。現代ロシア研究が専門で歴史学で博士号を取得、本書の出版後、米国家安全保障会議(NSC)元上級部長(ロシア・欧州担当)であった。

(プーチンの右隣が著者の1人であるフィオーナ・ヒル博士)

2019年には、トランプ前大統領の弾劾調査にかんして、米国議会で証人喚問に応じている。 いわゆる「リベラル・ホーク」として、プーチンのロシアには批判的だ。




目 次 

日本語版に寄せて フィオナ・ヒル/クリフォード・ガディ
第Ⅰ部 工作員、現わる 
 第1章 プーチンとは何者なのか? 
 第2章 ボリス・エリツィンと動乱時代 
 第3章 国家主義者 
 第4章 歴史家
 第5章 サバイバリスト
 第6章 アウトサイダー
 第7章 自由経済主義者
 第8章 ケース・オフィサー
 第9章 システム 
 補記 プーチンと博士号 
第Ⅱ部 工作員、始動
 第1章 ステークホルダーたちの反乱
 第2章 プーチンの世界
 第3章 プーチンの「アメリカ教育」
 第4章 ロシア、復活
 第5章 国外の工作員
 エピローグ 工作員の活動は続く 
謝辞
解説-『戦略家プーチンとどう向き合うか』(
ウラージミル・プーチン関連年表
注釈(抜粋)*詳細版なものは下記サイトにあるhttps://www.shinchosha.co.jp/images_v2/free_details/book/507011/Mr_Putin.pdf
参考文献・写真提供
索引


<関連サイト>



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・・「1960年にレニングラード音楽院(ソ連崩壊後の現在はサンクトペテルブルク音楽院)に留学していた17歳からの3年間の記録(・・中略・・)実際のソ連の現実はといえば、欠乏していたのは自由だけでなく、また物資も慢性的に欠乏していた。あこがれが実現したレニングラードの留学生活であったが、なかなか大変であったようだ」 
⇒ 前橋汀子氏は、1952年生まれで、レニングラードで育ったプーチンと同時代体験している。前橋氏のほうが9歳年上ということになる

・・この本の内容は『プーチンの世界』に多く負っている

・・ソ連(ロシア)と張り合ってきた英国情報部MI6


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2021年4月27日火曜日

「南部煎餅」をはじめて食べた(2021年4月27日)-堅焼きのピーナッツせんべいは東北の定番だった

 
はじめて食べた「南部煎餅」。岩手県産の堅焼きのピーナッツせんべい

クッキー風で腹持ちする。なるほど Wikipedia にあるとおり「非常食」だな、と。

千葉県人にとっては、ピーナッツといえば千葉県というのが常識だ。だが、自分のなかでこの「常識」が覆された。

石巻出身で仙台在住の友人によれば、東北人にとっては、子どもの頃から慣れ親しんだお菓子らしい。

「クルミゆべし」や「ずんだ餅」については、はじめて出張で仙台にいった20歳台のとき以来、ときおり見つけたら買って食べているが、南部煎餅については、いまのいままでまったく知らなかったのだ。

まこともって世界は広い。 まだまだ知らない世界がありそうだ。


  

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2021年4月26日月曜日

書評『江戸問答』(田中優子/松岡正剛、岩波新書、2021)ー「江戸文明」を「部分」の集合体ではなく「全体」として把握するために

 

「明治維新」からすでに150年以上たっている。言い換えれば「江戸時代」が終わってから150年以上立つことになる。

だが、1868年という時点ですっぱりと江戸時代が終わったわけではない。私見では、江戸時代的要素が最終的に消えていったのは1960年代だと考えている。

これからの日本をどうつくっていくか、日本人としてどう生きていくか、その構想や見解は無数に出ているものの、これだ! としっくりくるものがない。 

個々人としては手探りでも前に進まなくては生きていけないが、日本全体がどうあるべきか、どの方向に向かっていくべきか考えるためには過去にさかのぼって考えてみる必要がある。答えはつねに過去のなかに潜んでいるからだ。 

