(経済産業省の資料より)
大学における英語教育をめぐって、自民党が打ち出してきた政策がさまざまな波紋を生み出しているようだ。
そんななか、こんな記事があるのをみつけた。
「英語プアの日本人は、ますます下流化する-安倍政権の英語政策にモノ申す」
タイトルは編集部がつけたのでキャッチーだが、内容もそれにおとらず飛躍した論理に満ち満ちたものであった。記事の最後のほうにこのような一節があったので引用しておこう。
私が驚いたのは、2カ月ほど前、「大学入試にTOEFL導入へ」のニュースが流れたとき、NHKの「ニュースWEB」でコメンテーターの古市憲寿氏が、こう言ったことだ。「英語がしゃべるようになってもバカはバカなまま。結局、英語がしゃべれるバカが増えるだけではないですか」。私は、耳を疑った。なぜ彼のような20代後半の若い世代、しかも気鋭の社会学者がこんな考え方をしているのだろうか?・・(後略)・・ 。
「古市憲寿氏のコメントに驚く」というコメントに、わたしはさらに驚いた(笑) こういう考えの人間がいることはわかるが、あまりもおかしな意見なので、正直あきれかえってしまう。
近来まれにみる愚論である。
「グローバル化という見えない恐怖」におののく日本人がまた一人ここにいるのではないか?
原発事故で「放射能という見えない恐怖」におびえて職場放棄し、海外逃亡した人間と同じではないか?
一言でいえば、
日本人特有の「不安」とそれに対する
「過剰反応」である。そしてその背後にあるのは、本人も意識していないかもしれない
「英語至上主義」というイデオロギーである。
■
「第三次グローバリゼーション」もいずれ終息に向かう
英語はできればいいにこしたことはないが、そもそも、
すべての日本国民が英語ができる必要はない。日本国民全体で3割もいれば御の字だろう。
現在でも日本国民の7割近く(・・データによる裏付けはないが実感に基づく推計)は英語とは無縁の人生を送っているはずだからだ。
日本のGDPに占める輸出比率は、2割をきっている。2000年代後半に15%を越えたが、それまではずっと15%以下である。そもそも日本は、
韓国や中国とはまったく異なる「内需中心」の経済構造なのだ。
グローバル化が右肩上がりで際限なく進展するという幻想に過ぎない。
現在のグローバル化は第三次だが、第一次(=大航海時代)、第二次(=産業革命と帝国主義の時代)のいずれも、グローバリゼーションは右肩上がりで進展したのではない。
しかも、今回の第三次は冷戦崩壊後のものだが、
すでに資本主義にとってのフロンティア消失が視野に入ってきており、すでにピークアウトしていると見るのが穏当である。
「近代」は終わり、現在はつぎの時代に移行するまでの、比較的長い移行期にあるのである。
この事実に気付くには、まだ10年から20年はかかるかもしれないが。
■
国内市場のちいさい小国と人口大国のサバイバルはまったく異なる
よく引き合いにだされるフ
ィンランドだが、人口が500万人しかいないような小国であれば、海外で稼ぐことは必須である。
しかし、
そのフィンランドでも近年は国内での技能職を選ぶ生徒が増えているという。そのほうが
食える可能性が高いからだ。
人口減少が叫ばれる日本だが、なんと1.2億人(!)もいる人口大国である。小国と同列で論じるのはナンセンスとしかいいようがない。これから
50年たっても、まだ9千万人(!)もいるのである。
1945年(昭和20年)に敗戦し、その後
5年間にわたってアメリカに占領された日本だが、その5年間のあいだに日本人は英語をしゃべるようになったか?
不幸なことにアメリカによる軍政が28年間に及んだが沖縄だが、その間にすべての沖縄県民が英語をしゃべるようになったか?
