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2026年6月28日日曜日

美輪明宏さんが亡くなった(2026年6月28日)― 「戦後日本」に美輪明宏という日本人が存在したことは、ほんとうに良かったと心から思う

 

美輪明宏さんが亡くなった、というニュースが飛び込んできた。享年91歳。 

たいへん残念なことだが、老衰ということであれば仕方ない。生死は自然の摂理である。ご冥福をお祈りします。合掌 



■人生にかんする著作の数々

 マイ蔵書のなかから美輪明宏関連の本を取り出してみた。 

まずは『紫の履歴書』(水書房、1992 初版は1968)。美輪明宏というと「黄色」のイメージがすっかり定着していたが、もともとは「紫」だったんだな、と思い出した。 




そして『ああ正負の法則』(PARCO出版、2002)。この本で「盈(み)つれば虧(か)くる」というフレーズを知った。満月になれば月は欠ける。盛者必衰。ひとりの人間の人生においても運命は循環する。まさこれが「人生の法則」なのである。「地球の法則」あるいは「宇宙の法則」といっていいだろう。  




なんとっても『愛と美の法則』(PARCO出版、2009)をあげるべきだろう。2005年に放送された「NHK人間講座 人生・愛と美の法則」の書籍化だ。全ページがカラーで、美しい装丁の単行本。この本じたいが美を体現している。  

「この世の中には、愛と美さえあればそれだけで充分なのです。」この文章で始まる本である。「愛と美」こそ、人間にとってもっとも大事なのだ。まったくその通りだと思う。 

古代ギリシア以来「真・善・美」と言われてきたが、日本人にとっては「美」こそが最上位にくる。日本人にとっては、「美」がもっとも大事な倫理なのである。「愛」については、あえて言うまでもない。 

『愛と美の法則』は、日本語シャンソンを除けば文字どおり美輪明宏の生涯の代表作であり、後世にもぜひ読み継がれていってほしい。 

ほかにも美輪明宏がの本が何冊かあったと思うのだが、いますぐ取り出せる状態にはない。『ほほえみの首飾り-南無の会辻説法』(美輪明宏、水書房、1989)もいい。わたし自身は法華経信者ではないが、美輪明宏を精神的に支えていたのが『法華経』であったことは知っておくべきことである。  


「特定の教団のメンバーになることと信仰を持つということは別」であり、「信仰はあくまでも個人のもの」だというのが、美輪明宏の一貫した信念であった。21世紀に生きる日本人ににとって、心すべきことである。



■ 「戦後日本」に美輪明宏という日本人が存在したことは、ほんとうに良かった

いま『美輪明宏全曲集』をあえてCDで聴きながらこれを書いている。日本語シャンソンの名曲の数々。エディット・ピアフの「愛の賛歌」「ヨイトマケの唄」だけではない。 

「最後は「ありがとう」と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じました。」「訃報」と題して公式サイトに記されている。






「戦後日本」に美輪明宏という日本人が存在したことは、ほんとうに良かったと心から思う。ありがとうございました。 

あらためてご冥福をお祈りします。旅立ちに合掌。 


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2026年6月27日土曜日

「六角堂」の「六角形」と「6」という数字がもつ意味について考えてみる

 

先々週のことだが、念願かなって五浦海岸の「六角堂」にはじめて行くことができた。岡倉天心が晩年に過ごした邸の近くに建てられた瞑想スペースのことである。 

だが依然として謎が残っている。

なぜ「六角堂」なのか? 「六角形」の建築物で瞑想することにいかなる意味があるのか? 

