「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



2026年8月12日水曜日

書評『国商 最後のフィクサー 葛西敬之』(森 功、講談社文庫、2026)―「国鉄分割民営化」から40年。「国士」であった経営者の実像を知る

 

『国商 最後のフィクサー 葛西敬之』(森 功、講談社文庫、2026)を読了。2022年に単行本がでたとき読みたかったが、文庫化されるのを待っていた。文庫版の解説者に原武史氏を選んだのは適任だ。  


タイトルの「国商」とは聞き慣れない表現だが、ノンフィクション作家である著者の造語だ。政治と密着した事業家のことを「政商」とよぶことが多いが、保守派で右派的な信条の持ち主として安倍政権の誕生に貢献し、その後見役として政治権力と密着していた葛西氏は、政商ではない。 

葛西氏は本質的に「国士」であって、民間企業の経営者となってからも、近代日本の屋台骨を支えてきた「国鉄官僚」としてのマインドを最初から最後まで持ち続けた人だ。そんな人は「国商」とよぶのがふさわしい、著者はそう考えたようだ。 

副題には「最後のフィクサー」という、ややネガティブな響きの文言があるが、基本的に冷静で公平な記述が一貫している。

関係者へのインタビューも好意的な人だけでなく、そうではない人の見解も行っており、葛西敬之という高名であるが、意外と知られることの少なかったなかった人物を、立体的に浮かび上がらせることに成功している。 

「国鉄民営化」が実現したのは1987年であり、すでに40年前のことになっている。

民営化前の赤字体質で問題山積みの「国鉄」も、中曽根政権における民営化の政治的プロセスも、進行中の同時代の出来事として観察してきたわたしは著者と同世代であり、就活の一環として民営化前の国鉄本社を会社訪問したこともある。 

葛西氏がみずから執筆している『未完の「国鉄改革」』(東洋経済新報社、2001)と、『国鉄改革の真実-「宮廷革命」と「啓蒙運動」』(中央公論新社、2007)の二部作を読んでいることもあり、ビジネスマンであるわたしは「組織変革」の観点から葛西氏には好意的な印象をもってきた。

「反共」にもとづく「反ソ」「反中」にかんしても同様だ。新幹線の中国への輸出にかんしては、葛西氏が頑強に反対していた理由は、現在なら納得する人も少なくないだろう。 

 とはいえ、「国鉄民営化」から40年、民営化の功罪、その光と影については、抜本的に検証する時期にきていることは間違いない。葛西氏についても、称賛するだけでなく、問題点についてもただしく認識することが重要だ。公共メディアへの介入とリニア新幹線については、とくに批判的に検証する必要がある。 

「国士としての経営者」は、純然たる民間企業の出身ではなく、天下り官僚の経営者でもない。誇り高き「国鉄官僚」の使命感があったからこそあり得たというべきであろう。

東大法学部出身の葛西氏が尊敬する人物は山県有朋。近代日本の官僚制を構築し、絶大な権力を行使した軍人で政治家である。その意味するものがなにであるかは、本書を通読すれば手に取るように理解できる。

その心は、「国家権力」とはなにか、国家のためにみずからのもつ「権力」をいかに行使すべきかにある。

その点が、近代日本が生み出した渋沢栄一松下幸之助、出光佐三といった、民間出身の経営者とは異なる点であることを確認することができた。松下幸之助や出光佐三は、国家意識を強くもちながらも、あくまでも企業経営者に徹していた。

だからこそ、葛西氏のような人物は、今後はでてこないといってよいのである。





目 次
葛西敬之 政官財界人脈図 
文庫版まえがき 
序章 国策づくり 
第1章 鉄道人生の原点 
第2章 国鉄改革三人組それぞれの闘い 
第3章 「革マル」松崎明との蜜月時代 
第4章 動労切り 
第5章 ドル箱「東海道新幹線」の飛躍 
第6章 安倍政権に送り込んだ「官邸官僚」たち 
第7章 首相官邸と通じたメディア支配 
第8章 美しい国づくりを目指した国家観 
第9章 リニア新幹線実現への執念 
第10章 「最後の夢」リニア計画に垂れ込める暗雲 
第11章 覚悟の死 
終章 国益とビジネスの結合 
おわりに 
年表 
解説 原武史

著者プロフィール
森功(もり・いさお) 
1961年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。岡山大学文学部卒業後、伊勢新聞社、「週刊新潮」編集部などを経て、2003年に独立。2008年、2009年に2年連続で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。2018年に『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞受賞。『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』『魔窟 知られざる「日大帝国」興亡の歴史』など著書多数。(出版者サイトより) 



