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2011年1月31日月曜日

書評 『脳の可塑性と記憶』(塚原仲晃、岩波現代文庫、2010 単行本初版 1985)-短いが簡潔にまとめられた「記憶と学習」にかんする平易な解説


「脳の可塑性」って? 短いが簡潔にまとめられた「記憶と学習」にかんする平易な解説

「脳の可塑性」ってなに? 「可塑性」ってどう読むの? 

こんなことで本書が敬遠されてしまったのでは、あまりにもったいない。

「可塑性」は「かそせい」と読むのだが、簡単に言ってしまえ「変形しやすさ」ということだ。

「記憶と学習」においては、脳神経のシナプスの活動状態などによってシナプスの伝達効率が変化する。いやいや、これじゃまだ難しすぎるな・・(苦笑)  

「脳の可塑性」は、より正確には「脳の神経可塑性」ともいうが、脳科学で「記憶」について考える際にはきわめて重要な概念なのだ。

本書は、短いが簡潔にまとめられた「記憶と学習」にかんするわかりやすい解説書である。

コンピュータの記憶(メモリー)と人間の脳の記憶(メモリー)の違いについて、脳科学の成果をもとに詳述した警告書『ネット・バカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』(ニコラス・カー、篠儀直子訳、青土社、2010)が話題になっているが、ここでも「脳の神経可塑性」という概念がきわめて重要な意味をもっている。

本書『脳の可塑性と記憶』は、「脳の可塑性」にかんしては、最初から日本語で書かれた一般向けの本なので、翻訳本よりははるかに読みやすい。最先端を走っていた研究者が、学問的水準を落とすことなく本質的なことを、平易なコトバと豊富な図表で語っている。

私自身もそうだが、脳科学の専門家ではない一般人が脳科学に関心があるのは、なんとかして記憶力を増強したいという切実な思いからだろう。

このテーマにかんしては大脳の海馬に焦点をあてた『記憶力を強くする-最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方-』(池谷裕二、講談社ブルーバックス、2001)があるが、専門用語を極力使用しないで一般向けに書かれた本なので、やや物足りないものを感じる読者がいるかもしれない。そういう人はぜひ本書を手にとってもらうのがいいと思う。

著者は、まことにもって不幸なことに、いまから25年前の御巣高山の日航機事故で亡くなっている。そのため本書も一部は未完成のまま残されているのだが、解説によれば、残念ながら「脳の可塑性と記憶」の分野の解明は、その後もあまり進展していないらしいだから、内容的には陳腐化していないようだ。

その意味でも、本書は知的な関心の高い一般人が読める、「記憶と学習」にかんするすぐれた一般書である。敬遠することなくぜひ手にとってほしい一冊である。


<初出情報>

■bk1書評「「脳の可塑性」って? 短いが簡潔にまとめられた「記憶と学習」にかんする平易な解説」投稿掲載(2011年1月19日)





目 次

読者の方へ(伊藤正男)
第1章 脳の可塑性とはなにか
第2章 記憶の座をもとめて
第3章 神経回路はどのようにしてつくられるか
第4章 記憶の分子説とシナプス説
第5章 感覚・運動回路の可塑性
第6章 動物の記憶とヒトの記憶
第7章 三つの記憶システム
付録 脳科学の展開
参考文献
友を偲びつつ(久保田競)
あとがき(村上富士夫・小田洋一)
解説(村上富士夫)



著者プロフィール

塚原仲晃(つかはら・なかあきら)

1933~1985年。1958年東京大学医学部医学科卒業。1963年同大学院修了。医学博士を授与される。同年、東京大学医学部助手。1965年から1968年まで米国に留学。1970年、大阪大学基礎工学部教授に就任。1977年から1985年まで岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授を併任。1982年から183年、米国ロックフェラー大学客員教授を務める。1985年8月12日夜、日航ジャンボ機123便に乗り合わせ、御巣鷹山にて逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

