■グローバル社会のさまざまな分野でリーダーとして活躍することになる予備軍たちは、いったいどういう教育を受けているのだろうか■
これ一冊で世界の「エリート教育」を総覧できる、コンパクトだが非常に密度の濃い、お買い得な一冊。
学校と図書館向けの図鑑として刊行された『世界の子どもたちは いま』シリーズ(24カ国・24冊)と『世界の中学生』シリーズ(16カ国・16冊)の内容を一冊に圧縮した内容なので、情報がフルコースでしかもてんこ盛り、思ったよりも読むのに時間がかかって、少し食傷気味になるくらいだ。
ボーディングスクールやプレップスクールだけでなく、小学校レベルからの中高一貫の「エリート教育」や、スポーツや芸術のエリート教育についても紹介されている。
英語が国際化にとっての必要条件とされることから、どうしても英語圏の米国や英国を中心に、その他オーストラリアやカナダの学校ばかりが紹介されがちだ。
だが、本書ではアングロサクソン圏の先進国だけでなく、教育を国家戦略に位置づけているインド、中国、トルコといったいわゆる新興経済国、また教育先進国となったシンガポール、そしてフランスの伝統あるエリート教育の現状についても紹介されているので、比較対象として参考になる。
「エリート」というと、多くの日本人には鼻につく表現で抵抗感も少なくないだろう。だが、真の意味におけるエリートは一流の人材であってかつ、いずれ人の上に立つことになる指導者(リーダー)のことであり、これは一国の生存のためには絶対不可欠の存在である。
もちろんすべての人間がエリートになれるわけではない。だが、グローバル社会のさまざまな分野でリーダーとして活躍することになる予備軍たちが、どういう教育を受けているかを知っておくことはムダではない。大いに刺激と危機感を感じて問題意識を抱いてほしいものだ。
「下り坂」にある日本だが、今後の生存のカギを握るのは、未来を担うリーダー予備軍の教育である。しかしながら、「エリートの条件」である、心身のタフネスと高いレベルのコミュニケーション能力を備えた人材を養成する体制が、果たして確立しているといえるだろうか。現在の迷走する状況では、国に期待してもそれはムリというものだろう。
グローバル社会で問われるのはあくまでも個人としての存在だ。個人を前提とし、個性を伸ばすために本当に必要な教育とはいったい何かを考えるために、本書を通読してみることもその一助となろう。基本はコミュニケーション教育に尽きるといってもいい過ぎではないのだが、具体的な実例については直接読んで確かめていただきたい。
一流を目指す人、指導者(リーダー)を目指す人、そしてその父兄や教育者に読んで問題意識をもってほしいものである。
<初出情報>
■bk1書評「グローバル社会のさまざまな分野でリーダーとして活躍することになる予備軍たちは、いったいどういう教育を受けているのだろうか」投稿掲載(2002年2月24日)
<書評への付記>
■日本で「エリート教育」は果たして可能か-英国のエリート教育から考える
どうもこの国では「エリート」は誤解されているようだ。エリート臭くて鼻持ちならないヤツ、エリートを鼻にかけやがって、とか一般世間での評価はさんざんだ。
エリートの義務というのがあって、「ノーブレス・オブリージュ」という、などと得意げに語られることも多い。この表現は、この本でも「エリートの義務」と訳されているが、正確にいうともともとはフランス語で Nobless oblige. であり、高貴な者は義務をもつというフランス語の短文である。Nobless は名詞、oblige は動詞 obliger の三人称単数の現在活用形である。
しかし、この表現を鼻にかけて、「上から目線」で下々を見おろしているのが、全部とはいわないが、日本の高級官僚であり、政治家である。自民党の麻生太郎前首相が、はじめて選挙にでたときの街頭演説の第一声が、「しもじもの皆さん!」であったという、笑い話というか、鼻つまむようなアネクドートがある。
これは儒教的な「統治者感覚」である。下々の者はあくまでも統治される対象であり、俺たち上に立つ者ががしっかりしないと国を統治できない、という誤った思い上がりであって、義務と献身を基本姿勢とする、本来の意味の「ノーブレス・オリージュ」からほど遠い。
戦争になったら先頭を切って敵陣に飛び込み、率先垂範のリーダーシップを示すというの本来の「ノーブレス・オリージュ」だ。みずからは安全地帯にいて高見の見物をするのはリーダーではない。
むかし高校生の頃読んだ、『自由と規律-イギリスの学校生活-』(池田 潔、岩波新書、1963)には、英国のパブリックスクール卒業の貴族階級の士官が、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線では、ラグビーボールを蹴って Follow me ! と叫んで敵陣に飛び込んでいった、というエピソードが紹介されていたことを記憶している。この結果、パブリックスクール出身者の戦死率がきわめて高かったという。
もちろん英国のエリート教育を、過度に理想化してはいけない。大学時代に英語の授業で読まされた George Orwell の Such, Such Were The Joys というパブリック・スクール時代の回想録では、思い出すのも不愉快な日々であったことがこれでもか、これでもかと書かれていたのを覚えている。オーウェルはその後大学には進学せず、植民地ビルマで警察官になる道を選んでいる。
■なぜ日本では「現場」は優秀だがエリートはダメなのか?
