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2017年9月18日月曜日

写真集 『妖怪の棲む杜 国立市 一橋大学』(伊藤龍也、現代書館、2016)で、ロマネスク風建築にちりばめられた建築家・伊東忠太の「かわいい怪物たち」を楽しむ

(一橋大学の国立キャンパス)


建築家・伊東忠太の代表作といえば、東京は築地本願寺のインド風の寺院建築物ということになうだろう。

ずいぶん昔のことになるが、はじめて築地本願寺を見たとき、ほんとうに不思議な感じがしたものである。浄土真宗のお寺なのに、ぜんぜん日本風ではないからだ。あまりにもエキゾチックな仏教寺院。


(伊東忠太設計になる築地本願寺 筆者撮影)


インド風ということでいえば、千葉県市川市の中山法華経寺にもインド風の建造物があるが、こちらはあまり知られていないようだ。日蓮聖人関連の宝物を収蔵した「聖教殿」である。一般的には、日蓮宗のほうがインド風の建造物は似合っているといえよう。

築地本願寺が浄土真宗でありながらインド風の建築物となったのは、大陸に雄飛した大谷光瑞の趣味も反映しているのであろう。


(伊東忠太設計になる中山法華経寺の「聖教殿」 筆者撮影)


伊東忠太が、法隆寺はギリシアのパルテノン神殿のエンタシスの影響にあるという説を打ち出したのは、みずからの3年におよぶユーラシア大陸横断というフィールドワークで得た知見によるものだ。このように、伊東忠太は建築家であると同時に建築史家であり、スケールの大きさはユーラシア大陸を股にかけた調査旅行から生まれてきたのであった。


インド風建築だけが伊東忠太の代表作ではない

だが、インド風建築だけが真骨頂ではない。一橋大学(当時は東京商科大学)のキャンパスにある兼松講堂もまた伊東忠太の代表作の一つである。

テレビドラマのロケでよく使用されるので、見たことがある人も少なくないだろう。直近では、土曜日午後6時からNHK総合でやっていた土曜時代ドラマ『悦ちゃん-昭和駄目パパ恋物語-』の最終回(2017年9月16日)で兼松講堂と図書館と池が使用されていた。主人公を演じたユースケ・サンタマリアの後ろにあるのが「兼松講堂」だ。獅子文六の原作は1936年(昭和11年)なので、時代的にもこの建築物はドラマのはふさわしい。


(ドラマ『悦ちゃん』のテレビ画面より筆者がキャプチャ) 


この建築物は、現在では講堂以外にコンサートホールとしても使用されているが、外観は西欧中世のロマネスク風である。バロックが近代であれば、ゴチックは後期中世、それ以前がロマネスクとなる。

ロマネスクとは文字通りの意味ではローマ風ということになるのだが、じっさいはキリスト教と土着信仰の融合的存在ともいうべきものであり、そのため建築物の外装には多数の怪物たちが彫刻されているのである。


ロマネスク風建築にちりばめられた「怪物たち」は伊東忠太の創作物

写真集『妖怪の棲む杜 国立市 一橋大学』(伊藤龍也、現代書館、2016)は、伊東忠太が愛した「怪物」たち(・・写真家は「妖怪」と表現しているが)に魅せられた写真家による写真集である。

ヨーロッパ中世史を専攻したわたしは、とくに考えることもなく「ガーゴイル」(・・西欧風建築物にある雨樋の上につけられた怪物の彫刻)だろうと思い込んでいたのだが、建築史家の藤森照信氏によれば、伊東忠太が創作した怪物たちも多数混じっているとのことを知った。この点にかんしては、『伊東忠太動物園』(藤森照信=編・文、増田彰久=写真、伊東忠太=絵・文、筑摩書房、1995)を参照するとよい。

ところで、昭和初期の1931年(昭和6年)に来日して、東京商科大学(=一橋大学)の国立キャンパスを訪れた経済学者シュンペーターは、 暖房設備が不備なことをわびた関係者に対して、"University is not a building."(=大学は建物ではない) と英語で語ったという。

大学の学部が市内に散在しているのが当たり前の西欧出身のシュンペーターとしては当たり前の発言であったことだろうが、伊東忠太の建築物のファンからすれば、「いや建築物こそ大学」と言いたいところだ。