なぜ「六角堂」なのかについては、専門家が書いた論文を読むと、中国の道教思想にもとづくものであることがわかる。

たとえば『道教と日本文化』(福永光司、人文書院、1982)所収の「岡倉天心と道教」には、本名の岡倉覚三の「三」が「天地人」の「三」に由来すると書かれてある。「六」は「三」の倍数である。

「六」については、この論考も参照している「六角堂の系譜と天心」(熊田由美子)という論文が『岡倉天心と五浦』(森田義之/小泉晋弥、中央公論美術出版、1998)に収録されており、この論文がほぼ定説となっている。

この論文によれば、浄土真宗と結びつきの深い「聖徳太子の六角形の参籠堂」が天心の視野に入っていたようだ。


(「聖徳太子絵伝」より「六角堂」 Wikipediaより)


浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、京都は頂法寺の「六角堂」で100日参籠し、95日目に有名な「夢告」を受けたという有名な話がある。愛欲に苦しんだ親鸞が受けたこの「夢告」は、浄土真宗だけが教義によって妻帯が許されている根拠とされているものだ。浄土真宗の家以外の日本仏教の宗派は、明治時代になってからなし崩し的に妻帯が行われるようになった。


(頂法寺の本堂は六角堂 親鸞聖人を訪ねて より)


天台宗で菩薩戒を受け、『茶の本』では禅と茶について語っている天心だが、浄土真宗の家に生まれて葬儀も真宗で行われている。法名は釋天心だ。したがって、親鸞ゆかりの六角堂が念頭にあったであろうことに納得がいく。

ちなみに、頂法寺は、京都市中京区「六角通」東洞院西入堂之前町にある。「六角通」にあるから「六角堂」なのか、「六角堂」に面しているから「六角通」となったもか定かではないようだ。「ニワトリが先かタマゴが先か」という議論である。

六角堂は仏教だけでなく、道教も意識してつくられている。中国風の亭(ちん)でもあり、仙境で遊ぶという境地を実現したかったようだ。老荘思想の「タオ」(道)の形象化である。以上が、論文から読み取れることである。

とはいえ、話は人文科学に限らないが、専門研究者というのは概して視野が狭いものだ。いや、「専門」にがんじがらめになっていて、「専門外」の事象にかんしては極度に禁欲的であることを強いられるアカデミズム特有の問題というべきか。

専門分野を逸脱した考察は、研究者の狭い「世間」において「専門家」として失格の烙印を招きやすい。だから、どうしても「専門家」は慎重になりすぎる傾向がある。

というわけで、六角堂がなにに由来するのかその典拠がわかっても、「六角形」の建築物で瞑想することにいかなる意味があるのか?  この根源的な問いに対する回答は得られない。 



■六角形は構造上もっとも安定している

六角形(hexagon ヘクサゴン)が、構造上もっとも安定していることは、「ハニカム構造」のことを考えれば明かなことだ。六角形を組み会わせた構造体のことだ。ハニカム(honey comb)とは、ミツバチの巣のことである。


(セイヨウミツバチの巣 Wikipediaより)


ワールドカップ開催中のいま、映像として目にすることも多いサッカーのゴールネットもまたハニカム構造である。 サッカーボールもまた基本的にハニカム構造であるが、球体にするため五角形が必要になる。


(サッカーゴールのネットはハニカム構造 Youtube動画をスクショ)


ハニカム構造は、日本の「亀甲模様」と同様である。


(アーケードの歩道に敷き詰められた正六角形の亀甲模様のタイル 筆者撮影)


六角形についてはベンゼン構造がそうであることから化学の専門家が書いたものは多々あるが、なにか一般向けのいい本でもないかと探していたら『六角形の超パワー 宇宙・遺伝子・新素材をつくる』(南條優、徳間書店、1995)という本があることがわかった。30年前のものだが、類書がほとんどないので貴重な存在だ。  



(ベンゼンの分子構造 Wikipedia)


コンピュータ技術者が書いた、なにやらキワモノめいたタイトルの本だが、こういう本は意外と面白くて役に立つ。 

六角形を組み合わせた立体構造の「フラーレン」の発明者たちにノーベル化学賞が授与されたのは本書出版の1年後の1996年のことだ。 

森羅万象のそこかしこに存在する「六角形」を分子レベルから宇宙構造にいたるまで網羅的に扱っている本だが、「目次」は以下のようになっている。 


第1章 宇宙は六角形で構成されている 
第2章 六角形にはさまざまなパワーがある 
第3章 昔から人類は六のパワーを知っていた 
第4章 六角形パワーの活用法 


内容については省略するが、同書に書かれていることで、仏教では「六」で始まる要語が多いこと、たとえば六波羅蜜や六道輪廻などがそうであるが、これは注目する必要があろう。