人間の「3つの記憶システム」、とくに3番目の記憶システムである「文字による記憶」について

「第7章 三つの記憶システム」でいう「3つの記憶システム」とは何か。重要なことなのであえてここに書いておこう。列挙すると以下のとおり。

 ① DNAの記憶
 ② 脳の記憶
 ③ 第3の記憶系としての文字(外部記憶)


①と②が人間以外の生物も共有する記憶システムであるとすれば、③はきわめて重要な発明である。②においてもコトバを獲得した人間とそれ以外の生物との隔たりはきわめて大きなものとなっている。

③の文字は、コトバを獲得し脳が進化発達したヒトがさらに次の段階に進んだものである。文字による「記憶」は「記録」といったほうが適当だろうが、人間における「記憶システム」の一環と考えると見えてくるものが多い。

人間は文字を獲得し、脳内記憶情報を文字という形で羊皮紙や紙に「記録」することによって、一切合切すべてをアタマのなかに記憶する必要はなくなった。この意味で「文字による記録」は、人間の脳にとっては「外部記憶装置」としての位置づけになる。

文字発明以前は、「記録」はすべて「記憶」という形で、口伝えで記憶されてたことは、『イリアス』や『オデュセイア』の作者とされる古代ギリシアの吟遊詩人ホメロスや、アイヌの『ユーカラ』、『古事記』のもととなる神話や伝承を記憶させられていた 稗田阿礼(ひえだのあれ)といった語り部の存在が端的に示している。

文字の発明以前は、「記録」はすなわち「記憶」であった。

現在のコンピュータも、人間の脳からみれば「外部記憶装置」である。その意味では、コンピュータ以前と以後の変化よりも、人間が文字を獲得した以前と以後の進化のほうがはるかにインパクトがあったと考えていいかもしれない。コンピュータは文字の延長線上にある。

文字で記した「記録」が「歴史」と呼ばれることとなり、口承で伝承された「記憶」は「物語」と一般には理解されている。しかし、もともとは「記録」は「記憶」であり、「歴史」も「物語」である。

「記録」は手で書いたにせよ、キーボードで打ち込んだものにせよ、人間の生身の身体が介在して生まれたものだが、いったん人間から離れて存在するものだ。いったん人間から離れた文字は、五感の豊穣さを失った、やせ細った情報として固定される。

一方、「記憶」は人間の脳内に存在するもので、その個体としての人間が死ねば(=脳死すれば)、脳の死とともにその持ち主の「記憶」も死ぬ。人間を人間たらしめているものが長期記憶である「エピソード記憶」である以上、「記憶」が個別性、身体性をつよく帯びた存在であるのはそのためだ。

「記録」は「記憶」に対して客観性が高いと一般には思われがちだが、かならずしもそうとは言いきれない。

「記録」されたものは、事実と感想が混同しているのが普通であり、その内容についてはきわめて主観的と」いわざるをえないだろう。また、脳内記憶をそのままイメージ情報として取り出すことは不可能に近い。そもそも文字と画像では情報量そのものが桁違いに違う。

「記録」は「記憶」であり、「歴史」も「物語」である、といったのはそういう意味だ。この両者の関係は明確なようで、実はきわめてあいまいである。

日本語では歴史と物語を区分して考えるのが普通であるのは、日本語の「歴史」は、中国的な編年体の歴史感覚をそのまま継承しているためだろう。また英語では history と story をコトバとしては区分して、意味も分節化している。

だが、この history という英語自体 story というコトバを内包しているし、英語以外の西洋語では histoire(フランス語)、Geschichite(ドイツ語)に代表されるように、コトバの形としては区分していない。

「3つの記憶システム」という観点から考えると、そうであっても不思議でないことがわかるだろう。

「記録」は「記憶」であり、「歴史」は「物語」である。これが本来の姿なのである。



<関連サイト>

視力を失うと触覚や聴覚が発達する不思議-自身も右目を失明したオリヴァー・サックス医師が語る、人間の脳の驚くべき能力(ダイヤモンドオンライン 2011年12月29日)
・・知覚器官の代替作用における脳の可塑性について


