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2013年12月30日月曜日

書評『明治の政治家と信仰 ― クリスチャン民権家の肖像(歴史文化ライブラリー)』(小川原正直、吉川弘文館、2013)― 明治期キリスト教と政治思想のかかわり



この『明治の政治家と信仰 ー クリスチャン民権家の肖像(歴史文化ライブラリー)』(小川原正直、吉川弘文館、2013)を手にとって読むまで、「クリスチャン民権家」という存在そのものを知らなかった。

自由民権派でキリスト教徒になった者がいたことは知っていても、それが組み合わさって一つのカテゴリーとして成り立つとは考えていなかったからだ。。

本書にとりあげられた「クリスチャン民権家」は、片岡健吉、本多庸一、加藤勝弥、村松愛蔵、島田三郎の 5人だが、わたしは誰一人として知らなかった。著者はこのうちの数名については「有名だ」としているが、その分野の研究者の世界では有名だとしても、わたしも含めて一般読者はまず初見なのではないか?

ただし、この5人を語るにあたって登場する明治時代のキリスト教世界の新島襄、内村鑑三は当然として、そのほか植村正久、押川方義、山室軍平といった肖像写真とともに登場する人物たちのことは、教科書などをつうじて、すこしは耳にしたことがあるかもしれない。

著者の問題意識は、「政治を信仰が支えるのか、あるいは両者は相克するのか。政治家にとって信仰とは何か。内政・外交の現実に対してどう行動したのか」ということにある。著者の専門分野である政治思想と宗教思想が交差するテーマである。

そのケーススタディーとして取り上げられたのが、明治時代の「民権」政治家たちとキリスト教との関係。いずれもキリスト教と出会い、「改心」によって洗礼を受けた初代のキリスト教徒である。キリスト教は現在でも全人口の1%程度であるが、キリスト教が「解禁」された明治時代前半期であってもマイノリティであったことには変わりない。「世間」からの冷たい目が存在したのだ。

「クリスチャン民権家」たちは、みずからの意思で日本の伝来宗教ではなくキリスト教を選択し、キリスト教の信仰にきわめて自覚的に生きた人たちである。キリスト教国に生まれたキリスト教徒ではないことに注意しておきたい。

しかもいずれも士族を中心(・・一人は豪農出身)とした知的エリートであり、政治的「啓蒙」とキリスト教「伝道」の任にあたる立場の人たちであった。そして議会開設により、「選挙」によって選ばれた文字通りの chosen people である。

「政治家と信仰」というテーマは、こういった限定つきで論じる必要があろう。たとえキリスト教徒であろうと二代目、三代目となって「家の宗教」となっていくと、はたしてどこまで「個人の信仰」としての意味合いがあるのか、よく考えてみる必要はある。

本書で取り上げられた人物のなかで、もっとも興味深く感じられたのは村松愛蔵である。この人のこともいままでまったく知らなかった。

「「挙兵」から救世軍へ-村松愛蔵」と名付けられた章の主人公だが、まさに外面的には「戦闘的人生」。しかし前半生と後半生の転換が、疑獄事件で獄中にあったときの劇的な霊的覚醒と改心であったことであったことだ。それが興味深い。まさに「生まれ変わり」(born again)体験である。思想家ではなく実践家の人生だからこそ興味深い。

明治時代に「クリスチャン民権家」が生まれた背景は以下のようなものだ。

近代化が西欧化として開始された日本においては、軍事テクノロジーから政治制度まで西欧モデルを全面的に導入したが、それらの根底にあって精神的に支えているのがキリスト教であることは知的エリートであれば容易に理解できたことであった。キーワードでいえば、西洋、士族エリート、英学、外国人宣教師が教師、聖書、自由・平等・博愛などである。