ユダヤ教のダビデの星は「六芒星」とよばれる。六芒星とは、正三角形を上下を逆にして組み合わせたデザインであり、きわめて単純なものだ。日本の籠目(カゴメ)も「六芒星」だが、それぞれ独立して誕生した意匠であろう。この両者に影響関係があると考えるのは無理がある。


(六芒星 籠目でありダビデの星でもある) 


まことに残念なことであるが、岡倉天心の「六角堂」については『六角形の超パワー』にはまったく言及がなかった。だが、天理教の「甘露台」(かんろだい)が六角形の柱であるこという情報を得ることができた。神さまは六角形の柱を降りてきて鎮座されたのである。


(天理教の「甘露台」 天理教のウェブサイトより)


ということであれば、「六角堂」での瞑想になんらかの効果があったことは間違いないといって問題ないだろう。 

天心の「六角堂」の中心に設置されている「炉」もまた六角形であることに注目しておきたい。茶室でもあるわけだ。六角堂じたい、一片六尺、広さ三坪である。天心のこだわりを感じる。


(六角堂の内部の「六角形」の「炉」 筆者撮影)


先にも見たように、聖徳太子の参籠堂が「六角堂」であったことに意味があったのだ。六角形が構造的に安定していることは、瞑想の場として意味があるのだろう。もちろん、実験によって実証する必要があるだろうが、誰か実験した人はいるのだろうか?



■あらゆるところに「6」が偏在している

六角形そして「6」という数字のもつ意味。

道教においても仏教においても、ピュタゴラス教団の「数秘学」においても、数字の「6」はきわめて重要な意味をもつ。ウイルスのマクロファージ、遺伝子から宇宙まで、偏在する「6」という数字に注目する必要がある。 

そういえば、自分の机上にある杉材のエンピツ立ても六角形であり、エンピツじたいが六角形ではないか! 六角形はじつに身近な存在である。




ちなみに、わたしの誕生日は12月6日。「12」は「6」の倍数であり、12+6=18 は、「6」の3倍。なるほど、これは縁起がいいわけだな(^^) 


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2026年6月18日木曜日

五浦海岸の「六角堂」に行ってきた(2026年6月18日)― ボストン美術館に始まった「岡倉天心巡礼」が35年目にしてようやくほぼ完結した

 (六角堂 筆者撮影。以下同様)


今週水曜日のことだが、梅雨が本格化する前の晴れ間の一日、思い切って五浦海岸の六角堂に行ってきた。

五浦海岸は茨城県北部の太平洋に面した海岸である。福島県との県境の勿来(なこそ)にも近い。東京と仙台の中間に位置している。

この地にある「六角堂」とは、そこで晩年を過ごした岡倉天心が建てた瞑想スペースのことだ。ベンガラ色の木造の小建築物である。

太平洋に面した六角堂は、たいへん残念なことに2011年3月11日の東日本大震災の巨大津波で流されてしまった。だが、関係者の努力によって、早くも翌年にはオリジナルの戻した再建がなされている。(・・下記の動画を参照)


よみがえる!六角堂(総集編)


アクセスの面からいうと、わたしが現在住んでいる千葉県北西部から五浦は中途半端に遠い。鎌倉もそうだが、近いようでけっして近くない土地には、なかなか行こうという気が起こらないものだ。

今回の訪問が実現したことで、米国留学中の35年ほど前にボストン美術館で始まった「わが天心巡礼」がようやくほぼ完成に近づいたことを意味している。 

天心の終焉の地は妙高高原の赤倉であるが、そこまで行く必要はとくに感じていない。赤倉には行ったことはないが、妙高や黒姫には行ったことがあるので、おおよそどんな土地であるかは知っているからだ。

晩年の岡倉天心は、秋から春にかけての一年の半分はボストン美術館で東洋美術部門の責任者として働きながら、春から秋にかけては五浦をベースに活動していた。そんな日米往還の暮らしを、52歳で没するまで7年ほどつづけていた。

