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2009年8月31日月曜日

Study nature, not books ! (ルイ・アガシー)



(1870年アメリカにて63歳のアガシー wikipediaより)


 これは19世紀米国の博物学者ルイ・アガシー(Louis Agassiz 1807~1873)のコトバである。名字からわかるとおりフランス語圏の人で、スイス北西部のフリブール・カントンの生まれである。

 海洋学者、地質学者、古生物学者であった。この時代の自然学者はむしろ博物学者といったほうがただしいだろう。

 Study nature, not books !

 ここに使われている英語自体は中学一年生でも理解できる、ごくごく簡単なものだが、実に含蓄のある表現だ。

 直訳すると、「自然を学べ、本じゃないぞ」ということになるのだろう。
 本で得た知識で自然を見るな、自然そのものを観察せよ、ということなのだろう。

 確かに、知識を前提にものを見ると、曇ったグラスをとおして見るのと同じことだ。何か予断でもって物事を判断するのは危険なことだ、そういっているように思う。

 子供の頃の私は自然観察少年だったから、動植物から鉱物にいたるまで何にでも関心の強い、いわば18世紀的博物学者志向の人間であったのかもしれない。

 だから、このコトバはよく理解できる。その頃は、もっぱら図鑑をぼろぼろになるまで熟読していた。文字も読んでいるが、図像を読んでいたといえる。あくまでも自然界に存在するものが主であり、図鑑にある図像は従であったはずだ。

 大人になったら魚の養殖の研究をしたいと考えていた。いわゆる栽培漁業(marine agriculture)である。もともとは理系志向の人間である。


「もの」を「もの自体」として曇りなき目で見る

 その後、本を読むことの味を覚えてしまってからは、かなり本を読む人間となってしまった。自称「活字中毒者」だが、知識で目が曇らされないようにはつねに心がけてきた。

 実際に自分の目で見ること、五感を使って体験すること、これがもっとも大事である。
 しかし、曇りなき目でものを見るというのは、実は思っているほど簡単なことではない。

 大学時代に、現象学という哲学があることを知った。
 ものをもの自体として見る、そのための哲学的方法論である。

 実存主義の哲学者J.P. サルトルがドイツ留学から帰国した盟友メルロ=ポンティから現象学の話を聞いて、コップをコップとして語ることのできる哲学だ、と驚喜したという話が、木田元の『現象学』(岩波新書、1970)という本にエピソードとして紹介されている。

 ものをもの自体として見る、しかしこれには言語を媒介とせざるをえない。そうでないと、見ても見えていない、ということになってしまう。


蔵書という自己増殖する「生態系」(エコシステム)

 本もまた数が増えると自然界に近い様相を呈してくる。私の書斎は熱帯雨林状態である。

 本はよく読むが、ビジネスマンでそれなりのポジションにあり、なまじカネがあったので読むスピードよりも速いスピードで本を買っていた。

 不要な本は捨てると新陳代謝(ホメオスタシス)が働くのだが、どうも整理するのが面倒なので・・・

 最初は整然と並べるのだが、そのうちに生態系が形成され、整理という人為的な手を加えなくなると、自然に増殖をはじめ、「ブックカフェ」のはずだったのがいつしか・・・

 もちろん勝手に増殖するわけではないが、定期的に整理を行わないとそうなってしまう。自然のままにまかせると、日の当たる面と当たらない面が分かれてくる。

 しかし、この間引き剪定という選別作業は実にやっかいなものだ。

 思い切りよく捨てることができる人はうらやましい。しかしその反面、肝心なものも捨ててしまう恐れはないのか、という懸念ももつ。


Study nature, and books !

 昨年の夏にダンボール100箱ほど売却処分した。本をめぐる自分の人生の回顧ともなる作業であった。残りの人生を考えると、やみくもに手を広げすぎるのは抑制もしなくてはなるまい。

 そして今月、またダンボール15箱ほどを売却するか廃棄した。本当はもっと処分しなければならないのだが、考えただけでもくたびれてしまう。

 英語版の映画VHSは結局引き取り手がなく廃棄処分とした。テクノロジーの進歩から取り残されたフォーマットは無用の長物である。映像コンテンツというソフトウェアそのものには価値があってもビデオテープ自体にはほとんど価値はない。

 しかし本は単なるコンテンツではなく、質量をもった物理的な存在でもある。「自然」と「本」とをあまり対立物とは考えたくない。鉱物だって静物ではないか。匂いや手触りといった量感を大事にしたい。

 だから私にとっては、Study nature, and books ! というのが、もっともぴったりくる表現なのだ。


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PS 読みやすくするために改行を増やした。あらたに<ブログ内関連記事>を付け加え、その後に書いたブログ記事を参照しやすいようにした。 (2014年2月13日 記す)


PS2 お雇い外国人のモースはルイ・アガシの弟子だった

重要なことを書き忘れていたことに気がついた。

明治時代初期の「お雇い外国人」の1人で「大森貝塚」を発見した米国人のエドワード・S・モースは、ハーバード大学でルイ・アガシの弟子であった。まさに study nature, not books ! の実践者だったわけだ。とはいえ、モースは日本がらみで多数著作を残している。

ちなみに生物学者として招致されたモースは、日本で「進化論」のレクチャーをしているが、日本人が異議なく「進化論」を受け入れたことに驚いたといわれている。21世紀の現在でも進化論を否定する人が多くいるのが米国であることを考えれば、日本人の先進性(?)は誇っていいだろう。  (2021年6月5日 記す)


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<ブログ内関連記事>

「人間の本質は学びにある」-モンテッソーリ教育について考えてみる

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

アリの巣をみる-自然観察がすべての出発点!

「植物学者 牧野富太郎の足跡と今(日本の科学者技術者シリーズ第10回)を国立科学博物館」(東京・上野)にいってきた

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
・・フランス出身のイエズス会士で古生物学者の生涯

(2021年4月14日 情報追加)


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2009年8月30日日曜日

Be a Good Loser !


               
 本日は時事ネタでいきたいと思う。台風直撃間近の東京発ババ通信、世界のメディアも注目する日本国の総選挙(General Election)の途中結果へのコメントです。

 いまこれ書いている時点ですでに、定数480議席のうち民主党が300議席を越える圧勝の勢いである。英語なら landslide victory といったところだろう。
 日本のTV放送はNHKを筆頭に民放各社もすべて開票情報一色である。別に非難しているのではない。選挙ほど素敵なショーはないからだ。一視聴者にとっては、開票速報ほど面白いものはない。またTV局からみても、これほど制作費がかからなくて、しかも手に汗握るエンターテインメント番組というのは、なかなかほかにはないだろう。
 選挙結果は選挙に出馬した被選挙者の人生そのものを左右する。まさに喜怒哀楽の度合いは、へたな連続ドラマをはるかに上回る。

 私は、実は数日前に期日前投票を済ませているが、どの政党に投票したかは明らかにするのはやめておこう。しかし、「政権交代」を望む気持ちは以前から抱いていたことは明言しておく。
 要は小選挙区と比例代表でどの政党(とその候補)に投票するかという組み合わせゲームでしかないから、わざわざ選挙当日に当日する必要はない。3日前に大勢は判明するからだ。バンドワゴン(bandwagon) 的行動もありうる。つまり勝ち馬に乗るということだ。

 政治はあくまでも合従連衡のゲームであるので、単独政党が圧倒的多数を制するのは必ずしも得策ではない。どういうアライアンス戦略を組むか、これはビジネスマンにとっても戦略構築に際してのまたとない、格好の生きた教材である。
 しかし、今回はそのレッスンは期待できそうもない。
 「絶対権力は絶対に腐敗する」。英国の政治家の名言だが、本日たとえ民主党の党首が慎重姿勢を示しても、圧勝ムードを組織全体から払拭するのは至難のわざ、間違いなく絶対多数を獲得したがゆえに、民主党は慢心し、内部崩壊するだろう。

 今回の総選挙で大敗した自民党、および党首の麻生太郎氏には、私はタイトルにもした Be a Good Loser ! というコトバを贈りたい。どうせ負けたなら、いさぎよく負けっぷりの良さを示せ!、ということだ。総裁を辞任するだけでなく、自民党そのものが負けを認めることが肝心である。
 私が思うに、おそらく負けた自民党内部では、イチから立て直していこうという前向きの姿勢よりも、次は勝ち馬に乗りたい、次は返り咲きたいという気持ちをもつ元議員が大半ではないか、と思う。つまり、浮き足だった元議員が少なからずいるだろうということだ。
 「サルは木から落ちてもサルだが、議員は選挙で落選したらタダの人」という政治的アネクドートが日本にはある。気持ちはよーくわかります。

 おそらく、「政権交代」が今回実現しても、これで「二大政党制」が確立するというわけではないのである。なぜなら、二大政党制としての政治的争点がまだまだクリアになっていないからだ。
 今回おそらく多くの有権者が民主党に投票したのは、自民党への懲罰的行為というほかに、「政権交代」という漢字熟語4文字キャッチフレーズの訴求力の勝利といえるだろう。政治的には、バカのひとつ覚えでいいのである。簡潔で覚えやすいキャッチフレーズを連呼すること、これに尽きる。前回自民党の圧勝の原動力となった「郵政民営化」と同じ構造である。
 「政権交代」というキャッチフレーズは、ビジネス界では語りぐさとなっている、日本マクドナルド会長の故藤田田(ふじた・でん)による「半額」という漢字熟語2文字の訴求力に匹敵するといえよう。日本語人は、簡潔でアピール力のあるキャッチフレーズに弱いからだ。決してマニフェストの内容が意志決定の主要な要素ではない。
 二大政党制実現のためには(・・これがもし正しい政治的理念として共有されるなら)、あともう一回大きな激変が必要である。その時には、今回圧勝した民主党も、大敗した自民党も、組織を大幅にシャッフルし、明確な政治的理念をもった、いいかえればビジョンとミッションとバリューが明確な組織として再編しなければならない。
 しかし、おそらく単純な政権"再"交代はないだろう。政治状況はさらに流動化し、最終的な二大政党制へと収斂(しゅうれん)してゆくものと考えられる。