「クリスチャン民権家」たちは、自由民権に立場からする政治的目標と、キリスト教徒としての信仰的目標をときには両輪で、ときにはどちらか一方を優先しながら人生を切り開いていった。自由民権運動は議会開設によって政治家としての活動となり、キリスト教徒であるがゆえに貧民救済や廃娼運動などの社会問題解決にも向いてゆく。

儒教や武士道によって培われた伝統的倫理を土台にして、そのうえに置かれて補完的意味をもったのがキリスト教の信仰。維新の負け組となった士族たちが自由民権運動に身を投じ、そのなかのある者はキリスト教徒にもなったのである。

さきにも書いたが、初代のキリスト教徒の「個人の信仰」と「家の宗教」となったキリスト教徒とは、当然のことながら、政治意識と宗教意識の関係もことなるはずだ。キリスト教が土着化していく過程のなかで「個人の信仰」は「家の宗教」へと変容し、一方ではキリスト教から社会主義の方向に向かっていく政治家や思想家もでてくる。

時代が大きく異なるので本書では言及されていないが、初代の「クリスチャン政治家」であった大平正芳元首相はプロテスタント系であり、すでに「家の宗教」となっていたカトリックの政治家である麻生太郎元首相とでは、政治意識と宗教意識の関係も大きくことなるのは当然だろう。

すでに「近代化」をほぼ実現してしまった日本では、政治意識と宗教意識の関係は、むしろキリスト教以外の新興宗教をテーマに考察すべきテーマであるかもしれない。明治時代の前半に
おいては、キリスト教は日本人にとって「新興宗教」であったという視点を忘れてはいけない。

新興宗教においても、初代の信者と「家の宗教」になってしまって以降の二代目、三代目では意識のうえで大きな違いがある。

宗教にかぎらずムーブメントというものがもつ性質が、個人意識にはおおきく反映するのである。しかもそのムーブメントがマイノリティな存在であればなおさらだ。


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目 次

政治家と信仰-プロローグ
「立志社」から衆議院議長・同志社社長へ-片岡健吉
「賊軍」から青山学院長へ-本多庸一
「豪農」から草の根民権家へ-加藤勝弥
「挙兵」から救世軍へ-村松愛蔵
「言論人」から社会運動家へ-島田三郎
クリスチャン民権家の群像-エピローグ
あとがき
参考文献


著者プロフィール  

小川原正道(おがわら・まさみち)
1976年、長野県に生まれる。2003年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了、博士(法学)。現在、慶應義塾大学法学部准教授。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの


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士族エリートとキリスト教-幕臣と東北諸藩

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点だけでなく、「女子留学生」とはアメリカで直接の知り合いであった新島襄

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある
・・「「賊軍」から青山学院長へ-本多庸一」とも関係のある旧津軽藩士とキリスト教

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう ・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となった

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
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日本の「近代化」とキリスト教

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・「英語・アメリカ・キリスト教」の三位一体

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讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・自由民権運動


実業家とキリスト教

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・・同志社の伝道によってキリスト教徒となった京都府綾部の人

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・キリスト教伝道のため来日し日本に帰化したヴォーリズ

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である

(2014年7月18日 情報追加)


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2011年11月21日月曜日

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!



 頭山満(とうやま・みつる)といってピンとくる人は、九州北部(とくに福岡)を除いては、よほど近代日本史につうじた人か、あるいは大学受験前の高校生くらいだろう。

 東京にいくよりも、玄界灘をはさんで対岸の朝鮮半島のほうがはるかに近いのが国際都市・福岡だ。

 朝鮮半島だけではない。福岡から東京までの距離と、福岡から上海までの距離はほぼ同じである。これは上海から日本にむけて飛行機で移動してみれば、すぐにわかることだ。上海を飛び立った飛行機は、あっという間に五島列島上空にさしかかる。
 
 藩主の優柔不断と意志決定の間違いによって、藩論が左右に揺れるたびに、多くの優秀な人間が切腹を強いられて命を落としている。明治維新においても「敗者」となってしまった福岡藩からは、本来なら中央政府で立身出世したはずの人材が、多く民間に流れることになった。

