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2025年9月25日木曜日

書評『黄禍論 百年の系譜』(廣部泉、講談社選書メチエ、2020)― アメリカ白人の深層心理の底に根強く生き続ける「黄禍論」。それはけっして過去の話ではない

 

『黄禍論 百年の系譜』(廣部泉、講談社選書メチエ、2021)を読んだ。「黄禍論」という切り口で、1890年代以降の百年以上にわたる日米関係を、東アジアの人口大国である中国とからめて描いた近現代史である。 

その時々の新聞記事を縦横無尽に引用して構成された、リアルタイム感覚で読み進めることのできる本になっている。コラージュ的手法といえようか。 

この本を通読すると、アメリカが苦境に陥ったとき、なぜ日本だけが標的にされるのか、その理由がアメリカ人の深層意識の底にある「人種主義的思考」にあることが見えてくる。 

「日米戦争」の終局における原爆投下も、1980年代後半の「日米経済戦争」におけるジャパン・バッシングも、日本(およびアジア人)に対するアメリカ人の恐怖心理が働いていると考えるのが自然であろう。 もちろん、それが主たる要因ではないにせよ。

2020年代の現在、弱体化した日本ではなく、アメリカの存在を脅かすまで巨大化した中国が主要な標的にされている。だが依然としてアメリカは、日本が中国に結びつくことを極度に恐れているのだ。「アジア主義」に対する恐怖である。 

このことは、日本人はよく理解しておいたほうがいい。 

ハリウッド映画や洋楽などによって、かなりの程度まで感覚がアメリカナイズされている現代日本人は、日本人もアメリカ人もおなじように考えていると、勝手に思い込んでいるのかもしれない。 だが、アメリカ人が日本人をどう見ているかは、それとはまったく別の問題だ。認識にズレが存在するのだ。 

それは、あくまでも主観的な認識であり、当然のことながらバイアスがはたらく余地が大きい。歪みによって形成された認識のズレが極大化したとき起こるのは・・・ 


(カバーの裏に記されたアメリカ大統領たちのホンネ)



■アメリカにおける「黄禍論」(イエローペリル)

「黄禍論」(イエロー・ペリル)とは、「黄色人種」であるアジア人が攻めてくるという恐怖と不安から生まれてくる妄想のことである。日清戦争後(1895年)、急速に台頭してきた日本が呼び覚ましたものだ。 

教科書的には、ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世が言い出したとされ、日清戦争後の仏独露による「三国干渉」の根拠になっているとされる。本書によれば、起源としては英米アングロサクソン圏からも発生したものもあったようだ。 

1880年代は欧米世界でも、まだ「進歩」が信じられていた時代だった。ダーウィンやスペンサーによる「進化論」が、白人の西洋文明の優位性という認識を下支えしていた。 

ところが、1890年代に入ると「世紀末」意識による将来的な不安、西洋文明に対する悲観的な見方が有力になっていく。「黄禍論」が蔓延していく背景には、時代の空気の変化があったのだ。 

「黄禍論」がアメリカで蔓延するようになったのは、日露戦争(1905年)における日本の勝利、言い換えればロシアの敗戦がきっかけになっている。小国日本に対する礼賛は、逆転して不安と恐怖へと転換していく。アジアの先頭に立った小国日本が、人口大国の中国と結びつくという恐怖。 

日露戦争後に流行した日米戦をシミュレートした「日米未来戦記」の流行「オレンジプラン」という対日戦争計画策定。そして第一次世界大戦後には、国際連盟設立に際して日本が提案した「人種差別撤廃案」が廃案にされたこと・・・

状況をきわめて悪化させたのは、日本からの移民を排斥する「排日移民法」(1924年)の成立である。日本を標的にしたこの連邦法の成立が、いかに当時の日本人に屈辱感をあたえたか、この点にかんしては歴史的想像力をフルに働かせなくてはならない。 

日本サイドでは屈辱感から生まれた激しい怒りの言説、米国サイドでは恐怖心理から生まれるさまざまなフェイク情報。これらが日米相互で絡み合って増幅し、悪循環をさらに悪化させ、最終的に日米戦争という破局にいたったことは、あえて書くまでもないだろう。 


