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2013年4月15日月曜日

「第76回 GRIPSフォーラム」でタイの政治家スリン博士の話を聞いてきた(2013年4月15日)ー 前ASEAN事務総長による「日本待望論」



「第76回 GRIPSフォーラム」で、前ASEAN事務総長でタイの政治家スリン博士の話を聞いてきた。GRIPSとは、東京・六本木にある政策大学院大学のことである。スリン氏は現在GRIPSのシニア・フェローになっている。

日時: 2013年4月15日(月)16:40~18:10
場所: 政策研究大学院大学1階 想海楼ホール
講演者: スリン・ピッスワン氏(前ASEAN事務総長)
演題:「New Japan in a New Asia」         
言語:英語(日本語同時通訳付き)

スリン氏については知らない人も少なくないだろう。GRIPSによる略歴を掲載しておこう。

スリン・ピッスワン(Dr. Surin Pitsuwan)


1986年 タイ王国下院議員に初当選
(ナコンシータマラート県、以後88、92、95、96年に当選)
1986-88年 タイ王国下院議長秘書官
1988-91年 タイ王国内務大臣秘書官補
1992-95年 タイ王国外務副大臣
1997-2001年 タイ王国外務大臣2001-2005年 タイ王国下院議員(民主党比例代表20位)
2005-2006年 タイ王国下院議員(ナコンシータマラート県)
2006-2007年 タイ王国国家立法議会議員(任命)
2008-2012 ASEAN 事務総長

上掲の略歴には政治家としての経歴しかないので wikipedia英語版情報 をもとに増補(日本語版はなし)しておこう。英語の敬称に Dr. がつくのは博士号をもっているからだ(・・ただし、以下の記述では博士ではなく氏と表記する)。

1949年 タイ王国ナコン・シー・タマラートに生まれ(マレー系タイ人)
学歴は、タマサート大学、クレアモント・マッケンナ・カレッジ(米国)、ハーバード大学から修士号取得後、アメリカン大学カイロ校で研究生活、ハーバード大学で政治科学で博士号取得。その後、タイの大学で講師をつとめたのち下院議員に当選。

数年前のことになるが、ASEAN事務総長時代のスリン氏の講演を「日経フォーラム」に参加して聞いたことがある。タイ人にしては発音明瞭な英語を身ぶり手ぶりをまじえたダイナミックに話しぶりは、ハーバード大学で博士号を取得した経歴をもつ国際派ならではである。

タイの政治家には米国や英国で学位を取得した人は少なくない。いわゆる "最高学府" の法学部を卒業していても、日本をふくめて英米で博士号取得した者が政治家には少ない日本とは大きな違いだ。





講演タイトルは 「New Japan in a New Asia」

さて講演についてだが、タイトルは「New Japan in a New Asia」。こういう簡潔な英語のタイトルはかえって日本語には訳しにくい。以下、私見をまじえながら要約しておこう。

もともとは、「Cool Japan in Hot Asia」とするつもりだったとスリン氏は冗談を飛ばされていたが、たしかに再びの政権交代で自民党の安倍晋三が首相として「復活」し、最初の外遊先を東南アジアにしたことで、日本の政治がもはや「ASEANには冷たい(cool)」とはいえないだろう。もちろん、ここでいう cool は「格好いい」を意味するクール・ジャパンであるが。

スリン氏は、この20年のあいだ日本は引きこもり(retreat)していたという。ASEANからみれば、日本は国内問題を重視して内向きになっていたというのだ。だが、この20年のあいだの東アジアの変化はすさまじい。中国を中心にした東アジアに世界の主要国の関心が集中するようになったという変化がある。日本の存在感が相対的に低下してしまっていたのだ。

振り返ってみれば、第二次大戦後の日本は、米国の覇権のもと東南アジアに経済的な活路を見出すことになった。1970年代の田中角栄首相訪問の際に遭遇した日本製品ボイコットを契機に、経済関係だけではなく、政治もふくめた密接な関係を結ぶことを意図した「福田ドクトリン」の時代となる。日本とASEANの蜜月がはじまったのである。

その後も、カンボジア復興支援、インドネシアからの東ティモール独立、タイからはじまった「1997年アジア通貨危機」の解決ににおいても日本のプレゼンスは大きかった。

ASEANにおける日本のプレゼンスは、ビジネスや経済関係を除けば小さくなっていたのはたしかなことだ。日本が内向きになっただけでなく、中国やインドという超大国が復活してきたからでもある。環境は激変しているのである。

そんな状況のなか、ふたたび日本は表舞台に復帰してきたのであるが、なんといっても大きな変化は ASEAN共同体への方向だろう。すでに「ASEAN経済共同体」(AEC)構想が2015年の実現にむけて着々と進行中である。ビジネスパーソンのあいだでも関係者以外の認識が低いが、政治家の認識はさらに低いようにわたしには思われる。

経済関係についていえば、ASEANとして、すでにアジア太平洋地域では日本をふくめた6カ国とFTAを締結しており、市場としての意味も大きくなっている。中流階級の成長、クオリティ・オブ・ライフの向上した状況では、投資をふくめてビジネス面でのさらなる日本のコミットメントが求められるわけだ。