 ただし、この日本という国に本当に二大政党制がフィットしているのか、それは話が別である。
 大日本帝国憲法の発布にともない、立憲君主国という国体のもと、議員内閣制という英国式の政治形態を選択した日本は、敗戦後米国主導の占領統治下にあっても大統領制に移行することなく、日本国憲法のもと、二院制による議員内閣制を維持継続してきた。英国をモデルとするかぎり、二大政党制を理想とするのは理解できなくはない。しかし、これが本当に日本の風土に合っているのか、それはまた議論の余地のあるところである。
 とはいえ、大政党も、選挙民である日本国民も、多くの人が二大政党制が実現したらいいのではないか、と思っているはずだ。今後の政治情勢には大いに注目するとともに、納税者(Taxpayer)として(!)監視することが必要である。

 個人的には、保守中道の政治路線で、政治理念をめぐって対立する二大政党が、選挙をつうじて政権交代の可能性をもつ、というのがもっとも健全な姿であると考える。
 Be a Good Loser ! これは裏返していえば、Don' t be a Bad Winner ! ということと、ニュアンスの差はあっても論理的には同じことだ。勝つにせよ負けるにせよ、勝敗の決まったあとの次のアクションが次の勝者を決めるのである。

 ゲームは見ているだけの人と、実際にプレイする人では、コミッットメントの度合いがまったく異なる。私はあくまでも見る側の人として、日本の政治状況に注目していくつもりである。
 私自身は絶対に政治家になるつもりはない。政治家に向いているといわれたことも何回かあるが、選挙さえなければ政治家になってもいいとは思っている。選挙はカネもかかるし、なによりも面倒くさい。だから、民主主義のもとで政治家になるということはありえない。
 いっそのこと、最初から俳優を目指して、ドラマのなかで政治家を演じるというのが面白かったかな?俳優なら政治家でも弁護士でも医者でもなんでも演じることができるからね。

 納税者として間接的な権力行使が可能なのが、本来あるべき民主主義というものである。
 日本国には、さらに一歩、主権在民の民主主義国家として成長してもらいたい。これが、アジアで本当の意味でリーダーになるための必要最低条件である。
 数のチカラがすべてを決めるのではない、理念を実行するチカラこそ、そして実現にあたってブレのない姿勢こそ、尊敬の対象となるのである! 大陸の"疑似民主制"人権抑圧国家とは違うのだ、ということを全世界にむかって身をもって示すべきなのである!




            

2009年8月29日土曜日

書評 『河合隼雄-心理療法家の誕生-』(大塚信一、トランスビュー、2009)-メイキング・オブ・河合隼雄、そして新しい時代の「岩波文化人」たち・・・ 



メイキング・オブ・河合隼雄、そして・・・

 編集者という、著作家にとっての伴走者が、本来まとっている黒衣を脱いで著作成立の舞台裏を明かしてくれた四部作の最後が完結した。

 著者は、岩波書店の元社長であるが、経営者としての立場よりも、編集者の立場としての回想録である。

 四部作は、全体の回想を皮切りに、文化人類学者の山口昌男、哲学者の中村雄二郎、心理療法家の河合隼雄と、新しい時代の「岩波文化人」を形成した、知の変革者三人との出会いと伴走の記録である。

 本書は、その中でも特に私が心待ちにしていたものであった。

 いわゆる「岩波文化人」とは、岩波書店の創業者である岩波茂雄が、戦前の旧制高校の人脈をフルに活用して形成した、哲学・思想を中心とした文化人の山脈のことである。「●●講座」という形の出版物によって権威としての知を確立し、長く君臨してきた。

 1963年に岩波書店に入社した著者は、硬直したアカデミズムの象徴ともいうべき「岩波文化」的なものを否定することを、編集者としての自らの使命とした人である。

 その活動のなかで、山口昌男、中村雄二郎、河合隼雄といった、新時代の知的旗手ともなるべき人たちと協力し、優れた書物を世に送り出してきた、いわば変革の仕掛け人である。ここに名前を出した人たちは、結果として「新・岩波文化人」といってもいい存在となったことはいうまでもない。

 強烈な個性の持ち主であった創業者の死後、守成の状態にあった出版社において、著者である大塚氏は過去の遺産としての伝統を否定し、伝統を再創造するという行為をつうじて、経済学者シュンペーターのいう"創造的破壊"を成し遂げたことになる。

 『河合隼雄 心理療法家の誕生』は、まさにメイキングものといってよい内容である。

 伝記的内容については、著者自身が聞き手となってとりまとめた回想録『未来への記憶 上下』(岩波新書、2001)と、河合隼雄が自らを語った『深層意識への道』(岩波書店、2004)をベースにしている。これらの本をすでに読んだ人にとっては、すでに知っている話が何度もでてくるので物足りないかもしれない。しかし、編集者としての著者がさまざま形で自伝的内容を補っており、異なる視点から河合隼雄の人生の軌跡を読むことが可能になる。

 丹波篠山(ささやま)に生まれた一人の日本人が、電気、数学を学んで高校の数学教師となり、研究テーマとしてロールシャッハテストに打ち込んだ結果アメリカに留学、そこでユング派の心理学と出会い、さらにはスイスのユング研究所で3年間格闘、日本に戻ってからは箱庭療法はじめ、臨床家として心理療法の普及に精力的に従事しつつ、数々の著作でもって、日本人とは何かということを考えるためのヒントを与え続けてくれた、何かに導かれるようにして"アレンジされた"河合隼雄という人生

 "臨床の知"、"実践的知"、表現方法にはいろいろあるだろうが、新たな知のスタイルとして河合隼雄が実践してきた人生の軌跡は、ビジネスマンの私も大きな影響を受けてきた。

 人生というものは、実に不可思議なものだ。著者とともに河合隼雄の人生を振り返ることで、あらためて大きな感慨を覚えている。

 たまにはゆっくり本を読むのもいいものだ。


bk1書評「メイキング・オブ・河合隼雄、そして・・・」 投稿掲載(2009年8月25日)

*再録にあたって、一部字句の修正と書名の誤りを訂正した。



<書評への付記>

 文化人類学者の山口昌男、哲学者の中村雄二郎、心理療法家の河合隼雄、これらの人たちが中心となった、『叢書 文化の現在』(岩波書店)は、図書館で借りて大学時代から読んできた。

 背後にあってプロデューサー的役割を演じてきたのが大塚信一氏であったことは、数年前まで知らなかった。優秀な編集者の存在なくして、このような事業は成立しえないことを、もっと認識しなければならなかったのである。われながら、まったくもってうかつなことだ。


「新・岩波文化人」の特性

 いずれも、ストレートに脇目もふらずにアカデミックな道に進んで、象牙の塔で純粋培養されてきた人たちではない

 山口昌男(1931-)は東大文学部国史学科を卒業して、私立高校の日本史の教師から出発した人。日本史の授業では黒板いっぱいに得意のマンガを描いて、生徒を引きつけていたという。

 中村雄二郎(1925-)は、東大文学部卒業後、文化放送(TBSラジオ)で番組製作のプロデューサーをしていた人。激務で過労のため失明寸前までいったらしい。

 河合隼雄(1928-2007)は、京大理学部数学科を卒業して、私立高校の数学教師から出発した人。熱血教師だったらしい。

 実社会経験が、隠し味というわけではないが、その学問にはプラクティカルな匂いがあり、著述もあくまでも軽やかなスタイルが身上。重々しく権威的なものとは、まさに対極に位置したといえる。

 いずれも西洋社会とは正面から対峙しているが、単なる輸入学問を越えて、日本人が日本人という主体的な立場から構築した学問は、旧来の講壇アカデミズムとは一線を画し、その後の学問のあり方の流れを作り出したことは大きな功績である。

 実際、もはや単なる翻訳紹介が学問とはいえないことはこの国では自明のはずなのだが、学者の実績には、外国書の日本語訳がカウントされても、自著が外国語に翻訳されても業績にはカウントされないらしい。旧態依然の文部科学省の動脈硬化的対応である。嘆かわしや。

 サル学や日本的経営のように、日本に研究フィールドがある分野では、世界的な研究分野に成長している。観察の場が手近なところにあるというのは圧倒的に有利である。

 ちなみにサル学は河合隼雄の兄である河合雅雄が開拓者の一人。アフリカのゴリラの生態研究で著名である。犬山のモンキーセンター所長など歴任した、日本のサル学を世界的レベルに引き上げた功労者である。


岩波書店で行われた「天皇制」をめぐる山口昌男と網野善彦の活字化されるこののなかった対話

 文化人類学者の山口昌男と日本中世史の網野善彦の「天皇制」をめぐる有料のライブ対論を大学時代に聞きに行ったことがある。東京神田神保町の岩波書店の2階か3階だったと思うが、立ち見が出るほど満員だった。

 西洋中世史のゼミナールに属しながらも、自分自身を西洋人にはまったくアイデンティファイできない私は、どちらかというと文化人類学的な思考方法には大きく惹かれていたし、1980年代初頭にいわゆるニューアカ(・・ニューアカデミズムの略称)とよばれた浅田彰や中沢新一の出現を準備したともいえる山口昌男の『知の遠近法』(岩波書店、1979)は、大学一年のときからベッドの枕もとのミニ書棚において、寝る前にしょっちゅう読んでいたものである。

 同書には山口昌男がフランスの雑誌「エスプリ」にフランス語で発表した天皇制にかんする論文の、著者自身による日本語訳が収録されている。基本的に文化としての天皇制を論じている。山口昌男も網野善彦も二人とも東大文学部国史学科卒という点は共通していた。"国史"という位置づけは、部外者から見ると限りなく閉鎖的な印象を受けるが、二人ともその枠は完全にはみ出ていた。 

 同時期に網野善彦もフル稼働の状況で、次々と斬新な仮説を提示しては、日本中世史を塗り替える仕事を推進していた。

 網野善彦はなんといっても死ぬまで筋金入りの共産主義者で天皇制反対論者、のちに秋篠宮が網野氏の作品を愛読していると知って、非常に困惑したらしいというエピソードがある。晩年になってからはビジネスマンの読者が増えたことを網野氏はどう考えていたのだろうか? アニメーターの宮崎駿が大きな影響を受けて『もののけ姫』を製作したことはご存じの通り。宮崎駿はもともと共産党シンパである。

 こんな二人の対談なので、期待されないはずがなかったのである。ところが、内容については詳しくは覚えていない。というのは、対談内容は「日本図書新聞」に掲載されるとその場で発表があったからだ。しかし、結局活字になることはなかった。だが理由はそれだけではなかったようだ。