 旧福岡藩士を中心とした、反中央、反官僚の立場を貫くひとたちが、個をベースとしたゆるやかな結合をしたのが政治結社「玄洋社」である。福岡に基盤を置いていた玄洋社は、日本近代のオルタナティブな歴史のの担い手となった。

 「玄洋社」の憲法は、以下の三ヵ条であった。

第一条 皇室を敬戴すべし
第二条 本国を愛重すべし
第三条 人民の権利を固守すべし

 国権と民権がともに存在していたのが「玄洋社」であった。自由民権運動のさなかに生まれた結社なのである。

 その「玄洋社」の実質的な中心にいたのが頭山満である。

 わたしもこのブログで、西郷隆盛と、自由民権運動にからめてなんどもその名を登場させてきた頭山満。わたしがはじめてその名を知ったのは、福岡出身の小説家・夢野久作(ゆめの・きゅうさく)を通じてである。大学時代のことだからすでに30年近く前のことだ。

 夢野久作といえば『ドグラマグラ』という小説で知られているが、その父は杉山茂丸という右翼の巨頭であった。茂丸の交友関係のなかに登場する最重要人物が頭山満であり、その姿は『百魔』(講談社学術文庫、)に活写されているだけでなく、息子の夢野久作(・・本名・杉山泰道)の『近世怪人伝』(昭和10年)に愛情をこめて描かれていることは知る人ぞ知ることだ。わたしの愛読書の一冊でもある。現在は、ちくま文庫に収録されているので、興味のある方はぜひお読みいただきたい(*)

(*) 夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い という記事をブログに書いたので(2013年10月16日)、ぜひあわせてお読みいただけると幸いです。(2013年10月19日 追記)


 頭山満を「右翼」というレッテル張りで扱うのは大きな誤りである。とくに重要なのが、本書のタイトルでもある「大アジア主義」とのからみである。植民地支配に苦しむアジア解放の志士たちとの熱い友情について知らねばならない。

 ただ、頭山満の「大アジア主義」はイデオロギーというよりも、人間どうしの熱い友情を基礎にしたものだ。

 孫文のみならず、朝鮮の金玉均(キム・オッキュン)、インドのビハリ・ボース(・・いわゆる「中村屋のボース」)、チャンドラ・ボース、タゴールなどそうそうたる人物との交友に及んでいる。

 しかも単なる交友ではない。外国政府の刺客に追われ、官憲に追われている革命人士の匿い、身の安全を守るという義侠心から発したものでもあった。孫文もまたその一人である。

 本書『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001)に収録された写真が、その熱い友情を語っている。ぜひ直接手にとって見ていただきたい。

 本書には、日本のナショナリズム研究に従事してきた松本健一氏の講演をもとにした文章「一人で居ても淋しくない」が収録されている。

 「一人で居ても淋しくない」ほど、頭山満を言い表した表現はほかにないだろう。

 頭山満は、つねづね若い人たちに対して「一人で居ても淋しくない」と語っていたという。松本健一氏は以下のように解釈している。

この、「一人で居ても淋しくない」とは何か。たんに孤独に強い人間という意味ではない。それは、みずからの内部に「太陽の光」のような強い「火種」、いいかえると発光源をもつ人間になれ、という意味ではないか。みずからの内部に発光源をもてば、一人で居ても、すこしも淋しくない。(P.97)

 頭山満については、じつは数多くの著書が発行されているし、取り上げてみたいものの多数あるのだが、それはまた別の機会に譲るとして、この写真集だけはぜひ手元に置いて、眺めてほしいと思うのである。

 学校で教える日本近現代史とは違う、オルタナティブな歴史がここにあることを発見することであろう。福岡の出版社から出版された本であるということは、東京のまなざしとはイコールではないということも意味しているのだ。


