(岩波文庫の旧版は7分冊。筆者蔵)
「緊急事態宣言」がでているあいだ、自宅待機要請が出ているあいだ、こんな状態だからこそ、手つかずの本を読むか、と思って読み始めたトルストイの『アンナ・カレーニナ』。ようやく3ヶ月かかって読了した。
読んでいて、ぐいぐい引き込まれるものを感じる。さすが世界の文豪トルストイだけのことはあると思った。主人公の名前とシチュエーションを変えれば、そのまま現代でも通用する内容だ。
すでに発表されてから140年以上立っている作品だが、古典として読むのではなく、あくまでも当時の「現代小説」として執筆されたものとして読むべきだろう。
そのまま一気に読み進めてもいいのだが、緊急事態宣言が解除されても読み終わらず、思ったより長くかかってしまったのは、移動中にしか読まないと決めていたためだ。ほかにやることがたくさんあるからね。
トルストイの三大長編小説は、発表順に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』だが、高校3年のときに『戦争と平和』を読了し、社会人になってからだいぶたってから通勤電車のなかで『復活』は読んだが、『アンナ・カレーニナ』だけはずっと手つかずのままだったのだ。古本屋の店頭で新古本を7冊まとめて買ってから、どれだけの月日がたったことか。
あまりにも有名な小説であり、主人公の人妻アンナ・カレーニナの悲劇的な末路という結末は知っていたということも、いままで読まないままになっていた理由の一つだ。
しかも、小説の書き出しがあまりにも有名である。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」(中村融訳、岩波文庫)
この一文だけがやたら引用されることが多いのだが、おそらく引用する人の大半は小説全体を読んだことなどないのだろう。そう思っていたからこそ、引用するなら、全部読んでからにしたいものだと自分は思っていた。そしてそうであるなら、いつまでも放っておくわけにもいかないだろう。
ストーリーについては、あえてここには書かないが(あまりにも有名なので)、読んでいて強く思ったのは、これは子どもが読んで理解できる小説ではないし、20歳台で読んでもおそらく理解できない内容だろうな、ということだ。
人生経験をある程度積んだ大人として読むと、じつに納得のいく内容であると実感できる。男女それぞれの心理描写が異常なまでに細かく、具体的なのだ。
いわゆる「内面の声」の描写が、実際の会話よりもはるかに多いのである。心のなかで思っていても、実際には口にださないことが多いのは、誰にとってもそうだろうが、そんな内面の声や心のなかの葛藤が、登場人物への共感や反発を含め、この小説を読ませるのだろう。
主人公アンナ・カレーニナが答えのでない自問自答を繰り返し、煮詰まって自縄自縛状態で追い込まれていくシーンは迫真の描写である。トルストイはやはりたいした作家である、と改めて思う次第だ。最初から最後まで読むに値する長編小説である。
ところがこの小説は、アンナ・カレーニナの悲劇的な結末で終わらないのだ。ドラマなら第7編で劇的に終わるべきだろうが、後日談めいた第8編があることを付記しておこう。この第8編にこそ、文豪の人生後半期以降の「トルストイ主義」への萌芽が見られるのである。
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