 対談のあった翌週のゼミで、阿部謹也先生からは「君もいたんですね」と声をかけられた。目ざとくも見つけられていたのであった。右翼の妨害を考えるとあの対談は実行すること自体が大変だったのだ、というのが網野善彦とも親しかった阿部先生の話であった。1980年代半ばのことである。

 当時はまだまだ「ウヨク」が乱暴な存在だったのだ。平成になってから、日本国憲法を遵守するという天皇陛下のお言葉で「ウヨク」は一気にトーンダウン、ソ連の崩壊後「サヨク」がチカラを失ってからは張り合いをなくし、存在意義そのものがなくなっていったように思う。

 現在では考えられないほど、「天皇制」というテーマには、まだまだ濃厚な政治性がまとわりついていたのである。


哲学者・中村雄二郎の「臨床の知」

 中村雄二郎は、『臨床の知とは何か』(岩波新書、1992)を熟読し大きな影響を受けた。自分がビジネスマンとして日々取り組んでいることを、理論的に裏付けてくれる思いがしていたものである。

 中村雄二郎はライブは見てない。TV番組では見た記憶はあるが。


河合隼雄のやわらかい関西弁の語り口とダジャレ
 
 河合隼雄の話は一度だけライブで聞いたことがある。京都の国際会館で開催された「文化の多様性」で、当時文化庁長官を務めていた頃で、晩年といっってもいい時期である。

 2004年(平成16年)平成16年11月7日(日曜日)、フランスの思想家ジャック・アタリ(元フランソワ・ミッテラン大統領顧問、元欧州復興銀行総裁)の講演のあと、韓国のイ・オリョン(『縮みの思考』著者)との日本語による対談をライブで、しかも最前列のかぶりつきで(!)楽しませていただいた。この時は来賓として秋篠宮殿下夫妻がこられていたが、ご夫妻からは虚礼を廃する要請があり、着席のままお迎えしたのは記憶に残っている。

 対談の途中で、河合隼雄は小用に立ったのだがが、「年寄りの特権(?)」とかいって笑いをとっていたが、聴衆に不快感を味あわせないという、ちょっとした心遣いは見事であった。

 河合隼雄のやわらかい関西弁の語り口とダジャレは、場をなごませる雰囲気を作り出していた。とくに難しい話をするとき、厳しい話をするとき、関西弁はクッションとして働いてくれるものである。関東人はそれをさして、ヘラヘラして真面目さに欠けるなどと頭ごなしに非難することがあるが、あんたら全然わかってへんのや。

 逆にいうと、関東人は、あたりの柔らかい関西弁にダマされとんのとちゃうか?

 関西人は、実際はものすごくストレートな表現が多いのに、関東ではそれに気づいていない人が多いようにも思える。

 関西人が海外で活躍しているのは当然やな。ズバズバとダイレクトに、ストレートな表現そのままで、海外とわたりあっていけるからなー。英語で話している限り、英語に関西弁はでてこないけど、発想は英語にシンクロしとるなー。

 ちなみに、タイのバンコクでも非公式な統計だが、某大阪人いわく、バンコク在住の日本人の7割は関西人なり(!?)と。ほんまかいな? 情報ソースは何やねん? と丹波篠山、もとい丹後舞鶴生まれの私は突っ込んだが、感覚的には私も同意見。

 しかし私なんかは、ストレート・トークを関東で、しかも東京弁でやってしまうことが多いのが問題なんやろな、と反省にもつかぬ反省。

 反省ならサルでもできるわい、と突っ込みの声・・・空耳か?





PS 読みやすくするために改行を増やし、重要事項は太字ゴチックで強調、リンク先を再確認した。誤字脱字以外には本文に手入れていない。あらたに<ブログ内関連記事>を追加した。 (2014年2月21日 記す)。
               



<ブログ内関連記事>

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・・「対話原理をなかに含んだダイアローグ志向の関西弁と、モノローグ志向の関東弁。・・(中略)・・対話のなかでこそパワーを発揮する関西弁で、掛け合いのない一方通行のアナウンスするのは、なかなかたいへんだ」

(2014年2月21日 項目新設)



 
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2009年8月28日金曜日

タイのあれこれ (8)-ロイヤル・ドッグ



 (「ロイヤル・ドッグ」のトンデーン物語)

 ハリウッド映画『HACHI』(オリジナル・タイトルは HACHIKO: A Dog's Tale)、日本の松竹映画『ハチ公物語』のリメイクである。

 設定はアメリカの地方都市に変えたが、主人公の大学教授という設定は同じで、熱心なチベット仏教信者のリチャード・ギアが演じる。

 でも本当の主役は HACHI である。「週刊文春」の阿川佐和子との対談で、シナリオを読んで自らプロデューサーも買って出たというリチャード・ギアは、共演した犬たちのことを、仏教のヨギ(=修行者)のようだといっているのは面白い。犬は余計な雑念がないからだ、と。とても犬の境地には到達できない、とも。 

 予告編みてるだけでもジ~ンとして目頭が熱くなってくるので、映画館で見るのはやめておきたい。絶対泣いてしまうから。

 やはり本当の物語には、洋の東西を越えて人間の心に訴えかけてくるものがあるのだろう。米国版の trailer とくらべてみるのも面白い、というより、また泣かされる。

 駅で迷子になった子犬(・・この子犬は秋田犬ではなく柴犬をつかったそうだ)の首輪についたdog tag には、漢字の八(はち)の字・・芸が細かいねー。ちなみに、英語の dog tag はミリタリー・スラングでは認識票のことをさす。戦場で斃れてクチがきけなくなっても認識票をみればわかるということ。dog fight とは、戦闘機による空中戦のことだ。

 そうそう、オリジナルの日本版『ハチ公物語』予告編も参考までに。日本人だからハチ公の話はある程度知っているが、やはり舞台設定は現代ににしたほうが、より親近感がますというのは否定できない、と思う。もちろんオリジナル版のハチ公も、仲代達也や八千草薫といった名優以上にすばらしい。

 またハリウッドのリメイクかよ、という人もいるが、日本出身の秋田犬は、すでに世界の AKITA なんだからいいではないか!、と私は思う。

 ハチ公も、世界の Hachiko になったのだから。世界中で愛される物語となるだろう。
 絵本として読まれてきた米国だけでなく、世界中の人が映画をつうじて、ハチ公(HACHIKO)の物語を知ることになるのだから。
 
  『ニッポンの犬』(岩合光昭・写真、岩合日出子・文、平凡社、1998年)という写真集がある。やはり犬はなんといっても日本犬である。以前、こういう文書を書いている。

犬は日本犬に限る! by 土佐犬 (bk1書評 2001/03/28 投稿掲載)私は犬だ。もちろん、猫に対して犬が好きだ、という意味だが。犬は日本犬に限る。表紙に「カワイイ、りりしい、たのもしい」という宣伝シールが貼ってあるが、まさにそのとおり。この本に登場する犬の顔が実にいい。思わずほおずりしたくな るような犬、ほれぼれとするような表情をした犬、犬、犬・・・。何度眺めてもうれしい本。


タイの「ロイヤル・ドッグ」

  さて、話はタイのロイヤル・ドッグのことである。 こちらのロイヤルは、loyal なだけではない、Rで始まるロイヤル、すなわち Royal でしかも Loyal な犬 の話である。

 タイのプーミポン国王ラーマ9世の愛犬トンデーンの話。この犬の話はタイでは知らない人はいない。しかもなんとマンガにもなっているのだ。

 このマンガによれば、あやうく保健所につれていかれて処分される寸前だった犬が助けられて、その子犬のうち一匹が国王にもらわれることとなった、犬のシンデレラ・ストーリーのような物語で実話である。

 この犬は実に賢い犬らしく、国王陛下が国民に道徳を説く際には、トンデーンの話を引き合いに出すという。


 日本語訳が世界でさきがけて出版されている。『奇跡の名犬物語-世界一賢いロイヤル・ドッグ トーンデーン-』(プーミポン国王陛下、世界文化社、2006)

 プーミポン国王の特別の許可をえて、タイ政治学の重鎮である赤木攻・前大阪外国語大学学長が翻訳されている。犬好きならすでによく知っている話かもしれない。日本版は絵本として出版されているが、私としてはタイ語版のマンガのほうが面白く感じている。タイ語版には英語訳がついているので問題はない。


 タイ語のマンガ版が興味深いのは、タイ王国憲法では、「神聖にして絶対不可侵」の存在である国王陛下を(・・戦前の大日本帝国憲法と同じ)、いかにマンガに登場させるかという点にかんして作者が大いに悩んだという。その結果、国王陛下はすべて白塗りで、透明人間のような描き方となった(下の写真)。

(タイで出版されているカートゥーン版)

 なんだか奇妙なかんじもするが、国王陛下のご真影がいたるところに存在するのが、タイ王国である。かしこくも国王陛下にあらせられましては・・・ってことであろう。苦肉の策といえば、そうとしかいいようがないが。


タイの犬は放し飼い


 バンコクの犬といえば、朝から暑いということもあるが、でっぷりと肥えたメタボで、朝からマグロのように舗道に転がって熟睡しているのが大半だが、すべて野良犬ではなく、飼い犬もまじっているようだ。首輪をしている犬がいる。バンコク中心部ビジネス街のシーロムで撮ったこの写真の犬は、首輪に Cool Dog なんて書いてあるが、どこが Cool だっちゅうの!?と突っ込みを入れたくなる。



 タイでは犬は放し飼いなので、というより日本と違って鎖でつなぐ習慣がないので、野良と飼い犬が共生しているのである。

 ただしバンコク以外では、犬は必ずしもマグロではない。

 数年前、チェンマイの郊外にあるヘルス・リゾートで休暇をとっていたときのことである。

 滞在して数日目、ヒマだったのでゲートの外にでてみた。ゲートの外は見渡す限りまったくの農村地帯で、少し散歩していくとタイ人の民間信仰の対象となっている巨樹があったので見に行ってみた。巨樹に近づいてゆくと、なぜか突然、犬が一匹吠えだした。

 するとその声につられて何匹も犬が吠えだし、みるみるうちに数百メートル先から犬が突進してきたことに気がついたと思ったら、四方八方から何匹も犬が吠えながら猛スピードで突進してきたのである。何かスローモーションのフィルムをみているような気がしていたが、あっという間に犬たちが私の周りを囲んで吠えまくっている。

