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2020年3月30日月曜日

映画『復活の日』(1980年、日本)を初めて見た-生物兵器と核兵器で2度滅亡した人類の「復活の日」

(画像をスマホでキャプチャ 以下同様)

アマゾンの prime video に『復活の日』があったので、はじめて視聴してみた。2時間36分。
   
1980年の角川映画いまからもう40年前!の映画か。たぶん当時は大学受験勉強中だったためだろう、この映画の存在も知らなかったように思う。まったく記憶にないのだ。

原作は『日本沈没』で有名な小松左京のSF作品。中学生の頃、ベストセラーになって社会現象となったいたことを覚えている。『日本沈没』は読んだ記憶がある。だが、『復活の日』のほうがSF作品としては古いのだな。原作は読んでないが、1964年の発表らしい。



こんなストーリーだ。米軍が開発したウイルスによる生物兵器が何者かによって盗み出されて漏洩、これが原因となって原因不明の感染が拡大。しかも、いちばん最初に感染が爆発したのがイタリアのミラノというのが、今回の新型コロナウイルスとよく似ており、偶然とはいえ不思議な感さえある。謎の肺炎は「イタリアかぜ」と名づけられ、全世界に感染が拡大していく。



次々と起こる医療崩壊。そして、感染拡大はとどまるところなく、全世界がほぼ滅亡残ったのは、たまたま寒冷地の南極基地にいた各国の人間と、潜水艦の乗組員などのみ。南極基地には2年分の食糧があるので、残された男性たちと圧倒的に少数の女性たちだけが生き残ることになる。

米ソ冷戦時代ということもあり、生物兵器だけでなく、核兵器も炸裂し人類は2度絶滅するという、なんとも救いのない設定だ。もちろん、「復活の日」というタイトルなので、最後に救いらしきものはあるのだが・・・




日本映画なのだがセリフのほとんどが英語で(日本人のセリフもかなりの部分が英語)、キャスティングもほとんどが外国人。出版業以外に多角化した事業でブイブイ言わせていた頃の角川春樹は、こんな映画を制作していたのだなあという感慨。興味のある人は、見たら面白いと思う。

設定自体は妙にリアリティがあるが、なんせ40年前の作品なので、妙に古くさい気がしなくもない。まあ、これだけテクノロジーの発展スピードが速い時代に生きていると、それはそれで仕方がないかな、と。



 

<関連サイト>

小松左京はなぜ『復活の日』を書いたのか(デイリーBOOKウォッチ 2020年4月10日)

(2020年4月17日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

書評 『人類が絶滅する6のシナリオ』(フレッド・グテル、夏目大訳、河出文庫、2017)-人類滅亡シナリオの第1位は「スーパーウイルス」だ!

「サリン事件」から25年(2020年3月20日)ー「生物化学兵器によるテロ」という観点から、いまこそ振り返る必要がある!

映画 『猿の惑星』の原作は、波乱万丈の前半生を東南アジアで送ったフランスの作家が1963年に発表したSFである

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える
・・「梅棹忠夫は、「科学や知的探求は、人間の業(ごう)であるから制御できない」という意味の発言を1970年の時点でしていたという。(・・中略・・)思えば、1970年頃は梅棹忠夫のような発言はけっして異様ではなかった。当時でたローマクラブによる暗い未来図など、進歩がうたわれる反面でかなり暗い未来図が提示されていた時代であった」

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ
・・「1970年前後というのは「未来学」がブームになっていた頃である。その未来学をリードしたのが梅棹忠夫や小松左京といった人たちだ」

(2020年4月1日 情報追加)


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2020年3月28日土曜日

書評『サピエンス全史 上下 ー 文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳、河出書房新社、2016)-想像力によって作り出したフィクション(虚構、擬制)が人類をここまで進化させてきたが・・

(期間限定特装版のカバーはゴーガンの有名な絵画)


 『サピエンス全史 上下-文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳、河出書房新社、2016)を読了。出版されてからすでに4年たつ。

日本語版も「ビジネス書大賞2017 大賞受賞」、「ビジネス書グランプリ2017 リベラルアーツ部門 第1位 」に選出され、現在でもロングセラー状態が続いている世界的な超ベストセラーだ。すでに全世界で2000万部売れたという。

