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■「本の未来」について考える人にとっては、いますぐにでも読むべき必読書■
いますぐそこにまで迫ってきている「電子書籍」時代を先取りし、本のもつコンテンツと、本を取り巻くコンテクストという観点から、「本の未来」について読み解いた思索の書である。
日本でも、米国のように本格的な「電子書籍」時代が到来するのを目前にして、印刷媒体の「本というメディア」がいったい今後どうなっていくのか、本書は非常によく練られた構成のもとに、ロジカルでムリのない展開で読者を最後まで著者の思索に導いてくれる。
「本の未来」というテーマの本は、私は昔から何冊も読んできたが、ここにきてようやく本質的なホンモノの議論に出会うことができたという思いがして、たいへん満足している。本というモノに対する過剰な思い入れを排して冷静に議論をすすめているから説得力があるのだ。
私自身、著者の佐々木俊尚氏と同様、年間300冊以上は購入して少なくとも100冊は最初から最後まで目を通す人間である。佐々木氏とは違って、まだ自らの本は出版していないが、ブログやツイッターなどのソーシャル・メディアで自分自身が書き、そして読むという日常生活を送っている。つまり、印刷媒体の本も読むが、インターネット上の膨大な活字も読んでいる。ふたつの世界にどっぷりとつかっている人間だ。こういう人間はけっして例外的な存在ではないだろう。
本書に紹介された統計調査によれば、インターネット上の活字も含めて米国人が読む活字の量はこの28年間で3倍、日本人についても同様だという。活字離れどころか、むしろ活字漬けになっているのが現代人の状況だ。
では、なぜ読書離れ、本離れとさかんにいわれるのか。この理由は、日本特有の書籍流通システムにあることが著者によって詳しく説明される。「電子書籍」そのものが問題ではないのだ。
アマゾンのキンドル(Kindle)やアップルの iPad といった電子書籍を読むためのタブレットの実際の使い勝手を、著者自ら購入して試してみることで、いまだこういう形での読書体験をもっていない読者にレポートしてくれている。
また、アマゾン DTP によるセルフパブリッシングの実体験レポートもあり、一般読者に「自分で出版する時代」という近未来図を想像させてくれる。自分で情報発信できる範囲が大幅に拡大することになることで、プロとアマの垣根が限りなく低くなっていく時代、出版をめぐる業界構造も、当然のことながら大きく変わっていくことだろう。
著者の議論に説得力があるのは、かつては本と同様にパッケージ商品であった音楽という先行事例をとりあげて徹底的に比較を行っていることだ。マイクロコンテンツとしての音楽は、いまやパッケージ商品としてのCDで買う時代ではなくなりつつある。
もちろん、本は音楽とは違って、「統合されたひとつの世界観を示すコンテンツ」だから、印刷媒体の本がタブレットで読める電子ブックにとってかわられたとしても、本そのものはけっしてなくなることはないだろう。むしろ、日本のいびつな書籍流通制度にメスが入り、消耗し疲弊する出版が再生するキッカケになるのではないか、という著者の予測には賛成だ。
日頃からブログやツイッターなどのソーシャル・メディアに接している人なら、佐々木氏のいっていることは十分に理解し、納得できるものと思う。
ただし、多くの読者にとって不満が残るのは、「電子ブック」がプラットフォームとなったとき、「印刷媒体の本」は消えてなくなってしまうのか、という疑問だろう。
この問いに対しては、佐々木氏は明確には述べていないが、私見では、電子ブックが普及したとしても、印刷媒体の本がすぐになくなるわけではないし、新しい形での共存が可能なのではないだろうかと考えている。そのヒントはケイタイ小説という新しい書籍ジャンルにあるというのが、著者のインプリケーションである。
いずれにせよ、本というメディアが、新聞や雑誌などのマス志向でマイクロコンテンツ的性格の強い情報メディアとは異なる本来の性格を取り戻し、本をとりまくコンテクストのなかで、コンテンツとしてのチカラを再生させていくだろうという明るい見通しには、多くの読者が納得するのではないだろうか。本書には、コンテクストつくりの事例として、bk1の取り組みも具体的に紹介されている。
ぜひ、著者の議論を最初のページから最後のページまでフォローしながら、読者自ら考えていただきたいものと思う。
「本の未来」を考える人にとっては、いますぐに読むべき必読書である。
<初出情報>
■bk1書評「「本の未来」について考える人にとっては、いますぐにでも読むべき必読書」投稿掲載(2010年4月27日)
<書評への付記>
著者の佐々木俊尚氏は気鋭のウェブ・ジャーナリスト、元毎日新聞記者でアスキー編集部を経て今日に至る。1961年生まれだが、ネットの状況にかんして精力的に執筆し、多くの提言を行っている。
私が本書を取り上げた理由は、佐々木氏の論に全面的に賛成だからというわけではない。
佐々木氏の立場はネット側に軸足を置きながらも、かつて典型的な印刷媒体である新聞記者も経験していることでわかるように、必ずしもウェブ絶讃論者というわけでもない。ただし軸足はネット側にある。
面白いのは、ネット書店の bk1 と amazon では、私が書いた書評に対する評価が大きくわかれていることだ。まず媒体の違いがあるだろう。bk1 はどちらかたといって文芸書の読者が多い印象をうける一方、amazon は書籍以外の購買者も多く、そもそもがネット環境との親和性の高い評価者が多いという印象を受ける。
ぜひ、amazon のレビューのすべてに目を通してみほしい。軸足がどこにあるかによって、まったく異なる評価が本書に対してなされている。玉石混淆の評価のなかから、本当に自分にとって必要で役に立つ情報を取り出してくる能力こそ、ネット時代に求められている重要なスキルの一つである。
本書で取り上げられた議題は、そもそもがいままさに進行中の事象であり、今後どのような方向に進み、どこに落ち着くのかは誰にもわからない。
また、プラットフォームのベースが電子ブックとなったとしても、ある世代以上は容易には移行できないだろうし、本としての手触りやインクの匂いを嗅ぎたいという欲求も間違いなく残るはずだ。また、印刷媒体の本としては絶版となっても電子書籍として流通していれば、オンデマンド出版の形で印刷製本も可能だろう。
iPhone などのスマートフォンで文庫本感覚で読む、という選択も日本では定着する可能性もある。
新聞記事や雑誌記事のような「マイクロコンテンツ」にかんしてもすべてが電子化されるわけではなかろう。たとえば、名刺や会社案内、商品案内やチラシなどは今後も印刷されることだろう。
ただし、これらの紙媒体の印刷物にかんしては、バーコード以外の読み取り機器が普及すれば、たとえば Kindle や iPad などと連動して、印刷媒体をみせながら動画を見せるといったプレゼンも可能となるだろう。
同様に印刷媒体の書籍と Kindle や iPad の併用なども、ツールの活用方法としては面白い。
ちょっと考えただけでも、電子書籍の普及により、従来の印刷媒体の書籍が消えてしまうわけではないことがわかるはずだ。
「統合されたひとつの世界観を示すコンテンツ」である書籍、これは新聞記事や雑誌記事といった「マイクロコンテンツ」とは異なり、今後も生き続けることは間違いない。
要は、どのような形で生きていくか、ということだ。
本書はそのための「議論のタタキ台」として、現時点(2010年5月現在)では有用な本である。
<関連サイト>
「出版不況」は本当か?-書籍まわりのニュースは嘘が多すぎる (林 智彦・朝日新聞社デジタル本部、CNET、2014年9月2日)
・・なるほど、たしかに、という内容の記事
(2014年9月3日 項目新設)
(2012年7月3日発売の拙著です 電子書籍版も発売中!)
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