日本に帰国中も多忙であった天心にとって、五浦は静養の場であり、英気を養いエネルギーを再チャージする場であったようだ。英語でいえば日常生活を離れた静養地を意味するリトリート(retreat)である。六角堂で瞑想し、小船を浮かべては海釣りする日々であったという。

横浜に生まれ育ち、当時の日本人としては例外的にグローバル・トロッターであった天心は、当時の交通機関が船であったこともあって、基本的に「海派」であったといえるかもしれない。

五浦の六角堂の向こうは、太平洋をはさんで北米大陸である。当時の太平洋航路の終点であるシアトルやサンフランシスコと対面しているのだ。

「アジアは一つ」(Asia is one)というフレーズで有名な天心だが、実際に五浦に地を訪問して思うのは、むしろ日米親善の意味合いのほうが強いのではないかという感想である。 

「太平洋の架け橋」といえば『Bushido』の新渡戸稲造だが、『The Book of Tea』の岡倉天心もまた、「英語名人世代」としてその役割を担っていたことを想起すべきであろう。 



■千葉県北西部から常磐線でひたすら北上する

梅雨が本格化する前の晴れ間に、思い切って行くことにしたのは、いくら晴れていても真夏ではちょっとつらいからだ。

とはいえ当日の日差しは意外と強く、帰宅したらかなり日焼けしてることに気がついた。日焼け止めを塗っておくべきだったな、と

「思い立って」ではない、「思い切って」行ったのである。というのも、行くかどうか迷っていたからだが、ひさびさに地図帳を開いて日本地図を見ていたら、日帰りで行って帰ってこれるとわかった。

常磐線の普通列車を乗り継いで片道3~4時間、往復で7000円弱である。時間距離からいえば京都や大阪までと変わらない。千葉県北西部に住んでいるので、五浦には東京を経由せずにいける。まあ、たいしたアドバンテージでもないが・・・




当日は5時に起床して6時前に出発、柏駅から常磐線に乗ってひたすら北上する。

常磐線で取手より向こうに行くのは、その昔出張で日立グループの関連会社を訪問して以来のことだ。千葉県の住民にとって、茨城県は北で接しているのにもかかわらず、意識面で遠い存在なのだ。 つくば学園都市や鹿島神宮には何度も行っているのだが・・・


(常磐線路線図 ジョルダンより


常磐線の普通列車で北上していて思うのは、茨城県はさすが『常陸風土記』の地であるということだ。『常陸風土記』にあるように「左には山、右は海」。東で太平洋に面しているのである。太平洋の向こうから日が昇る。日が立つから日立であり、常陸(ひたち)の国なのである。

鹿島神宮や筑波山は、『万葉集』の昔から歌で取り上げられることの多い地であるが、それ以外にも大甕(おおみか)などの地名に古代を感じさせられるものがある。

茨城県は、もっとよく知らなくてはならないなと、今回の旅をつうじて思うようになった。


(六角堂への最寄り駅は大津港駅)



■最寄り駅の大津港駅から歩いて40分

五浦海岸へのアクセスは、最寄り駅が常磐線の大津港駅となるが、東京方面からの直通列車はない。

ビジネス旅行ではないので特急はつかわないので、普通列車で水戸駅の一駅先の勝田駅まで行き、そこで5両編成の列車に乗り換える。この列車も常磐線の終点まで行くわけではない。 太平洋岸を走る常磐線の総距離はじつに長い。

自宅を出てから約4時間弱、けっこう遠いなあ、と。10時18分着の列車から大津港駅で下車したのは数人のみ。とはいえ、意外なことに有人駅であった。帰途のことを考えて時刻表を見たら、昼の時間帯は1時間に1本である。まあ、そんなもんだろう。 太平洋岸を走る常磐線はローカル線なのである。

駅前にロータリーがあるがクルマはまったくない。意外なことにセブンイレブンがあった。利用はしなかったが。


(大津港駅前のロータリ セブンイレブン側から撮影)


ネットで検索したら某訪問記にはレンタサイクル利用とあった。だが気になってさらに調べてみると、残念ながらなんと10年前に廃業(!)してしまったとあった。というわけで最初から歩いて行くつもりであった。