英語版タイトルは、Sapiens: A Brief History of Humankind(2015)、直訳すれば「サピエンス-人類の簡潔な歴史」となる。

ビジネスパーソンである以上、世の中で流行っているモノやコトには一応は注意を払うものの、限られた時間のなかでは、やり過ごすことが多い。

しかも、この本がベストセラーが話題沸騰中でベストセラー街道を驀進中だった頃、最終的に『ビジネスパーソンのための近現代史』(2017年5月刊)というタイトルになった本の執筆に専念していたので、見て見ぬふりをしていた。土日のすべてと、平日の早朝の時間帯を調査と執筆にあてていたので、とても読むヒマなどなかったのだ。

面倒なのでそのまま読まないままで済ませようと思っていたのだが、よんどころのない理由の発生で読まざるをえなくなった。昨年10月のことだ。

それからすでに半年近くたってようやく読み始めたわけだが、新型コロナウイルス騒ぎで、少しヒマができた(というよりも余儀なくされている)ので一気に読了。こういう本は、できれば一気に読んでしまいたいものだ。




想像力によって作り出された「フィクション」(=虚構、擬制)がもたらした進化

なるほど、こういう本がベストセラーになるのだなといいうことは、読み始めてからしばらくして納得した。

日本語の訳文がこなれているからということもあるが、読みやすいからだ。しかも、こういうスタンスで書かれた本があまりないということもその理由だろう。

本書を一貫しているの思想は、想像力によって作り出した「フィクション」(虚構、擬制)が、現在唯一の人類であるホモ・サピエンスをここまで進化させてきた、というものだ。ホモ・サピエンスも動物であるが、フィクションのおかげで生物学的制約を超えることが可能となったのだ。

これが、7万年前に始まった「認知革命」後のホモサピエンスの進化と、地球の覇権確保につながっていく。

神話や伝説、神々や宗教から始まり、企業や法制度、国家や国民、人権や平等、そして自由といった概念もみなフィクションであると著者は言い切っている。 まことにもって明解ではないか! 

そのために人が生き、そのために人が死ぬもの、それは現実に存在するモノそのものではなく、あくまでも概念である。 だが、そのフィクションが「共同主観的」事実として、個々の人間をまとめあげ、集団として行動することを可能にしてきたわけだ。

企業活動に即していえば、著者も冒頭であげているブランドがそうだし、ミッション・ビジョン・バリューなど、まさにフィクションの最たるものだろう。でも、それでいいのだ。
(・・とはいえ、日本語世界では、すでに「共同幻想」という概念が普及しているので、著者の主張はとくに目新しいものではない社会学の専門用語を使用すれば「社会構成」(social construction)ということになるが、インタビュー記事によれば、著者はあえて日常用語を使用したらしい)。

歴史家である著者は、生物学的な制約条件を脱して、独自の進化が可能になった理由をそこに求めている。だから、この本を最初から最後まで貫いているのは、「生物学」と「歴史学」との相克(コンフリクト)といっていいだろう(・・日本語版では「歴史」となっているが、「歴史学」とすべき箇所がある。biology を生物学と訳すなら、history は歴史ではなく歴史学だ)。

過去も現在も未来も、いかにしてホモ・サピエンスが、生物学的条件に束縛されながらも、そこから脱しようとしてきたのが現在に至る軌跡であり、それが未来に向かう道筋である。

著者の主張で重要なのは、ホモ・サピエンスだけが人類ではない、としていることだろう。ホモ・サピエンスが覇権を握る以前は、ネアンデルタール人などさまざまな人類が存在したわけであり、しかも生命操作とAIや機械などによる「人間強化」の行く末には、「異なる人類」が誕生する可能性が高い。「超人類」と言い換えてもいい。ホモ・サピエンスの覇権は終わり、ワンノブゼムになるというわけだ。





動物であるホモ・サピエンスが、その他の動物を支配して生きてきたことの功罪

このほか、著者自身の価値観が濃厚にできるなと思わされるのが思わされるのが、動物であるホモ・サピエンスが、その他の動物を支配して生きてきたことの功罪についての記述だ。