建築史という未開の分野を拓いたパイオニアである一方、「化け物」をこよなく愛し、ひたすら妖怪の画を描き続けた伊東忠太。

ひそかに作り込まれた怪物たちは、じっさいに一橋大学の国立キャンパスに足を運んで見るべきだが、この写真集で楽しんでみるのもいいだろう。





<関連サイト>

「怪物の棲む講堂」 - 一橋大学 (藤森照信)
・・建築史家の藤森照信氏による解説は、伊藤忠太への愛に満ちたオマージュ


<ブログ内関連記事>

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学を中核にした「大学町」誕生の秘密をさぐる

ここにも伊東忠太設計のインド風建築物がある-25年ぶりに中山法華経寺を参詣(2015年1月20日)

「築地本願寺 パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた(2014年12月19日)-インド風の寺院の、日本風の本堂のなかで、西洋風のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験 
・・築地本願寺もまた伊東忠太の設計によるインド風建築物


建築家関係

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・メンソレータムの生みの親のヴォーリスは、キリスト教伝道のために日本に来たアメリカ人だが、日本に洋風建築を普及させた人でもある

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)
・・ピンクの色調が特徴のメキシコの建築家

『連戦連敗』(安藤忠雄、東京大学出版会、2001) は、2010年度の「文化勲章」を授与された世界的建築家が、かつて学生たちに向けて語った珠玉のコトバの集成としての一冊でもある

本の紹介 『建築家 安藤忠雄』(安藤忠雄、新潮社、2008)
・・いわずとしれた世界的建築家。ヴォーリズとは対照的に、饒舌な人である

(2017年9月30日 情報追加)


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2013年10月12日土曜日

書評『「大学町」出現 ー 近代都市計画の錬金術』(木方十根、河出ブックス、2010) ー1920年代以降に大都市郊外に形成された「大学町」とは?


「城下町」や「門前町」が前近代社会、すなわち土地を基本単位にした地方分権制であった近世封建制の時代に形成されてきたものであれば、「大学町」や「企業城下町」は近代の産物である。


大学町とは、東京や京阪、名古屋などの大都市郊外に形成された、大学を中核(コア)にして開発された市街地のことである。都心部でまとまった土地が確保できなくなった大学が、郊外に土地を求めて土地交換等によって確保し、移転したことによって誕生したものだ。

そのさきがけとして、大学町のプロトタイプとなったのが東京西郊の「くにたち大学町」(東京都国立市)である。国立と書いて「くにたち」と読むのだが、それは両隣の国分寺と立川に挟まれた未開発の雑木林であったためである。

「くにたち大学町」の中核となるのが一橋大学である。当時は東京商科大学という名称であったが、1923年の関東大震災で都心部のキャンパスが被災したため、震災復興とキャンパス移転を同時に実現すべく移転が実行された。大学町そのものとしては理路整然としているが、キャンパス内の建物の配置がかならすしもそうではないのは、「復興事業的色彩が濃厚」なためだったと著者は指摘している。

このように大学町形成の背景にあったのは1923年(大正12年)の関東大震災があったのだが、それだけではなく、1920年代の「大学昇格運動」があったことも重要である。むしろ後者の流れのなかで、大震災がまったなしの状況として拍車をかけたというべきだろう。

1918年(大正7年)の「大学令」で、東京商科大学、東京工業大学など官立単科大学が誕生1920年には慶應義塾大学、早稲田大学を皮切りに私立大学がぞくぞくと誕生している。1920年は大正時代のまっただなかであるが、普通選挙や労働運動など大衆時代の幕開けであり、高等教育へのニーズがひじょうに高まった時期でもある。

面白いのは、大都市とはいっても東京と大阪、そして名古屋では大学町形成の主体とプロセスが異なることだ。

東京は、民間デベロッパーのビジネスとして宅地分譲と一体型の開発が行われたのに対し、阪神では鉄道会社がミッションスクールを誘致して大学を育成しながら大学町のブランディングを重視した姿勢、大阪は大阪商大(現在の大阪市立大学)が大阪市の都市計画の一環として計画されたのだと著者は整理している。