 後ろを見せたら間違いなく噛まれると思ったので、たまたまその時手にしていた傘をひろげて犬が近寄れないようにしばし防戦していたが、もしかした駄目かもしれないという気持ちになったその瞬間、農家からおじいさんがでてきて、口笛で犬になにか合図した。そのとたん、犬は吠えかかってくるのをやめて散っていった。「悪い人ではないから吠えないように」と、おじいさんが犬に合図したようだ。思わずおじいさんには頭を下げて礼をしたものであった。

 まことにもって、よそ者には警戒するという原則をたたきこまれた番犬として優秀なチェンマイ犬たちであった。まさに Loyal dogs である。

 
 教訓: タイの犬だからといって、すべてバンコクを基準にして固定観念でもって類推するのは危険である。

 舗道に転がっているマグロ犬だけではない。タイには王様の犬もいれば、バンコク市内ではセレブが飼うチワワもいる。もちろん主人に忠実な番犬もいる。もちろんマグロ犬も発情期は寝そべったりしていないので危険である。

 犬の数だけ、"犬"生がある。もちろん犬だから、dog year を生きているのであるが。


 P.S. さて今回は、本日8月28日に、タイのあれこれ(8)で、ハチ公(=Hachiko)をとりあげたが、これはシンクロではなく、種を明かせばインテンショナルなものである。たまにはこういう細工を組み込んだ設計も面白い。犬づくしの回であった。


タイのあれこれ (9) につづく





PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しを入れ、写真を大判にして
キャプションを書きくわえた。本文には手を入れていない。 (2014年1月19日 記す)


<ブログ内関連記事>

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

タイのあれこれ (6) 日本のマンガ

タイのあれこれ (10) シャム猫なんて見たことない・・・


「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)                   
     




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2009年8月27日木曜日

タイのあれこれ (7)-日本のアニメ



(タイの "萌えバス")


 日本人である私は、そもそも物心ついたときからTVにどっぷり漬かってきたわけであって、マンガ読み始める前からアニメを見ていた。私などより少し前の世代から以降のふつうの子供は、文字を読み始めるよりも、TV見るほうが絶対早いはずだ。

 だから、手塚治虫のアニメ作品『悟空の大冒険』(1967年放送)のエンディング主題歌「悟空音頭」ではないが、「マンガがすっき、すっき、すっき、テレビがすっき、すっき!!」というのは、創作者の手塚治虫の発想であって、そのアニメを見ていた子供の発想ではない(YouTube で視聴可能)。  


 タイ人もまったく同じだろう。タイのローカルチャンネルでは、日本のアニメを吹き替えで放送している。

 タイ人の場合は、それはもう当然といえば当然ということなのだろう。


 しかし違いはといえば、これは日本以外の国はすべてほぼ同じだが、タイでも自国産のアニメではない、ということだ。ほぼ間違いなく100%日本のアニメ作品である。

 『クレヨンしんちゃん』なども人気である(YouTube にタイ語吹き替え版投稿あり。タイでは直接TVで見たことはないが、『セーラームーン』も人気だという。

 中でも、タイで国民的な圧倒的に知名度の高いアニメといったら、なんといっても『ドラえもん』だろう。

 ドラえもんはタイだけでなくアジア全域で大人気だが、欧州ではそうでもないらしい。セーラームーンはイタリアやフランスでは大人気だが。国民性というか、アニメ受容の地域差、文明差とでもいうのか。このテーマはたいへん面白いが、専門ではないのでまたの機会といおうことで。
 ではドラえもんの主題歌をタイ語バージョンにて(YouTube で視聴可能)。


 ドラえもんがどれほど人気かというと、たとえばセブン・イレブンでは買い物すると一定の金額ごとにドラえもんの登場人物のシールを配っており、私も部下の経理担当の女性から、ドラえもんのシールをもらったら自分に渡してくれと頼まれていた。ちなみに私はメガネかけていることもあり、ノビタということになっていたが、まあそれはそれでよしとしておこう。ドラえもん登場人物はタイ人はみなよく知っている。

 また、タイ人も日本人に劣らず、かわいいキャラクターが好きで、ドラえもんだけでなく、タイ独自のマスコットなども実に多い。ミニチュアの人形好きということも共通している。



 ところで、タイにはアニメを描いた観光バスがある(写真)。

 観光バスは、ウルトラマンやらバットマンやら、通常はアメコミを劇画化したような、実におどろおどろしいペンキ画のようなタッチの装飾がされていることが多くものすごい。かつての日本でもトラック野郎の装飾トラックがあったが、そんなもんじゃない。

 そのなかでも飛び切りの観光バスを写真で紹介しておく。

 日本のオタクの人たちなら「萌えバス」とでも表現するのかな? 美少女アニメらしき画像がバス全体をおおっている。乗っているとわからないけど、外からみるとものすごく目立つ。日本のオタクたちがみたら、泣いて喜びそうだなあ。タイに観光旅行する際には、事前に「萌えバス」にしろ!とリクエストしたらどうだろう!?

 観光バス会社の社長の趣味なのか、ただ単に目立たせたいのか、うーん・・・まったくもって謎である。

 「萌えバス」は、きょうもまたタイのどこかを走っている!


タイのあれこれ (8) につづく

                 
<ブログ内関連記事>

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タイのあれこれ (6) 日本のマンガ




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2009年8月26日水曜日

タイのあれこれ (6) 日本のマンガ




タイで流通している漫画本はほぼ99.9%が日本のマンガの翻訳である。

 しかも、正規のライセンス契約結んでの翻訳だから、マンガ本にかんしては、もはや海賊版はないといっていいだろう。

 DVDにかんしては、いまだにタニヤやパッポンといった夜の繁華街の露天では公然と販売されている。DVDなんて複製が簡単だからね。警察も見て見ぬふりだし。

 それにくらべるとマンガはセリフを日本語からタイ語に翻訳しなくてははならないし、日本と違って横書きのタイ語だから、マンガ本も洋書みたいに左から開いて読むことになるから、編集しなおさなければならない。手間がかかるというわけだ。


 写真は、高橋留美子の『うる星(せい)やつら』のタイ語版。ちゃんとライセンス取得して著作権を守っていることが左下のシールに明記してある。値段は1冊35バーツ、日本円ならだいたい100円である。安いね。

 『うる星やつら』といえば、高校時代「少年サンデー」で毎週連載を読んでいた。えんえんと続いていたからね。

 男性のあいだでは絶大な人気を誇る『めぞん一刻』 もいいけど、自分としては『うる星やつら』のほうが断然好きだな。

 アニメ版でラムちゃんの声を担当していた平野文(ひらの・あや)の声はいいねー。「ダーリン、××だっちゃ」。アニメ版とマンガはかなり違うけど。アニメ版のオープニング主題歌はこちらから(YouTube につき音声注意!)。アップしたのはメキシコ人のようだけど、日本のアニメはほんとうにすごいね。まさに全球的な人気だ。


 内容は、社会学者の宮台真司が1980年代後半に、PARCO系のマーケティング専門誌「アクロス」で連載していた『サブカルチャー神話解体-少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在-』(のちに単行本としてまとまっている・・PARCO出版、1993)で指摘するように、「閉じた世界の無害な戯れ」以外の何者でもない学園コメディなのだが。作者の高橋留美子自身も、どうやって連載終わらせるか苦労したらしい。


 こういった昔懐かしいマンガから最新のマンガまで、ほぼすべてがタイ語に翻訳されて出版されている。

 タイ語ではコミックスではなく、英語からきたカートゥーン(cartoon)というので、英語でタイ人と会話していると、話が少々食い違っていることがある。四コマ・マンガもストーリーマンガもみなタイ語でカートゥーンと表現するから、英語でもコミックスのことをカートゥーンといってしまうためだね。ちなみに、中国語でも卞通(カートゥン)と表記している。

 タイではマンガ家として食べていけるのはたった一人だけらしい。その人は、ウィスット・ポンニミット、代表作は『タムくんとイープン』、新潮社から日本語版も出版されている。ほのぼのとしたタッチの描線が特徴だ。

 もちろん日本でもマンガ家として食べていくのはたいへんなことだ。『消えたマンガ家 ダウナー系の巻-どこへいった?あの人気マンガ家-』(大泉実成、新潮OH!文庫、2000)というノンフィクションがあるが、そもそもマンガ家として頭角を現すのが難しいし、人気マンガ家になっても商業雑誌での連載のプレッシャーがあまりにも強くて、とくに発想力が勝負のギャグマンガ家の寿命は長くない。ほんとうに自殺してしまったギャグマンガ家が何人もいるくらいだ。
 

 バンコクでは、地下鉄のMRTで隣に座った学生が熱心に日本のマンガを読んでいる、こういう光景は決して珍しくない。ゲームしてる子供やら、i-Podで音楽聞いてる学生やらいるが、マンガ本読んでるのも必ずいる。のぞき込んでも気がつかないくらい熱中している。
 私の友人のタイ人から聞いた話だが、娘さんがいま高校生くらいだったかな、部屋が日本のマンガ本で埋まってしまっているそうだ。こういう話をきくとなんだかうれしいね。
 
 次回は、タイの日本アニメの話、だっちゃ。

            


       

<関連記事>

日本漫画店「アニメイト」開業、初日6千人来店(NNAタイ版、2016年2月8日)

(2016年2月8日 項目新設)



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2009年8月25日火曜日

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)-急激な経済発展による社会変化に追いつかない「中進国タイ」の政治状況の背景とは




"微笑みを失いつつある"中進国タイ-急激な経済発展による社会変化に追いつかない政治状況の背景とは

 16年前に出版された名著 『タイ-開発と民主主義-』(岩波新書、1993)の続編として、満を持して登場した本書は、現在のタイを、政治・経済・社会から捉えるために不可欠な知識と視点を与えてくれる。読者は充実した読後感を得ることであろう。


 前著の出版は、1992年の第二次民主化運動のさなかで発生した「五月流血事件」によって、報道をつうじてタイが全世界にクローズアップされたあとのことでであった。

 今回の新著は、もはやあるまい思われていたが、2006年に15年ぶりに発生した「無血クーデター」から3年たったいまでも、いっこうに政治的混乱に終止符がうたれないタイの現状について詳細に分析している。