<ブログ内関連記事>

書評 『脳を知りたい!』(野村 進、講談社文庫、2010 単行本初版 2000)
・・脳科学の専門家ではないジャーナリストが脳科学者たちに徹底的にインタニューシテまとめた脳科学の入門。トピックで語る脳科学

書評 『ネット・バカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』(ニコラス・カー、篠儀直子訳、青土社、2010)
・・コンピュータの記憶(メモリー)と人間の記憶(メモリー)は似て非なるものだ。何がどう違うのか西洋文明史の枠組みのなかで考える

「場所の記憶」-特定の場所や特定の時間と結びついた自分史としての「エピソード記憶」について

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)
・・なぜ生身の人間であるソムリエがなぜ必要なのか、なぜコンピューターではダメなのか?

JALの「法的整理」について考えるために
・・JAL123便墜落事故についても言及






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2011年1月29日土曜日

「ミラーの法則」-管理限界についての「マジック・ナンバー7」


いまから25年くらいむかしのことだ。人事管理関係の仕事からキャリアをはじめた私は、その当時の上司から教えてもらった話で、非常に強く記憶に刻まれた話がある。

「1人の人間が管理できる上限は7人」、というものだ。

この話は、マネージャーとして部下の管理にたずさわわったことのある人は一度は聞いたことがあるはずだろう。そのとき「スパン・オブ・コントロール」という表現も耳にしていると思う。英語で書けば span of control となる。

根拠がなにかわからないが、いかにも当てはまりそうな話として聞かされたことのある人は多いのではないかと思う。

数字の 7といえば、1週間は7日だし、ラッキー7 という表現もある。たしかに 7人くらいまでなら、とくに管理しなくても把握できそうな人数だな、と。

実は、この話には根拠がある。この話の根拠は「ミラーの法則」という。

ビジネスの世界では「何々の法則」というのはたくさんあって、たとえば「ピーターの法則」や「パーキンソンの法則」、ビジネス以外の世界でもよく知られた「マーフィーの法則」などがあるが、「ミラーの法則」は、認知心理学の法則だ。


「ミラーの法則」と「マジカルナンバー 7」

「ミラーの法則」は「マジカルナンバー 7」といいかえてもいいだろう。

「ミラーの法則」といっても、鏡のミラーではない。ファミリー・ネームのミラー(Miller)だ。この法則を発見した米国の心理学者ジョージ・ミラー(George Armitage Miller)にちなむものである。

ジョージ・ミラーは wikipedia の記述によれば以下のような略歴である。

ジョージ・ミラー(George Armitage Miller 1920年 - )は、アメリカ合衆国の心理学者。プリンストン大学教授。ロックフェラー大学、マサチューセッツ工科大学、ハーヴァード大学の教授だったこともあり、オックスフォード大学ではフェローとして研究し、アメリカ心理学会の会長だったこともあった。
短期記憶の容量が7±2であることを発見した。この研究は認知心理学の先駆けとなった。ユージン・ギャランター、カール・プリブラムとの共著「プランと行動の構造」は認知心理学の誕生を告げるマニフェストとも言われる。
また、概念辞書の先駆けであるWordNetプロジェクトを主導したことによって、言語学、計算言語学、自然言語処理、オントロジーなどの分野でも著名である。
1991年には、アメリカ国家科学賞を授与している。

さらに「マジカルナンバー7」については次のように説明されている。

「マジカルナンバー7±2」という論文の中で、一度聞いただけで直後に再生するような場合、日常的なことを対象にする限り記憶容量は 7個前後になるということを示した。この7個というのは情報量ではなく意味を持った「かたまり(チャンク)」の数のことで、数字のような情報量的に小さなものも、人の名前のように情報量的に大きな物も同じ程度、7個(個人差により+-2)しか覚えられないということを発表した。