<ブログ内関連記事>

・・「原則2 天使に会うためなら悪魔とも取引しろ」、「原則4 疑うことを恐れるな」のように、あのマザー・テレサがそうだったのか(!)と驚くような原則も・・・」 。葛西氏が国鉄分割後のJR東海で、「国労」の力を削ぐため一時的に手を組んだのが「動労」の松崎明(革マル派)であった。それほど、労働組合問題は国鉄のガンとなっていたのだ
・・出光佐三には『日本人に帰れ』という著書がある

松下幸之助の 「理念経営」 の原点- 「使命」を知った日のこと
・・「産業報国」をモットーにした松下幸之助

・・つねに日本全体を考えていた渋沢栄一




(2026年8月16日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2026年8月11日火曜日

書評 『安倍晋三 平成・令和の光と闇』(服部龍二、中公新書、2026)―「第1次安倍政権」(2006年)の誕生から20年。同時代史としての「安倍晋三時代」を振り返る

 

『安倍晋三 平成・令和の光と闇』(服部龍二、中公新書、2026)は、ことし6月にでたばかりの新刊である。  

日本政治外交史を専攻する研究者による、きわめて冷静で公平なファクトベースの評伝である。出典がすべて「注記」として明示されており、検証可能となっている。 

安倍元首相が暗殺され、67歳の生涯を終えてからはや4年。憲政史上最長の総計2,799日、言い換えれば8年8ヶ月の在任となった安倍晋三氏。 

この数字が前面にでてくるので忘れられがちだが、ことし2026年は「第1次安倍政権」誕生から20年になる。当時の安倍晋三氏はなんと52歳「戦後最年少」で「戦後生まれで初」の首相であった。 

「第2次安倍政権」時代の「第1次トランプ政権」との対応やEUとの良好な関係構築など、民主主義の価値観と自由貿易の守り手として、国際政治の世界においてはきわめて高く評価されてきた。その一方、国内政治においては業績だけでなく、その人物にかんしてもシンパとアンチで毀誉褒貶相半ばする存在であった安倍晋三という政治家。


(FOIPの範囲であるインド洋と太平洋 Wikipediaより)


世界に向けて発信し、大いに賛同された「自由で開かれたインド太平洋戦略」(FOIP: Free and Open Indo-Pacific)構想のような「大きな絵」は描けるが、実行にあたっては戦略性を欠いていたので対応が場当たり的であり、「北方領土返還交渉」にかんしてのロシアのプーチンに対してはもとより、「戦略的互恵関係」としての中国共産党の習近平に対してもリアリストになり切れない弱点があったという指摘には、大いにうなづくものがある。

情が深くて、仲間にはやさしいという批判は、そのとおりであったというべきだろう。いわゆる「ブルーブラッド」のなせるわざでわる。血筋と育ちの良さの反映である。

副題の「平成・令和の光と闇」に、研究者である著者の視線が反映されている。『田中角栄 ― 昭和の光と闇』(講談社現代新書、2016)においても「光と闇」という副題を使用している。田中角栄と安倍晋三を同列において見るという視線か。

安倍政権における「光と闇」の「闇」とは、いわゆる「官邸官僚」に依存した政権運営敵と味方を峻別する政治姿勢、そして長期政権ゆえの規律の緩みに起因する「闇」をともなっていたという指摘だ。

「光と影」ではない、「光と闇」である。その意味は、安倍シンパはもちろん、アンチ安倍の立場に立つ人にとっても、しっかりと受け止めるべきだ。光だけではない。闇だけでもない。光と闇が背中合わせになっていたのが、安倍長期政権の内実であった。 

とくに「闇」にかんする部分については、今後あらたな事実の判明によって書き直される箇所もでてくるだろうが、現時点ではスタンダードとなる評伝というべきである。 

第1次安倍政権誕生から20年。この20年を振り返り、迷走した民主党政権時代を含んだ「安倍晋三の時代」とは何だったのかを考えることが必要だ。

ほぼ時系列にしたがい、淡々とした叙述が一貫する本書は、同時代史としての現代史であり、読んでおきたい充実した1冊である。 


画像をクリック!