答えは言うまでもないことだ。日本は占領されたが、間接統治によって占領政策は遂行された。沖縄の場合も琉球政府をつうじた間接統治であった。
かつてアメリカや英国の植民地であったフィリピンでもインドでも、すべての人間が英語ができるわけではない。そんなことは、じっさいにフィリピンやインドにいってみればすぐにわかることだ。
インドやフィリピンにおいてすら、英語ができるのは一握りの大学卒業者だけであり、一般庶民は必要があれば、外国人相手の商売で片言のピジン・イングリッシュをつかうのみである。
つまり
食うための必要があれば、人間というものは片言であれ英語をあやつるのである。ただそれだけのことなのである。
■個人レベルで考えれば得意分野やつよみに時間とカネをかけるべき
語学の天才でない限り、英語ができるようになるには、そうとうの時間とカネと忍耐が必要だ。
日本語と英語は根本的に構造が異なる言語だからだ。
個人レベルにおいても、
限られた時間とカネをなにに投入すればもっとも大きな成果がでるかという発想にたつべきではないか? 要は
「資源配分」の問題だ。
個人ベースで考えれば、
「強み」は徹底的に活かし、「弱み」はそのままほっておくのがただしい生き方だ。
英語ができてもサッカーが下手なら、ワールドカップには出場できないではないか(笑) 語学の勉強は、海外チームに移籍してからでも遅くない。そのときはサバイバルのために死に物狂いで勉強することになるだけの話だ。
しかも、移籍先がドイツならドイツ語、イタリアならイタリア語となる。かならずしも英語ではない。
そう考えると、英語が好きでもなく、不得意なのに勉強を強いられる多くの日本人生徒が、ほんとうにかわいそうだ。心の底からそう思う。
「強み」をもっと活かして職業選択を行えば、たとえ年収は低いとしても、自信をもって自分の人生を生きていけるのに・・・。
■
グローバルエリート、グローバルリーダーは徹底的に英語をしごき抜くべし
日本が弱肉強食の国際社会でサバイバルしていくためには、グローバルエリートやグローバルリーダーは徹底的にしごき抜いて英語の訓練をしなければならない。
先日、ネットで世界的に炎上した
日本の国連人権大使のような外務官僚はエリートとはいえない。元駐オーストラリア全権大使とは思えない中途半端な英語で、「笑うな!シャラップ!」と、下品な英語で叫んだ外務官僚である。まことにもって日本人として恥ずかしい限りだ。こういうのを国辱という。
公式ボール改造の事実を選手に隠ぺいしつづけたプロ野球問題。
コミッショナーも元駐米大使を経験した小役人である。このケースは英語の問題ではないが、みずからボールにサインしておきながら、知らなかったとシラを切るていたらく。こんな人物が日本を代表してアメリカで外交活動をしていたのである。考えるだに恐ろしい。
いずれも
日本の国益を大きく毀損(きそん)する、救いようのない愚か者たちである。日本の命運にかかわってくる重大問題である。これがいわゆる「グローバルエリート」の実態だ。情けない。
英語ができればすばらしい人だという幻想は捨て去るべきだろう。
「エリート」の立場にある人は徹底的に英語をしごいて特訓しなおさなければならないのである。
■
大学入試のTOEFL一律導入はナンセンス
繰り返すが、すべての日本国民が英語ができる必要はない。必要なら尻に火がついてから猛勉強すればいい。
日本国内にいる限り、英語をつかう必要がほとんどないのである。必要なら自分で自主的にやるじはずだ。日本のマンガやアニメのセリフを読みたいから日本語を勉強するフランス人のように。
もちろん、英語を勉強するなといいたいわけではない。しかし、必要もないのにムダな時間とカネを費やすのはいかがなものかと思うのだ。
わたしは、
大学入試のTOEFL一律導入は断固反対である。あまりにもナンセンスな話だからだ。
大量生産方式の人材育成を前提にした政策だからだ。
実際問題として大学にいっても就職先がない(!)という事態も中位校以下では発生しており、大学進学の意味さえ不明になっているのが現状だ。
■英語は高校では「選択制」にすべし
高校以上は、英語は選択制にすべきである。義務教育の中学レベルの英語だけ完全に身に着けていれば、日常会話などたいていのことは足りるのである。いやむしろ、中学英語を徹底的に訓練したほうが、たいていの日本人にとっては武器になる。
近隣諸国との関係を考えれば、
英語オンリーではなく中国語や韓国語を学習すべきである。これは
選択制として高校から始めるべきだ。
大陸の中国語は簡体字とはいえ、すでに習ったはずの漢字を応用できるし、台湾や香港であれば日本では旧字体とよばれる正字体である。
韓国語の場合は、日本語と文法構造がきわめて近いし、しかも漢字語という共通語彙(ボキャブラリー)があるので、その点にかんしていえば英語を勉強するより日本語人には容易だろう。
日本に留学してくる中国人の多くが、東北地方(旧満州)出身の朝鮮族であること、韓国の大学入試では日本語選択が多いことを考えてみればいい。漢字のわかる韓国語使用者にとって、日本語は楽勝なのだ。ある程度まで、逆もまた真なりといえるだろう。
技能職への誘導をはかることも望ましい。つまり、高校卒業後は専門学校で
手に職をつけたほうが、就職先のない大学進学よりも意味があるのではないかということだ。
生きるとはまずは食うことであり、そのためには稼がなければならない。
そのために必要なことは、
日本語をキチンと身につけ、日本人として恥ずかしくない振る舞いを身につけることだ。それが
ふつうの日本人が日本で生きていくためのチカラの源泉になる。
■
一人ひとりにキチンと向き合う教育が必要だ
いま小学校で英語教育が義務化されようとしているが、ますます英語嫌いを増やすだけのような気がする。
英語が苦手な生徒にまで英語学習を強要するのは、人的資源の無駄遣いだ。
得意分野や強みを活かせと、ビジネス界ではさんざん言っているくせに・・・
生徒の一人一人と向き合って、将来の夢の実現にとって英語を勉強することが意味があるかないかを、納得させてあげることも必要だろう。
いまの日本の教育に欠けているのは、この
「一人ひとりとキチンと向き合う」という姿勢である。
大量生産方式の人材育成を前提にした教育改革は百害あって一利なし、だ。
日本人はもっと自らを見つめて、もっとも自分に適した生き方を選択すべきなのだ。
<関連サイト>
若き日本人が語る古き良き日本論【1】 ナショナリズムは人間の常識(TOKYO MX * 西部邁ゼミナール ~戦後タブーをけっとばせ~ 2013年6月1日)
・・同じテーマをナショナリズムjという側面から論じた番組
大研究 なぜ日本の企業はこんな採用をしているのか ユニクロ・楽天・グーグルほか 急増中!「英語ができて、仕事ができない」若手社員たち(「週刊現代」 2013年04月30日)
・・「就活が本格化すると、こぞってTOEICの教材を買い込む学生たち。日本の歴史や文化をよく知らないまま、英語ができるだけの「グローバル人材」となった若者たちに、仕事ができるわけはない」。
★学術研究の観点からの強力な助っ人が出現!