脳科学の立場からは、たとえば、『記憶力を強くする-最新脳科学が語る記憶の仕組みと鍛え方-』(池谷裕二、講談社ブルーバックス、2001)という本では、「短期記憶」には個人差はないことが説明されている。曜日は七つ、ドレミの音階は7つ、であるように、人間のワーキングメモリー限界は7桁、であると。


古代以来、人間が「7」という数字を神聖視してきたのは・・

『数の神秘』(フランツ・カール・エンドレス、アンネマリー・シンメル編、畔上司訳、現代出版、1986)という本では、「数字の 7」は「知恵の数」とされている。

7は古来、人間を魅了し続けてきた。7は創造の三原則(=能動的意識、受動的無意識、その両者があいまって作用する秩序力)と、元素から構成される物質・感性力の4つ(=知性に相当する空気、意思に相当する火、
感情に相当する水、道徳に相当する地の和である。このように7を精神界の3と物質界の4に分解する方法は、ほかにいくつかの解釈があるが、これが中世大学の自由7科を3科と4科に分ける基礎となったことは間違いない・・・(後略)・・(P.108)

7は古代中国でも、古代バビロンでも、古代ユダヤ教でも、古代ギリシアでも、イスラーム世界でも、いずれも古代以来きわめて重要な意味をもつ数字であった。

これも、人間の認知限界が 7 であることと関係があることは間違いないだろう。そうでなければ 1週間が7日である理由も音階が7つである理由もわからない。7を聖数として特別扱いする理由は後付けのものと考えるのが自然である。


50人程度の組織が管理しやすい理由(わけ)

「ミラーの法則」を人的マネジメントに応用すれば限界は平均7人。±2のレンジがあるから、ミニマムが 5人、マックスが 9人となる。したがって、5人から 9人あたりが管理しやすい幅になる。これは管理する側、管理される側の状況によって左右される。

バラバラに散らばっていても、アタマのなかで把握し、とくに管理システムがなくても情報処理できる範囲内だというわけだ。

一人あたりの管理限界が平均 7人であるとすると、その管理下にある一人一人がさらに「7±2」の部下を抱えているとすると、7×7=49、これが平均値となる。7の二乗である。ほぼ 50人となる。±2のレンジがあるから、ミニマムは 5 の二乗の 25人、マックスは 9 の二乗の 81人 となる。

50人をすべて一人で管理するのはたいへんだが、一階層入れるとそれほど苦労することなく管理できることがこれで理解できるだろう。

実際、 50人程度は「目の届く範囲」である。物理的なスペースを共有していれば問題ないが、もちろんその場合に、一階層入るとトップに立つものの管理はラクになる。

あいだに入るのが二階層になると 7 の 3乗で 343、3階層入ると 7 の 4乗で 2,401 になる。理論的にはこのように、7 のn乗で組織を拡大することは可能だ。

伝達スピードはメールで同時一斉通報すれば差はでてこないが、階層が増えれば増えるほど、口頭での情報伝達の正確性が減少していく。文字化されるのは形式知だけなので、言外のニュアンスが伝わりにくい。これは上から下へのコミュニケーション、下から上へのコミュニケーションに共通している。

こう考えると、7 の二乗である 49人、すなわち50人前後が、管理しやすい目安となるといっていいのだろう。

50人前後というのは、実感としても妥当な数字ではないだろうか。



<ブログ内関連情報>

「三日・三月・三年」(みっか・みつき・さんねん)
・・マジックナンバー3


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2011年1月28日金曜日

sour grapes  負け惜しみ




 sour grapes とは、直訳すれば「酸っぱいブドウ」のことである。
 この表現がなぜ慣用表現で「負け惜しみ」を意味するのか?