そのために必要なことは、なんといっても江戸時代をきちんと振り返って、なにが捨てられ、なにが継承されているのか見極めることだ。

「近代」は「前近代」の江戸時代から生み出されたものだからだ。いっけん断絶しているように見えて、かならずしもそうではない。 

『江戸問答』(田中優子/松岡正剛、岩波新書、2021)は、江戸時代を振り返るべきだという問題意識をもった2人による対話篇だ。「問答」無用ではない、「問答」有用である。

江戸時代がブームになって久しいが、江戸時代がすばらしいとしてもてはやされている現在の状況に問題がないとはいえないのだ。 

なにが問題かというと、「かけら」(=部分)にのみ焦点があたっているが、「全体」をみる視点がいちじるしく欠けているという点だ。「部分」をいくらよせ集めても「全体」にならないのである。 

これは「文化」と「文明」の違いにあてはめていいかもしれない。「江戸文化」について語られることが多いが、全体としての「江戸文明」を捉える試みは、それほど多くはない。本書でも取り上げられているが、すでに失われてしまった「江戸文明」を来日外国人の目をとおして復元を試みた『逝きし世の面影(日本近代素描1)』は例外的な試みである。

『江戸問答』は、そんな「江戸文明」を「全体」としてどう捉えたらいいのか、問いを中心にした「問答」である。問答をつうじて、あらたな発見があり、それがあらたな仮説につながっていく。 

田中優子氏と松岡正剛氏の「問答」は、前著の『日本問答』(田中優子/松岡正剛、岩波新書、2017)でも当然のことながら江戸時代についても行われているが、新刊ではより深く江戸時代そのものに迫っている。 

法政大学総長だった田中優子氏(任期は2014年4月から2021年3月末まで)の専門が江戸時代であるだけに、今回は松岡正剛氏が質問者あるいは挑発者の役割を演じている。あえて知らないふりをして、田中優子氏から大胆な仮説を引きだそうとする姿勢である。 

前著の『日本問答』もそうだったが、何度も読み返すに値する濃い内容の本だ。読み返すたびに、あらたな発見があることだろう。 

あらたな発見は、認識を深めることにつながる。再読する際になにをあらたに発見するか、いまから楽しみだ。 



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目 次
1 面影問答
2 浮世問答
3 サムライ問答
4 いき問答
あとがき1 新たな江戸文明の語り方へ(田中優子)
あとがき2 訂正と保留をこえて(松岡正剛) 

著者プロフィール

田中優子(たなか・ゆうこ)
法政大学社会学部教授などを経て法政大学総長(2021年3月末まで)。専門は日本近世文化・アジア比較文化。『江戸の想像力』で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』で芸術選奨文部科学大臣賞・サントリー学芸賞。著書多数。2005年度紫綬褒章。江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムから、現代の問題に言及することも多い。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

松岡正剛(まつおか・せいごう)
工作舎、東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授などを経て、現在、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。著書多数。2000年よりインターネット上でブックナビゲーションサイト「千夜千冊」を連載中。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





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2021年4月25日日曜日

ようやく「台湾パイナップル」を味わうことができた(2021年4月25日)-「意図せざる結果」を連発する、学習能力のない中国共産党に感謝(笑)

 
  
話題になっているからかもしれないが、なかなか目にすることはなかった。以前から台湾パイナップルを調達していたスーパーの西友にはあるという話を聞いていたが、いつも入荷しているわけでもなさそうだ。

実際に味わってみたいものだと思いながら、はや1ヶ月もたとうとしているなか、近所の食品スーパーで発見! 

台湾パイナップルのコーナーが設置されている。次はいつ入荷するかわからないので、1玉700円超とけっして安くはないが、迷わず購入。 


ふだん目にするフィリピン産のパイナップルと違って、果実の先端にあるトサカというかヘタというか、その部分がやけに小さい。これが台湾パイナップルの特色だろうか?

表皮が黄色くなっていたら食べ頃だという。


切ったら真っ黄色! たしかに芯まで黄色い。


食べたら甘い! たしかに、芯まで食べられる! 