1万2千年前の「農業革命」によって、狩猟採取生活から農業と牧畜への生活にシフトしていくわけだが、狩猟採取時代の人間と動植物との共生状態は終わることになった。同時に、ホモ・サピエンスは狩猟採取時代の全脳感を失うことになる。不安定な状態のなかで生きるには、脳力を全開にする必要があるからだ。

有用性の観点から人間は小麦を栽培し、ヒツジなどの動物を家畜化していく(・・ここらへんは、イスラエル人の著者に「中東バイアス」を感じてしまう。日本人が書くなら、まずはコメから始めるだろう。いや縄文人が栽培していたクリか?)。

生活は安定するが、人間の幸福感はかえって減退していったのではないか、というのが著者の見解だ。

また、ホモ・サピエンスがその他の動植物を支配するようになった結果、動物の苦しみは続いているのだ。ヒツジも牛も馬も、有用性という観点から、人類に奉仕するようにされてきたが、それが動物たち本来のあり方とは言えないだろう、と。

いわゆる「アニマル・ライツ」(=動物の権利)派の主張がそこにある。 

もちろん、動物を家畜化して生きるようになってから、家畜の感染症が「動物由来感染症」として人類に転移し、パンデミック(=地球規模の感染爆発)となってきたことは、「農業革命」のネガティブな側面といわねばならない。その意味でも著者が言うように、「農業革命」以後は人類の幸福感は低下傾向にあるというべきかもしれない。

いずえにせよ、「種」全体として人類は進化しても、個々人レベルの幸福感が増大したかどうかは別の話なのだ。この点が著者が強調するものであり、「第18章 文明は人間を幸福にしたのか」に集中的に書かれている。


(ハラリのベストセラーと拙著が隣り合わせで平台に)


■「科学革命」後の急速な発展と進化は何をもたらしてきたのか

本書全体にかんしては、「第1部 認知革命」から「第2部 農業革命」、「第3部 人類の統一」までは面白い

だが、「第4部 科学革命」は、最後の2章を除いては、とくに面白いとは思わなかった。「第4部」は、結局のところ「西洋中心史観」と大差ないからだ。この内容なら類書はいくらでもある。ある意味では、拙著『ビジネスパーソンのための近現代史』も同じ時代を別の観点から取り上げている。

ただ、著者の指摘で重要なのは、15世紀以降の西欧による世界支配は、科学革命による「無知」の発見と肯定にあるとした点だ。

「無知」という自覚があるからこそ、人類は「未知」を探求し、見えないものを見えるもの、すなわち「既知」に変えていくその繰り返しが「科学革命」の本質である。かつては神が創った世界には「未知」はないとされてきたが、「科学革命」によってその世界観は揺らぐことになった。

そして、科学と帝国、資本主義、産業革命とエネルギー革命、こういったフィクション(=虚構、擬制)の複合的な組み合わせが、人類の急速な発展を実現化させたのは、著者のいう通りだろう。

とはいえ、歴史の専門家が無意識に陥っているバイアスも感じられる。

それは、歴史イコール人類の歴史としている点だ。人間がかかわるものにだけ歴史があると考えていては、ホモサピエンス誕生以前には歴史はないことになってしまう。そこに不満が残る。地球の歴史や宇宙の歴史といった観点は著者にはない

歴史を生物学との対比と相克という点から見ている点に、著者の立ち位置のユニークさがあるのだが、それは同時に弱点でもあるように思う。

というのは、著者の立ち位置には「環境」という視点がないからだ。地球科学や地理学という観点が欠落しているのだ。まあ、あえて捨象したのかもしれないが・・。


■『サピエンス全史』には、進化と進歩のもたらした負の側面も視野にある

本書のような「人類史」はいままであまりなかったように思う。ベストセラーとなった理由はそこにある。

進化と進歩のもたらした負の側面にまで視野に入っているのは、1970年代以降のものだからだろう。(・・その意味では、日本ではすでに人類学者の梅棹忠夫やSF作家の小松左京による試みが先行していたことは記しておかねばならない)。

