本日3月10日は、1945年の東京大空襲、1959年のチベット蜂起など多々ありますが、わたくし的には「佐藤の日」という位置づけであります。3月10日だから「さ・とう」、単なる語呂合わせでありますが(笑)
ということで、本日は有名人を一人取り上げましょう。その名は、アーネスト・サトウ。幕末から日露戦争にいたる時期に日本を中心とした国際舞台で活躍した英国の外交官です。
アーネスト・サトウは日本人なのか? 「サトウ」 は 「佐藤」か?
この疑問は高校時代に抱きましたが、日本史の教科書には何も書いてありませんでした。佐藤という姓をもつ日本人にとっては、きわめて重要な問題なのでありますが、なんでこんな重要なことが、教科書に書いてないのだ?、と。あくまでも主観的な感想でありますが。
そんな疑問がつきまとっていたわけですが、大学時代にアーネスト・サトウの「サトウ」は Ernest SATOW であることを知りました。SATO でも SATOU でも SATOH でもなく SATOW。つづりの最後は「W」で終わります。
日本の「佐藤」ではありません。英国人の SATOW です。日本人の「佐藤」とは偶然の一致というべき珍しい苗字なのです。
わたしの高校時代とくらべれば、いまではネット上に wikipedia もあるし、知りたいと思ったらすぐ簡単に調べることができる時代になりました。調べてみると、SATOW ファミリーは生粋の英国人ではなく、当時はスウェーデン領だったドイツの地方から移民してきたスラブ系の少数民族ソルブ人であるようです。アーネストは英国人二世なのです。なるほど、めずらしい苗字なわけですね。
『ア-ネスト・サトウ伝』(アレン、庄田元男訳、平凡社東洋文庫、1999)によれば、最初の日本勤務(・・といっても18歳から40歳までの長期間です)を終えて英国に帰国するまで、つまり中年に達するまでイギリス国教徒ではではなかったようです。ということは、イギリス国教徒でなくても外交官になれたわけですね。
アーネスト・サトウは、18歳のときにたまたま兄が図書館から借りてきたカラー挿絵の入った本を読んで、日本に多大な興味を抱いて外交官の道を選択したという人です。
エルギン卿に同行したオリファントという英国人が書いた絵入りの随行記ですが、このオリファントという人は、幕末日本で攘夷派によって負傷を追った英国人。その後の薩摩藩出身の森有礼との関係など興味深いものがあります。
日本行きを志望して18歳で外交官の卵になって来日したアーネスト・サトウですが、まさか自分のファミリーネームが日本人にもよくあるものだということまでは知らなかったことでしょう。
じっさいに幕末の日本に来日して日本語を猛烈に勉強して日本語通訳としてキャリアを歩みだしてからは、「サトウという苗字」は日本人のあいだで活動するうえでおおいに有利に働いたようです。
日本行きを志望して18歳で外交官の卵になって来日したアーネスト・サトウですが、まさか自分のファミリーネームが日本人にもよくあるものだということまでは知らなかったことでしょう。
じっさいに幕末の日本に来日して日本語を猛烈に勉強して日本語通訳としてキャリアを歩みだしてからは、「サトウという苗字」は日本人のあいだで活動するうえでおおいに有利に働いたようです。
日本名・佐藤愛之助を名乗っていたとのこと。西郷隆盛その他多数と親交がありました。 偶然の一致とはいえ、世の中なにが幸いするかわかりませんね!
「開国」前後の日本から近代国家としてテイクオフするまで日本に関与してきたアーネスト・サトウですが、日本専門家としてだけでなく外交官としてのキャリアを進めるため、日本のつぎにはシャム王国(・・現在のタイ王国)、南米のウルグアイ、モロッコとキャリアを重ねていきます。外交官としてはモロッコ時代が絶頂期だったようです。
「開国」前後の日本から近代国家としてテイクオフするまで日本に関与してきたアーネスト・サトウですが、日本専門家としてだけでなく外交官としてのキャリアを進めるため、日本のつぎにはシャム王国(・・現在のタイ王国)、南米のウルグアイ、モロッコとキャリアを重ねていきます。外交官としてはモロッコ時代が絶頂期だったようです。
その後、日本と清国に。日露戦争時代まで25年間も日本に深くコミットしたことになります。
アーネスト・サトウ(1843~1929)は晩年に完成した『一外交官の見た明治維新 上下』(岩波文庫)という貴重な回顧録を残しております。A Diplomat in Japan というのが原書タイトルです(上掲写真の左)。 この本のカバーにある肖像写真を見れば、日本人の容貌ではないことは明らかですね。
フルネームは Sir Ernest Mason Satow、外交官キャリアのあとは英国王室の枢密顧問官、第2回ハーグ平和会議に英国代表次席公使なども歴任しました。ちなみに著書には A Diplomat in Siam というものもあります。この本のあとに出版したのが A Diplomat in Japan です。ともにそっけなタイトルですね。
先に書いたように、日本のつぎにはシャム王国に赴任したわけですが、東南アジアの気候風土にはなじめず、日本で休暇を過ごしていたとのこと。
アーネスト・サトウ(1843~1929)は晩年に完成した『一外交官の見た明治維新 上下』(岩波文庫)という貴重な回顧録を残しております。A Diplomat in Japan というのが原書タイトルです(上掲写真の左)。 この本のカバーにある肖像写真を見れば、日本人の容貌ではないことは明らかですね。
フルネームは Sir Ernest Mason Satow、外交官キャリアのあとは英国王室の枢密顧問官、第2回ハーグ平和会議に英国代表次席公使なども歴任しました。ちなみに著書には A Diplomat in Siam というものもあります。この本のあとに出版したのが A Diplomat in Japan です。ともにそっけなタイトルですね。
先に書いたように、日本のつぎにはシャム王国に赴任したわけですが、東南アジアの気候風土にはなじめず、日本で休暇を過ごしていたとのこと。
日本とタイの双方にかかわった人として、わたしはなおいっそうアーネスト・サトウには親しみを感じるものがあります。
以上、2016年の「佐藤の日」にちなんだ話題でありました。
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