 これは英語だけを眺めていてもわからない。

 「イソップの寓話」にある「キツネとブドウ」の寓話を思い出してみよう。

 キツネがよく実ったブドウを見つけるて食べようとするのだが、何度ジャンプしてもブドウには届かない。キツネは悔し紛れに負け惜しみの捨てゼリフを残して立ち去る。「どうせこんなブドウはすっぱくてまずいに決まっている。誰が食べるもんか、へん」。ざっとこんな内容のお話であった。

 「ウサギとカメ」もそうだが、古代ギリシアの「イソップの寓話」は、世界各地に拡がって大きな影響を与えている。英語では The Fox and the Grapes(キツネとブドウ) として有名な話である。

 じっさいに、このブドウが甘いか酸っぱいかは、キツネならずとも誰にもわからない。

 キツネの捨てゼリフは「負け惜しみ」という心理的な合理化機制だが、人生の知恵ではある。届かなかったことは仕方ない、こだわりすぎても時間のムダだ。

 英語表現としては、「サワーグレープス」sour grapes と複数形であることに注意しておきたい。






PS 今回あらたに記事冒頭に写真を一枚挿入した。ラ・フォンテーヌの『寓話』に描かれた Milo Winter によるイラストである。出典は wikipedia英語版。(2016年7月5日 記す)


<ブログ内関連記事>

ウサギとカメの寓話-卯年は跳躍の年だが油断大敵





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2011年1月27日木曜日

鹿児島産の「ぽんかん」を今年もいただいた




 鹿児島産の「ぽんかん」をいただいた。写真の左が「ぽんかん」、右は日本ではもっともポピュラーな「温州(うんしゅう)みかん」である。

 毎年いただいているのだが、今年は九州も雪が多いという報道を聞いていたので心配していたのだが、現時点では杞憂に終わったようだ。数年まえには「雪害のためほぼ全滅に近い被害を受けたために送ることができません」といった事態もあったし、雪が降ってつもった屋久島を歩いたこともある。

 「ぽんかん」は見た目はゴツゴツしているが、「温州みかん」とくらべるとはるかに甘い。ちょっと酸味がなさすぎるなあ、という気がしなくもないが、袋ごと食べられるのはありがたい。

 今週、たまたまJR駅の構内の催事で、同じく鹿児島の銘菓「かるかん饅頭」を見つけたので買ってきた。


 「かるかん」は、和菓子のなかでは一番すきなものの一つなので、見つけたらかならず買うことにしている。米粉に山芋をつかって粘りけのある衣に包まれたあんこ。はじめて食べたとき以来の大好物なのだ。

 「ぽんかん」も「かるかん」も、「かん」で韻を踏んでおり、しかも食べると甘いのは共通している。

 「ぽんかん」の「かん」は柑橘類の柑、「ぽんかん」を漢字で書けば椪柑、これじゃあまず読めない。柑の字が入っているからなんとなく想像はできるが。

 「かるかん」の「かん」は羊羹(ようかん)などの羹、「かるかん」を漢字で書けば軽羹、これもまた読めないな。軽い羊羹という意味だろうか、でも羊羹を読めないと始まらない。

 まあいずれにしろ、「かん」で終わる「ぽんかん」と「かるかん」は美味い。どちらも耳にしたとき、クチに出したときの響きが軽いのがいい。

 南国の甘味はわたしの好物である。






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2011年1月26日水曜日

書評『漢文法基礎 ー 本当にわかる漢文入門』(二畳庵主人(=加地伸行)、講談社学術文庫、2010)ー 面白おかしく、しかし本質をズバリ突いた二畳庵先生の名講義が帰ってきた!


■面白おかしく、しかし本質をズバリ突いた二畳庵先生の名講義が帰ってきた!■

 二畳庵主人とは中国思想研究者の加地伸行先生のことだったのか!