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目 次

はじめに
解説・頭山満と玄洋社-その封印された実像(石瀧豊美)
歴史資料
 維新動乱
 筑前玄洋
 大アジア
 敬天愛人
 封印命令
 あの人この顔
 ふくおか玄洋社マップ
 一人でいても淋しくない(松本健一)
資料
 「人ありて 頭山満と玄洋社」報道の記録
 回顧展「大アジア!燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社」開催の記録
 出品協力団体・個人一覧
 主な参考文献
 編集後記



<参考>

田中清玄の『自伝』より

あんた、なんだと聞かれたら、本物の右翼だとはっきり言いますよ。右翼の元祖のようにいわれる頭山満と、左翼の家元のようにいわれる中江兆民が、個人的には実に深い親交を結んだことをご存じですか。一つの思想、根源を極めると、立場を越えて響き合うものが生まれるんです。中途半端で、ああだ、こうだと言っている人間に限って、人を排除したり、自分たちだけでちんまりと固まったりする。

戦前の共産党の闘士だった田中清玄ならではのスゴミのある発言。田中清玄は会津藩家老の末裔。『田中清玄自伝』(初版は文藝春秋社 1993)は松岡正剛の「千夜千冊」にもとりあげられている。上記の発言はそこから引用した。わたしは単行本で読んだが、こんな面白い本はなかなかない。  

(2013年10月19日 追記) 




<ブログ内関連記事>

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・民主主義は米国占領軍によって与えられたものではない!明治の自由民権運動の志士たちによる闘いのたまものだ

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲) 
・・頭山満といえば西郷精神!

「辛亥革命」(1911年10月10日)から100年-ジャッキー・チェン製作・監督の映画 『1911』 が待ち遠しい! 

特別展「孫文と日本の友人たち-革命を支援した梅屋庄吉たち-」にいってきた-日活の創業者の一人でもあった実業家・梅屋庄吉の「陰徳」を知るべし・・「革命」を資金で助けた「陰徳」の人・梅屋庄吉と孫文の友情。長崎出身の梅屋庄吉もまた「頭山人脈」のなかにあった

宮崎滔天の 『支那革命軍談』 (1912年刊)に描かれた孫文と黄興の出会い-映画 『1911』 をさらに面白く見るために
・・宮崎滔天もまた「頭山人脈」のなかにあった

書評 『霊園から見た近代日本』(浦辺登、弦書房、2011)-「近代日本」の裏面史がそこにある
・・玄洋社につらなる人たちを東京の墓地にさぐる旅

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い


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2011年5月3日火曜日

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと


 「憲法改正論議」は、自民党の安倍晋三内閣がきわめて短命に終わってから、残念なことに下火になってしまったようだ。未曾有(みぞう)の国難の最中にいる現在、憲法改正論議どころではない、というのも当然といえば当然だろう。
 
 「自主憲法制定」。わたしはこの動きには全面的に賛成である。「新憲法」制定の舞台裏にかかわった白洲次郎自身が、いずれ自主憲法制定が必要だと考えていたことは、政治学者によるインタビュー記録で読んだことがある。肝心要の話は、棺桶までもっていってしまったようだが。

 中学時代だろうか、社会科の教師がすばらしい「前文」だと言って朗読したのを、その表情まで覚えているが、あらためて高校の「現代社会」の授業で日本国憲法を習った際には、正直なところ、憲法の条文はなんだかわかりにくいヘンテコな日本語だと思った。大日本帝国憲法のほうが格調高くてよい、と。

 それは当然だろう。そう思うのは、私だけではないのではないハズだ。現在の日本国憲法は、じつは原文は英語であることは、「六法全書」を開いてみればすぐわかることだ。

 米軍の高官に向かって「あなたの英語は下手だ」と言ってのけた白洲次郎などの働きがあってこそ、土俵際で踏ん張り、米国占領軍サイドの一方的な押しつけに、寄り切られなかっただけの話である。米軍による占領下、泣く泣く受け入れた、ギリギリの妥協の産物なのだ。

