けさ(2012年10月15日)のニュースで知ったシハヌーク前カンボジア国王逝去。享年89歳、ご冥福を祈ります。合掌。
すでに時の人ではなくなっていたとはいえ、アジア激動の時代の生きた証人がまた一人去ったという感慨は深い。
クメール・ルージュのポル・ポト(1928~1998)はすでに死して14年、そしてシハヌーク(1922~2012)も去ったカンボジア。
ともに宗主国の言語であるフランス語で西欧流の教育を受けた知識人でありながら、後半生は北京(=中国共産党)と密接なかかわりをもった二人であった。しかも両者が手を握った結果、大虐殺というキリング・フィールドがもたらされた事実は、けっしてぬぐい去ることのできない歴史の汚点である。
だが、二人は大きく明暗をわけることになった。シハヌークのほうが、よりしたたかであったというべきか。
注目すべきは、シハヌークが北京の病院で亡くなったということだ。シハヌークは中国にとってはいわば重要なカードの一枚だったわけである。しかも、シハヌークのボディガードは北朝鮮から派遣されていた。ここらへんの深い事情は、よくはわからないのだが、カンボジア国民からは「国父」として慕われながらも、結局のところ本人はカンボジア国民を信用しきっていなかったのかもしれない。
いまやカンボジアも内戦時代の記憶も遠ざかりつつある。なんせ、首都プノンペンにはイオンが出店するという時代だ。 (注:イオンモールは、2014年4月に開業 2014年7月24日記す)。
写真は、2008年時点に再訪した際の首都プノンペン。前国王夫妻の肖像と現シハモニ国王の肖像が並んで掲示されている。なお、シハモニ国王は、フランスでバレエダンサーとバレエ教師を務めていた人である。
しかし、月日がたつのは早い。とはいえ、現在は過去の延長線上にある以上、過去の暗黒の歴史もまた、きちんと押さえておきたいものだ。
とくにベトナム戦争の正確な認識を抜きに、東南アジアを理解することはできない。そこに大きな影を落としているのがアメリカと中国である。そして旧宗主国としてのフランス。そして、隣国のベトナム。大東亜戦争において仏印進駐を実行した日本もまた。
だが、いまやプノンペンを走るクルマの大半は左ハンドルの韓国車ばかりだ。日本人としては、残念なことである。
PS なお、シアヌークという呼び方はフランス語風である。フランス語は h音を発音しないのでシアヌークとなるが、日本人であればシハヌークと発音すべきである。
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書評 『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)
書評 『「独裁者」との交渉術』(明石 康、木村元彦=インタビュー・解説、集英社新書、2010)
カンボジアのかぼちゃ
『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある
岩波写真文庫から1958年にでた梅棹忠夫監修の 『タイ』 と 『インドシナの旅』は、『東南アジア紀行』をブログ版としたようなものだ
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(2012年7月3日発売の拙著です)
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