 この二冊の本のあいだに存在する16年間とは、まさにタイが中進国として急激に経済発展し、様々な社会問題を発生させてきた時期でもある。

 著者は、タイ現代史の分岐点となった1988年から筆を起こすことによって、この20年間でタイが"微笑みの国"から、"微笑みを失いつつある国"へと変化してきたことを解説、現在まで続く政治的混乱の原因は何かについての見取り図を読者に与えてくれる。


 タイにかんする本といえば、専門書を別にすれば、ほとんど同じ内容の観光ガイドブックばかりが出版される昨今の日本の出版状況だが、本書は久々に登場した、日本語で読める本格的な一般書である。観光地としてのタイではなく、現代のタイ社会について、根本から理解するための必読書といってよい。

 著者がカバーする領域はかなり広く、経済・政治・社会だけでなく、新興財閥の具体的な企業名もあげて言及しており、ビジネスマンにも読むに値する内容の本になっている。

 著者による 『進化する多国籍企業-いまアジアで何が起きているのか?』(岩波書店、2003)とあわせて読めば、1997年のアジア金融危機後IMF管理下におかれたタイビジネスの変化、消費社会化した現在のタイについて深く理解できるだろう。


 本書を読むと、中進国となった工業国タイの問題とは、米国が主導するグローバル資本主義にいかに対応するかという課題に対する、二つの解答のあいだのせめぎ合いであると見ることもできる。

 ひとつは、1997年の金融危機以後、タイの政治では例外的な、5年以上にわたる長期政権を実現したタクシン元首相の、積極的にアングロサクソン流のグローバル資本主義の流れに乗っかっていこうとした経済・社会政策

 もうひとつは、現国王ラーマ9世(=プーミポン国王)が提唱する「足るを知る経済」。後者は、仏教の経済思想に立脚し、サステイナブル経済を志向する、いわばオルタナティブ資本主義といえる。

 タクシンが積極的に推進した変革は、ある意味でタイを日本以上にアメリカナイズされた社会に変貌させた。これは、ビジネスでタイにかかわり、バンコクに住んでいた私にはよく実感できることである。

 しかし、タクシンが実行した経済社会改革があまりにも急進的であったために、タイ国民は正直いって疲れてしまったというのが実情だろう。これが2006年クーデターが国民に受け入れられた背景にあるようだ。

 日本の小泉首相とほぼ同時期(!)に政権の座にあったタクシンがもたらしたものは、日本と同様、功罪両面から評価しなければ本当のことは理解できないのだ。


 "微笑みの国"というのは、有名なタイの観光キャッチフレーズだが、実際にタイに暮らしていると、タイ人から"微笑みが失なわれつつある"ことを日々実感することになる。微笑みはいったいどこに行ってしまったのだ、と。

 日本を上回るスピードで急速に変化をとげているタイ社会には、先進国日本がすでに経験ずみの問題もあれば、少子高齢化というまさにいま直面している問題もある。またタイ固有の問題もあり、先進国日本の経験で、中進国タイが抱える問題のすべてを推し量ることはできない。


 著者は最終章で「タイ社会と王制の未来」について扱っている。これは、タイの将来を考える上で避けて通ることができない最重要のテーマである。

 しかし、タイについて多少でも知っている人は承知していると思うが、これは正直いって実に扱いにくいテーマなのだ。私は、このテーマを項目として立てたこと自体、著者を高く評価したいと思う。

 しかしそうはいっても、この章にかんしては、行間を読む必要に迫られる。だが、最初から最後まで注意深く本書を読んだ読書なら、今後の方向性についてはかなりの見通しをを得ることができるはずだ。
  

 トリビアルなものまで含めて、タイにかんする知識がぎっしりつ詰め込まれた本書は、一回読んだあと読み捨てにするには実に惜しい。

 ぜひ1冊購入して、読んだあとも手元に置いて、折に触れて参照する価値のある本である。


■bk1書評「"微笑みを失いつつある"中進国タイ-急激な経済発展による社会変化に追いつかない政治状況の背景とは」投稿掲載(2009年8月22日)
■amazon書評「"微笑みを失いつつある"中進国タイ-急激な経済発展による社会変化に追いつかない政治状況の背景とは」投稿掲載(2009年8月22日)
 *なお、再録にあたって字句と表現の一部を修正した。








<書評に対する付記、あるいは「タイのあれこれ 番外編」

 文中にも書いたが、タイにかんする一般書はガイドブック以外はほとんど出版されない、たいへんお寒い昨今の日本の出版状況である。

 なぜほとんど内容が同じガイドブックが、次から次へと異なる出版社から出版され続けるのか理解に苦しむ。はっきりいって、バンコクででているフリーペーパー(無料情報誌)のほうがはるかに役立つのだが・・・

 結局のところ、タイやバンコクにかんする陳腐な決まり文句が再生産されているだけである。観光を振興したいタイ政府としては、それでまったくかまわないのかもしれないが、もう少し日本人も勉強すべきではないか。

 同じガイドブックでも、英語圏では定番の Lonely Planet シリーズは、知的な読み物としても面白く、かつためになる知識がつまった本だ。Lonely Planet Thailand は読んでないが、Lonely Planet Laos はひまつぶしにラオスのルアンプラバン空港のカフェで読んだ。ラオスの環境保護の問題など面白くてたいへんためになった記憶がある。アングロサクソン的知性との違いといってしまえば、それまでなのだが・・・


 『国際スパイ都市バンコク』(村上吉男、朝日文庫、1984 原題は『バンコク秘密情報』、朝日新聞社、1976)とか、『血の水曜日-軍事クーデターとタイ民衆の記録-』(タイ民衆の闘いの記録編集委員会=編、亜紀書房、1977)、『革命に向かうタイ-現代タイ民衆運動史-』(タイ民衆資料センター訳、柘植書房、1978)なんてタイトルの骨太で硬派な本が過去に出版されているのだ、というのはタイ通でも、専門研究者以外は知らないのではないかな?? とくに『国際スパイ都市バンコク』は、私は二冊もっており、二度熟読している。タイについて知りたい人にはぜひ薦めたい。

 軍事政権下の発展途上国で主人公が血湧き肉躍る活躍をするというのは、俳優で作家そして政治家・中村敦夫の国際謀略小説『チェンマイの首』(講談社文庫、1988 絶版。原版は1983)のイメージだが、いまのタイはそういった状況からはもはやほど遠いのかもしれないな。ちなみにこの小説と先にあげた『国際スパイ都市・・』はバンコクの紀伊國屋書店が復刻してタイ国内で販売している。いずれもタイ国内への持ち込み禁止指定はないから安心してよい。

 ベトナム戦争がとうの昔に終結、カンボジアの和平も定着しインドシナ半島が平和になってからは、すでに共産主義の脅威は去り、開発時代に突入したわけだ。「インドシナを戦場から市場へ」というスローガンはまさに時代の雰囲気を表していた。


 開発時代になってからのタイで私がもっとも面白いと思ったイチオシの本は、執筆当時、日本輸出入銀行 (現国際協力銀行)のバンコク駐在員であった金子由芳(かねこ・ゆか)が書いた『幻想の王国タイ-聖なる功徳・俗なる開発-』(南雲堂、1996)である。これほどタイ政府や投資委員会(BOI)のホンネを描き出した本はほかにない。 

 よく赴任してから1年という短期間で、執筆当時28歳の著者に、これだけ鋭い観察ができたものだと、出版された直後に読んで大いに感心した。いや、希望した赴任地でもなく、予備知識なしで飛び込んだのがよかったのかもしれない。怖いもの知らずの、政府系機関の女性駐在員ならではの内容だ。

 タイとタイ人のしたたかさは、お人好しの日本人をはるかに上回る。なんせ日本のような島国ではないからね。植民地にならずにうまくやり過ごしたという事実は過小評価すべきではないのだ。あたりが柔らかいからといって油断してはいけない。ホンネとタテマエが違うのはアジア人だから当然だが、日本人以上にかけ離れているのである。

 この本を読めば、日本人ももっとうまくタイに対応できるのに・・・と思う。どうも日本人は西洋人以外では自分が一番だと思い込んでいるようだが、これはとんだ勘違いだろう。実務だけわかればいいというわけではないのだ、国際ビジネスというものは!


 それはさておきジャイ・ジェン・ジェン(=冷静に!頭を冷やしなよ!というタイ語)、本書についてだが、タイはすでに、「開発独裁」状態からはすでに卒業し、「中進国」としての悩みを抱えて状況になっていることを描き出した点、大いに評価できる本である(・・評価できるなんて、なんかエラそうないいかただな、何様だお前はといわれそうだが・・・これは日本語の問題)。

 これだけ水準の高い新書本は、中身のない軽い新書本がはんらんしている現在、腰を据えて読む必要があるので、実際はそれほど読まれないかもしれない。しかし、大学生がレポート書く際の指定図書としては間違いなく使用されるだろう。それだけ中身のある本である。


 本書のなかで重要な指摘だと思ったのは、タイの「消費社会化」についての記述である。

 購買力はバンコクを10とすれば地方都市は6、地方の農民は3と、格差はむしろ以前より縮小傾向にある(!)との指摘(P.105)は非常に重要である。一般的にはタイの地方農村は貧しいと思われがちだが、バンコク都市部の可処分所得の上昇に伴って、地方でも伸びがみられるとういうことである。

 末廣氏は、このブログでも以前にふれた「ビア・チャーン」(=象さんビール)の消費量の伸び--なんと1986年以来一貫して右肩あがりだ!--、それにコンビニのセブン・イレブンの店舗数の統計を使用して、その状況を裏付けている。これに本書では触れられていないが、日本のビデオレンタルの TSUTAYA ですらチェンラーイのような地方都市にも店舗があるのが、現在のタイの実態である。

 フランチャイズ(FC)よりも直営店が多いと著者はいうが、バンコクの国際展示場 BITEC で開催されるFCショーの熱気にはすごいものがある。FCオーナーとして独立したいという人間は、タイにも大勢いるということだ。

 ビア・チャーンのオーナーであるチャルーン(・シリワッタナパクディ、またの名を蘇旭日。潮州系)はタイで一番の大富豪として Fortune Asia Edition のランキングにも毎年登場している常連である。その娘は米国でM.B.A.を取得しており、ファミリーの不動産ビジネスを任されている。