「日本人の英語学習熱は非常に高い」? 「日本人と英語」にまつわる誤解を解き明かす 『「日本人と英語」の社会学』 寺沢拓敬氏インタビュー (WEDGE、2015年4月17日)
「日本は英語化している」は本当か?-日本人の1割も英語を必要としていない (寺沢拓敬 / 言語社会学、SYNODOS、2014年8月21日)
・・きわめて心強い援軍が現れた! この記事の筆者の研究成果が、
『「日本人と英語」の社会学-−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか-』(寺沢拓敬、研究社、2015)として出版されている。
(2015年7月8日、2016年10月17日 情報追加)
<ブログ内関連記事>
■
外国語の学習について
福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!
・・「あるいは書生が「日本の言語は不便利にして文章も演説もできぬゆえ、英語を使い英文を用うる」なぞと、
取るにも足らぬ馬鹿をいう者あり。按ずるにこの書生は日本に生まれて未だ十分に日本語を用いたることなき男ならん。国の言葉はその国に事物の繁多なる割合に従いて次第に増加し、毫も不自由なきはずのものなり。
なにはさておき今の日本人は今の日本語を巧みに用いて弁舌の上達せんことを勉むべきなり」(十七編 人望論)
<現代語訳>
「あるいは学生が「日本語は不便利で演説もできないので、英語をつかって英文を用いる」などと、
取るにも足らない馬鹿なことをいう者がいる。思うにこの学生は、日本に生まれたのにもかかわらず、いまだ十分に日本語をもちいたことがないのだろう。一国のコトバは、その国の事物が複雑になってくれば、その割合にしたがってボキャブラブラリーが増えてなんでも言い表せるようになってくるものであり、まったく不自由であるわけがない。
なにはさておき、いまの日本人は日本語をつかってコミュニケーションの上達につとめるべきだ」(私訳)
英語よりも日本語がまず先決だ!と、かの
英語名人の福澤諭吉でさえ 140年前にこのように説いているのである。心して読むべし!!
『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・「ところで余談だが、わたしの祖父は、大正時代の "忘れられた戦争" である「シベリア出兵」に陸軍兵士として出征している。人を撃つのはイヤなので、
志願して通信兵になったと聞いたことがある。敵として対面していたのは革命政権側のパルチザン部隊。
敵の通信傍受がその基本任務であったようだ。
そのために軍隊内の教育でロシア語を猛勉強したといっていたが、暗号解読についての話は聞きそびれたのでわからない」
⇒
必要に迫られれば、尋常小学校卒の学歴の一兵卒でも、ロシア語すら習得可能なのだ。
語学は必要性がなければ勉強しないものだ。
書評 『日本語は亡びない』(金谷武洋、ちくま新書、2010)-圧倒的多数の日本人にとって「日本語が亡びる」などという発想はまったく無縁
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英語圏のアングロサクソン思想に巣食う鬼子
『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる ・・アングロサクソンの英語圏に特有の偏頗な思想について
映画 『ザ・コーヴ』(The Cove)を見てきた
・・アングロサクソンの英語圏に特有の偏頗な思想について
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グローバリゼーションの意味を見誤るな!
書評 『英語だけできる残念な人々-日本人だけが知らない「世界基準」の仕事術-』(宋文洲、中経出版、2013)-英語はできたほうがいいが、英語ができればいいというものではない
書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない
「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する
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人材育成との関連で
書評 『失われた場を探して-ロストジェネレーションの社会学-』(メアリー・ブリントン、池村千秋訳、NTT出版、2008)
書評 『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ-』(廉 思=編、関根 謙=監訳、 勉誠出版、2010)-「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論
フィンランドのいまを 『エクセレント フィンランド シス』で知る-「小国」フィンランドは日本のモデルとなりうるか?
書評 『韓国のグローバル人材育成力-超競争社会の真実-』(岩渕秀樹、講談社現代新書、2013)-キャチアップ型人材育成が中心の韓国は「反面教師」として捉えるべきだ
「沖縄復帰」から40年-『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一、集英社、2008)を読むべし!
「JICA横浜 海外移住資料館」は、いまだ書かれざる「日本民族史」の一端を知るために絶対に行くべきミュージアムだ!
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