「地位が人をつくる」という。これは国王もまた同じだ。フランク・シナトラが歌う『Love Is a Many-Splendored Thing』(日本語タイトルは『慕情』) には、The golden crown that makes a man a king. (人をして王にする黄金の王冠)というフレーズがあるが、まさにそのとおりなのだ。
これは、終末期を専門にした精神科医エリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』(On Death and Dying)で示した「死ぬということを受容するプロセス」からきているが、「死にゆく」という、人間にとってもっと厳粛でかつ避けることのできない「事実」を受け入れるまでの心理プロセスを、膨大な観察から導きだした結論である。
子音(consonant)にかんしても、l と r の使い分けはとりわけ日本語人には難しいだけでなく、b と v の使い分けは日本語だけではなくスペイン語にもない。現代語で th のような音をもっている言語は英語くらいである。古代ギリシア語の θ(シータ)がこれに該当するが、この th は気音といって t音に h の呼気が加わるものである。
ところが、調べるといろいろな事実がわかってきます。クーデター実行のみに重点がおかれてクーデター後の構想を欠いていたこと。昭和天皇自らが鎮圧する意思を示したことの誤算。東北地方の飢饉について。決起した青年将校たちの多くが文学青年だったこと(軍隊は基本的に理工系で、社会科学的素養を欠いていた)。昭和維新という運動について。戦前の革新とは、反資本主義の国家主義者たちのことだったこと。陸軍という巨大組織の内部抗争(皇道派 vs 統制派)に利用されたこと。憲兵隊によって事件発生前から電話が盗聴されていたこと。一審のみ上告なしの非公開の軍法会議で銃殺刑が決まったこと。等々。
その心は何かといえば、19世紀英国の思想家 J.S.ミルの名言 "everything about something" and "something about everything" を地でいったものだ。
紳助の場合は、芸人としての専門能力が前者の "everything about something"(ある何かについてのすべて) 、司会をやる際の知識は後者の "something about everything"(すべてについての何か)である。
芸人としては自分の専門能力は徹底的に研究して実践で磨き上げ、それ以外は人に聞けばいい、という割り切り。この専門能力と、自分の体験と、人から聞いた話をうまく使いこなす相乗効果こそ、島田紳助をして、現在の地位を築き上げた理由の一つであるといえよう。
ところで、私がこの Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)というセリフを覚えたのは、「英語で映画を見てみよう」といったタイトルの本ではなく、『アメリカニズム-言葉と気質-』(坂下昇、岩波新書、1979)という本。高校のときに何度も繰り返し読んでいた本だ。ここでいう「アメリカニズム」とは、アメリカ主義ではなく、アメリカをアメリカたらしめている表現のことである。
すでにこのブログでも Eat Your Own Dog Food 「自分のドッグフードを食え」で紹介したことがあるが、この名著いうべき本が絶版、いや長期重版未定になっているのは実に惜しい。標準米語ではないので一般にはあまり知られることのない南部表現が少なからず収録されているからだ。
たとえば、エルヴィス・プレスリーの Love Me Tender(やさしく愛して) という歌は、標準米語なら tender は tenderly とすべきところだが、米国南部では形容詞をそのまま副詞(adverb)的に使うらしい。こういった知識が満載のこの本は、出版当時は大きな話題になっていた。
1962年、千葉県に生まれる。東海大学海洋学部教授。経済学博士。海洋政策研究財団客員研究員。学習院大学経済学部を卒業したあと、多摩大学大学院修士課程を経て、埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)勤務を経て、1991年から日本財団(日本船舶振興会)に勤務。海洋船舶部長、海洋グループ長などを歴任。2008年東海大学准教授に就任、2009年教授となる。海洋政策、海洋安全保障、現代海賊問題、国境問題および離島問題の研究を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものを wikipedia によって増補)。
著者は、「自分がやらねば誰がやるのか」という、義侠心というか正義感が強い人である。最終的に YouTube に投稿することとなった経緯にかんする、著者のモノローグを聞いていると、著者も漏らしているように、ハムレットの To be or not to be. ではないが、逡巡(しゅんじゅん)に逡巡を重ね、迷いに迷い、しかし最後は腹をくくったことがわかる。
そして、賽(さい)は投げられたのである。ルビコンを渡ったのである。
大胆な決断を下して実行した人であるが、きわめて緻密に考え、慎重な性格であることもよくわかる。緻密な計算はしたといえ、けっして打算的ではない。
朝日新聞出版から本書を出版したというのも、著者のバランス感覚のなせるわざであろう。『右であれ左であれ、我が祖国』という日本語訳タイトルのエッセイ集を晩年に出版した英国の小説家ジョージ・オーウェルを思わせる。(・・なお、この日本語訳タイトルは鶴見俊輔によるもので、原題は England Your England、英語原文はここで読むことができる)。
私も最近使い始めたが、とりあえずはとくに考えずに、情報をほうり込んでいる。だから使いこなすなんて状態からはほど遠い。いつもながら late adopter なので・・・
何ごとも「習うより慣れよ」(Practice makes perfect)だから、このムックを参考にしながら、習熟していきたいと思う。