 一般大衆向けの消費財(・・このケースでは食品飲料産業)で財をなし、運用は不動産で行うという、華人が完全に同化されたタイならではの金儲け方法であり、かれらは絵に描いたような富裕層ファミリーである。

 本書はは、経済だけではなく、かなりミクロな企業経営まで踏み込んでいるので、ビジネスマンにとっても読み応えがある。


 本書で特筆すべきことは、2006年9月に勃発したクーデター後の政治状況について、キーワードとして「司法による政治のコントロール」をあげていることである。

 「司法によるクーデター」といってすらよい事態によってバンコク・スワンナプーム国際空港封鎖事件が解決したことは記憶に新しい。つい昨年11月のことである。このときはえらい苦労をしたものだと今になっても回想する。

 また、国王の諮問機関としての枢密院についての記述も重要である。この点にかんしていえば、詳細は別としても、戦前の日本も似たような構造である。


 特に重要なのが、タクシン元首相の功罪についても、功績の面に対して公平な評価をしていることである。

 タクシンがその代表的存在である新興財閥(・・極言すれば成金である)と王族や陸軍を頂点とする旧来型の支配層との勢力争いは、1997年のアジア金融危機への対応をめぐる経済思想の違いとも捉えることもできる。書評の中では、私自身の問題に引きつけて、そのように書いておいた。


 本書を注意深く読めば、主要な人物の背景についても重要な知識を得ることができる。

 たとえば、タクシン(・チナワット、またの名は丘達新)は客家(ハッカ)系、戒厳司令官でないほうのソンティ(・リムトーングン、またの名は林明達)は海南(ハイナン)系と、いずれもタイではマジョリティの潮州(チャオチュウ)系ではないことなど。

 詳細な索引をつけてくれると、本書の使用価値もグンとあがったのだが。
 

 「王制の未来」について行間を読めと私が書いたのはどういうことかというと、これも戦前の日本と同様、タイ王国には「不敬罪」(lèse majesté:フランス語)が存在することだ。不敬罪とは、国王や王妃をはじめとする王族に対して非難中傷を行う行為や言動全般を犯罪とみなす刑法上の概念である。

 2006年のクーデター後は「不敬罪」の適用が頻繁になってきており、たとえ外国人であっても、使用言語が日本語であっても、うかつなことでは発言できなし、書かないほうがよいという「空気」が醸成されている。このへんの感覚については、天皇制のもとにある日本人なら、ある程度まで理解は可能だろう。

 また、以前はまったくなかった空港での荷物チェックを昨年の秋に実施されたことが一回だが経験した。その際は、スーツケースを開けさせられたうえで、日本語の本のタイトルまで一冊一冊チェックしていた。国内持ち込み禁止本リストがあり、もし所有物にリストにある本が見つかった場合は間違いなく没収されることになる。銀行制度が信用されない某国に、多額の米ドルの現金を持ち込んだときのイミグレーションよりもスリルがあった、とまではいわないが。

 こういった背景から、著者はそうとう用心して記述を進めているな、ということが読み取れるのである。これは参考文献についてもいえることだ。したがって、行間を読まないと本当のことは見えてこない。

 もちろんタイは、東南アジアではシンガポールにくらべるとはるかに自由で、ある意味かなり"ゆるい"国で、基本的には言論は自由なのだが、ただ一点だけタブー領域があるということなのだ。
 こんなことを書くだけでも、実はかなり気を使っているのである。誤解による無用なトラブルは避けなければならない。

 極論をいえば、21世紀初頭のタイ王国という国は、戦前の大日本帝国が、最先端のグローバル資本主義に巻き込まれた状況に近いのかもしれない。もちろん安易な比喩は危険だが、用心するに越したことはないのである。よその国なのだから、それは当然の礼儀でもある。


 この本はある程度タイについて知っていると面白く読めるが、まったくタイを知らない人が読むためには前提となるものが多すぎるかもしれない。

 正直いって、この書評はあまりうまく書けていない。私自身ある程度までタイを知っているので、ついついある種の"インサイダー意識"が前面に出てしまったような気がする。ディテールにまで踏み込みずぎた書評になってしまった。

 もう少し短くて、読みやすい内容にしないといけないと思うのだが、これは難しい。知っていて知らないふりをする訓練、これも節度ある文章を書くためには必要だ、と痛感する次第。

(以上)

        


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2009年8月24日月曜日

オーストリア極右政治家の「国葬」?


                         
 韓国の金大中・元大統領の国葬が、昨日(2009年8月23日)に行われた。

 私の世代ではキム・デジュンというよりも、東京九段下での拉致事件のからみもあって「きんだいちゅう」といいたいところだが、韓国では Kim Dae Jung の頭文字をとって DJ と愛称で呼ばれていたらしい。

 韓国史上、国葬は朴正煕(ぼく・せいき、パク・チョンヒ)大統領が執務中に暗殺されて以来というが、この二人は思想信条の違いは超えて、国葬に値する人物であったことは、韓国からみれば外国人である私にもまったく異論はない。

 前者がKCIAを指揮して後者の拉致を実行させた人、後者は拉致事件の被害者として死刑寸前までいった民主化リーダー。日本の国家主権を踏みにじった「金大中事件」は決して記憶の彼方にある事件ではない。

 パク・チョンヒもキム・デジュンも、日本の植民地時代に日本語教育を受けた世代であることも共通している。慶尚北道(キョンサンプクド)出身で、日本の陸軍士官学校を卒業した満洲国軍中尉・高木正雄(1917-1979)と、韓国南部の全羅南道(チョルラナンド)出身のカトリック信徒の民主政治家・豊田大中(1925-2009)。

 日本経験と、日本語経験にはもちろん違いがあるが、キム・デジュンの死をもって「日本語世代」がついに終わったのだな、という強い感慨を覚える。まさに、昭和も遠くなりにけり、だ。

 いずれにせよ、キム・デジュンという超大物政治家の国葬における弔問外交が、南北対話再会のための雪解けとなったことは喜ぶべき事である。


極右政治家ヨルク・ハイダーの「国葬」(2008年10月18日)

 ところで、フランスのオピニオン紙「ル・モンド」(Le Monde)に日本語版があるのはご存じだろうか。

 久々にウェブサイトをみていたら、最新号に非常に面白い記事が翻訳掲載されていることに気がついた。題して「ハイダーを「国葬」したオーストリアの土壌」。

 ヨルク・ハイダー(Jörg Haider)とは、オーストリアの極右政治家かつてからナチス礼賛をおこなってきたイケメン政治家である。

(ヨルク・ハイダー wikipediaより)

 酩酊状態で、スポーツカーのスピード出し過ぎで事故死したことは日本でも報道されていたが、その後のことはいままで全く知らなかった。詳しくは記事を読んでいただけばよいが、なぜオーストリアに極右政治家がいて、しかも国民的人気をはくしていたのか、いろいろ考えさせられることも多い。

 この記事にもあるように、遠い極東の日本はもとより、同じ西欧のフランスでもオーストリア関連のニュースはあまり話題にならないようだ。たしかに、実の娘を地下室に監禁し、強姦し続けた男の猟期的な事件とか、そういった特殊なニュースしか取り上げられていないが、これは日本だけではなかったのだな。


フランスからみたドイツ語圏

 フランスからみると、大国ドイツ以外のドイツ語圏というのは、どうやら何か理解しにくい地域であるようだ。

 戦後西ドイツはフランスと共同歩調をとることによって、復興欧州での地位回復を図ってきた歴史がある。高校生レベルでの交換留学制度があり、両国民の相互理解は非常に進んでいる。これはもう十数年まえのことだが、旅先のシュトラースブルク(・・フランスではストラスブール)で、同じ部屋をシェアしたドイツ青年自身から直接聞いたことのある話だ。この背景には共通語としての英語(・・欧州の場合はイギリス英語)の存在も寄与している。

 ドイツ語圏でもオーストリアのような小国は、フランスとはドイツとのあいだにあるような親密な交流はないのかもしれない。

 欧州共同体(EU:European Union)に属しているとはいえ、内部の差異は思ったよりも大きいようだ。何よりもフランス語圏とドイツ語圏とでは流通するニュースにも大きな違いがある。

 これは、Google News の各国語バージョンで検証してみたらすぐにわかることだ。フランスの旧植民地のアフリカの情報はフランス語圏では流通しても、ドイツ語圏では流通しない。国境をはさんで隣り合った地域でも、フランスのTV番組とドイツのTV番組ではだいぶ内容が違う。


ハプスブルク帝国の崩壊と小国オーストリアの誕生

 かつてのハプスブルク帝国(=オーストリア・ハンガリー二重帝国)も第一次世界大戦後に崩壊、帝国の版図内にあった中欧諸国が次々と独立していった結果、オーストリア(ドイツ語では Österreich: エスターライヒ=東方の帝国)という小国になってしまった。

 私はウィーンが好きで何度もいっているが、オーストリアでそれ以外の地方というと、ウィーンから日帰りでいける範囲しかいったことがない。ドナウ川をさかのぼったメルクにある美しいバロック修道院と、ザルツブルクくらいだ。

 ザルツブルクはウィーンからいくよりも、南ドイツのミュンヘンからのほうが近い。数年前にミュンヘンのオクトーバーフェストとザルツブルク、インスブルックを回る旅行を計画したが中止。それ以前には、ウィーン西駅からハンガリーのブダペストへ二回、ウィーン南駅からスロヴェニアのリュブリャーナへ一回、鉄道でオーストリアを陸路横断したくらいである。

 ひとことでいってしまえば、ハプスブルク帝国の帝都であったウィーンとそれ以外の地域はまったく異なる、ということである。アルプスの北側に位置するオーストリアは、ある意味スイスに似て風光明媚だが、住んでいる人間はかなり保守的な農民が中心ということのようである。ウィーンはそのなかに浮かぶ例外的な国際都市ということになる。




 ドイツ映画 『野ばら』(Der Schönste Tag meines Lebens:我が生涯で最も美しかった時、1957年 映画の一部に描かれたウィーン少年合唱団、ハリウッド映画『サウンド・オブ・ミュージック』(The Sound of Music、1965)の世界は実はそんなところだろう。