目 次
はしがき
序章 ブルーブラッドの「使命」 
第1章 傍流から主流へ ― 安倍と森喜朗・小泉純一郎 
第2章 戦後レジームからの脱却 ― 第1次内閣の挫折 
第3章 アベノミクスから積極的平和主義へ ― 第2次内閣 2012~ 
第4章 外交の充実、国内の分断 ― 第3次内閣 2014~ 
第5章 瓦解する「一強」 ― 第4次内閣 2017~ 
終章 突然の死と安倍の遺産 
あとがき 
註記/参考文献/安倍晋三略年譜

著者プロフィール
服部龍二(はっとり・りゅうじ) 
1968年、東京都生まれ。1992年、京都大学法学部卒業。神戸大学博士号(政治学)、ジョンズ・ホプキンス大学修了号(国際関係)、東京大学修士号(国際貢献)。現在、中央大学総合政策学部教授。日本政治外交史・国際政治史専攻。著書に『日中国交正常化』(中公新書、2011年)、『中曽根康弘 ―「大統領的首相」の軌跡』(中公新書、2015)、『田中角栄 ― 昭和の光と闇』(講談社現代新書、2016)、『高坂正堯 ― 戦後日本と現実主義』(中公新書, 2018年)、『増補版 大平正芳――理念と外交』(文春学藝ライブラリー、2019年)など多数。(本書刊行時のもの)


<ブログ内関連記事>


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2026年8月6日木曜日

書評『GHQは日本人の戦争観を変えたのか ―「ウォー・ギルト」をめぐる攻防』(賀茂道子、光文社新書、2022)―「WGP」が諸悪の根源?学術研究によってその真偽を明らかにした結果は?

 

アメリカ占領軍による「WGIP」が、戦時中の日本人の行為をことごとく否定し、戦後の日本を歪めた元凶である。そんな言説が流行しだしたのは、いつの頃からだったろうか? 

「保守」を自称する人たちのあいだで拡がった「自虐史観」、その根幹をなすのが「東京裁判」と「WGIP」だ。「WGIP」は War Guilt Information Program の略であるが、根拠が不確かな言説であり、わたしは距離をおいて眺めてきた。 

「WGIP」を学術的な立場から研究してきたのが、日本政治外交史を専攻し、占領史を研究してきた賀茂道子氏である。その著書『GHQは日本人の戦争観を変えたのか  ―「ウォー・ギルト」をめぐる攻防』(光文社新書、2022)をはじめて読んでみた。法政大学出版局から出版した研究書をベースの再構成した新書版である。  

まずはっきりさせておかなくてはならないのは、文芸評論家の江藤淳が「WGIP」について言及したので、その名称が日本では一般化して独り歩きを始めたのだが、「WGIP」は「WGP」というべきであること、しかも役割が段階的に縮小していったのが実態であったことである。 

さらに重要なことは、「WGP」は「検閲」ではないということだ。私信の開封や映画の検閲を行っていたのは「民間検閲支隊」(C.C.D. )であり、「WGP」を実行していた「民間情報教育局」(C.I.E. )は、あくまでも「サジェスチョン」という形で占領下の日本メディアを「指導・監督」していたのである。「指導・監督」される側の受け取り方はさておき、法的な根拠にもとづく「命令」ではなかった。 「検閲」と「WGP」を混同してはならない!


画像をクリック!



わかりにくいのが、「ウォー・ギルト」(war guilt)というコトバと概念だ。戦争にかんする法的責任のことではなく、道義的責任のことを指しており、戦争そのものと具体的な戦闘行為にともなう「罪責(観)」にかんするものだ。 

占領軍にとって理解しがたかったのが、敗戦当時の日本人の「ウォー・ギルト」の欠如であったようだ。「原爆投下」による大量虐殺を批判している日本人が、一方では「捕虜虐待」の事実を知らず罪責観(sense of guilt)を欠いていたことに、アメリカ人は激しくいらだちと怒りを感じていたらしい。

だからこそ、敗戦国の国民である日本人を「啓蒙」しなくてはならない、「教育」しなくてはならないという、上から目線の「使命感」を抱いていたらしいのだ。 

日本軍による捕虜虐待の話は、さすがに現在では日本においても「常識」となっており、事実そのものを否定する日本人はいないだろう。BC級戦犯をめぐる問題は、日米双方で見解の相違があるものの、比較的公平な目で、主体的にものを見ることができるようになっているといっていいだろう。 

その意味では、「WGP」の意義もあったかもしれない。だが実際には、プログラムの一環であったラジオ番組の『真相はかうだ』なども、日本人視聴者からの反発もかなり大きかったらしい。けっして日本人が、おとなしくプロパガンダに「洗脳」されたわけではないのである。