日本では昔から、兵と下士官は優秀だが、将校以上がまったくなってない、といわれてきた。大東亜戦争におけるインパール作戦の戦記など読んでいると、情けなくなってくるだけでなく、激しい怒りがこみ上げてくる。
ひたすら責任を回避する高級軍人は、失敗しても信賞必罰からはほど遠く、予備役となることもなく組織内で温存されるという構造。これとまったく同じことが、現在でも高級官僚についてはそっくりそのまま当てはまる。
こんなていたらくであるからこそ、日本では、世の中全般にいわゆる「エリート不信」が根強く存在するのである。おそらくこのエリート不信は、簡単に消えてなくなることはないだろう。
こういう状態であれば、たとえ「エリート教育」の必要を認識したとしても、果たして日本に定着するのかどうか疑問に感じるのも当然である。
戦前には旧制高校や陸軍士官学校ないしは海軍兵学校というエリート育成のための教育はあったが、エリートがエリートの責務を果たしたといいきれるかどうか。
日本の大学は、東大も京大も早稲田も慶應も、戦後は大衆マンモス大学となっており、とても本来の意味のエリート養成校とはいいがたい。
■日本ではエリート教育よりもリーダーシップ教育が課題
私は個人的には、日本では「エリート教育」よりも、あらゆるレベルでの「リーダシップ教育」こそ必要と考えている。将校があてにならぬ以上、現場の下士官レベルのリーダーシップを強化したほうが実際的である。
近年よくいわれている「現場力」強化はこの意味では正しい。グローバル企業トヨタで発生した、リコール問題から端を発した品質問題が米国を中心に社会問題化しているが、それでもまだまだ日本の製造現場は世界最強といっていいだろう。
問題は、グローバル経営の担い手であるはずの、幹部クラスのレベルが国際水準からみて相対的に低いことに問題があると考えられる。これは、むかしから日本にはつきまとう問題だ。
だからこそ、日本以外の世界各国で、エリート予備軍たちがどういう教育を受けているのかを知っておいて損はないと思うのである。
たとえば、日産を再建したレバノン人カルロス・ゴーンが、フランスのグランゼコール出身のスーパーエリートであることは、まだ覚えている人も少なくないだろう。好き嫌いは別として、彼らはただ単にアタマがいいだけでなく、真の意味で「ノーブレス・オブリージュ」を実践している存在であることは否定できない。
■米国のプレッップ・スクールはエリート育成予備門
とはいえ、 『エリートの条件』に紹介された事例は、世界の現状を知るには役に立つが、これをそのまま日本にもってきても成功するかといえば、ちょっと違うのではないかとも思う。
いっそのこと、ボーディング・スクールやプレップ・スクール経由で、米国や英国のエリート大学にそのまま進学する方がいいのかもしれない。そのように考える親や子どももいてもまったく不思議ではない。本書もそういった人たちへの情報提供も目的としているはずだ。
米国のプレッップ・スクールについては、こういう本があるのでぜひ目を通すことをお勧めしたい、私が以前書いた書評を参考のために再録しておこう。
『レイコ@チョート校-アメリカ東部名門プレップスクールの16歳-』(岡崎玲子、集英社新書、2001)
実に面白い。一気に読んでしまった。
この本の著者である岡崎玲子さん(1985年生まれの16歳)みたいに、知的好奇心が旺盛で、柔軟な人にとっては、このチョート校のようなアメリカ東部の名門プレップスクール(寄宿制私立高校)はうってつけなんだろうな。日本の大学よりはるかに知的な内容の授業が行われているのだ。はっきりいってうらやましい。もし僕も生まれ変わって(?)もう一回高校生になれたら、絶対アメリカのプレップスクールにいきたいな、そんな気にもさせられた。
この本を読むまでは、プレップスクールというと、ロビン・ウィリアムズ主演のアメリカ青春映画『今を生きる』のイメージしかもっていなかったが、著者による、プレップスクールの1年といったかんじの、ほとんどライブ中継のような紹介で、はじめて明確に内容を知ることができるようになった。
それにしても驚くのは、玲子さんの日本語能力の高さである。英語ができるから難関のプレップスクールに入れたのは当然だが、16歳でこれだけロジカルで臨場感豊かな日本語を書ける(もちろん編集者の指導はあるだろうが)ということに正直おどろいている。こんな子がいれば日本の将来は決して暗くないぞ、そんな気にもさせられる。きっと国際的な大きな活躍をしてくれることだろう。
同世代の人や教育に関心のある親だけでなく、あらゆる年齢層の人におすすめの本だ。
岡崎玲子さんだけでなく、多くの若者が日本の大学をスルーして米国や英国の大学にストレートで進学している。目的意識の高い若者にとって、日本の大学にいくよりも正しい選択であるといえるかもしれない。