六角堂まで40分くらいとスマホの GoogleMap に表示される。40分くらいなので自分的にはたいしたことはない。天心の在世当時は、みな駅から歩いていたのだからね。


(所要時間は往復時間 片道なら六角堂まで40分前後)


大津港駅からは道路が整備されているが、クルマの往来はほとんどない。もちろん歩いている人など皆無である。

しばらく歩いていくと右手に「風船爆弾放球基地跡」の看板が目に入る。そうなのだ、この五浦の地から対米戦争末期の1944年から「風船爆弾」が発射されたのだ。五浦と北米の西海岸は太平洋をはさんで対岸なのである。

とはいえ、晩年は「日米親善」を生きた岡倉天心のことを考えれば、なんともいえない皮肉な話ではある。横山大観も最晩年の『大観画談』(講談社、1956)で同様の感想を戦後に語っている。




すでに廃墟と化した旅館が数軒目に入ってくる。「チームラボ幽谷隠田跡」の廃墟もあった。「幽谷隠田跡温泉」に隣接して期間限定で設定されていたチームラボの「跡」。さすがに「跡」の「跡」とはねえ(苦笑)




五浦には岡倉天心関連の遺跡や美術館などがあるが、どうも「観光地」にはなりきれていないようだ。いや、むしろ俗化してないほうが、地下の天心にとっては好ましいというべきかもしれない。 天心は、当時の茨城県知事から鉄道を敷くことを提案されたが断ったらしい。

さてさらに歩きつづけると、左手に海が見えてくる。ああ、海だ。太平洋だ。海はいい。天心在世当時、駅から歩いてきた人は、みなそういう感想をもったのではないだろうか。




横浜に生まれ育った岡倉天心は、海好きだったのだろう。 これまた実際にその地を訪れると実感される。



■「天心先生之墓」を詣でてから「六角堂」へ

「六角堂」に向かって歩いていくと、その手前の右手に「天心先生之墓」がある。東京の染井墓地の岡倉家の墓から分骨され、この地にも墓がつくられたらしい。案内看板がなければ見落としてしまうかもしれない。


(天心先生之墓は石段を登ったうえにある)


「天心先生之墓」は、盛り土をした小さな塚で墓標も墓石もない。仏教式ではなく、道教式だという。


(岡倉天心の墓は道教式)


かつて訪れたことのある、日本海側にある石原莞爾の墓も盛り土による塚だが、岡倉天心の墓はそれよりはるかに小さい。日本海の彼方の満洲に向いている石原莞爾。太平洋の彼方のアメリカに向いている岡倉天心。世代は違うこの二人は、おなじ中国にかんしても、北が好みの完爾と南が好みの天心とではテイストが違っていた。


(長屋門)

「天心先生之墓」で合掌してから「六角堂」に向かう。 道路をはさんではす向かいの左側に「長屋門」がある。ここで入場料400円を払って中に入る。ここは茨城大学五浦美術文化研究所が管理している。


(正面から見た長屋門)


天心関連の展示スペースがあり、展示品をざっと見てから、さっそく六角堂への道を下る。








平日の午前中、しかも好天に恵まれたとはいえ梅雨時だからだろうか、ほとんど訪れる人もいなかったのは幸いだった。六角堂の周りはスペースが限られているので大人数が同時に滞在することはできない。




 六角堂のなかには入れないが、ガラス窓越しになかを見ることはできる。ガラス越しに太平洋を見ることもできる。




天心自身は、六角堂のことを「観瀾亭」(かんらんてい)と呼んでいたらしい。「瀾(大波)を観る亭(ちん)」という意味である。




六角堂の前には波で洗われてできた天然の奇岩が並んでいて、これらが天然の防波堤になっている。この奇岩も天心の好みだったらし。奇岩の先の沖合には、島がまったくない

ひたすら拡がる水平線と青い海。 天心はこの小さな六角堂に座り、瞑想していたのだな、と。そして、天心の没後にここを訪れた旧友のインドの詩人タゴールもまた六角堂で瞑想したのだな、と感慨にふける。 


(約270℃のパノラマ動画)