Michael Ande & Wiener Sängerknaben - Ave Maria 1957

 『サウンド・オブ・ミュージック』は、第二次大戦中、ナチス第三帝国に占領されたオーストリアで抵抗運動を行う退役海軍大佐(!)が家族をつれて命からがら脱出するという内容の映画で、撮影場所と成ったザルツブルクと英国人女優ジュリー・アンドルース本人が歌うオスカー・ハマースタイン二世の親しみやすく美しいメロディが素晴らしい。


 まあ、日本人だけではなく、世界的にもオーストリアのイメージは、ウィーン以外は風光明媚なチロル地方、というのがごく一般的なイメージなようだ。

The Sound of Music | #TBT Trailer | 20th Century FOX

 ところが、地元のオーストリアではこの映画は不評だ、というのを以前何かで読んだことがある。


ドイツ語圏におけるドイツとオーストリアの関係

 オーストリアとドイツの関係は一筋縄ではいかないようで、1872年「ドイツ統一」の際も、プロイセン王国の宰相ビスマルクは、オーストリア(ハプスブルク帝国)を除外した「小ドイツ主義」によってドイツ帝国を建設する道を選択した。ハプスブルク帝国が、ドイツ民族以外のスラブ民族やハンガリー民族など多数の異民族を含んでいたためである。

 このため、ナチスドイツによるオーストリア併合(1938年)は、オーストリアでは歓迎された(!)ことは、当時のドキュメントフィルムには、オープンカーで凱旋するヒトラー総統をウィーン市民が熱狂的に歓迎する姿が映像として残されており、一目瞭然である(映像は各種ある )。




 神聖ローマ帝国の領土を継承することによって、ドイツ帝国に次ぐ、ドイツ第三帝国が完成したのだというのだろう。

 このような国で、『サウンド・オブ・ミュージック』のような反ナチス映画が諸手をあげて歓迎されるはずがない。国家が選択した国際社会での生き残り戦略と、一般市民の歴史認識にはズレが存在するからだ。

 したがって、オーストリアがナチスの被害者だと主張するのにはムリがある。

 第二次大戦後は、スイスと同じく永世中立国という選択を行い、国際的にはポジティブなイメージを振りまいてきたオーストリアも、ワルトハイム元国連事務総長がかつてナチスの突撃隊(SA)に属していたと暴露されてスキャンダル発生以降、国際的には疑問符のつく存在となっている。

 オーストリア国内の認識と国際社会の認識のズレがこういうところにあらわれているのであろう。

 その土地の人間の認識と、映画など各種メディアをつうじて知る外部の人間のあいだには大きな認識ギャップが存在するのである。


ナチス時代の「過去」をめぐる歴史認識のズレ

 歴史認識にかんしてはなおさらだろう。

 ドイツ語圏といっても、過去の歴史への対応は、旧西ドイツ、旧東ドイツ、スイス、オーストリアでは大きく異なるようである。

 また、旧ハプスブルク帝国領の中欧諸国は現在でも中高年以上は英語よりもドイツ語が得意なドイツ語圏だが、ドイツに占領されたチェコ(スロヴァキア)やポーランドといったスラブ民族と、二度の対戦においてドイツと軍事同盟を結んだハンガリーとでは、かなりの温度差があるようだ。

 どこの国であれ、歴史認識をめぐる問題は難しい。歴史とは過去の問題ではなく、現在の、そして未来に直結した問題であるからだ。

 安直にドイツがモデルだなどといわないほうがよいのではないか? 広くドイツ語圏とはいわずとも、東西再統一後のドイツにおいてすら歴史認識をめぐっては必ずしも一致しているわけではない。ましてや・・・



PS 読みやすくするために改行を増やし、あらたに小見出しを加えた。ただし、内容にはいっさい手は加えていない。なお、「ブログ内関連記事」の項目を新設した。(2015年2月8日 記す)     






PS オーストリア総選挙で中道右派が勝利(2017年10月16日)

オーストリア総選挙で中道右派の国民党が過半数は取れなかったが、得票率で第一党となった。党首はなんと31歳のゼバスティアン・クルツ氏。極右のハイダー氏もそうであったが、オーストリア国民はドイツ国民とは違って、イケメン政治家が好きなようだ。

(ゼバスティアン・クルツ氏 wikipediaより)

さらに、第二党には極右政党の自由党。この両者が連立を組んで右派連合が結成されると予想されているが、このブログ記事を読んだ人なら、なんら違和感を感じないだろう。ドイツのメルケル政権が中心となって進めたEUの難民受け入れ政策への反発がこういう結果をもたらしたのである。

なお、あらたにハイダー氏とクルツ氏の写真を挿入し、その他の画像を拡大版とした。すでに視聴不可能となっている動画は削除し、あらたなものに入れ替えた。基本的に本文には手は入れていない。

(2017年10月16日 記す)


<関連サイト>

ハイダーを「国葬」したオーストリアの土壌 (ピエール・ドーム特派員(Pierre Daum) ジャーナリスト、訳:日本語版編集部)
・・「ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年7月号」


<ブログ内関連記事>

オーストリアとウィーン

書評 『ヒトラーのウィーン』(中島義道、新潮社、2012)-独裁者ヒトラーにとっての「ウィーン愛憎」

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著 ・・失敗に終わった「1848年革命」をウィーンを舞台に描く

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)
・・1909年ウィーンに生まれたドラッカーは、第一次大戦に敗戦し帝国が崩壊した都市ウィーンの状況に嫌気がさして17歳のとき(1926年)、商都ハンブルクに移っている

書評 『レッドブルはなぜ世界で52億本も売れるのか-爆発的な成長を遂げた驚異の逆張り戦略-』(ヴォルフガング・ヒュアヴェーガー、長谷川圭訳、日経BP社、2013)-タイの 「ローカル製品」 を 「グローバルブランド」に育て上げたストーリー ・・レッドブルの本社はオーストリアのザルツブルク近郊にある

戦後ドイツの歴史認識

・・ドイツの日本人学校の校長による歴史教育のレポート

・・旧西ドイツと旧東ドイツの歴史認識のズレ


■ファシズム・右派・極右

・・リアルタイムでファシズムを観察していたドラッカーは、イタリアのファシズムとドイツのナチズムが別物であることを的確に見抜いていた

(書評再録) 『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、2000)-いまだに「見えていないイタリア」がある!




フランス人のドイツ観

・・「ドイツは、普遍主義的なヨーロッパ的態度を取ることができないのです。・・(中略)・・ドイツは、巨大なドイツ語系スイスのようなものだと、言っているのです」(トッド)

(2015年2月8日 項目新設)
(2016年12月4日 情報追加)




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2009年8月23日日曜日

書評『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)ー「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない




「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない

 「太平洋戦争」ではない! 「大東亜戦争」である!
 すべては、名を正すことから出発しなくてはならない。

 米国を中心とした連合国による占領軍が、敗戦国日本の国民に対して、厳しい検閲をとおして徹底させた「太平洋戦争」というネーミング、ここに戦後日本人の精神を歪めた最大の問題点、そしてその出発点がある。

 「太平洋戦争」とは、米国による太平洋支配という世界観からでてきた概念であり、米国による占領政策を象徴的に表現したものでもあった。戦後の日本人は占領軍による洗脳、呪縛のもとに六十数年を過ごしてきたことになる。

 著者は、「大東亜戦争」が何のために戦われた戦いなのか、講和条約が成立し独立を回復して以降も、日本人はこの問いを自ら封印し、隠蔽してきたことに、戦後日本人の精神的退廃の原因、そして何度謝罪してもアジア諸国で受け入れられてこなかったことの原因があると見る。

 私はビジネスをつうじて東南アジア、とくにタイにかかわってきたが、現地にいてどうもしっくりこなかったのが「太平洋戦争」というネーミングなのである。

 もちろん私の世代は、歴史教育をつうじて「太平洋戦争」と教え込まれてきたのであり、これまで何の疑問もなくこの表現を使用してきた。

 しかしあるとき気がついたのは、当時は南方とよばれた東南アジアで日本が戦ったのは米国ではなく、主に大英帝国だったという事実である。ミャンマー(ビルマ)は当時は英領ビルマ、マレーシアとシンガポールは英領マラヤ、ベトナムは仏領インドシナ、インドネシアは蘭領東インド、であった。すべてが太平洋に面した地域ではない。

 そんなときに読んだのが、インドネシア現代史研究家・倉沢愛子の『「大東亜」戦争を知っていますか』(講談社現代新書、2002)である。倉沢氏は「大東亜」戦争と、大東亜をカッコつきで記述しているが、日本軍のマレー半島上陸のほうが、米国の真珠湾攻撃よりも早かったのである、という事実を教えてくれた。戦場となった東南アジアからみた「大東亜」戦争を語った本である。

 近年、日本の現代史研究家のあいだで「アジア太平洋戦争」というネーミングが使用されているのを時々目にすることがある。学術的なネーミングとしては、「太平洋戦争」というネーミングの問題点を修正しようとする意図が感じられるので、一見すると一歩前進したようにもみえるが、しかしながらとってつけたような印象はぬぐえない。

 それならいっそのこと、開戦時使用された歴史的名称である「大東亜戦争」でいいではないか

 本書の著者は、むしろ積極的な意味で「大東亜戦争」といっている。

 これは本書のタイトルが、林房雄の『大東亜戦争肯定論』(1964・1965)を踏まえたものであることからもそれがわかる。林房雄は、大東亜戦争は明治維新の以前、幕末の西洋列強の軍艦の出現に始まる「東亜百年戦争」であった、と書いているという。アジアのなかではいち早く西洋近代化した日本が、自存自衛のために西洋列強と戦った戦いなのであると。

 日本は、アジア解放をスローガンとして戦ったが、死力を尽くした末、戦争には敗れ去った。しかし、「大東亜戦争」がきっかけとなり、結果としてアジア諸国の独立が達成されることとなる。

 本書は、1957年生まれの戦後世代の文芸評論家による、本質に迫った議論の書である。著者は、戦後日本に対して、読者に対して、真っ向から直球で勝負してくる。

 引用された数々の日本人の声、この多数の引用文は厳選されたものであろう。著名人だけではない、特攻作戦で散華していった若者の声も引用されている。これら引用文を読むと、日本人がその時、いかなる考えをもって事に臨んだのか、手に取るように伝わってくる。