ちなみに、映画製作における「検閲」は、先にも書いたように「WGP」ではなく、「民間検閲支隊」(C.C.D. )の所管であった。 

「WGP」を実行していた「民間情報教育局」(C.I.E. )は、その主たる任務は「教育改革」であり、「WGP」の役割が縮小してからは日本の教育改革に重点がうつることになる。戦後の「6-3-3制」を軸にした教育改革については、「教育改悪」であると述べたい気はあるが、その功罪はここでは省略することにしよう。 

そもそも、「言論の自由」を推進するはずのアメリカ人が、報道内容に介入することは、明らかに矛盾しているわけであり、「民間情報教育局」の担当官たちにとっては、なかなか悩ましいものがあったようだ。「主体的に受け入れる」よう仕向けるのは、広告マーケティング的手法を採用しても、クチで言うほど簡単ではない。 

むしろ問題とすべきは、占領軍の意向に沿って、いやそれに尻馬に乗る形で「自虐」的で「反日」的な主張を増幅させ、声高に主張するようになった日本の知識人や文化人、マスコミ界や教育界の人間たちである。現在につながる宿痾(しゅくあ)が始まったのが「占領時代」なのである。

したがって、本書『GHQは日本人の戦争観を変えたのか 』を通読して、結論としていえることは「WGP」を過大に評価することは、「事実」を誤って理解することにつながってしまう、ということだ。 諸悪の根源であるというのは過大評価である。

もちろん、わたしも占領軍の政策については、その功罪両面について論じる必要があると考えている。だが、鬼の首をとったかのように「WGP」について語る人たちの言説に違和感を感じてきたのは、根拠のある話だったのだな、と。 

江藤淳の『占領軍の検閲と戦後日本 閉ざされた言論空間』(文春文庫、1994)を読んだのはずいぶん昔のことになるが、あくまでも「検閲」によって「私信を開封して中身を盗み見ていた」という内容の本だと理解していた。世論調査の代替としてである。「WGIP」の話は主要なトピックではなかったので、記憶にはなかった。  

アメリカに対する見解は人さまざまであろうが、「反米」でも「拝米」でもなく、「知米」であることが望ましい。米軍による占領時代については、松本清張の小説に描かれているように、当時から陰謀論が渦巻いていたわけだが、あくまでもファクトベースで是々非々の態度で理解する必要がある。

現在の日本が「占領時代」後にあることまで否定できないのである。歴史を書き直すことはできるが、それはあくまでも「解釈」についてであって、「事実」そのものを書き直すことはできないのである。 

あらたな「事実」が発掘されると、「解釈」の変更も必要になってくる。時代が変わればまた、「事実」の「解釈」も変化するのである。


画像をクリック!

 

目 次 
まえがき
第1章 なぜ「ウォー・ギルト」なのか 
第2章 戦争の真実が知りたい 
第3章 戦争から日常へ 
第4章 「ウォー・ギルト」の本質に向き合う 
第5章 映像の中のBC級戦犯 
あとがき 
主要資料

著者プロフィール
賀茂道子(かも・みちこ) 
名古屋大学大学院環境学研究科・特任准教授。名古屋大学大学院環境学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。専門は日本政治外交史、占領史研究。著書に『ウォー・ギルト・プログラム―GHQ情報教育政策の実像』(法政大学出版局)。主な論文に「戦後史の中の『押しつけ憲法論』」(『対抗言論』1号, 2019年)「占領初期における新聞懇談会の意義」(『人間環境学研究』15巻2号, 2017年)「ウォー・ギルト・プログラムの本質と政治性」(『同時代史研究』第8号, 2015年)など。(出版社サイトより) 



<関連記事>

・・現時点(2026年8月9日現在)では、英語版はない。あくまでも日本の言論空間におけるイシューということなのであろう


<ブログ内関連記事>








(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2026年8月5日水曜日

『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』(吉田守男、角川書店、1995)で知る「事実」。 原爆投下計画の実際と占領軍の情報宣撫工作に乗せられた日本人たちがまき散らした「美しいウソ」、そして積極的に受け入れた日本国民による「共同幻想」

 

明日(2026年8月6日)は「原爆の日」である。NO MORE HIROSHIMA (& NAGASAKI)は、日本国民の悲願である。いや、全人類の願いだと思いたい。 

なぜ広島に、そして3日後に長崎に原爆が投下されたのか。その理由については、あまりにも長くなるので、ここではあえて語ることはしない。 

だが、「なぜ他でもない広島だったのかという問い」は、「なぜ京都に原爆が投下されなかったのかという問い」と裏腹の関係にある。この事実は知っておく必要がある。 

ほんとうは、1発目の原爆は京都に投下されるはずだったのだ!