なおついでながら付け加えておくと、米国の場合「エリート」になるのが目的なら、大学院(graduate school)ではなく、大学学部(undergraduate)のほうが重要だ。専門課程の大学院よりも教養課程の学部のほうが重要であり、ハーバードでも Harvard Business School よりも、学部の Harvard College のほうがはるかに格が高いようである。大学院は「学歴ロンダリング」の場として使われることも少なくはないからだ。
米国の前大統領のジョージ・ブッシュ Jr. も、ハーバード・ビジネス・スクールで M.B.A.を取得した人だが(・・本人の実力だけで入学したのかどかは知らないが)、彼にとって重要なのは学部時代のイェール大学であり、学生の秘密結社であるフラタニティ(fraternity:中世ヨーロッパの兄弟団に起源をもつ)"スカル・アンド・ボーン"(Skull & Bones)であるこことは知っておくべきだろう。
いずれにせよ、米国と日本はまったく社会構造、教育構造の違う国であり、フランスほどではないが、米国もまたエリート主導の国であることに変わりはない。そもそもが「格差社会」なのである。
少なくとも日本以外の国の現状はこうなのだ、ということだけでも知っておきたいものである。
処方箋を示したことにはなっていないのだが。
<参考文献>
◆米国
『アメリカ最強のエリート教育』(釣島平三郎、講談社+α新書、2004)
『アメリカのスーパーエリート教育』(石角完爾、ジャパンタイムズ、2000)
◆フランス
『エリートのつくり方-グランド・ゼコールの社会学-』(柏倉康夫、ちくま新書、1996)
『フランス式エリート育成法-ENA留学記-』(八幡和郎、中公新書、1984)
<映像資料>
◆ロビン・ウィリアムズ主演の青春映画『今を生きる』
原題は Dead Poets Society 、1989年製作公開。米国版トレーラーはここ。
・・英国のパブリクスクールにモデル作られたプレップ・スクールを舞台にした青春映画。
◆『アナザー・カントリー』(Another Country)1984年製作公開の英国映画。
・・1930年代、思想としての共産主義全盛時代のパブリック・スクールを舞台にした青春映画。後にソ連(=another country)のスパイとなったある大物をモデルにした映画。ゲイ(=ほもセクシュアル)映画でもある。9分割で YouTube にアップされている。
ちなみに作家ジョージ・オーウェルが学んだのは、1910年代の終わりから1920年代のはじめである。
PS 改行を増やし読みやすくした。また一部について加筆を行った (2014年1月15日 記す)
<ブログ内関連記事>
日本語の本で知る英国の名門大学 "オックス・ブリッジ" (Ox-bridge)
書評 『イギリスの大学・ニッポンの大学-カレッジ、チュートリアル、エリート教育-(グローバル化時代の大学論 ②)』(苅谷剛彦、中公新書ラクレ、2012)-東大の "ベストティーチャー" がオックスフォード大学で体験し、思考した大学改革のゆくえ
書評 『私が「白熱教室」で学んだこと-ボーディングスクールからハーバード・ビジネススクールまで-』(石角友愛、阪急コミュニケーションズ、2012)-「ハウツー」よりも「自分で考えるチカラ」こそ重要だ!
「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは
書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)
ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992
「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・
NHKスペシャル『海軍400時間の証言』 第一回 「開戦 海軍あって国家なし」(2009年8月9日放送)
書評 『実録 ドイツで決闘した日本人』(菅野瑞治也、集英社新書、2013)-「決闘する学生結社」という知られざるドイツのエリート育成の世界とは何か
書評 『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(大宮冬洋、ぱる出版、2013)-小売業は店舗にすべてが集約されているからこそ・・・
・・現場で実績をあげた者だけを昇進させるユニクロの人事システムは、イスラエル軍とよく似ている
(2014年1月15日、12月7日、2015年6月29日 情報追加)
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(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
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