大学町は学園都市ともいうが、東京の東急沿線に形成された大学町は学園都市というべきかもしれない。田園都市との類比を想起するからだ。

わたし自身、アメリカでもヨーロッパでも、大学都市は多く歩き回ってみたが、大学という制度が誕生したヨーロッパでは、大学はキャンパスに集中しておらず、大学町に分散しているのが当たり前だ。その意味では日本の大学キャンパスはアメリカ型のキャンパスを小規模に再現したといえるかもしれないという感想をもつ。

著者によれば、図書館のタワーの前に広場がある一橋大学や関西学院大学はアメリカ的な意味でのキャンパスの正統だという(P.119)。慶應の日吉キャンパスのように並木道があるのは日本型なのだと。

本書が出版されたのは2010年であり、東日本大震災(2011年3月11日)の前である。大震災の復興事業の一環として大学キャンパスの郊外移転が実行されたことは、「3-11」後の現時点では興味深く感じる。

博士論文をベースにしたものだけに、記述は精緻なものとなっており、やや読みにくいのは否めないが、郊外キャンパスから大学と都市開発を考える視点が面白いので一読の価値はあると言っておこう。




目 次

はじめに
序章 「大学町」の成立背景
第1章 「国立大学町」はいかにつくられたか
第2章 沿線開発と大学町
第3章 大学町の展開とキャンパス・デザイン
第4章 大学をわが村へ-組合による郊外開発と大学町
第5章 近代都市計画の理想とキャンパス
終章 近代都市計画の錬金術
あとがき
参考文献・図版出典

著者プロフィール

木方十根(きかた・じゅんね)
1968年岐阜県生まれ。名古屋大学卒業後、東京藝術大学大学院、名古屋大学助手を経て、鹿児島大学大学院理工学研究科准教授。専門は、建築・都市計画史。2004年度日本都市計画学会論文奨励賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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城下町と門前町




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2013年6月14日金曜日

「旧江戸川乱歩邸」にいってみた(2013年6月12日)-「幻影城」という名の「土蔵=書庫」という小宇宙




旧江戸川乱歩邸(立教大学キャンパス内)にいってみた。あの探偵小説作家の江戸川乱歩の旧宅が立教大学に譲渡されて保存されていることを、つい最近のことだが知ったからだ。

検索してウェブサイトを調べてみると、月・水・金と開いているらしいが、一般公開は水曜日と金曜日のみで、しかも10時半から16時(午後4時)までだという。

今週水曜日、ちょうど新宿方面で用事があったので、その前にちょっと池袋に立ち寄ってみることとした。

再開発計画の一環として渋谷駅がさらに複雑怪奇になったばかりだが、新宿駅も池袋駅も、いつになってもわたしにとってはラビリントス(迷宮)である。あたかも江戸川乱歩の世界のように(笑)

池袋駅はふだんは東口に用事が多いのだが、立教大学のキャンパスは西口にある。立教大学にいくのはひさびさだが、アメリカ風のレンガつくりにツタのからまった大学建築物はステキだ。しかも、歩いている女子学生が垢ぬけてオシャレな印象もつよい。江戸川乱歩とはなかなか結びつかないのだが、乱歩と立教のつながりはなかなか深いものがあるようだ。

(立教大学キャンパス内)

そのキャンパスの一角に旧江戸川乱歩邸があるはずなのだが、事前にきちんと地図を見ていなかったためか、なかなか探すのに骨が折れた。

キャンパスの配置図をみてもなかなか乱歩邸に行き着けず、まさに乱歩的ラビリントス(迷宮)かとあきらめかけていたが、ようやくたどりついたら16時、職員の女性が門を閉める直前のことであった。

「ちょっとだけ見てもよろしですか?」とダメもとで頼み込んでみたら、OKしていただいただけでなく、なんと親切なことに案内までしていただいた。さすが日本人! 官僚的なしゃくし定規な対応ではない対応に感謝。時間に厳密なヨーロッパだと絶対にあり得ないことだ。

引っ越し魔の乱歩は、なんと46回の引っ越しの末に(・・よくカウントしていたものだ。几帳面な性格がうかがわれる)、昭和9年(1934年)にこの地に引っ越してきたのだという。当時はまだ静かな環境であったようだ。

戦前は借家全盛時代であったので、乱歩もそうしたようだ。戦後になってから買い上げて自分の所有としている。立教大学は2002年に「創立130年事業」の一環として、不動産を買い上げたようだ。

(母屋の奥に土蔵)

乱歩がこの家を借りることにした決め手は土蔵があること。「いわゆる幻影城とよばれる土蔵」は、邸宅のウラにある。土蔵が書庫になっているのだ!