寄せては引く太平洋の波、打ち寄せる波が奇岩揃いの巌にあたって砕け散る波しぶき。

日差しは強いがさわやかな海風、磯の香りに松の匂いが重なる。五感をフルに解放してマイナスイオンに浸りきる心地よさ。 

波の音を中心とし、鳥の声や風の音などの自然音以外に雑音はいっさいない

この環境なら、2026年の現在でも瞑想は充分に可能だな。 




瞑想といえば、隠者として山に籠もってするものというのが一般的なイメージだろうが、風光明媚な海に面した六角堂での瞑想に、晩年の岡倉天心を解くカギのひとつがありそうだ。

天心の終焉の地は赤倉であり、現在はスキー温泉として有名な山岳リゾートである。天心は海も山も愛したわけだが、あえていえば「海派」ということになろう。

そういえば、若き日の空海もまた太平洋に面した室戸岬の洞窟で瞑想し、神秘的体験をしているな、と。空と海で空海。海がもつ象徴的な意味も含めて、密教や道教に精通していた天心が海に感じていたものは深いものがある。こういった感想は、実際に現地を訪れてみないと実感できない。 

そうそう、いま思い出したが、天心がインドで意気投合したヴィヴェーカーナンダもヒマラヤ山脈の麓の高原だけでなく、インド最南端の岬で瞑想を行っていたな。天心との会話でその話が出たどうかはわからないが・・・




東日本大震災の津波被害は、五浦海岸においては、なんと10m超だったらしい。先にも触れたように、六角堂も土台を残して根こそぎ流されてしまったのである。

つい先日の2026年6月8日、フィリピンのミンダナオ島でマグニチュード7.8規模の大地震が発生し、日本の太平洋沿岸で津波注意報が発令されていたばかりである。訪問当日は、海外で大地震が発生しませんように!と祈るような気持ちであったことを告白しておこう。

そうでなくても、鹿島神宮に要石(かなめいし)があるように、茨城県は地震の多いところだ。訪問前日(6月16日)には茨城県南部を震源とする地震があったが、内陸の地震なので津波は発生していない。



■敷地内にある天心邸と石柱

六角堂からすこし坂を上がったところに、修復保存されている「天心邸」がある。岡倉天心の旧居である。天心邸から六角堂の頭越しに太平洋が見える。




敷地内には、天心邸の左隣に、天心の横顔のレリーフの下に横山大観が揮毫したという「亜細亜ハ 一(いち)な里」と書かれた石柱もある。天心の意図に反して、大東亜共栄圏のプロパガンダに悪用された「アジアは一つ」というフレーズ。この石柱は大戦中の遺物というべきだな。もちろん、保存することに意味はある。




その後、さらに展望台まで足を伸ばして、高所から六角堂を鳥瞰してみる。現代風ならバーズアイというよりもドローンアイというべきか。展望台まで行くことを考えたら、自転車ではないほうが気が楽だ。

展望台への道の中腹から見た六角堂は、ちっちゃくてかわいらしい。




展望台から見る太平洋もまたすばらしい。 見渡す限り、航行する船以外は島はまったく見えない。空と海がつながっている。




これまた留学中のことだが、西海岸のサンフランシスコ湾から太平洋を眺めたとき、「ああ、この向こうには日本があるのだなあ」と思ったことがあった。

そのときから35年、今度は五浦から「太平洋の向こうにはアメリカがあるのだなあ」と思ったのであった。 



■「日本美術院」はこの地にあった

 六角堂から歩いて10分くらいの海岸沿いに「日本美術院跡」がある。切り立った絶壁の上にある。まさに絶景である。絵になる光景だ。




絶壁の上に立っていたという「日本美術院」の跡地から見る風景は、まさに絶景としかいいようがない。柵が設置されているが自撮り危険(!)であろう。転落したらまず即死間違いなし。 これまた実際に現地に行ってみないと実感できないものだ。 




岡倉天心の五浦移住にあわせて呼び寄せられた、門下の日本画家たちがこの地で画業に精進したのである。横山大観や菱田春草、下村観山、そして木村武山の4人。 

展望台に向かう途中に映画『天心』で使用されたロケのセットがそのまま残されている。関心のある人は訪れてみるといいだろう。






■茨城県立岡倉天心記念五浦美術館の「常設展」で天心関連の展示


「日本美術院跡」から歩いて「茨城県岡倉天心記念五浦美術館」に向かう。GoogleMapには表示されないが細道が儲けられていて、丘を越えた先に美術館が見えてくる。




美術館の敷地内には「天心の句碑」(?)があると案内板にあったので歩いてみる。

「句碑」とあるから、はて天心は俳句を詠んでいたのかと思ったが、そうではない。漢詩である。漢詩を記した銘板であるが、これをいったいなんと表現するのだろか。「詩碑」というべきか、あるいは「漢詩銘板」かな?