 最初から日本語として読める文章として憲法を起草する、これは絶対に必要なことだ。それなくしては、国家としての真の独立はあり得ない。


「自主憲法制定」は重要だが、絶対に譲ってはいけない「理念」が日本国憲法にはある

 とはいえ、「憲法改正」あるいは「自主憲法制定」という話題になると、すぐ「憲法9条」に議論が集中してしまうのは困ったことである。

 「護憲派」だろうが「改憲派」だろうが、「憲法9条」は現在でも条文解釈で対応できるので、わたし自身はそれほど重要事だとは考えていない。もちろん、改正には全面的に賛成だ。だが、急ぐことはない。

 個々の条文については、時代にあわないものも多々あるので、改正する必要はあると思う。たとえば、参議院の存在の是非、衆議院の議員定数などだ。

 「一票の格差」をめぐっては、現状維持の立場に固執する最高裁がちゃんとした憲法判断をいつになっても下さないのは、理解に苦しむ。この国には、近代民主主義の原理である「三権分立」が成立していないのか?むしろ、明治時代のほうが、児島惟謙(こじま・いけん)など、骨のある裁判官が多かったような気がする。

 大日本帝国憲法をことさらすばらしいというつもりはない。 「憲法改正」あるいは「自主憲法制定」であるにせよ、先祖返りを求めているのではない。大日本帝国憲法(明治憲法)に戻ることなど誰も求めているのではない。

 わたし自身は、日本国憲法の日本語はヘンテコだが、根本精神については微動だにさせるべきではない、と考えている。 

 それは、「国民主権」あるいは「主権在民」という理念である。この理念(コア・バリュー)は、憲法の中核に据えて、さらに強化しなくてはならないと強く考えている。

 たしかに、自らの手で「民主化」を勝ち取ったわけではない日本人には、「主権在民」はピンとこないのだいう言い方は、わたしの高校時代からずっと言い続けられてきたことだ。

 だが、「主権在民」の理念は、アメリカ占領軍によって、上から与えられたものではけっしてないことを確認しておきたい。

 明治憲法制定競争の過程で提言された各種憲法のなかでは、「自由民権運動」家の植木枝盛(うえき・えもり)による憲法案がもっとも有名である。

 植木枝盛の憲法案の骨子は言うまでもなく「主権在民」あくまでも「官」ではなく、「民(ピープル)にこそ主権あり」としたその精神は、新憲法に活かされていると考えている憲法学者もすくなからずいる。

 自由民権運動は、明治憲法成立後、議会開設に及んで、運動そのものとしては下火になったが、その精神は現在にいたるまで引き継がれている。

 教科書的には、幸徳秋水(こうとく・しゅうすい)らの社会主義の流ればかりが登場するが、じつは自由民権運動の初期においては、土佐の中江兆民(なかえ・ちょうみん)と福岡の頭山満(とうやま・みつる)が同志であったことを閑却してはならないのである。左右ともに、もとは西郷隆盛の「敬天愛人」に連なる流れである。

 自由民権運動は、頭山満などの「国権主義」と、中江兆民などの「民権主義」にわかれたが、源流は同じなのである。後者の中江兆民の流れに、幸徳秋水らの社会主義があることはよく知られていることだろう。

 要は、国か主人か、民が主人か、そのどちらに重点が置かれるか、ということだ。けっして二者択一ではない。民なくして国家なし、されど国家なくして国民なし、とは言っていい。

 戦前は、「国権主義」が幅をきかせていた時代である。そのなかでも果敢に抵抗を続けた人々はいる。もちろん、日本人の多くは「長いものに巻かれろ」という行動パターンが多いので、表だって抵抗した人はそう多くはないように見えるだけではないか? 生活人であれば、運動に専従できないことなど、考えるまでもない。