(幻影城=土蔵=書庫)

一般公開はされているが、なかに入ることはできない。あくまでもガラス越しにチラ見することができるだけだ。それでも、公開日以外は敷地内に入れないのだからありがたいものだ。玄関、洋間の応接、そして待望の土蔵=書庫を見ることができた。

(土蔵の書庫のなか-几帳面に整理されている)

幻影城=土蔵=書庫のなかは、書籍がじつに几帳面に整理されているが、江戸川乱歩自身が無類の整理魔であったためらしい。ある意味ではきわめて機能的な書庫になっていたわけである。実物データベースというべきだろうか。

江戸川乱歩というと『少年探偵団シリーズ』が有名なので、子どもむけの物語作家というイメージを持っておられる方も少なくないだろう。じっさいに、旧乱歩邸の玄関にもシリーズ本が並べられている。

(母屋にある洋間の応接室・・レイアウトは乱歩自身だそうだ)

その一方では、とくに前期にはきわめて猟奇的な作品や探偵小説(・・現在の推理小説)も少なくない。探偵小説といえば、夢野久作が大好きなわたしだが、同時代に活躍した江戸川乱歩も「昭和モダン」というレトロ感覚がじつにいい。関東大震災後の東京という場所がなければ成立しなかった作品群である。

なかに入ることができないのは残念だが、旧乱歩邸ではガイドブック(500円)が販売されているので参考になる。内部の写真はネット上でも見ることができるので、関心のある方は検索してみるといいだろう。

とはいえ、やはり「現地」である。「現場」である。乱歩の小説の主人公である明智小五郎もまた犯罪がおこった「現場」で思考する。

だから、旧江戸川乱歩邸という「現地」は、いちどは踏んでおきたいスポットだ。


(乱歩邸の正面)

<関連サイト>

旧江戸川乱歩邸 (立教学院創立130年記念事業
・・立教大学キャンパス内。月・水・金曜(公開は水・金曜のみ)(10時30分~16時)
*公開日の見学は予約不要

(地図の右下に乱歩邸)



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(2014年8月29日、9月11日、2015年6月24日 情報追加)


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2012年7月16日月曜日

書評『女三人のシベリア鉄道』(森まゆみ、集英社文庫 、2012、単行本初版 2009)ー シベリア鉄道を女流文学者たちによる文学紀行で実体験する



梅雨があければ、もう夏休み。ことしの夏休みこそシベリア鉄道でモスクワまで乗ってみたいという方も、すくなくないのではないかと思う。

わたし自身については、いまから13年まえの1999年に、その夢を果たすことができた。

ウラジオストック始発ではなく、北京発モスクワ行きに乗ったのは、すでにウラジオストックとハバロフスク間などには前年に乗ったことがあったためと、ぜひ旧満洲(・・中国)と旧ソ連(・・ロシア)の国境をシベリア鉄道で越えてみたいという思いがあったからだ。

まだ航空機が一般用には普及していなかった時代、戦前の日本人が欧州に行くには、日本郵船の客船でシンガポール回りでいくか、シベリア鉄道でモスクワ経由でいくしかなかった。そのシベリア鉄道も、満洲里(マンジョウリ)で国境を越えるのが当たり前だった。だからこそ、そのルートを体験したかったというわけだ。

わたしがシベリア鉄道で北京からモスクワまで旅をしたのは1999年7月、著者の森まゆみ氏は2006年8月だ。この間の 7年の月日は、短いようで長い。わたしがシベリア鉄道に乗ったときとは、また少なからぬ変化があったことを知った。

さて、本書は『女三人のシベリア鉄道』というタイトルだが、女三人で旅をしたわけではない。女流文学者三人の旅をなぞる形で行った、著者自身の旅の記録である。

女三人とは、与謝野晶子、中條百合子(=宮本百合子)、林芙美子。与謝野晶子を除けば、いまでは知名度はぐっと下がっているかもしれない三人の女流作家。著者自身の好みは『放浪記』の林芙美子にあるようだ。