個人的な話だが、この本を読みながら思い起こしたのは、中学生時代に愛読していた『人間の歴史 上下』(岩波書店、初版1971年)という本のことである。 



著者は、ソ連の科学読み物の作家であるイリーンとセガール、ソ連で出版された子ども向けの人類史の本である。いまでこそポピュラー・サイエンスものといえば英語圏の翻訳が中心になっているが、かつてはソ連の科学読み物も多く日本で紹介されていた。

岩波書店による書籍紹介には次のようにある。


人間の祖先は力弱い生きものであったが、手を働かせることを発見し、道具を使い、協力して働くことを覚えて以来、今日のような「巨人」にまで発展してきた。人間の歴史の一大ドラマを若い読者に語る。

「先史時代」(・・この表現も歴史家特有のバイアスがあるが)から始まって、1600年のジョルダーノ・ブルーノの刑死で終わる内容。もともとのタイトルは「人間はいかにして偉大になったか」だっと思うが、基本的に進化と進歩が基調にあり、しかも唯物論で貫かれた内容のユニークな本だ。紆余曲折を経ながらも、人類は偉大な存在になったという内容だ。ロシア語によるソ連の出版物なので、当然のことながらロシア史にかんする記述が多い。

『サピエンス全史』の著者ハラリ氏は、ユダヤ系のイスラエル人『人間の歴史』の著者イリーンとその配偶者のセガールも、ともにユダヤ系ロシア人であった。イリーンはペンネームで本名はマルシャーク、『森は生きている』で有名なマルシャークの実弟だ。

イスラエルという21世紀前半の資本主義社会(・・ただし、集団農場キブツに代表されるように、もともとイスラエルは社会主義的傾向が強かった)と、ソ連という20世紀の共産主義社会との違いはあるが、人類史という観点で、人類が個別性を喪失しながら一元化の方向に向かうとする歴史を記述する姿勢に、なにか共通するものを感じるのである。

単なる偶然ではないと思う。普遍性志向の強いユダヤ人特有の一元志向だろうか? 両者はともに無神論者のユダヤ人である点は共通している。

違いといえば、『サピエンス全史』の著者は、すでに人類のペシミスティックな未来が見えていることだろうか。

1970年代の「成長の限界」以降に生まれ、しかもテクノロジーの急速な進歩によって「超人類」が誕生し、ホモ・サピエンスが唯一絶対の立場から、再びワンノブゼムの存在に転落しつつあるというペシミズムだ。

この違いは、イスラエルとソ連の違いを超えて、世代観として意外に大きな意味をもっているのかもしれない。

『人間の歴史』がソ連で出版されたのは、ソ連を自壊に追い込むキッカケとなったチェルノブイリ原発事故(1986年)のはるか以前のことであった。科学と技術が輝いていた「科学万能時代」のことである。そこには一片のペシミズムも存在しなかった。

チェルノブイリ原発事故以降、それ以前に存在したユートピア的な科学信仰の空気は、もはやロシアには存在しない。いや、先進国のどこにも存在しないといっていいのではないか。もちろん、2011年の福島原発事故以降の日本も同様だ。



*****


以上ながながと書いてきたが、結論としては、ある種の偶像破壊的な内容であるが、人類史を一気通貫で描く試みとして、読み物としては面白い、ということになる。

ただし、著者特有のバイアスに注意を払いながら読めば、有意義な読書体験となるであろう。こういう本は、シンギュラリティ(=特異点)が来るとされる2045年の時点で読み返して見ると面白いのではないだろうか。


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PS こういうベストセラーでロングセラーは出版社にとってはドル箱なので、なかなか文庫化されないと覚悟したほうがよさそうだ。

PS2 ところが、2023年11月にはあっけなく文庫化されてしまった。それでも、単行本の出版から7年後のことになる。単行本もひきつづき増刷されつづけているが、文庫版のほうが読みやすいのはたしかだな。(2024年9月8日 記す)