 たしかに日本は無謀な戦いを戦い、日本人の多くが死んだだけでなく、近隣諸国にも多くの死傷者を出したことはまぎれもない事実である。

 しかし、何のための戦いだったのか、なぜ日本は戦わねばならなかったのか。この歴史的事実をきちんと見直さなくては、戦後日本のゆがみを正すことはできない、近隣諸国との真の意味での正常化は困難であり、ましてやアジアでも世界でも尊敬を受けることなどほど遠い。

 現在に生きるわれわれは、当然のことながら戦後日本の経済復興と経済成長を十二分に享受してきたのであり、戦後そのものを全否定するのはナンセンスである。

 しかし、経済的な達成の果てに得たものはいったい何だったのか、何かが精神的に欠けているのではないか、何かがおかしいのではないか・・・という感覚はつねに感じてきたはずである。そしていまやこの国は問題が噴出し、手のつけられない状況になりつつある。大東亜戦争ときちんと向き合ってこなかったつけが回ってきているのではないか。

 本書は、こういった疑問をもっている人にとって、間違いなく考えるヒントを与えてくれる本である。

 本書は、何か特定の主義にのっとって、その主張を煽るといったたぐいの本ではない。また戦前・戦中を絶対視する議論でもない。

 著者の姿勢は終始一貫して冷静である。それだけに数多くの引用文が訴えかけてくる声に、読者は耳を澄ますことになるのだ。

 われわれは、何か本当に重要なことを見ないふりをしてきたのではないか、と。



■bk1書評「「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない」投稿掲載(2009年8月19日)






<書評への付記> 

名を正すということ

 書評のタイトルに、「名を正す」という表現を使用した。これは、論語でいう「正名」(せいめい)のことである。

 出典は、論語巻第七 子路第十三、引用は岩波文庫版(金谷治校注)による。
子曰 (中略) (子のたまわく)
名不正則言不順 (名正からざれば則ち言順わず)
言不順則事不成 (言順わざれば則ち事成らず)
 (中略)
故君子名之必可言也 (故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり)
言之必可行也 (これを言えば必ず行うべきなり)
 (後略)

 つまり、ひらたくいえば「名は体を表す」ということで、このケースでいえば、「太平洋戦争」という名を使う限り、アメリカ占領軍による洗脳の呪縛が解けぬまま、米国支配層のお先棒担ぎを続けることになることを意味する。

 「大東亜戦争」という名に変えることで、本来あるべき姿に戻すことになる。たとえこの戦争の結果敗れさり、多大な損害がもたらされたとしても、日本人として歴史に対して責任をもつという倫理的な姿勢を内外に示すことになるわけである。決して右翼的な発言ではない。

 私自身は特に儒教が好きだというわけではないが(・・統治者の側の論理が中心の儒教は、むしろうっとおしいと思っている)、この「正名」という考えは、基本的な倫理としてきわめて重要であると考えている。

 名、あるいは名前というものは、実はそんなに簡単なものではない。近代言語学生みの親であるソシュールに従えば、名前(フランス語でシニフィアン:signifiant、英語なら signifying)と名前がさしている内容(シニフィエ:signifié、英語なら signified)との関係は、本来は必ずしも必然的ではない、恣意的な関係である。

 たとえば、四つ足動物で人間が家畜化し、ペットとしてかわいがっていて飼い主に忠実な動物のことを日本語ではイヌとよんでいるが、それをイヌとよぶのは慣習からであって、そもそもなぜ日本ではそれがイヌという二音節の音声でよばれるようになったかについては不明だし、しかも必然性はない。

 しかし名付けという能動的な行為によって、その名前によって意味される内容が形成されていくことは、ペットの名付けを考えてみればすぐに了解されるだろう。

 たとえば、自分の犬にポチ(・・小さいを意味するフランス語プチから)と名付けるのか、HACHI(・・忠犬ハチ公)と名付けるのか、ビンゴ(・・シートン動物記の名犬ビンゴ)と名付けるのか、名付け自体は恣意的なものだが、名付けの行為以後は、その子犬はHACHIとして生きることになり、犬と家族との物語が形成され、それは蓄積されていくのである。不可逆で重層的な厚みをもった時間の集積、これが歴史というものの本質だ。

 以前、ブランドについて経営学の観点から研究を行った際に、固有名詞とは何か、名前とは何か、命名とは何か、名前が資産として価値を持つとはどういうことか、ということについて徹底的に検討を加えたことがある(・・2002年に執筆したが論文は未刊行)。ブランドとは、つまるところ固有名詞だからだ。

 煩瑣になるのでここでは書かないが、名と命名について、ひとつだけ引用を行っておく。イスラーム哲学の世界的権威で言語哲学者であった筒俊彦博士の遺著 『意識の形而上学-『大乗起信論』の哲学』(中央公論社、1993)からの引用である。
「・・あるものに何々という名をつけることは、たんに何々という名をつけるだけのことではない。命名は意味分節行為である。あるものが何々と命名されたとたんに、そのものは意味分節的に特殊化され、特定化される」(P.27 引用は単行本 太字ゴチックはは引用者=さとう)

 ここでいう「意味分節」とは、意味による存在の切り分けを意味するコトバで、言語のもつ本源的な機能そのものである。

 「大東亜戦争」は、そもそもの時点において「大東亜戦争」と命名され、戦いが開始されたのである。戦争責任者である政治家、軍人だけでなく、一般国民も賛成するにせよ反対するにせよ、それとして受け取り、ある者は従軍し、ある者は銃後を守り、ある者は投獄され、ある者は・・・・、すべて日本国民はこの歴史創造行為に直接的であれ、間接的であれ関与したのである。これは紛れもない事実であって、この事実を否定することが、精神の歪み、自己欺瞞を生み出してきたことは否定できないであろう。

 「大東亜戦争」は「太平洋戦争」と改竄されることによって、日本人は歴史形成の主体を奪われたままになっているのである。だから名は正さなくてはならないのである。「大東亜戦争」とよぶことによって、日本人は再び歴史形成の主体として復帰することとなる。これは正常化プロセスの一環として捉えるべきであろう。
 
 正直いって、私も「大東亜戦争」という名称は、使用するのは抵抗感があった。何か右翼的な、リビジョニスト的な響きがあったためだ。それだけ、知らず知らずのうちに「太平洋戦争」という刷り込みをされ、洗脳されていたことになる。

 いまから5~6年前だったろうか、前職で会社の顧問をお願いしていた方から、こういうことをいわれたのである。「もしあなたが将来、若者の教育に従事する気持ちがあるのなら、大学の先生になるなどとは考えず、私塾を開きなさい。そしてまず何よりも大東亜戦争についてキチンと教える必要がある」、と。

 「大東亜戦争ねえ・・・」と内心では思ったが、そのときは私は何も答えなかった。

 その方はある商社出身で、機械部品の分野では生き字引のような人であり、現在でも何社もハイテク関係の会社の社長もやっている方である。長年海外取引に従事してきた国際ビジネスマンで英語は完璧、なんと第一回のダヴォス会議に出たことがあるという人なのだが、そのような経歴をもった方からそういうことをいわれたので、ずっと気になっていたのである。いや、そういう人であるからこそ、健全な意味でのナショナリストであり、またそういう姿勢が根本にないと、国際的な場面ではプレイヤーとして尊敬もされないのだろうな、と。

 また、書評のなかでも触れているが、インドネシア現代史研究家・倉沢愛子の『「大東亜」戦争を知っていますか』(講談社現代新書、2002)などをよむうちに、自分のなかでも、「太平洋戦争」という名称はおかしいのではないか、と段々思うようになってきたというわけである。

 私があえて「大東亜戦争」という名称を使う理由は以上のとおりだ。

 けっして何か特定の政治的立場に基づいた見解ではない。私は右であれ、左であれ、安直なレッテル張りには嫌悪感以外のなにものも感じない。レッテル張りとは、思考力の欠如、知性の欠如以外のなにものでもない。

 富岡幸一郎氏は本書中でいくつも引用をしているが、ひとつだけ「お粗末な発言」を引用している。評論家で作家・立花隆の発言である(p.80)。「9-11」直後の状況において、立花隆は特攻隊と自爆テロを同じものとみなし、きわめて粗雑な言説をまき散らした

 自爆テロが非戦闘員である一般市民を巻き込む無差別攻撃であるのに対し、特攻はあくまでも交戦国の戦闘員に対してのみ行われた攻撃であること、また特攻隊員の多くが出撃にあたって、祖国のために死ぬことの意味を真剣に考え抜き、残していく家族への思いを遺書や手紙に残していること、これらの事実を読み取ることもできず、十把一絡げに軍国主義と総括する粗雑な議論なのだ。

 立花隆は、ありとあらゆる分野につうじているということで、かつては「知の巨人」などともてはやされたことがある。しかし、とんだ「痴の虚人」ぶりではないか。トンデモ発言のオンパレードである。

 かなり以前から立花隆はなんかヘンだぞ、といわれてきており、何冊も本がでている。たとえば、『立花隆「嘘八百」の研究-ジャーナリズム界の田中角栄、その最終真実。(別冊宝島Real)』(宝島社、2002)、『立花隆の無知蒙昧を衝く-遺伝子問題から宇宙論まで-』(佐藤進、社会評論社、2001)、『立花隆先生、かなりヘンですよ-「教養のない東大生」からの挑戦状!-』(谷田和一郎、宝島社文庫、2002)などなど。

 風呂敷を広げすぎて、無責任な放言が増えたようだ。かつては『日本共産党の研究』(講談社、1978)や『中核vs革マル』(講談社、1975)など、緻密な取材に基づいた、すごくいい仕事をしてたのに・・・。他山の石としなくてはならない(・・な~んていう私は「知の巨人」からはほど遠い存在ではありますが・・しかし、哲学者ヴィトゲンシュタインではないですが、知らないことは知らないとして安易に発言はしないようにはしております、はい)。

 歴史と倫理の問題、これは今後も深く考えていかねばならない。「歴史の審判」は必ず下されるからだ。これはまさに倫理にかかわるものだ。

 誰もが歴史から逃れることなどできないのだ。



PS
101本目の投稿でイヌについて語ったのは、意図的にしたわけではない。投稿アップ後に誤字脱字を修正している段階で気がついた。ディズニーの「101匹わんちゃん大行進」とのシンクロ(ニシティ)ですかねー?

読みやすくするために改行を増やし、重要なポイントは太字ゴチックとした(2013年7月13日 記す)
                         
  

<ブログ内関連記事>

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる

(2015年7月25日 項目新設)


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