■「コロナ期」にアジア人への暴力行為が蔓延したアメリカ

2020年9月に出版された本書は、まさに「コロナ時代」の産物である。 

すでに記憶が希薄化しつつあるが、第1期トランプ政権時代の末期、アメリカではアジア人に対する露骨な蔑視や暴力行為が蔓延したことを思いだす必要がある。コロナ感染症(COVID19)が中国の武漢から世界中に拡がったことへの、過剰な反応が生み出したのだ。 

「平時」には友好的で寛大なアメリカ人も、戦争や感染症など「有事」の際には、深層意識の底にあるアジア人への恐怖心が浮上してくる。それは、理性ではコントロールできない感情レベルの反応である。 

だから、「黄禍論」は、けっして過去の話ではないのだ。今後もどんなきっかけで急浮上してくるかわからない。そう考えておくべきだろう。 


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目 次
はじめに 
第1章 東洋人の群れ ―「日中同盟」の悪夢 
第2章 幻の「人種平等」― 国際連盟設立と人種差別撤廃案、そして「排日移民法」 
第3章 汎アジア主義の興隆と破綻 
第4章 戦争と人種主義 
第5章 消えない恐怖 ― 冷戦下の日米関係 
第6章 よみがえる黄禍論 
おわりに
注 
あとがき

著者プロフィール
廣部泉(ひろべ・いずみ) 
1965年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業。ハーバード大学大学院博士課程修了。Ph.D(歴史学)。現在、明治大学政治経済学部教授。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

・・そもそも日本人は、自分の肌の色を黄色などと思ってはおない。クレヨンの「肌色」は「黄色」ではない


・・実業界を代表して日米関係改善に奔走した渋沢栄一だったが



・・吉田司氏の「コラージュ・ノンフィクションという手法」

・・アルバニア移民二世のジョン・ベルーシが演じた三船敏郎の『用心棒』にインスパイアされたという「サタデー・ナイト・ライブ」(SNL)のカリカチュアライズさらた「サムライ」には、平均的なアメリカ人を笑わせるであろう「日本人像」が表現されている。そこには悪意はない。映画『ティファニーで朝食を』(1961年)に登場するカリカチュアライズされたステレオタイプ的な日本人ユニヨシとは違うものがある。ベルーシが主演として参加したスピルバーグ監督の映画『1941』(1979年製作)のこの映画には三船敏郎も出演している


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2025年9月24日水曜日

映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年、米日)をようやく視聴 ―「溝を越えて理解しあうことの難しさ。しかし、それはけっして不可能ではない」というテーマを描いた哲学的なテイストも備えたロマンティック・コメディ

 


もう22年も前の作品なのだな。月日がたつのはじつに早い。「インバウンド公害」が当たり前になった現在とはまったく違う世界のような気もするが、基本的にあまり変わっていないような気もする。 

監督はソフィア・コッポラ。映画の内容は以下のとおり。amazon prime video から。 


ハリウッドスターのボブは、ウィスキーのコマーシャル撮影のため来日する。日本人スタッフから歓迎を受けるが、言葉が伝わらない不安、息子の記念日に不在であること責める妻からのFAXXが届く。 一方、同じホテル写真撮影のために来日したジョンに妻のシャーロットが同行する。新婚にもかかわらず夫が多忙なため、孤独を感じていた。ボブとシャーロットはホテルで何度も顔を合わせるうちに惹かれあってゆく。


主な舞台は新宿。外資系ホテルのパークハイヤット東京。高層階からの眺望がすばらしい。とくに夜景の美しさ。エンターテイナのいるナイトクラブ。ほぼ全編が2002年当時の新宿でロケが行われている。27日間で撮影許可なしでゲリラ的に撮影したのだと。 

カメラマンの夫が仕事しているあいだ無聊をかこっている若妻役を演じている、主演女優のスカーレット・ヨハンセンは、同時期に映画『真珠の耳飾りの少女』で主役を演じていることをはじめて知った。こちらは映画館で見ていたのにねえ。

日本人俳優たちも自然体で演技しているし、新宿の日常風景もエキゾチックな演出などかけらもない。

であるものの、見ていてなんだかヘンな感じがするのは、ハリウッド映画という前提で日本人の振る舞いを見ているからだろう。日本映画や日本のドラマに外国人が出演するのとは、なにかが違うのだ。


(米国版トレーラー)


