この本を手にとって読むまで、「クリスチャン民権家」という存在そのものを知らなかった。自由民権派でキリスト教徒になった者がいたことは知っていても、それが組み合わさって一つのカテゴリーとして成り立つとは考えていなかったからだ。。
本書にとりあげられた「クリスチャン民権家」は、片岡健吉、本多庸一、加藤勝弥、村松愛蔵、島田三郎の 5人だが、わたしは誰一人として知らなかった。著者はこのうちの数名については「有名だ」としているが、その分野の研究者の世界では有名だとしても、わたしも含めて一般読者はまず初見なのではないか?
ただし、この5人を語るにあたって登場する明治時代のキリスト教世界の新島襄、内村鑑三は当然として、そのほか植村正久、押川方義、山室軍平といった肖像写真とともに登場する人物たちのことは、教科書などをつうじて、すこしは耳にしたことがあるかもしれない。
著者の問題意識は、「政治を信仰が支えるのか、あるいは両者は相克するのか。政治家にとって信仰とは何か。内政・外交の現実に対してどう行動したのか」ということにある。著者の専門分野である政治思想と宗教思想が交差するテーマである。
そのケーススタディーとして取り上げられたのが、明治時代の「民権」政治家たちとキリスト教との関係。いずれもキリスト教と出会い、「改心」によって洗礼を受けた初代のキリスト教徒である。キリスト教は現在でも全人口の1%程度であるが、キリスト教が「解禁」された明治時代前半期であってもマイノリティであったことには変わりない。「世間」からの冷たい目が存在したのだ。
「クリスチャン民権家」たちは、みずからの意思で日本の伝来宗教ではなくキリスト教を選択し、キリスト教の信仰にきわめて自覚的に生きた人たちである。キリスト教国に生まれたキリスト教徒ではないことに注意しておきたい。
しかもいずれも士族を中心(・・一人は豪農出身)とした知的エリートであり、政治的「啓蒙」とキリスト教「伝道」の任にあたる立場の人たちであった。そして議会開設により、「選挙」によって選ばれた文字通りの chosen people である。
「政治家と信仰」というテーマは、こういった限定つきで論じる必要があろう。たとえキリスト教徒であろうと二代目、三代目となって「家の宗教」となっていくと、はたしてどこまで「個人の信仰」としての意味合いがあるのか、よく考えてみる必要はある。
本書で取り上げられた人物のなかで、もっとも興味深く感じられたのは村松愛蔵である。この人のこともいままでまったく知らなかった。
「「挙兵」から救世軍へ-村松愛蔵」と名付けられた章の主人公だが、まさに外面的には「戦闘的人生」。しかし前半生と後半生の転換が、疑獄事件で獄中にあったときの劇的な霊的覚醒と改心であったことであったことだ。それが興味深い。まさに「生まれ変わり」(born again)体験である。思想家ではなく実践家の人生だからこそ興味深い。
明治時代に「クリスチャン民権家」が生まれた背景は以下のようなものだ。
近代化が西欧化として開始された日本においては、軍事テクノロジーから政治制度まで西欧モデルを全面的に導入したが、それらの根底にあって精神的に支えているのがキリスト教であることは知的エリートであれば容易に理解できたことであった。キーワードでいえば、西洋、士族エリート、英学、外国人宣教師が教師、聖書、自由・平等・博愛などである。
「クリスチャン民権家」たちは、自由民権に立場からする政治的目標と、キリスト教徒としての信仰的目標をときには両輪で、ときにはどちらか一方を優先しながら人生を切り開いていった。自由民権運動は議会開設によって政治家としての活動となり、キリスト教徒であるがゆえに貧民救済や廃娼運動などの社会問題解決にも向いてゆく。
儒教や武士道によって培われた伝統的倫理を土台にして、そのうえに置かれて補完的意味をもったのがキリスト教の信仰。維新の負け組となった士族たちが自由民権運動に身を投じ、そのなかのある者はキリスト教徒にもなったのである。
さきにも書いたが、初代のキリスト教徒の「個人の信仰」と「家の宗教」となったキリスト教徒とは、当然のことながら、政治意識と宗教意識の関係もことなるはずだ。キリスト教が土着化していく過程のなかで「個人の信仰」は「家の宗教」へと変容し、一方ではキリスト教から社会主義の方向に向かっていく政治家や思想家もでてくる。
時代が大きく異なるので本書では言及されていないが、初代の「クリスチャン政治家」であった大平正芳元首相はプロテスタント系であり、すでに「家の宗教」となっていたカトリックの政治家である麻生太郎元首相とでは、政治意識と宗教意識の関係も大きくことなるのは当然だろう。
すでに「近代化」をほぼ実現してしまった日本では、政治意識と宗教意識の関係は、むしろキリスト教以外の新興宗教をテーマに考察すべきテーマであるかもしれない。明治時代の前半に
おいては、キリスト教は日本人にとって「新興宗教」であったという視点を忘れてはいけない。
新興宗教においても、初代の信者と「家の宗教」になってしまって以降の二代目、三代目では意識のうえで大きな違いがある。
宗教にかぎらずムーブメントというものがもつ性質が、個人意識にはおおきく反映するのである。しかもそのムーブメントがマイノリティな存在であればなおさらだ。
目 次
政治家と信仰-プロローグ
「立志社」から衆議院議長・同志社社長へ-片岡健吉
「賊軍」から青山学院長へ-本多庸一
「豪農」から草の根民権家へ-加藤勝弥
「挙兵」から救世軍へ-村松愛蔵
「言論人」から社会運動家へ-島田三郎
クリスチャン民権家の群像-エピローグ
あとがき
参考文献
著者プロフィール
小川原正道(おがわら・まさみち)
1976年、長野県に生まれる。2003年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了、博士(法学)。現在、慶應義塾大学法学部准教授。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの
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(2014年7月18日 情報追加)
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