目 次 
歴史年表 
第1部 認知革命 
 第1章 唯一生き延びた人類種 
 第2章 虚構が協力を可能にした 
 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし 
 第4章 史上最も危険な種 
第2部 農業革命 
 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇 
 第6章 神話による社会の拡大 
 第7章 書記体系の発明 
 第8章 想像上のヒエラルキーと差別 
第3部 人類の統一
 第9章 統一へ向かう世界 
 第10章 最強の征服者、貨幣 
 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン 
 第12章 宗教という超人間的秩序 
 第13章 歴史の必然と謎めいた選択 
   1 後知恵の誤謬 2 盲目のクレイオ 
第4部 科学革命 
 第14章 無知の発見と近代科学の成立 
 第15章 科学と帝国の融合 
 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック 
 第17章 産業の推進力 
 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和 
 第19章 文明は人間を幸福にしたのか 
 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ 
あとがき-神になった動物 
謝辞 
訳者あとがき 
原註 
図版出典 
索 引 

著者プロフィール 
ハラリ、ユヴァル・ノア(Harari, Yuval Noah)  
1976年、イスラエルのハイファで生まれた歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻、2002年に博士号を取得。現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えるかたわら、2018年のダボス会議での基調講演など、世界中の聴衆に向けて講義や講演も行なう。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。著書は、世界的なベストセラーの本書のほか、日本語訳されている『ホモ・デウス』と『21 Lessons:21世紀の人類のための21の思考』はいずれも世界的ベストセラーとなっている。このほか、軍事史や中世騎士文化についての3冊の著書* があるが、いずれも日本語訳はない。(最新刊の略歴に引用者が加筆)。

(*注)タイトルは以下のとおり

Renaissance Military Memoirs: War, History and Identity, 1450–1600 (Woodbridge: Boydell & Brewer, 2004)


The Ultimate Experience: Battlefield Revelations and the Making of Modern War Culture, 1450–2000 (Houndmills: Palgrave-Macmillan, 2008)

(2023年11月13日 情報追加)


<関連サイト>

『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ氏、 “新型コロナウィルス”についてTIME誌に緊急寄稿!(2020年3月24日 河出書房新社のサイト)
・・基本的にこの人は理想主義的傾向が強いのだが

Yuval Noah Harari’s History of Everyone, Ever His blockbuster “Sapiens” predicted the possible end of humankind. Now what?  By Ian Parker February 10, 2020, New Yorker Magazine
・・最新の密着取材記事。『サピエンス全史』の読者層が20歳代から30歳代の男性が中心で(そうだろうなと納得)、その著者の学問経歴、知的に早熟で、中世史と軍事史を専攻しながらも病気(?)のため兵役は済ませていないこと、交友関係からプライベートの性的傾向(パートナーは男性)、いわゆるヴィーガン(=完全なベジタリアン)であること、オックスフォード大学留学中に始めたヴィッパサナー瞑想法の深い影響(たとえば、仏教の「無常」観が記述に反映? 毎年1回はインドで瞑想のリトリートを行い、その間はいっさい情報機器に触れない情報断食の実践、そもそもスマホはもたない)、現在は無神論など。Wikipedia英語版以上に詳しいプロファイルがよくわかる好記事

(2020年4月15日 項目新設)
(2020年4月18日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『銃・病原菌・鉄-1万3000年にわたる人類史の謎-(上・下)』(ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2000)-タイトルのうまさに思わず脱帽するロングセラーの文明論
・・「人文社会系の歴史書にはない、動植物の生態も含めた「環境」という切り口からの人類史」

「世界の英知」をまとめ読み-米国を中心とした世界の英知を 『知の逆転』『知の英断』『知の最先端』『変革の知』に収録されたインタビューで読む

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する
・・「資本主義と民主主義を人類史の中心テーマと捉え、過去を簡単に振り返って発展のパターンを抽出したうえで、大胆な予測を21世紀の人類史について行ったのが本書の内容(・・中略・・)世界を動かしてきたのは、宗教人・軍人・商人という三つの人間類型であるが、発展の主導力となったのは「商人」であり、商人が主導してきたのが世界史」

書評 『唯脳論』(養老孟司、青土社、1989)-「構造」と「機能」という対比関係にある二つの側面から脳と人間について考える「心身一元論」
・・「養老氏の基本的立場は、すべては脳で考えられたものだ、というもの」

