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2017年12月7日木曜日

映画 『希望のかなた』(2016年、フィンランド)を見てきた(2017年12月4日)-「難民」の身に立場を置いて考えることを見る者に促す良質な映画

(渋谷のユーロスペース 筆者撮影)

フィンランド映画 『希望のかなた』(2016年、アキ・カウリスマキ監督)を見てきた(2017年12月4日)。「難民」の身に立場を置いて考えてみることを促すきわめて良質な映画だ。

アキ・カウリスマキは、フィンランドを代表する映画監督であるだけでなく、世界的な映画監督だ。その作品の多くは日本でも公開されている。フィンランドは人口550万人と「小国」だが、世界的に活躍する人物は少なくない。

カウリスマキ監督の作品を初めて見たのは、『レニングラード・カウボーイズ・ゴ・アメリカ』(1989年)である。

レニングラード・カウボーイズとは、超長いリーゼントに、先のとんがった長いブーツを履いた、ペンギンのような奇妙きてれつな出で立ちのフィンランドのロックバンドだが、日本公開されたのは1990年である。あたしが見たのは、米国から帰国後のことだったと思う。

この映画は、映画の登場人物であるレニングラード・カウボーイズそのものが興味の対象であり、監督のことはアタマのなかにはなかったようだ。日本の缶酎ハイのCMにも起用されており、レニングラード・カウボーイズが記憶のなかにある人も少なくないだろう。

その後みた映画が何か正確に覚えてないが、北欧フィンランドを舞台にしたシリアスな人生ドラマであったような記憶がある。『レニングラード・カウボーイズ・ゴ・アメリカ』のようなコミカルな作品とは真逆の印象があるが、シリアスとコミカルは両方ともカウリスマキ監督が好きなスタイルなのだろう。




■まさか自分が「難民」になるとは・・・

さて、 『希望のかなた』(2016年)だが、この映画は冒頭にも書いたように、「難民」の身に立場を置いて考えてみることを促すきわめて良質な映画だ。なぜなら、作中で登場人物がt語るように、「まさか自分が難民になるとは夢にも思わなかった」からだ(・・ただし、セリフは正確な再現ではない)。

主人公はシリア難民。シリア内戦に巻き込まれて空爆のため自宅が破壊され、婚約者も家族を失ってしまう。ボスにカネを借りて、難民業者の手引きで脱出することにする。

シリアから陸路でトルコ、さらにギリシアを経て、陸路でハンガリーに来たが、そこで唯一人の身内となっていた妹とはぐれてしまう。ハンガリーの右派政権が、難民の入国を阻止するために鉄条網を設置して強制排除に踏み切ったからだ。

その後、主人公はさらに移動を続け、警察に追われて貨物船に逃げ込む。その船がフィンランドに寄港したので上陸、フィンランドが自由な国であると聞いていたので、そこで難民申請を行う。だが
なぜか申請は却下され、強制送還が決定してしまう。

だが、主人公は収容施設から逃亡、右翼のゴロツキたちに暴行を加えられそうになるなど辛酸をなめるが、ふとしたことから、レストランのオーナーと出会って、働きながらかくまってもらうことになる。「難民」に対する態度は人によって異なるのだ。

そういうシチュエーションの映画であるためか、セリフの多くは英語である。主人公が難民友達としゃべるときはアラビア語、フィンランド側の登場人物たちはフィンランド語をしゃべる。

基本的にシリアスなテーマを扱った人生ドラマの映画だが、最初から最後までシリアスというわけではない。コミカルタッチのシーンも多い。主人公が働くことになったレストランだが、新たにオーナーとなったフィンランド人は、経営を軌道に乗せるため様々なアイデアを実行する。そのなかには、なぜか日本のスシを扱うレストランにしてみたりというシーンもある。ただし、日本人の視点から見ると、違和感がなきにしもあらずだが・・・。

難民となった主人公、難民をめぐる人間模様。人によって難民に対する態度はさまざまだが、この映画は、「もし自分が難民になったら?」という、ふだんは考えることもないテーマを見る人に考えさせる効果がある。


日本人にとって「難民」を考えるヒントとは?

映画を見たあとに想起したのは、日本人が「難民」になったケースが過去にもあったということだ。

それは、敗戦後の満洲からの「引き揚げ」かもしれない。約500万人(!)の日本人が引き揚げ者として命からがら脱出して逃避行を実行したのだ。

もちろん、難民となった引き揚げ者は日本人であり、命からがら逃げた先は母国の日本であった。だからといって、すべてがウェルカムだったというわけではない。日本本土じたいが空爆による大被害を受けて敗戦後の苦境のなかにあり、難民=引き揚げ者を受け入れる余地にはきわめて乏しかったのである。引き揚げ者の受け入れが、さらなる困難を引き受けることであったからだ。

引き揚げ者の記録には、戦後空前の大ベストセラーとなった『流れる星は生きている』(1949年初版)がある。

1945年(昭和20)8月9日、ソ連軍の参戦によって満洲から脱出を余儀なくされた引き揚げ者のなかには、作家・新田次郎の妻であった藤原ていもいた。子どもをつれての満洲から朝鮮半島を経て日本にたどりつくまでの逃避行を描いた手記である。現在でも中公文庫のロングセラーである。

一方、引き揚げ者の受け入れ先となった側にもノンフィクション作品がある。『水子の譜(うた)-ドキュメント引揚孤児と女たち-』(上坪隆 、現代教養文庫、1993)である。評論家の佐高信氏がセレクトしたノンフィクション作品の一つである。

いま手元に本がないので、初版の年月日がわからないが(*注)、満洲や朝鮮半島からの引き揚げ者が上陸した博多港には、親を失った子どもたちや、逃避行のなかで暴行を受けて妊娠した女性たちもいたのである。知られざるというよりも、忘却されていた事実を掘り起こした良質なノンフィクション作品である。

(*注)その後、本がでてきたので調べたら、1979年初版と判明した(2017年12月11日 記す)


こういった満洲や朝鮮半島からの「難民」=「引き揚げ者」の記録や映画を読んだり見たりすると、世界各国で発生している「難民問題」も、日本人自身が当事者となることがあり得ないことではないことが理解されるだろう。

ここに書いたのはひとつのヒントに過ぎないが、フィンランド映画 『希望のかなた』(2016年、アキ・カウリスマキ監督)を見て、難民問題は自分とはまったく関係ない問題とは思わないことが必要だ。

要は、イマジネーションと共感の問題なのである。





<関連サイト>

映画 『希望のかなた』(公式サイト)








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