おなじモノを見ていながらも、自分の認知している世界と、他者がみている世界とのズレがあるのだ。この映画は、あくまでもソフィア・コッポラ監督の目をとおして、主人公二人の視線をつうじて日本の現実を見ることになるからだ。だが、そこにオリエンタリズム的視線は希薄であることは言っておかなくてはならない。

ハリウッド映画や洋楽などをつうじて、すっかりアメリカナイズされたとされる現代日本と日本人だが、依然として日米に横たわる文化的な溝は大きく、かつ深いのである。これは実際にアメリカでいってみれば、すぐにでもわかることだ。


(日本版トレーラー)


ただし、これは重要なことだが、この映画にはあえて日本語のセリフに字幕はつけていないのだという。日本語がわからない人には、文字通り「ロスト・イン・トランスレーション」となるという仕掛けだというわけだな。翻訳された文言では伝わらない何か。

これは冒頭のCM撮影シーンでクリアとなる。主人公の男優は、通訳のしゃべる英語には、なにかが欠けているのではないかという疑念を抱かざるをえない。 そして、主人公たちは漂流を始める。

米国版トレーラーと日本版トレーラーと比較してみるのも面白いだろう(上掲)。この映画は米国サイドと日本サイドの共同製作だが、米国側の視点と日本側の視点に違いがある。

日米の文化の違いに、米国人どうしでも存在する男と女の違い、ミドルエイジと若者の違いなど、さまざまな違いが重ね合わされる。溝を越えて理解しあうことの難しさ。しかし、それはけっして不可能ではないのだということ。これは現代世界共通のテーマだろう。

 ロマンティック・コメディではあるが、哲学的なテイストも備えた作品であった。なるほど脚本部門でアカデミー賞を受賞しただけのことはある。 


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<ブログ内関連記事>

「ニイタカヤマノボレ」 と 「トラ・トラ・トラ」 ― 真珠湾攻撃(1941年12月8日)から70年!・・映画 『トラ!トラ!トラ!』(1970年)は日米共同製作だが、日本サイドと米国サイドでは監督が異なり、日米両サイドから描いたこの映画はたいへんすぐれたものとなっている





・・アルバニア移民二世のジョン・ベルーシが演じた三船敏郎の『用心棒』にインスパイアされたという「サタデー・ナイト・ライブ」(SNL)のカリカチュアライズさらた「サムライ」には、平均的なアメリカ人を笑わせるであろう「日本人像」が表現されている。そこには悪意はない。映画『ティファニーで朝食を』(1961年)に登場するカリカチュアライズされたステレオタイプ的な日本人ユニヨシとは違うものがある。ベルーシが主演として参加したスピルバーグ監督の映画『1941』(1979年製作)のこの映画には三船敏郎も出演している


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2025年9月21日日曜日

書評『日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題 ― 文化の架橋者たちがみた「あいだ」』(片岡真伊、中公選書、2024)― 日本語の小説とその英語訳のズレを考える

 

日本語を英語に訳したとき発生するズレがある。その反対に英語を日本語に訳したときにもズレが発生する。 

話が通じない、こちらが意図する通りに受け取ってもらえない。ときに「うるわしき誤解」が双方にとってポジティブな結果を生み出すこともあるが、そのまったく真逆の結果をもたらすことも多々ある。いや、むしろそのほうが多いだろう。 

ズレが発生する原因は、日本語の単語と英語のそれが一対一で対応しているわけではないからだ。しかも、日本語と英語が根本的に異なる言語だからだ。 

だが、ズレが発生するのは語学上の問題だけが原因ではない日本語によって表現される文化と英語文化の違いでもある。たとえおなじ内容の表現が可能だとしても、それぞれの文化で受け取り方に違いが生じる。それぞれの文化に内在的な「常識」の違いである。 


■日本の小説の原作と英語版のズレを考える


米国の出版社クノップフ(Knopf)で1950年代に始まり1970年代までつづいた、日本文学を英語に翻訳して出版するプロジェクトについて、アーカイブに残された資料を徹底分析した成果である。博士論文を一般読者向けに再構成して加筆修正したものだ。 

具体的に検討材料として取り上げられた日本小説は、大佛次郎の『帰郷』、谷崎潤一郎の『蓼食ふ虫』と『細雪』、大岡昇平の『野火』、三島由紀夫の『金閣寺』、川端康成の『千羽鶴』と『名人』など。