 だが、日本国民のあいだで、民権をもとめてのサイレント・レボリューションは確実に進行していたというべきだろう。

 日本を代表する東洋史家の内藤湖南ではないが、応仁の乱(1467-1477)以降の日本史の本質は、下剋上による価値観の根本的変換である。『日本文化史研究』で指摘しているように、一般民衆のパワーが増大していった歴史である。これは西洋史と変わるところはない。これが歴史観というものだ。

 日本近代においては、とくに大正時代以降に進展した「大衆化」によって、民衆のパワーはより増大したのであるが、その後の歴史は日本人にとってはきわめて過酷であった。大東亜戦争の開戦に喜んだのもつかの間、決定的敗北を喫して、有史以来はじめて敗戦国となり、占領軍の統治下に入ることとなった。

 だが、その反面、「主権在民」の理念は、占領軍のお墨付きを得て、よみがえったのである。憲法の基本理念として、埋め込まれたのである。これは素直に受け止めるべきことだ。

 いわゆる「象徴天皇制」のもとの「主権在民の立憲君主国」、これが日本の「國體」(こくたい)である。「この国のかたち」である。これは言わずもがなのことであろう。英国もまた同様だ。  


現在の「日本国民」は「主権在民」の理念を生きているか?

 「主権在民」の理念は死守しなくてはならないのはもちろん、その精神を真に実現させなくてはならない。

 そこで問われるのは、現在の日本国民の一人一人が、「主権在民」の理念を自分のものとして、その精神を生きているかということだ。

 「3-11」以来の一連の「人災」をみていると、「主権在民」の意味を再確認することが、「日本再生」に大きな意味をもつことを感じる。これ以上、「国」や「官」に勝手なことをさせてはいけない、と。

 そのためには、たとえ自らアクションを起こすことはなくても、「主権在民」の意味をしっかりと捉え直してみることだろう。主権は国ではない、民の側にあるのだ、と。こう意識するだけで、ものの見方は 180°変わるはずである。
 
 かつて米国のケネディ大統領は、主任演説のなかで、「国があなたに何をしてくれるかを求めてはいけない、あなたが国のために何が出来るかを考えて欲しい」と言ったことはよく知られていることだと思う。

 国民としての権利と義務、この両面を理解することで、「主権在民」の意味の理解が深まり、意識も強くなっていく。

 これは、国家と国民の関係だけでなく、会社組織と従業員の関係も同じだろう。

 会社は社長一人で回っているものではない。もっとも重要なステークホールダーである従業員の一人一人が会社を支える構成員であり、自分たちが会社を背負っているのだ!という自覚をもたねばならない。

 私たち一人ひとりが「日本国」の一員であるという意識を持たないと、「国」や「官」が仕切るっている政治に流されるだけになってしまう。

 これは、とくに「原発事故」で顕在化した「原子力村」なる癒着の構造を見てしまったいま、すべての国民が意識しなくてはならない理念である。国でも官でもない、民こそが主人公なのである。

 政治家も官僚も、国民に奉仕するために存在が許されているのである。このことを忘れてはならない。いや、彼らには忘れさせてはならない。

 何度も繰り返し言うが、「主権在民」の理念は、何があってもい絶対に曲げてはいけないどころか、いまこそ強く意識しなくてはならないのである。



<ブログ内関連記事>

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・新憲法制定の舞台裏にいた白洲次郎

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)
・・三島由紀夫の「檄」に触発されて「自主憲法」をクチににする人は多いのだが・・・

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲) 

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む 
・・「応仁の乱」以降の日本史についての、内藤湖南の発言を引用しておいた。

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 
・・日本近代史を100年単位で、連続性と断絶をみる

エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)
・・ついにアラブ世界でも「主権在民」の流れがメインストリームに

映画 『イメルダ』 をみる
・・「ピープル革命」といえばフィリピン





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