幼くして両親と別れて修道院に入った修道女が、神秘体験としての聖痕など数々の奇跡によって有名になっていく。イエスや天使を幻視し、聖痕(スティグマータ)を受け、さらにはイエスに心臓を奪われ、3日後に戻されるという奇跡の数々。
そのおかげで修道院長になった主人公だが、神秘体験にかんしては修道院の内部から疑惑がもたれ、ついには教会上層部からの審問にかけられることになる。
その審問プロセスのなかで明らかになっていったのは、奇跡が次作自薦の捏造だという疑惑と、若き修道女との同性愛疑惑であった・・・
■原作の歴史書について
映画の内容はそんなところだが、この映画には原作があることを知った。
映画は原作の忠実な再現ではないようだ。そういうことなら、ぜひ映画と原作を比べてみたい、原作に描かれている歴史的事実を知りたいと思ったが、残念なことにこの日本語訳は現在のところ「入手不能」になっている。
タイトルを直訳すると
『不謹慎な行為 ー ルネサンス期イタリアのレズビアン修道女の生涯』となる。 推薦文を寄せている
17世紀フランスを専門とするナタリー・デイヴィス氏は日本でも『マルタン・ゲールの帰還』(・・これまた映画化されている)の著者としてよく知られているが、
著者のジュディス・ブラウン氏もまた米国人の女性歴史家である。
■映画より原作のほうがはるかに面白い!
感想としては、正直いって映画より原作のほうがはるかに面白い。
映画はビジュアル・エフェクト狙いが強すぎて、まあ21世紀の観客にはいいのだろうが、映画からは時代背景も主人公が置かれていた状況もよくわからないので、イマイチ内容を正確に理解するのがむずかしい。下手するとB級映画的なキワモノで終わってしまいかねないテーマでもある。
まず重要なことは、17世紀初頭のイタリア社会とカトリック教会が置かれていた状況が大きな意味をもっていることだ。
17世紀は時代の転換期であり、宗教が支配した中世と近代的な懐疑的知性が芽生えてきた近世の端境期であった。
西欧社会で16世紀にはじまった「宗教改革」によって、カトリック教会はプロテスタント側からの執拗な攻撃にさらされていただけでなく、カトリック内部からの改革を生んでいる。
修道院内部に世俗の人間関係が持ち込まれるために生じるコンフリクト。奇跡が有名になると、その修道院が有名になってカトリック教会内部でのポジションも向上する。
だからこそ、つぎからつぎへと奇跡が発生するが、その多くがフェイクと判明したのであり、主人公のベナデッタも内部告発によって二度にわたって審問にかけられるのである。
中世であったなら、おそらく聖者になったかもしれないベネデッタだが、時代はすでに近世(=初期近代)に入っていたのだ。
改革志向のカトリック教会が推奨していたのは、イグナティウス・ロヨラのような世俗社会でも信徒の模範となるような人物であり、幻視や奇跡を神秘家ではなかったのである。
とはいえ、一般民衆は、教会上層部の意向に反して、そういう神秘家を敬愛して信仰の対象としていたのである。そこに支配階層(=知識階層)と無学な一般大衆とのあいだで大きなズレが生じる。
ベナデットの審問プロセスのなかで浮かびあがってきたのが、修道院内部での同性愛疑惑であり、それがまた修道女どうしの同性愛であっただけに審問官も対応に苦慮したようだ。
修道士どうしの同性愛や、修道女と修道士の性的関係などは、よくある話だったが、修道女どうしの同性愛は、さすがに想定外であったようなのだ。
審問記録に残っていたベネデッタの相手方の同性愛にかんする証言内容は、じつにナマナマしい。著者は、それを記した書記官(男性)の手が震えているためか、古文書の文字が読みにくいと書いている。映画の内容とはズレがあるものの、かなり具体的な内容であって、ここに記すのははばかられるものがある。 ぜひ原作にあたってみてほしい。
最終的にベナデッタには火刑の判決が下されるが、死罪一等は免ぜられて修道院内部での幽閉となる。 相手方の修道女は、最初から極刑の判決は下されることなく、その後は修道女として人生をまっとうしたようだ。自分の意思で同性愛の関係になったのではないと証言しているからだろう。この点も映画とは異なる。
40年間を牢獄で過ごした修道女ベネデッタが死んだというニュースが流れたとき、教会の意に反して一般民衆が修道院に押し寄せたという。
支配する側は、つねに民衆を恐れているのだ。
■偶然に発見された西欧史上最古のレズビアン記録
著者の歴史家ジュディス・ブラウン氏は、フィレンツェの公立古文書館で調査をしていた際、ベネデッタ・カルリーニのことを偶然知ったのだという。
著者が発見するまで、この人物のことは忘れられていたようなのだ。こういう無名の人物に焦点をあててその時代を描き出す歴史記述の手法ことを「マイクロヒストリー」という。イタリア語では「ミクロストーリア」である。
17世紀のベネデッタ・カルリーニの事例は、西欧社会でのレズビアンの最古の記録なのだという。LGBTが声高に語られる21世紀の現在からみれば、隔世の感を覚える人もいるのではないだろうか。
イスラーム世界では、いまだに同性愛は神の法に反するとして厳しく禁止されていることは周知の通りである。おそらく今後もその可能性は低いのだろう。
同性愛が長きにわたって禁じられていた西欧社会とは違って、キリスト教の禁忌が存在しない前近代の日本社会では、男女ともに同性愛は自然に反する行為だとは見なされていなかった。学校では教えないだろうが、知る人ぞ知る歴史的事実である。
この映画は、21世紀の現在と違って、17世紀の段階ではそうではなかったのだ、と訴えたいのであろう西欧人(男性)が監督・製作したものだ。
歴史的事実を知っている日本人(男性)からすれば、サスペンスもののドラマとしての面白さはあっても、さまざまなテーマにかんして、イマイチ掘り下げの甘い内容に思ってしまったのであった。
もちろん、女性は別の感想をもつかもしれないが・・
<参考資料>
Theatines(テアティノ会)
・・「対抗対抗改革」(=カトリック改革)のなかから生まれてきた修道会(1524~1867)。19世紀にその使命を終え、現在は存在しない。
The Theatines, officially named the Congregation of Clerics Regular (Latin: Ordo Clericorum Regularium; abbreviated CR), is a Catholic order of clerics regular of pontifical right for men founded by Archbishop Gian Pietro Carafa on 14 September 1524.
聖テレジアの法悦
・・16世紀スペインのアビアの聖テレジアをモチーフにしたベルリーニの彫刻
<ブログ内関連記事>
・・小説の設定は1628年から1630年にかけて、舞台はイタリア北部のミラノ侯爵領のミラノとコモ湖畔の農村。
・・フランチェスコが集団を離れ、山中にひきこもっての40日間の断食と瞑想、そして自らの肉体に受けた聖痕(stigma)という喜び
・・フランシス・ベーコン(1561~1626)は、同時代のイングランドの政治家で哲学者。時代転換期に生きたベーコンの方法論は同時代のイタリアとも共鳴している。ルネサンスの発祥地イタリアの方が先進地帯であった。一般民衆の世界と知識階層との認識のズレ
・・「ミクロストーリア」の先駆者カルロ・ギンズブルク
・・ドイツのゲッティンゲンの古文書館での偶然の発見がきっかけになった。古文書館での偶然の発見が導いた点は『ベネデッタ』におなじ
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