『輪廻転生-<私>をつなぐ生まれ変わりの物語-』(竹倉史人、講談社現代新書、2015)は、「輪廻転生」をめぐる入門書であり、かつ科学的精神の持ち主にこそ読んでほしい本だ。
「輪廻転生」というと非科学的だと一方的に決めつけていては、けっして科学的だとはいえない。科学的に実証されたわけではないものの、「輪廻転生」を否定できる根拠が確立しているわけでもない。輪廻転生がないと言い切れるのは、いわゆる「科学信仰」の持ち主か、たんなる無知のいずれかである。
著者は、宗教人類学の上田紀行氏のもとで宗教人類学を学んでいる学徒であるが、その姿勢は一貫して学問的であり、科学的であるといえる。
まずは、「輪廻転生」を3つに分類する。
1. 伝統社会で生まれた一族内での生まれ変わり
2. インドで生まれた輪廻転生(サンサーラ)の思想
3. 近代西欧で生まれたリーインカーネーションの思想
伝統社会における「生まれ変わり」は、生まれてきた子どもに、祖父母の名前をつけるという風習によく現れている。伝統社会では、生まれ変わりは当然のことと受け止められていたが、あくまでも一族のなかで転生を繰り返すと受け止められてきた。
狭い意味での「輪廻」といえば、古代インドで生まれ、ヒンドゥー教に引き継がれた「サンサーラ」(samsara)の世界観であり、日本人も伝統的に仏教をつうじて慣れ親しんできたものだ。
ただし、輪廻から脱するのが覚醒者ブッダの理想であったが、その後に発展した大乗仏教では真逆になってしまっている。輪廻から脱することは、まず普通の人間にはできないことだからだ。せいぜいのころ、人間に使役される牛馬に転生しないことを祈るばかりというのが、前近代社会における一般庶民の願いとなっていたわけだ。
チベット仏教でもまた「輪廻転生」を重視していることは、ハリウッド映画『リトルブッダ』や、最高指導者のダライ・ラマ自身が、転生によって継承されてきた事実によってよく知られていることだ。現在のダライ・ラマ14世法王の死後、中国共産党が介入することが間違いないので懸念されている。
「生まれ変わり」を「リーインカーネーション」(re-incarnation:再-受肉)として訳してしまうと、意味のズレが生じることが、本書を読むとよく理解できる。これは、あくまでも近代になってからフランスで生まれた概念であり、伝統社会のそれや古代インドの思想的系譜にあるものではない。
もちろん、キリスト教以前の古代ギリシアにおいても、ピュタゴラスは輪廻転生を信じており、ピュタゴラス教団は輪廻転生とベジタリアンをもって知られていた。そして、この両者は密接な関係にあり、プラトンを経由してキリスト教思想にも流れ込んでいる。
著者によれば、現代日本には、この3類型が同時に存在するという。じつに興味深い指摘だ。伝統社会の風習をいまなお残しているうえに、仏教が継承した古代インドの輪廻(サンサーラ)が社会に浸透し、さらに近代になってからはキリスト教的なリインカーネーション的な転生も受け入れてきたわけだ。
日本が、さまざまな事物の集積地帯であるのと同様、輪廻転生の思想においても集積地帯となっているのは、ある意味では当然というべきなのだろう。
なんといっても印象深いのは、「第4章 前世を記憶する子どもたち」だ。「前世を記憶する子どもたち」の存在によって「死後の世界」が実証可能かという研究が、米国では大学医学部で(!)行われ続けており、事例の相当数が蓄積されているという事実だ。あくまでも医学研究の一環として、科学的研究が行われているのだ。
本書に取り上げられた「前世を記憶する子どもたち」の事例を読んでいると、あながち否定できないのではないかという気持ちにさせられるのは、私だけではないだろう。
いや、私自身、輪廻転生を否定しているのではない。調査によれば「日本人の約4割が輪廻転生を信じている」というが、わたしもそのなかに入れてもらってもいい。より正確にいえば、「そうであっても不思議ではない」と考えている、ということだ。
帯にあるように「輪廻転生、それは生きる力を与えてくれる観念」というフレーズに、大いに共感を感じている。本書を読んだ人の多くは、そう思うことであろう。
それは「死後の世界」をつうじての「つながり」の確認なのである。死ねば終わり、ではないのだ。「つながり」感覚が、生きている人間の存在を支えるのである。
それでもなお「輪廻転生」や「生まれ変わりに」の存在について疑問に感じている人もいるだろう。冒頭にも書いたように、むしろ、そんな人ほど、読むべき1冊だといっていい。大いに薦めたい。
目 次
はじめに
プロローグ 世界中に広がる「輪廻転生」
第1章 再生型-自然のなかを循環する人間
第2章 輪廻型-古代インド起源の流転の思想
第3章 リインカネーション型-近代版生まれ変わり思想
第4章 前世を記憶している子どもたち
第5章 日本における生まれ変わり
エピローグ 輪廻転生とスピリチュアリティ文化のゆくえ
おわりに 「看取り大国ニッポン」に寄せて
主な参考文献
著者プロフィール
竹倉史人(たけくら・ふみと)
1976年、東京都生まれ。東京大学文学部思想文化学科を卒業後、予備校講師などを経て、東京工業大学大学院修士課程に入学。現在、同大学院社会理工学研究科博士課程に在籍中。専門は宗教人類学。日本社会を中心に現代宗教やスピリチュアリティについて考察。とりわけ「輪廻転生」と呼ばれる死生観に注目している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
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