 高校時代、予備校にはいかずにZ会(=増進会)の添削で大学受験勉強していた私にとって、ほんとうに読んで面白い漢文参考書がこのペンネーム二畳庵主人による『漢文法基礎』だったのだ。いまからすでに30年(?)近く昔のことである。

 まさに、「二畳庵主人リターンズ」! しかも、覆面を脱いだその人は、加地伸行。儒教研究者という学者の顔だけでなく、歯に衣着せず舌鋒鋭く論じる論客でもある加地氏が書いた文章であるといわれれば、そのとおりだなあと納得する。

 私が読んでいたのは本書の底本である『漢文法基礎』(新版)の前のエディションで、シンプルな装丁で、こんなに分厚くなかった。


 いま講談社学術版を手にして、思わず読み進めている自分を発見してしまう。

 なんせ面白いのだ。当時の語り口調がそのまま再現されているので、懐かしいという気持ちもあるが、それよりも講義を受けているというライブ感が素晴らしい。ちょっと引用してみようか・・・

 「この私、二畳庵先生は、大学で中国のことを専攻して以来、二十年あまり漢文で明け暮れてきた。・・(中略)・・こう言っては自慢めくが、高校漢文教育の経験豊富である。だから諸君の弱点もよーく知っておるぞ。・・(後略)・・」(初版1977年の「はじめに」より)。

 全篇こんな調子で面白おかしく、しかし本質をズバリ突いた内容の講義が続くわけだ。もちろん、漢文が読めたからといって、現在使われている中国語ができるわけにならないので、実用という観点からいったら得になるかどうかわからないが、この本は読んで絶対に損はないとはいっておこう。

 ホンモノの学者が書いた受験参考書は、こんなにも面白くてタメになるという良き見本である。
 小西甚一先生執筆の大学受験参考書のロングセラー『古文研究法』とともに、イチオシの漢文参考書としてすべての読者に勧めたい好著だ。

 受験勉強は、ほんとうは役に立つのである。


<初出情報>

■bk1書評「面白おかしく、しかし本質をズバリ突いた二畳庵先生の名講義が帰ってきた!」投稿掲載(2010年10月16日)
■amazon書評「面白おかしく、しかし本質をズバリ突いた二畳庵先生の名講義が帰ってきた!」投稿掲載(2010年10月16日)

*再録にあたって一部加筆修正した。


画像をクリック!


目 次

はじめに
第1部 基礎編
第2部 助字編
第3部 構文編
後記
索引

著者プロフィール

加地伸行(かじ・のぶゆき)

1936年大阪生まれ。京都大学文学部卒業。専攻は中国哲学史。大阪大学名誉教授。現在、立命館大学教授。白川静記念東洋文字文化研究所長。文学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

Z会(ぜっとかい)
・・受験会の老舗 添削指導の通信教育機関



P.S. 「ポルノ漢文問題」について(2011年4月15日 追記)

 今回の「東北関東大震災」では、本棚の本の半分が飛び出して、被災地のようになってしまったが、崩れた本のなかから『漢文法基礎』(二畳庵主人、増進会出版社)の原本が出てきたのは、思いがけない掘り出し物であった!

 出てきたのは、昭和54年(1979年)5月15日の初版第4刷である(初版第1刷は昭和52年8月6日)。つまり初版ということである。

 第三部 問題篇の最後(七)がポルノ漢文問題となっている。P.267から282まで。第30問から第34問まで4問。出典は、『通鑑紀事本末』、『本朝文粋』、『肉蒲団』の 3つ。

 復刊された今回の文庫版には、なぜか収録されていない。理由は不明である。加地先生も本名を出したから、それともあの当時よりも時代環境が悪くなった?

 参考のために、原本の表紙(上掲)と第30問のページ(下掲)をスキャンしておいたので掲載しておこう。歴史的ドキュメントとしての意味はあろう。

 まあ、このような問題が大学入試に出題されることは、当時も現在もありえないので、著者一流のお遊びということか。いまよりも、まだまだ四年制大学を受験する女子が少なかった頃ではあった。




<ブログ内関連記事>

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)
・・「先祖供養」とはいったい何か?と題した文章のなかで、加地伸行の『儒教とは何か』(中公新書、1990)を取り上げている