 広島と長崎に原爆が投下されたが、3発目の原爆が投下されなかったのは、その前に日本が降伏したからだ。もし日本が降伏しなかったら・・・。なんと、3発目の原爆は京都に投下される計画であった。京都が完全に投下対象都市からはずされたわけではなかったのだ。 

この知られざる事実、不都合な真実を明らかにしたのは、京都出身の近代史研究者である吉田守男氏。その著書である『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』(角川書店、1995)である。  

副題の「ウォーナー伝説」とは、米国の日本美術研究者ラングドン・ウォーナー博士が京都や鎌倉などの古都を救ってくれたという、根拠不明の「伝説」のことだ。

百万都市の京都が空爆を免れ無傷で残ったのは、文化財ゆたかな古都であり、米軍が「空爆対象のリスト」からはずしていたからであり、そのリストを作成したのがウォーナー博士であったというのだ。 

だが、それはあくまでも「伝説」であって、「事実」ではなかったのだ。戦後来日したウォーナー博士は、その話題を出されてたいへん困惑していたという。 その話題を出されるのをいやがっていたのだ、と。

いわゆる「ウォーナー・リスト」は、連合軍による占領地域での文化財を保護し、とくにナチス・ドイツが略奪した文化財を返還させ、弁償させるために作成したリストの一部に過ぎなかったのである。リストに記載されている名古屋城や岡山城なども、空爆によって焼失していることが、そのなによりの証拠である。

わたし自身は直接見たことはないが、京都にも鎌倉にもウォーナー博士を顕彰する記念碑がには設置されており、現在にいたるまで撤去されることなく、「伝説」が再生産されているらしい。都市観光のアイテムとなっているからだ。 


岡倉天心ゆかりの五浦にある「ウォーナー胸像と記念碑」 筆者撮影)



■なぜ京都が原爆投下の第一目標だったのか? 

「なぜ京都が原爆投下の第一目標だったのか?」という問いは、なぜ京都は一部を除いて空爆が実行されなかったのか?」 という問いと裏腹の関係にある。

米国で原爆開発計画が最終段階にさしかかっていた1945年5月、軍部が強硬に主張した原爆投下対象が、京都、広島、横浜、小倉、そして新潟であった。共通点は、百万都市であり人口密集地帯があること、三方を山で囲まれた盆地であること、空爆が実行されていない都市であること、などであった。

原爆という新兵器の効果を最大限に発揮させること、実戦では使用されたことのない新兵器の効果を検証するためという、あくまでも軍事的観点からする主張である。 いまだ空爆がされていない手つかずの状態であることが、原爆そのものの効果を測定するために必要不可欠だとしたのだ。

ソ連参戦を控えた8月に原爆投下がおこなわれるまでの3ヶ月間、シビリアンコントロール原則のある米国では、政権上部と軍部のあいだで激論が交わされている。 最終的に決断を下すのは、あくまでも大統領である。

結論として、第一目標から京都がはずされたのは、戦後をにらんだ米国の政治的思惑からであった。京都への原爆投下がいかなる反発を招くか想定しづらいこと、結果として米国の国際的威信を傷つけることになるのではないかという懸念である。文化財を守るのが第一目的ではなかったのだ。* 

*ただし、一点だけ違和感が残るのは、スティムソン国務長官が京都への原爆投下に反対した理由だ。国際関係におけるアメリカの道徳的優位性を確保するため京都を対象からはずすべきだと主張したのだが、なぜ京都に原爆投下すると国際的な非難につながるのか、日本国民の米国への反発が生まれるかについて、スティムソンが京都がもつ「シンボリックな意味」を理解していたかどうかまでは、本書では踏み込まれていない。理由のさらに背後にある真因についてである。


だから、京都が無傷で残ったのは、偶然の結果に過ぎないのである。広島と長崎に原爆が投下され、ソ連の参戦が日本の降伏につながったため、3発目の投下対象であった京都に原爆が投下されることはなく、したがって空爆も実行されることなく終わったのである。 

敗戦後の日本国民は「敗北を抱きしめ」、敗戦国に寛大な「アメリカ様」に感謝することになる。「ウォーナー伝説」はその重要なテーマのひとつであった。 

「ウォーナー伝説」は、アメリカ占領軍のGHQ「民間情報教育局」(C.I.E.)によるプロパガンダ工作の一環であり、それに乗せられた美術史家の矢代幸雄をはじめとする日本の文化人たちがまき散らした「美しいウソ」であり、積極的に飛びついて受け入れた日本国民による「共同幻想」が成立したのである。この「共同幻想」から、日本国民の多くは、いまだに囚われたままだ。 