これらの小説の日本語原文と英語版とのズレがさまざまな角度から分析され、その意味について考察される。 

このプロジェクトにかかわってくるのは、原作者である日本の小説家、サイデンステッカーなど英語訳の翻訳者、そして出版社でプロジェクトを主導した日本語に精通した編集者と、そのアドバイザーたちである。 

語学上の問題は、翻訳者の日本語解釈だけでなく、どこまで文脈(コンテクスト)を読み込んでいるかという問題もかかわってくる。 日本語の文脈を、どう英語の文脈に写し換えるかという問題だ。

日本語特有の融通無碍ともいえる自由な視点の移動(・・英語では視点を固定しないと文が成り立たない)、主語を明確にする必要のない日本語による会話(・・発言者の主語を明らかにしないと英語にならない)、「比喩」のなかでも解釈のむずかしい「隠喩」(メタファー)をどう扱うかなど、文学作品ならではの翻訳のむずかしさがある。 

だが、それだけではない。商業出版物である場合、語学や文化の問題だけでなく、マーケティングという要素もからんでくる。ビジネスである以上、売れなくては意味がない。すくなくとも固定費が回収されなくてはビジネスとして成り立たない。

英語圏の文化において、日本文学がもつ「異質な要素」が、どこまで「許容可能」であるか、その「許容限界」が問われるのである。

異質な要素がないと目新しさがないし、異質が過ぎると受け入れられない。つまり商業的に失敗となる。 

英語圏で読者に受け入れられるため、『細雪』が『The Makioka Sisters』とタイトルの変更が行われ(・・ハリウッド映画の日本版でのタイトル変更は以前は当たり前のように行われていたな)、カバーのイラストが日本版とは大きく異なるものとなり(・・日本人からすればステレオタイプのオリエンタリズム全開で違和感が強い)、『野火』のように内容と結末の書き替えすら行われているのである!(・・ハッピーエンドしかありえないハリウッド映画を想起するといい) 。

こういったさまざまな角度から、「日本の小説の英語訳にまつわる特異な問題」があきらかにされ、その意味について考察されている本書は、索引や注をふくめると400ページ近いが、興味深く読み進めることができる。 


■語学上のズレ、文化のズレ、マーケティング上の要請

英国の大学に進学して英文学を専攻し、比較文学を専攻した大学院では日本の小説を英語訳で読みまくったという著者が、原作と英語訳でズレがあると知ったときの衝撃が、この研究の出発点になっているという。

日本の小説の英語訳のズレの存在については、日本人はもっと知っておいたほうがいいだろう。日本語と英語の語学上のズレだけでなく、文化にかかわるズレがあるだけでな、マーケティング上の要請もかかわってくるのである。 

さて近年は村上春樹だけでなく、日本の女性作家たちの作品が英語圏で大いに受け入れられている。原作と英語版とのズレがどれほどのものとなっているのか、どのように処理されているのか読み比べてみるのも面白いかもしれない。 


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目 次
はじめに 
序章 日本文学翻訳プログラムの始まり ― ハロルド・シュトラウスとクノップフ社 
第1章 日本文学の異質性とは何か ― 大佛次郎『帰郷』 
第2章 それは「誰が」話したのか ― 谷崎潤一郎『蓼喰ふ虫』 
第3章 結末はなぜ書き換えられたのか ― 大岡昇平『野火』 
第4章 入り乱れる時間軸 ― 谷崎潤一郎『細雪』 
第5章 比喩という落とし穴 ― 三島由紀夫『金閣寺』 
第6章 三つのメタモルフォーゼ ―『細雪』、「千羽鶴」、川端康成 
第7章 囲碁という神秘 ― 川端康成『名人』 
終章 日本文学は世界文学に何をもたらしたのか ―『細雪』の最後の二行
あとがき 
注/出典・主要参考文献/事項索引/人名索引 

著者プロフィール
片岡真伊(かたおか・まい) 
国際日本文化研究センター准教授、総合研究大学院大学准教授(併任)。1987年栃木県生まれ。ロンドン大学ロイヤルホロウェイ(英文学)卒業、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン修士課程(比較文学)修了。総合研究大学院大学(国際日本研究)博士後期課程修了。博士(学術)。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院シニア・ティーチング・フェロー、東京大学東アジア藝文書院(EAA)特任研究員を経て、2023年より現職。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<関連記事>