「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた・・「起きて半畳 寝て一畳」

味噌を肴に酒を飲む・・代表的古文の『徒然草』より

『伊勢物語』を21世紀に読む意味・・代表的古文


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2011年1月25日火曜日

書評『巨象インドの憂鬱 ー 赤の回廊と宗教テロル』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察



複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察する好著

 今年80歳になるインド通の元外交官が書いた、インドが抱える最新の諸問題の解説をつうじて描く多様な顔をもつインド像

 「群盲象をなでる」という表現があるように、巨象インドの全体像を理解するのが容易なことではないのは、多宗教、多言語、多民族、さらにカーストがからまる、複雑きわまりない世界であるからだ。

 「目次」にあげられた項目をみるだけで、インドが抱える内政・外交上の諸問題が何であるかわかる。きわめて多岐にわたる問題群を項目ごとに切り出してみた、インド世界の断面図の数々である。

第1章 燎原の火-インド・イスラム原理主義
第2章 ヒンドゥー社会の終わりの始め
第3章 ブーメランのインド世俗主義
第4章 台頭するヒンドゥー原理主義 『サング・パリワール』
第5章 赤いタリバン-インド共産党毛沢東派(ナクサライト)
第6章 タミール・イーラム解放のトラ-インド系外国人(PIO)の難題
第7章 西部戦線異状あり-インド VS パキスタン
第8章 AK47の銃眼 カシミール
第9章 チャンドラ・ボースは生きている
第10章 ダブルスタンダードの印米原子力協力協定
第11章 南アジアの覇権主義者インド
第12章 経済至上主義の日印関係

 ここ数年マスコミでよく話題になる中流階級を中心とした、経済発展著しいインドという明るい側面だけでは見えてこない、インド社会の暗く、どす黒い現実が見えてくる。本書を全部とおして読んでみると、インドのかかえる多様性がもたらす複雑さのからみ具合が、著者が描く複眼的な視点をつうじて、おぼろげながらも見えてくる。

 何よりも根本問題は、カーストの最下層で苦しむ一般民衆の現実に焦点をあてることによって見えてくるのだが、これは経済学の観点からだけではとても解決不可能なものであることが本書を読むとよく理解できるのである。

 やや著者の個人的見解が強すぎるきらいがなくもないが、著者がいみじくもいうように、多様性に富み複雑きわまりないインド世界では、「自己主張することがインドで生きる最善の策」(P.206)なのである。

 また、国益重視の自己主張の姿勢を崩さないインドは、ある意味、中国と並んできわめてしたたかな存在であることは肝に銘じておくべきだろう。外交交渉におけるインドに粘り腰としたたかさ、これはビジネスに従事する者にとっても大いに傾聴すべきものがある。

 日本人一般の常識や通念とは異なる見解も多く披露されており、複雑きわまりないインド理解のための、またとない参考書になるであろう。
 明るい側面と暗い側面の双方をあわせみて、はじめてインドについて、おぼろげながらも理解の第一歩に近づいたといえるのである。


<初出情報>

■bk1書評「複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察する好著」投稿掲載(2010年10月17日)
■amazon書評「複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察する好著」投稿掲載(2010年10月17日)




著者プロフィール

武藤友治(むとう・ともじ)

現在、インド・ビジネス・センター・シニア・アドヴァイザー、日印協会理事。1930年生まれ。大阪外国語大学(インド語学科)を卒業後、外務省に入省、40年余の外交官生活を送り、在ボンベイ総領事を最後に退官。その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員を経て現職。インド在勤中からインド政治のフォローアップに努め、退官後も精力的に現代インドの研究に取り組む。