何枚かある銘板のひとつに、『岡倉天心 物ニ観ズレバ竟ニ吾無シ』(木下長宏、ミネルヴァ書房、2005)で有名になった(?)、一節をふくんだものがあった。





なぜか不思議なことに「観物竟無吾」の一節に光があたっている。「物ニ観ズレバ竟ニ吾無シ」である。

ところが、左に記された読み下しには「物を観(み)るに、竟(つい)に吾無し」とある。この銘板がいる制作されたのかわからないが、残念な話である。「物ニ観ズレバ竟ニ吾無シ」と読み下さなければ天心の美術観がわからないだろう、というのが木下氏の見解だからだ。

*******

さて美術館に入ることにする。「常設展示」として岡倉天心関連の貴重な展示があるのだが、500円余計に払って企画展「斎藤清のパリ、そして日本」も見ることにする。 




斎藤清は、あえて木版画で作品を発表してきた人である。

いままでまったく知らなかったが、この人はまず戦後の日本でアメリカ人から最初に評価が始まったらしい。パリ滞在を薦めたのも、コレクターのひとりであるアメリカ人実業家だったのだとか。

Wikipediaで調べてみたら、日本語版の解説より英語版のほうがはるかに充実している。パリに行ったのも、アメリカ人実業家がパトロネージしたらしい。

初期の「凝視する眼」のシリーズもいいが(・・これがアメリカ人たちから評価されたらしい)、晩年の会津をテーマにした連作版画がすばらしい。


*******

図書コーナーの一角に「天心さん」というマスコット人形がおいてあった。「撮影可能」なので撮影した。

岡倉天心は亡くなってからすでに110年以上、「過去の人」になっているから、地元の子どもたちに親しみをもってもらうためには、こういうことも必要だろうな、と。

郷土出身の偉人ではないが、郷土に縁の深い人物として。




「岡倉天心ものがたり」という「子どものためのパンフレット」はよくできている。子ども向きだからといって手抜きされてない。ツボを押さえた解説は、大人にとっても有用だ。





「常設展」の会場前には「横顔のレリーフ」が掲げられている。新海竹蔵作とある。




「天心記念室」の「常設展示」には、岡倉天心関連の、とくに自筆書簡などが貴重な品々が展示されている。

天心の釣り船・龍王丸の模型や、門下の横山大観や下村観山の日本画も展示されている。ただし、釣り船の実物は、茨城大学五浦美術文化研究所が管理する「天心遺跡」の「天心記念館」にある。いずれも撮影不可である。



(天心の書斎を復元したもの 天心記念館パンフレットより)



■帰途もまた常磐線の普通列車で太平洋を窓越しに見る

さて、五浦での滞在は約4時間、来た道をそのまま歩いて大津港駅まで戻り、常磐線の普通列車を乗り継いで帰る。来たときとおなじく水戸駅の一駅手前の勝田駅で乗り換え。始発の上野駅行きなので座ることができた。

駅間距離が長いので、かなりのスピードで走る常磐線ではあるが、さすがに3時間以上も普通列車に乗車しつづけるのはしんどいものがある。とはいえ、充実した一日を過ごすことができたのだは幸いだった。 

北茨城の梅雨入りは6月20日からとのニュースがあったから、まだ現地は梅雨入りしていなかったのだな。ということは、梅雨のあいまの晴れ日というわけではなかったことになる。

再訪することがあるかどうかわからないが、この日の体感をともなった体験は、今後も長く記憶に残ることであろう。

(終わり) 


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(2026年6月30日 情報追加)


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