・・「振り返ってみれば、村上春樹の初期3部作の掉尾を飾る『羊をめぐる冒険』(原著82年)のアルフレッド・バーンバウムによる英訳が出て国際的評価を得たのも、89年のことである。そして、当時の英訳者は、現代日本文学を英語圏文学市場にのせることを意識するあまり、英米文学の約束事に倣い、創造的改変を試みる傾向があった。
 バーンバウムが言うように「英語圏読者をして、いかにも翻訳を読んでいるという気にさせない」ことが最優先だったのである。まずは日本文学に「英語文学」としての市場価値を持たせねばならなかったのだ。
 バーンバウムが村上春樹のヴォネガット的文体を誇張したように、シャイナーの荒巻訳が究極目的としたのも、日本小説の英訳というよりは、アメリカ的受容が保証される最先端サイバーパンク風文体空間へ落とし込むこと、すなわちアメリカ市場における文学商品化を施すことにほかならない。
 このあたり、20世紀末の現代日本文学ブームにおいて、初期の英訳者が示したそれぞれ異なるさじ加減については、青山南が90年代初頭より盛り上がり始めた日本文学英訳の品質を真っ向から批評し、英訳者の功罪を列挙した『英語になったニッポン小説』の分析が参考になるだろう。
 しかし新世紀に入って、卓越した日本語能力を備えた英語圏翻訳者が幾何級数的に増大すると、事情は一変する。前掲『OUT』を翻訳したスティーブン・スナイダーのように、原作小説に忠実でありながら、その魅力を倍増させる技法が磨かれるようになったのである。
(・・・後略・・・)


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2025年9月17日水曜日

明治維新革命を導いた知られざる精神とはなにか? ― 勝海舟と西郷隆盛に共通するキリスト教への限りない接近の意味を考える



勝海舟と西郷隆盛。いうまでもなく幕末から明治維新革命の時期のキーパ ーソンたちである。 

この二人が「江戸城無血開城」の立役者であることは、日本人なら知らない人はまずいないはずだ。この二人のサムライが和室で対座する画像はあまりにも有名だ。 


(結城素明画『江戸開城談判』(聖徳記念絵画館所蔵)Wikipediaより)


では、なぜ「江戸城無血開城」が実現したのか? 

さまざまな解説がそれこそ無数になされてきたわけだが、その深い精神的意味について考えてみる必要もあるだろう。 

そのヒントになるのが、勝海舟と西郷隆盛の二人に共通するキリスト教との接点だ。いずれも洗礼を受けたわけではないが、限りなくキリスト教に近づいていた人たちであることは、まだ日本人全体の「常識」となっていないかもしれない。 


■勝海舟とキリスト教との接点

勝海舟が、明治になってからアメリカ人宣教師家族ときわめて親しい関係をもっていたことは、意外に思うかもしれないが、知る人ぞ知る事実である。息子の一人と宣教師の娘と結婚したことで、宣教師ファミリーとは親族になってもいた。




勝海舟とキリスト教との出会いは、すでに幕末にさかのぼることができるようだ。

長崎の海軍伝習所時代にはオランダ人海軍軍人カッッテンディーケをつうじて、西洋文明の根源にあるキリスト教のなんたるかを理解していたらしい。オランダ語で出世の糸口をつかんだ勝海舟は、オランダ語で聖書を読んでいた可能性もある。 


■西郷隆盛とキリスト教との接点

西郷隆盛の有名なフレーズ「敬天愛人」とは、「天を敬い人を愛す」と読めるが、ここでいう「天」は儒教的でいう「天」とはニュアンスが異なる。絶対的な存在であるが、人格神的な意味合いを帯びているとされる。 




いかなるルートで入手したかわからないが、西郷隆盛は上海で出版された「漢訳聖書」を、読みこんでいたらしい。そう考えれば、「敬天愛人」の意味もより深く理解することも可能になるだろう。 

