戦後の「国語改革」は、国語国字改革であった。端的にいえば、漢字制限を行い、仮名遣いを歴史的仮名遣いから現在の表音式仮名遣いに変えたものだ。
敗戦後の混乱のなかで占領軍主導で行われたと一般に理解されているが、戦前から日本語の表記法が効率性を阻害しているという批判は主にビジネス界から多数でており、じつは文部省(当時)じたいが戦前から改革案を検討していたのである。
だから、敗戦後に行われた「国語改革」は、占領軍による命令を奇貨(キッカケ)として、うまく政策実現を図った官僚の勝利といってもよい。これは「農地改革」などのいわゆる「民主的改革」のほぼすべてに共通することだ。
漢字を廃止して「カナモジ」化や「ローマ字」化すべしという主張が実践においては、戦前から実験的に推進されていたことは、すでに忘れ去られてしまっている事実かもしれない。この件にかんしては、梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004) を読んでいただくと幸いだ。
日本語表記の「カナモジ」化や「ローマ字」化の議論は、ワープロ機能の普及によってすっかり姿を消してしまった。だが、根本問題が解決したわけではない。
折口信夫(1887~1953) は国文学者にして民俗学者。釋迢空(しゃく・ちょうくう)の名で歌人としても著名である。本人の認識においては「国学者」であった折口信夫は、敗戦後の「国語改革」について、きわめて激しいコトバを遺している。
彼は、慶応義塾大学での弟子であった民俗学者・池田彌三郎(いけだ・やさぶろう)に対してこう語っていたことが活字として残されている。
(-新仮名遣いの制定ということは、容易ならぬ、国語の表記法の大改革である。国語の表現が一ぺんに飛躍するような大きな改革である。)そのためには、役人の一人や二人は死ぬ覚悟がないと、なしとげられはしないのだ。それだけの覚悟をもってかかった改革なのかどうか、それを聞きたい。
(出典:『まれびとの座-折口信夫と私-』(池田弥三郎、中公文庫、1977) P.53 *太字ゴチックは引用者=さとう
大阪出身で、ホモセクシュアルで、やや甲高い関西弁でしゃべっていたといわれる折口信夫が、この発言をどのような口調とトーンで語ったのかは活字からはわからない。
だが、それでもそうとうな激しい怒りが伝わってくるではないか。情報統制がされていた戦時中においても、かなり激しい時局批判発言を行っていたことも文学者の回想録に記録されている折口信夫である。まさに諫言(かんげん)というのがふさわしい。国学者の気概がそこに感じられる。
「役人の一人や二人は死ぬ覚悟があるのか・・!?」(折口信夫)
役人のみなさん、「改革」で死ぬ覚悟はできてますか? 「改革」で殺されても構わないという覚悟はできていますますか? 「改革」に命懸けてますか?
この激しいコトバをぶつけたい。
戦前から「国語改革」を準備したのは文部官僚の保科孝一であった。この件については、社会言語学者のイ・ヨンスク氏の『「国語」という思想-近代日本の言語認識-』(岩波現代文庫、2012 単行本初版 1996)が必読書。内容については、松岡正剛の「千夜千冊」で取り上げられているので参照されたい。
なお、「役人の一人や二人は死ぬ覚悟があるのか」(折口信夫)は、2002年にわたしの「ホームページ」で紹介している。いまから11年前のことだ。いちばん最初にこの発言を知ったのは大学時代、つよく印象に残ったので抜書きしておいたのである。いまから30年近くまえのことだ。
<ブログ内関連記事>
書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・「折口信夫は敗戦後、弟子の岡野弘彦に、憂い顔でこう洩らしていたという。「日本人が自分たちの負けた理由を、ただ物資の豊かさと、科学の進歩において劣っていたのだというだけで、もっと深い本質的な反省を持たないなら、五十年後の日本はきわめて危ない状態になってしまうよ」(P.263 注23)。 日本の神は敗れたもうた、という深い反省をともなう認識を抱いていた折口信夫の予言が、まさに的中していることは、あえていうまでもない」
「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる
・・逆説的であるが、折口信夫のコトバのチカラそのものは激しい
書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・「私は大学時代から、中公文庫版で『折口信夫全集』を読み始めた。日本についてちっとも知らないのではないかという反省から、高校3年生の夏から読み始めた柳田國男とは肌合いのまったく異なる、この国学者はきわめて謎めいた、不思議な魅力に充ち満ちた存在であり続けてきた」
書評 『折口信夫 独身漂流』(持田叙子、人文書院、1999)
・・「古代日本人が、海の彼方から漂う舟でやってきたという事実にまつわる集団記憶。著者の表現を借りれば、「波に揺られ、行方もさだまらない長い航海の旅の間に培われたであろう、日本人の不安のよるべない存在感覚」(P.212)。歴史以前の集団的無意識の領域にかつわるものであるといってよい。板戸一枚下は地獄、という存在不安」
葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道をゆきし人あり (釋迢空)
・・「古代日本人が、海の彼方から漂う舟でやってきたという事実にまつわる集団記憶。著者の表現を借りれば、「波に揺られ、行方もさだまらない長い航海の旅の間に培われたであろう、日本人の不安のよるべない存在感覚」(P.212)。歴史以前の集団的無意識の領域にかつわるものであるといってよい。板戸一枚下は地獄、という存在不安」
葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道をゆきし人あり (釋迢空)
梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)
書評 『漢字が日本語をほろぼす』(田中克彦、角川SSC新書、2011)
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