1954年生まれの著者が大学に入学したのは1972年頃のはずだから、すでに学生運動の時代も下火になっていたはずなのに、読んでいると著者のロシアへの関心が、学生時代にシンパであった社会主義にあることを知る。

いわば「遅れてきたサヨク少女」だったのだろうか。キャンパスはすでに「しらけ世代」が支配的だったはずなのだが、早稲田のキャンパスは違っていたのかもしれない。著者は、わたしの8歳年上だが、まったく異なる体験をしているのは不思議である。

シベリア鉄道に乗りたいと思ったキッカケが、『青年は荒野を目指す』(五木寛之)とか『深夜特急』(沢木耕太郎)というのも、ある世代以上に特有のものだろう。わたしは、その両者とも読んでいないし、今後も読むことはないだろうから。

この本は、ハッキリいって書き込み過ぎである。事実関係はよく調査されているが、あまりにも詰め込みすぎなのが玉に瑕だ。

与謝野晶子、中條百合子(=宮本百合子)、林芙美子の三人の関係を整理していないのが残念だ。著者の興味関心のありどころがどこにあるかはわかるのだが、果たして一般読者の関心とジャストミートするのかどうか?

単行本を買ったまま、放置していたのだが、ちょうど『百合子、ダスヴィダーニヤ』という映画が公開になる前に読んだ。昨年10月のことである。

百合子とは、プロレタリア作家の中條百合子(ちゅじょう・ゆりこ=宮本百合子)のこと。彼女は、ロシア文学者の湯浅芳子といっしょにシベリア鉄道でモスクワに旅したのであった。

著者のファンであれば最初から最後まで読むのもいいだろう。シベリア鉄道の旅の興味のある一般読者であれば、とばし読みで構わない。本というものは、いったん出版されると著者の手を離れて、どのように読まれても構わないのであるから。

最初に書いたように、わたしの関心はあくまでも、満州国とシベリア鉄道の関係に集約されている。

わたしがシベリア鉄道の旅をした際は、バイカル湖で一泊してモスクワまでいったのち、サンクトペテルブルクからフィンランドを経由して北欧からドイツまで抜けた。

著者のように、モスクワからポーランドを経由したパリまでは鉄道の旅は体験していないので、機会をつくってぜひ実行してみたいとは考えている。

今年になってから文庫化もされたので、感想を書いてみた次第である。


 (画像をクリック!


目 次

第1章 ウラジオストクへ
第2章 バイカルの畔にて
第3章 エカテリンブルクのダーチャ
第4章 「道標」のモスクワ
第5章 東清鉄道を追って
第6章 夜汽車でワルシャワ、ベルリンへ
第7章 パリ終着の三人
あとがき-旅を終えてから


著者プロフィール

森まゆみ(もり・まゆみ)
1954年東京都文京区生まれ。早稲田大学政経学部卒業。地域雑誌「谷中・根津・千駄木」編集人(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

『百合子、ダスヴィダーニヤ』(2011、日本) 予告編(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=_-0NRFUri9M

30年の時を超える 大人のシベリア鉄道横断記(二村高史、日経ビジネスオンライン、2015年12月~)

(2015年12月13日 情報追加)


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シベリア鉄道

書評 『諜報の天才 杉原千畝』(白石仁章、新潮選書、2011)-インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説

「石光真清の手記 四部作」 こそ日本人が読むべき必読書だ-「坂の上の雲」についての所感 (4)

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである

バレンタイン・デーに本の贈り物 『大正十五年のバレンタイン-日本でチョコレートをつくった V.F.モロゾフ物語-』(川又一英、PHP、1984)

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)

書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ


大正ロマンと社会主義

映画 「百合子、ダスヴィダーニヤ」(ユーロスペース)をみてきた-ロシア文学者・湯浅芳子という生き方

マンガ 『はいからさんが通る』(大和和紀、講談社、1975~1977年)を一気読み


かつてキャンパスに充満していた左翼的空気とは?


書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)
・・国際政治学者・高坂正堯が原論活動を行った時代とは


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