そもそも「敬天愛人」という漢字四文字のフレーズは、『西国立志編』というベストセラーを生み出した中村敬宇(正直)から教えられたとされる。敬宇は幕府の儒者で、佐藤一斎の晩年の愛弟子であったが、幕府が派遣した英国留学生の監督とつとめ、それをきっかけにしてキリスト教徒になっていた。

『中村敬宇とキリスト教』(小泉仰、北樹出版、1991)によれば、敬宇は、明治元年には「敬天愛人説」という小論を漢文で書いており、静岡時代に敬宇に学んだ西郷の弟子をつうじて「敬天愛人」は西郷のものとなったようだ。西郷が「敬天愛人」をさかんに揮毫するようになったのは、明治8年(1975年)以降のことである。

主君や天皇を越えた存在である「天」。しかも儒教的な「天」そのものではなく、人格神的な意味合いを帯びた「天」を意識することで、鎌倉時代に始まる封建制を超克する可能性が拓けてくる。 

無教会主義を唱えた内村鑑三が、なぜ『代表的日本人』で西郷隆盛を筆頭に取り上げているのか、その意味も見えてくるのではないだろうか。 


■人格や人権という概念は日本社会から内発的に生まれてこなかった

このテーマにかんしては、『勝海舟 最期の告白』 と  『西郷隆盛と聖書』という本がある。  

いずれも『聖書を読んだサムライたち』(2009年)に始まるシリーズ本で、キリスト教ライターの守部喜雅氏によるものだ。前者は2011年、後者は2018年にキリスト教出版のフォレストブックス(いのちのことば社)から出版されている。 

勝海舟にかんしては、資料的な裏付けが十分にとれているが、西郷隆盛にかんしては、すくなからず憶測がまじっているのは仕方ない。 

座談録である『氷川清話』に示されているように、饒舌で話を盛る傾向すらあった勝海舟と違って、寡黙でみずからを語ることのない西郷隆盛がのこした文書があまりにも少ないからだ。 したがって西郷にかんしては、あくまでも可能性の範囲にとどめておくことが必要だろう。

結論としては、「江戸城無血開城」を実現した立役者である勝海舟と西郷隆盛の二人が、ともに限りなくキリスト教に接近していたという事実は、日本人の「常識」としておきたい。

さらに、現代の日本人がつよく意識しておかなくてはならないことは、仏教や神道からは、人格や人権という近代社会の根底をなす概念は、けっして「内発的」に生まれてこなかったという事実である。

明治時代に入ってから公認されたキリスト教、とくにプロテスタントの影響によって初めて、「外発的」ではあるが、人格や人権は日本に浸透し始めたのである。この点は、『近現代仏教の歴史』(吉田久一、ちくま学芸文庫、2017)においても指摘されている重要事項だ。

とはいえ、いまだ道半ばであることは、不祥事があいつぐ状況をみれば明かであろう。外国メディアで取り上げられてはじめて問題化された事案は、ジャニーズ社による「性加害問題」をはじめ枚挙にいとまない。ガイアツ(外圧)がなければ、見て見ぬ振りをする日本人の悪癖としか言いようがない。

制度や仕組みとしての近代化はとっくの昔に完成したが、精神の内面における近代化が完全に実現していないのである。日本人は、この事実に真剣に取り合うことが必要だといわなくてはならない。


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<ブログ内関連記事>

・・「第一次グローバリゼーションの戦国時代末期に伝来したカトリックとは異なり、聖書を読むことに重きをおいていたプロテスタント諸派にとって、儒教を中心として漢学を修めていたことで武士階級は読み書きの基礎学力があった点、伝道相手としては格好の存在であったことだろう。旧武士階級、なかでも精神のよりどころを求めていた没落士族にとっては「干天の慈雨」というべきものだったのだろう。武士として仕えるべき主君を失い、渇きを求めた精神は水を吸うようにキリスト教を吸収したのであった。」


・・「彼の生涯は、西欧近代文明の粋を家職である砲術から始め、佐久間象山のもとで学んだ蘭学をつうじて西欧の社会制度全般、そして最後は新島襄をつうじてキリスト教まで至ったものであるということもできよう。工学から自然科学、社会科学、そして精神科学という道筋ということもできるだろう。」



・・キリスト教徒ではないが、英国のケンブリッジ大学で西洋中世史を専攻した白洲次郎は、ヨーロッパ精神のなんたるかを骨身で理解し、体現した生き様を貫いている


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