総 目 次

第1章 燎原の火インド・イスラム原理主義
 点から面へインド・イスラム原理主義の増殖
 1億3,000万人のインド・イスラム教徒
 貧困と差別に喘ぐイスラムコミュニティー-サチャル委員会レポート
 テロに賛同するイスラム教徒知識層
 ムンバイ殲滅テロの総括
 ムンバイ殲滅テロの教訓
 死刑判決のイスラム教徒への心理的影響
第2章 ヒンドゥー社会の終わりの始め
 迷宮のカースト曼陀羅
 「ダリット」は消えない留保政策
 宗派の結界を超えて-『デラ・サチャ・サウダ』
 所属カーストを放擲する|グッジャール・カースト
 ヒンドゥー社会の終りの始め
第3章 ブーメランのインド世俗主義
 シーク教徒の警護官に狙撃される
 シーク教徒 3,000人虐殺
 世俗主義とは何か
 インド国家の一体性を保証する世俗主義
 宗教、宗派を寛容するインドの世俗主義
第4章 台頭するヒンドゥー原理主義『サング・パリワール』
 ヒンドゥー原理主義の政治結社
 台頭するヒンドゥー原理主義勢力
 BJP(インド人民党)の支柱RSS
 「インドは輝いていない」|BJP政権の敗北
 鳴りを潜めるヒンドゥー原理主義勢力
 マハトマ・ガンディー暗殺者ゴッゼの心境
 今は昔ティース・ジャンワーリー・マルグ
第5章 赤いタリバン-インド共産党毛沢東派(ナクサライト)
 中ソ対立を巡るインド共産党の分裂
 インドの延安・コルカタ(カルカッタ)
 西ベンガル・ナクサルバリの農民蜂起
 アンドラ・ブラデシュ州での部族民蜂起
 インド共産党毛沢東派の誕生
 拡大する赤の回廊
 解決されないインドの貧困
 『グリーン・ハント作戦』の惨敗
第6章 タミール・イーラム解放のトラ-インド系外国人(PIO)の難題
 在外インド人の三パターン
 スリランカのインド系タミール人|武力蜂起の背景
 LTTE に同情的な南インドの地域主義
 ハルキラート・シン将軍の嘆き
 スリランカ平和維持軍の失態
 国際社会の介入を嫌うインド
 地域主義のトゲ|LTTE問題
第7章 西部戦線異状ありインドVSパキスタン
 マハトマ・ガンディーを裏切る印パ分離・独立案
 分離・独立に賛同した国民会議派
 バングラデシュの独立-第三次印パ戦争の結末
 2004年の和解
 印パ憎悪の連鎖
 コラム・対立を煽る印パ間の格差増大
第8章 AK-47の銃眼カシミール
 核実験で浮上したカシミールの国際紛争化
 印パの分離、独立とカシミール藩王国の去就
 第一次印パ戦争の勃発と国連の調停
 第二次印パ戦争の勃発とソ連の調停
 第三次印パ戦争の勃発とインドの優位確立
 カシミールを手放せないインドの事情
 カシミール問題をめぐる印パ両国の本音
 カシミール問題解決のための提言
第9章 チャンドラ・ボースは生きている
 チャンドラ・ボースと大東亜共栄圏
 チャンドラ・ボース事故死の真相
 兄スレッシュ・ボース委員との再会
 インド政府の不可解な態度
第10章 ダブルスタンダードの印米原子力協力協定
 印米原子力協力のための三条件
 協定成立までの印米両国の動き
 印米原子力協力に「日本は反対しない」
 国益至上主義のインド
 コラム 元の取れる外交をすることの必要性
第11章 南アジアの覇権主義者インド
 インドの覇権主義-その歴史的要因
 覇権主義-インドの対内的、対外的姿勢に及ぼす影響
 南アジアの政治的変革とインドの覇権擁立
 インドの国防政策にみる覇権主義
 米国の対パ軍事援助とインドの反発
 先進国入りを願うインドの焦り
第12章 経済至上主義の日印関係
 日本の対印イメージ、インドの対日イメージ
 インド産鉄鉱石と日本の経済復興
 西を向きがちなインド
 第二次大戦とインドの独立
 シーソー・ゲームに似た日印関係
 経済優先の日印関係
 インド産鉄鉱石に見る経済関係の変遷
 インドの財政危機と日本の協力
 幅広い共通の基盤-日印関係に今こそ求められるもの
あとがき-『終着駅のない列車』に身を任せ走る思い



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