とはいえ、芯まで食べられるが、もちろん芯より外皮に近い方が甘いあまいは、うまい。濃厚で甘過ぎる。極甘だね。 

中国共産党のおかげで台湾パイナップルを食べる機会に恵まれた。「意図せざる結果」を連発する、学習能力のない中国共産党に感謝(笑)ほんとアホやな、中共は(笑) 

日本の消費者は、台湾パイナップルに目覚めてしまったのだ。




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2021年4月24日土曜日

「特集展示 海の帝国琉球 ー 八重山・宮古・奄美からみた中世」(国立歴史民俗博物館)に行ってきた(2021年4月24日)ー ひさびさに佐倉城址にある国立歴史民俗博物館と城下町佐倉を散策

 
久しぶりに国立歴史民俗博物館に行ってきた。5年ぶりくらいか? 

国立歴史民俗博物館は千葉県佐倉市にある。京成電鉄の京成佐倉駅から歩いて15分ほど。船橋市の隣が八千代市、その隣が佐倉市なので千葉県内移動である。佐倉市は「マンボウ」(=まん延防止等重点措置)の適用外だ。 

まずは観光案内所で無料の「観光地図」をもらう。これは観光目的での来訪では基本動作ともいうべき常識だ。城下町佐倉は観光地でもある。スマホの地図アプリは、あくまでも補助手段である。全体像を捉えるには観光地図が適している。

朝イチで出発したので、歴博に到着した時点ではまだ9時半の開館前だった。つまり本日の一番乗りとなったわけだ。

だが、コロナのせいで入館記録を紙に書いて提出というのが面倒だったな。 デジタル対応できないものかねえ。


■「特集展示 海の帝国琉球-八重山・宮古・奄美からみた中世-」

今回の来訪の最大目的は、「特集展示 海の帝国琉球-八重山・宮古・奄美からみた中世-」(国立歴史民俗博物館)を参観することにあった。展示期間は、2021年3月16日から5月9日まで。

国立歴史民俗博物館のウェブサイトから特集展示の紹介文を引用しておこう。

早くも14世紀代から東アジア海域世界では活発な交易がおこなわれていました。その中心となったのが海洋国家・琉球です。
琉球王国の輝ける時代は、これまでもしばしば紹介されてきました。ただ、琉球はその活動の過程で、言語も習俗も異なる周辺の島々、八重山・宮古・奄美に侵攻し、それぞれの社会を大きく変化させたこと、このことで現在の日本国の国境が定まっていることは、あまり知られていません。
文献資料がほとんど残っていないこれらの地域の歴史は、琉球王国によって作られた歴史書をもとに語られてきました。しかし島々を歩くと、ジャングルの中には当時の村が遺跡として眠っており、そこからは大量の陶磁器が発見されます。琉球王国とは別の世界が、そこには確かにあったのです。
これまでほとんど注目されてこなかった琉球の帝国的側面に視点を据え、八重山・宮古や奄美といった周辺地域から琉球を捉え直します。国立歴史民俗博物館では、2015年からこうした共同研究を実施してきました。この展示は、その成果を公開するものです。たくさんの青磁や白磁、国宝の文書や重要文化財の梵鐘、屏風や絵図など400点を超える資料から、新たな歴史像を示します。(*太字ゴチックは引用者=さとう)


江戸時代に入った「近世」の17世紀以降は、薩摩藩の実質的支配下「琉球王国」だが、それ以前には周辺の島々を侵略して支配下に置いた「帝国」的存在でもあった。 

沖縄本島の支配下に入る前には、独自の文化と歴史をもっていた島々を、文字資料として残されていない、出土品などの考古学の対象であるモノを中心にたどる試みが興味深い。 

(パンフレットより)

とはいえ、私にはとっての最大の関心は、中国の朝貢国としての琉球王国にある。展示の「Ⅵ 中国と日本のはざまで」である。

(同上)

その意味では、なんといっても、「康煕帝賜琉球国王尚貞勅諭写」(宮内庁書陵部蔵)がたいへん興味深いものであった。まさに逸品である。こんな機会でもなければ実際に目にすることはなかなかないだろう。

康煕28年(1690年)10月10日付けの文書である。清朝の康煕帝が、琉球王国の中山王尚貞の朝貢を褒めた返答の勅諭文書の巻物。琉球王国は、明清交代後も清朝から冊封され、明治維新政府による琉球処分(1879年)まで続いていたのである。