だが、経済が発展するためには政治的安定が不可欠である。2008年には 「ASEAN憲章」(ASEAN Charter)も発効しており、ASEAN内部での紛争解決の枠組みはできている。ASEAN域内の二国間関係もその枠組みのなかで解決される。

中国とインドという超大国のはざまにあるASEANにこそ、国境を接しない大国に期待される役割がある。その意味では、オーストラリアにもニュージーランドにも、韓国にもむずかしい役割だ。米国やロシアはまた超大国すぎて適切なプレイヤーとはいえまい。日本が存在感を発揮しなくてどうするというのだ、というわけだ。

スリン氏による日本への熱い「期待」である。「日本待望論」といっていいだろう。その呼びかけにどう応えるかは日本人にかかっているといってよい。

以上、スリン氏の英語による講演内容をわたしの個人的感想もまじえて要約した。スリン氏の講演内容そのものではないことをお断りしておく。




なお、『ASEAN 経済共同体-東アジア統合の核となりうるか-』(石川幸一/助川成也/清水一史、ジェトロ、2009)には、ASEAN事務総長時代のスリン氏が「発刊によせて」という文章を寄稿していることを付記しておこう。

この本の、第一部「ASEAN経済共同体の意義と実現への道程」は、有用な情報が書かれているので、ビジネスパーソン以外にもぜひ読むことをすすめたい。

また、「2015年のASEAN経済統合」の意味をアタマのなかに入れておこう という記事もブログに書いているので御参照いただけると幸いである。
 

スリン氏はマレー系タイ人でムスリム

スリン氏は、前首相のアピシット氏と同様、学者から政治家へというキャリアを歩んだ人だが、さらにもう一つの特色は、タイのマジョリティである仏教徒ではなく、南部出身のマレー系ムスリムであることもあげられる。

wikipedia英語版によれば、マレー式には Surin Abdul Halim bin Ismail Pitsuwan という名前をもつ。タイの人口の約4%はムスリムであり、キリスト教徒よりも多い。

イスラーム教徒であっても高い地位につくことができるというのは、タイという国の面白いところだ。じつに懐が深い。わたしの知る限りでは、先のクーデターで戒厳司令官のポストについたソンティ陸軍大将(当時)は南部ではなくバンコク出身のムスリムであった。

スリン氏は民主党政権のもとで外務大臣を歴任している。その後、ASEAN事務総長を歴任されたわけだが、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシアのほか、マレーシアやブルネイ、そしてフィリピン南部などムスリム人口の多いASEANの議長としては最適であったといてもいいだろう。ASEANの常駐代表委員会はインドネシアの首都ジャカルタである。

講演のなかで面白いことを言っていた。日本とタイの共通性についてである。植民地になったことのないというのが、アジアでは稀有なことであるが、そのためにかえって弱点もあるというのがスリン氏の見立てである。

日本もタイも、もっと外の世界に開かれた姿勢をもつことが大事だと強調されていたのが印象にに残った。スリン氏のような人は、タイでも例外的な存在の国際人であるので、よけいにそう思うかもしれないが・・・






<関連サイト>

Surin Pitsuwan (wikipedia英語版 日本語版なし)

Secretary-General of ASEAN Surin Pitsuwan (ASEAN)

Dr.Surin Pitsuwan (フェイスブックのコミュニティページ)


<ブログ内関連記事>


「第67回 GRIPSフォーラム」で、タイ前首相アピシット氏の話を聞いてきた(2012年7月2日)

「GRIPS・JBIC Joint Forum"After Fire and Flood: Thailand's Prospects"」と題したタイの政治経済にかんする公開セミナーに参加してきた(2012年2月3日)

GRIPS特別講演会 「インドネシア経済の展望」(2012年10月11日)に参加してきた-2025年にGDP世界第12位を目標設定しているインドネシアは、内需中心の経済構造

シンポジウム「これからの日中関係」(GRIPS主催 2012年9月27日)に参加してきた-対話のチャネルはいくらでもあったほうがいいのは日中関係もまた同じ


東南アジア世界と日本

「2015年のASEAN経済統合」の意味をアタマのなかに入れておこう

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論

書評 『「海洋国家」日本の戦後史』(宮城大蔵、ちくま新書、2008)-「海洋国家」日本の復活をインドネシア中心に描いた戦後日本現代史

書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)

書評 『中国は東アジアをどう変えるか-21世紀の新地域システム-』 (白石 隆 / ハウ・カロライン、中公新書、2012)-「アングロ・チャイニーズ」がスタンダードとなりつつあるという認識に注目!

書評 『皇室外交とアジア』(佐藤孝一、平凡社新書、2007)

『東南アジアを学ぼう-「メコン圏」入門-』(柿崎一郎、ちくまプリマー新書、2011)で、メコン川流域5カ国のいまを陸路と水路を使って「虫の眼」でたどってみよう!

書評 『消費するアジア-新興国市場の可能性と不安-』(大泉啓一郎、中公新書、2011)-「新興国」を消費市場としてみる際には、国全体ではなく「メガ都市」と「メガリージョン」単位で見よ!

東南アジア入門としての 『知らなくてもアジア-クイズで読む雑学・種本-』(アジアネットワーク、エヌエヌエー、2008)-「アジア」 とは 「東南アジア」 のことだ!



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