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論
・・「学者と科学者以外の一般人は、それぞれが自分なりに「納得」したいというマインドセットを共有しているにもかかわらず、精神構造が大きく異なるということだ。そもそも科学と科学者という存在が確立したのが19世紀であるから、科学者はある時期までかなり特殊な人間類型であったのである。ところが、科学者が特殊な存在ではなくなり、「職業人」として一般化したことの意味について考える必要もある」

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える
・・「梅棹忠夫は、「科学や知的探求は、人間の業(ごう)であるから制御できない」という意味の発言を1970年の時点でしていたという。(・・中略・・)思えば、1970年頃は梅棹忠夫のような発言はけっして異様ではなかった。当時でたローマクラブによる暗い未来図など、進歩がうたわれる反面でかなり暗い未来図が提示されていた時代であった」

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ
・・「すべてを「地球レベル」というマクロの視点と、具体的な事物というミクロの視点で同時に見ている」

映画『復活の日』(1980年、日本)を初めて見た-生物兵器と核兵器で2度滅亡した人類の「復活の日」

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・「特異点」(シンギュラリティ)が2045年にくるとカーツワイルが予測する。カーツワイルも無神論のユダヤ人

書評 『人類が絶滅する6のシナリオ』(フレッド・グテル、夏目大訳、河出文庫、2017)-人類滅亡シナリオの第1位は「スーパーウイルス」だ!
・・ふたたび「終末論」が語られる時代になってきた

(2020年4月4日、2020年4月27日 情報追加)


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2020年3月26日木曜日

「誰もが知っている。疫病がやってくることを・・」-レナード・コーエンの名曲 "Everybody Knows" を久々に聴いてみる


新型コロナウイルスの欧州の急速拡大状況に、ふとこの歌のことを思い出した。

カナダ出身の詩人でシンガーソングライターのレナード・コーエンの「誰もが知っている」(Everybody Knows)という歌のことだ。ひさびさに聴いてみた。I'm Your Man というアルバムに収録されている曲だ。

船は水漏れして沈みかけている、すべてが最初から仕組まれた八百長で、金持ちはさらに金持ちに、貧乏人はさらに貧乏になると、世の中はしょせんこんなものなのだ、とシニカルに歌う歌詞が続く。

そして、歌詞が5番までくると、感染症の話になるのだ。ゴチックにした下線部に注目してほしい。


And everybody knows that the plague is coming 
Everybody knows that it's moving fast 
Everybody knows that the naked man and woman 
Are just a shining artifact of the past
(・・後略・・)

試みに日本語に訳しておこう。

 
誰もが知っている。疫病がやってくることを。
誰もが知っている。感染の拡がりが早いということを。
誰もが知っている。裸の男と女は、
過ぎ去った輝かしい遺物に過ぎないということを。
(・・後略・・)

1988年の曲なので、おそらくエイズのことが念頭にあるのだと思う。

性感染症のエイズは現在でも根絶されたわけではないが、感染爆発に人類がおびえていた時代は、すでに過去のものとなっている。

新型コロナウイルスは性感染症ではないが、それでも「濃厚接触」以上の「密着接触」すれば、口鼻目や性器の粘膜をつうじてウイルス感染することを考えれば、性感染症に準じる存在だといえなくもない。

だが、感染症はウイルスの種類を変えて、ふたたび人類に襲いかかってくる。2005年のSARSも2020年の新型コロナウイルスもまたしかり。だから、この曲を思い出したわけであり、繰り返し聴いていると、世の中なんてこんなものだという気にされてくるのだ。「誰もが知っている」(Everybody knows)のだ、と。

スローモーで渋い低音、歌われる歌詞の内容は、美しいがあまりにも身もふたもないものだ。好きな人は好きだろうが(私は大ファンだ)、そうでない人には耐えられないかもしれない。

レナード・コーエンが、単なるシンガーソングライターではなく、本質的に詩人であり、現代の吟遊詩人と呼ばれていた理由がそこにある。

いまは亡きレナード・コーエンだが、ボブ・ディランもさることながら、ほんとうはこの人こそノーベル文学賞にふさわしかったのだと、私は強く思うのである。





<ブログ内関連記事>

レナード・コーエン(Leonard Cohen)の最新アルバム Old Ideas (2012)を聴き、全作品を聴き直しながら『レナード・コーエン伝』を読む



 
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