(画像を左に回転 上半文が巻物の右側、下半分が巻物の左側)

画像では小さすぎてわかりにくいが、文書の右半分は漢文、左半分はおなじ内容が満文で記されている。縦書きである。

満文とは満洲語の文章のことだ。満洲語は、清朝の満洲族(=女真族)の母語である。モンゴル語と似た文字である。

原本の精密な複製が江戸幕府の書庫である「紅葉山文庫」に収められ、現在は宮内庁書陵部に所蔵されているという。

それにしても原本を細部に至るまで正確に復元したその手際の良さにも感嘆する。漢文は言うまでもないが、満文を理解できる担当者が朝貢関係にあった琉球王国にいたことを示している。おそらく久米村(くめそん)に定住した福建省の人間だろうが、そこらへんはもっと知りたいところだ。

将軍吉宗(在職期間:1716年~1745)も閲覧していることが記録に残されているという。吉宗はこの文書を実見した際、満洲語の文字を見て、清帝国が漢民族王朝ではないことを実感したことであろうと想像してみる。


■「民俗」の展示室の「アイヌ文化へのまなざし」という特集展示



スコットランド出身の医師ニール・ゴードン・マンロー(1863~1942)がアイヌ研究の過程で作成した写真資料やクマの魂を神の国に送る儀式(イヨマンテ)の映像を中心に」した展示である。モノクロ映像に残されたイヨマンテが興味深い。

それにしてもマンローという人物についてはまったく知らなかったが、そんな奇特な人がいたのだなあ。1930年以降は、研究活動の拠点を北海道の二風谷(にぶたに)に移して、医療活動を続けながらアイヌ文化を参与観察によって研究したらしい。晩年は日本国籍を取得したとのことだ。

この展示を目的に来訪したわけではないが、奇しくもこの時点の歴史民俗博物館は、日本列島の南北を展示していることになっていたわけだ。


■リニューアル後の「第1展示室」の「先史・古代」

さて、歴史民俗博物館にはひさびさの来訪だが、「第1展示室」の「先史・古代」が36年ぶりにリニューアルされたとのことで、ひじょうに新鮮に感じられた。 

それ以外の展示は大きな変化はないので、いちおうざっと見ることにとどめておいたが、それでも博物館には3時間も滞在してしまった。全部細かくみようと思ったら半日は覚悟したほうがいいだろう。 

歴博の楽しみはもう1つある。ミュージアムショップで全国の博物館の常設展示や特別展示のカタログを購入することができることだ。 5年ぶりくらいなので、存在すら知らなかったカタログも多い。今回は、そのなかから5冊を購入。博物館カタログは貴重な資料である。 


■城下町佐倉は「マンボウ」適用外(2021年4月24日現在)

歴博は、佐倉城址にある。江戸時代は佐倉藩の城下町であった。明治時代になってからは佐倉連隊の駐屯地、その後は歴博のほか、佐倉城址公園として一般市民に公開されている。 

ちなみに江戸時代になってからできた佐倉城は石垣のない城で、天守閣は現存しない。城好きにとっては視野の外かもしれない。 

とはいえ、城下町佐倉は武家屋敷が残っていて、けっこう風情がある。以前に散策したことがあるが今回は省略した。 

麻賀多神社には、ひさびさにお参りしてきた。麻賀多(まかた)とは珍しい名称だが、千葉県の佐倉市から成田市にかけての地域にだけ分布している神社である。佐倉市内の麻賀多神社は、佐倉藩総鎮守とされてきた。 

(麻賀多神社 筆者撮影)

というわけで、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)下での3度目の「非常事態宣言」の発令前日に小旅行を実施したわけだが、千葉県佐倉市は「マンボウ」すら適用外なので、ぜんぜん関係ないんだけどね(笑) 

(八千代市の右隣が佐倉市 画像は千葉日報の記事よりスクショ)

したがって、歴博(=国立歴史民俗博物館)も入場制限などないと思うので、事前にウェブサイトで確認したうえで連休中には佐倉を訪れてみたらよろしいでしょう。 




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