京都や鎌倉以外でも、類似の「ウォーナー伝説」が生き続けている。東京神田の古書店街や、文京区にある「東洋文庫」が空爆を免れたのは、空爆リストから外されていたからだという「伝説」がそれだ。現在では否定されているにもかかわらず、この「伝説」は生き続けている。 

『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』という本を読んだ第一の理由は、「京都の原爆が投下されるはずだった」という件よりも、岡倉天心の薫陶を受けた日本美術の研究者としてのラングドン・ウォーナー博士にまつわる「ウォーナー伝説」の真偽に関心があったからだ。横山大観も戦後の回想録『大観画談』でウォーナー伝説と博士との交友について語っている。

この本はその後、『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫、2002)として文庫化されたが絶版、現在は『原爆は京都に落ちるはずだった』(パンダ・パブリッシング、2017)として再刊され、kindle版で読むことができる。 出版社とタイトルを変えながらも読み継がれてきたのである。




ただし、副題の「ウォーナー伝説」がはずされたのは、残念なことである。ウォーナー博士が亡くなってすでに70年以上、その名はもはや忘れ去られ、読者の関心が「京都と原爆」というショッキングな「事実」にむかうからであろう。

日本近現代史を正確に理解するためアメリカという国家の本質を理解するため本書で論証されている内容はかならず知っておくべき「常識」となってほしいものである。そのためにも、この本はぜひ読んでほしい。 

あらためて、原爆という非人道的な兵器による犠牲となった広島と長崎の人びとに哀悼の意を表します。合掌



画像をクリック!



目 次 
はじめに
第1章 ウォーナー博士は古都を救った恩人か?
 1 志賀直哉のハガキ
 2  《ウォーナー伝説》の定着
 3  六つの記念碑
 4  《伝説》の根拠
 5  《伝説》の真相1─ロバーツ委員会の目的
 6  《伝説》の真相2─〈ウォーナー・リスト〉の正体
 7  石仏を盗んだ?
第2章 京都に原爆を投下せよ!
 1  第一目標は京都
 2 投下目標の〈予約〉
 3 空襲の実態
 4 戦時下のうわさ
 5 奈良・鎌倉・会津若松の場合
第3章 京都の運命 
 1 京都案をめぐる確執
 2 〈スチムソン恩人説〉批判
 3 原爆投下のリハーサル
 4 五〇発のパンプキン爆弾
 5 〈八月六日〉以後のリハーサルの意味
 6 原爆ラッシュの開幕
終章 『ウォーナー伝説』を創作したのはだれか?
 1 占領軍からの呼び出し
 2 民間情報教育局の使命
参考文献
あとがき

著者プロフィール
吉田 守男(よしだ もりお)
日本の歴史学者。1946年、京都生まれ。1971年、京都大学文学部(国史学専攻)卒業。1978年、京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得満期退学。1987年樟蔭女子短期大学講師、助教授を経て、1994年より教授。2001年より大阪樟蔭女子大学教授。 京都が太平洋戦争で米軍の大規模な空襲を免れたのは文化財保護が目的だったという説や、このためにラングドン・ウォーナーが尽力したという「ウォーナー伝説」を否定し、京都は原爆投下目標の一つであり、原爆の威力を測定するために通常の空襲が抑制されていたことを明らかにした。またウォーナーが作成した文化財リストは枢軸国の被侵略国への賠償用のリストであること、ウォーナー伝説は民間情報教育局(CIE)のプロパガンダであることを明らかにした。 著書 『京都に原爆を投下せよ――ウォーナー伝説の真実』(角川書店[[]]、1995年)。 Wikipediaより


<関連記事>

ラングドン・ウォーナー(1881~1955  Wikipedia英語版)
・・英語版には日本に建てられた「ウォーナー記念碑」の写真、ウォーナー博士による「略奪問題」が記されている。中国での美術調査の際、ウォーナーが敦煌の莫高窟の壁画を持ち帰って所蔵しているが、中国に返還しようとしないハーバード大学についてである。中国共産党は返還を求めながらも実際的な対応をしているが、日本の「ウォーナー伝説」のような情緒的でおめでたい態度はとっていない。


<ブログ内関連記事>










■ナチス・ドイツが略奪した文化財の返還プロジェクト





(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end