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2013年12月17日火曜日

書評『新島襄 ー 良心之全身ニ充満シタル丈夫(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) ー「教育事業家」としての新島襄


同時代のキリスト教伝道者で牧師であった植村正久は、新島襄のことを「洗礼を受けた企業家豪傑」(P.365)と評していたという。これは後者の「企業家」のほうに力点を置いた評価である。

植村正久はやや批判的に語ったのではないかと思うが、新島襄を同時代人として知っているわけではないわたしからすれば、これはけっして悪評とは思われない。本書の著者による「洗礼を受けた士族的愛国者」(P.366)よりもはるかに的確に表現しているのではないかと思う。

のちに同志社大学と同志社女子大学となる教育機関を立ちあげ、日本の教育界に定着させた「教育事業家」として新島襄は記憶されてきたことがその証拠である。

内村鑑三が『後世への最大遺物』(1894年)のなかでつかっている「事業家」という表現にふさわしい。「金(かね)を持っていない者が人の金(かね)を使うて事業をする」(内村鑑三)のが「事業家」であるならば、新島襄はまさに「事業家」であった。


伝道という「事業」を教育機関設立をつうじて行った新島襄

本書を読んでいてわたしが思ったのは、新島襄は現代風にいえばアメリカの外資系企業の日本支社を立ち上げたビジネスマンのような印象があるということだ。

宣教団体であるアメリカン・ボードのカネを引っ張ってきた手腕、巧みに有力者から寄付金を引き出した手腕は、まさにたぐいまれなる資金調達能力を示しているといえる。自分のカネではなく他人のカネを最大限に活用する能力である。

資金調達にあたっては、平気で演技のできた人のようだ。「泣ける人」という評判があったようだ。柳田國男の『涕泣(ていきゅう)史談』によれば、あの時代の日本人は感情表現としてよく泣いていたようだが、新島襄もそういう文脈でとらえる必要もあるだろう。あるいは、"the great pretender"  (The Platters の曲のタイトル)であったのか。

キリスト教を伝道し、大学をつくるというミッション(=使命)に対しては頑固なまでに忠実でありながら、現実対応においてはみずからも変化させることのできるフレクシビリティ。原理原則には忠実に、しかし対応は現実的にできる人は成功するタイプの人である。


「成功者」としての新島襄

本書を通読して思ったのは、新島襄は概してラッキーな人であった、ツイていたといっていい人であることだ。事業半ばに47歳で斃れたといえ、その名は長く残ることとなった成功者である。

幕末に外国貿易が解禁された時代、すでに大量に流入していた漢訳聖書を読んでキリスト教に親近感を感じ、自分を変えるためには環境を変えなくてはならないと決心し、意志のチカラで自分が所属する藩だけではなく日本からも脱出したのは、まさに自分の内面から発した「内発的な動機」であるといえよう。

アメリカ船の船長や篤志家など心ある人たちのとの偶然で幸運な出会いがその後の人生を決める。その出会いに感謝し、その道を己の使命として邁進した人生である。ある意味、変わり身の早い日本人の典型のような印象もあるが、人生というものは案外とこういう形で決まることが多い。

日本を脱出して以後の人生航路は、自分が求められている「期待役割」を忠実に果たした人生である。ここから先はかならずしも内発的な動機ではないかもしれないが、人生行路を決めたらその道に邁進するという生き方は迷いがない

アメリカ東部のプロテスタンティズムが濃厚な上流階級という狭い世界のあいだに受け入れられたラッキーボーイであった新島襄は、「アメリカの宣教師」として帰国したのである。この点が重要だ。

帰国後の新島襄は、日本を低くみなした「欧化主義者」そのものであったようだ。この点においては森有礼(もり・ありのり)などと同様の人物であったようだ。ある種の近代啓蒙主義者であり、しかもアメリカのプロテスタントのもつ、きわめて偏狭な思想の体現者であった。


なぜアメリカのプロテスタンティズムだったのか?

なぜプロテスタンティズムが重要であったのか? 同じキリスト教ではあっても、なぜカトリックや正教ではなくプロテスタンティズムであったのか?

これは新島襄にとっては大きな意味があったことが本書に詳述されている。上昇志向の下級武士はアメリカのプロテスタンティズムを主体的に選択したのである。この点を見逃しては新島襄も近代化前夜の明治時代前半も見誤ることになる。

明治時代は「立身出世時代」とも言われる。その時代のベストセラーとなった『西国立志篇』を翻訳出版したのはもともと儒者であった中村正直であるが、かれもまた英国に留学しプロテスタントの洗礼を受けたキリスト教徒であった。

当時の先進国であった英国、そして急伸する新興国であった米国、ともにプロテスタンティズムがその成功の根底にあった。日本の世界史の教科書がカトリックを旧教、プロテスタントを新教と表記することがあるのはそういう価値観の反映だろう。

同時代人のなかには新島襄を「策略家」という悪評をもって見ていた者も少なからずいたという。現在でも日本では儒教的な意味で「教育者=聖職者」という偶像的イメージが完全に破壊されていない。下級武士が権力を握り、儒教化が進んでいた明治時代にあってはなおさらであろう。

わたしからみれば、新島襄は策略家というよりも戦略家というべきではないかと思う。目的実現のためには手段を徹底的に考え抜くのは、そのミッション(=使命)がきわめて明確でかつ実現が困難であったためだ。

新島襄がアメリカと日本で異なる発言をしていたということは、悪く言えば「二枚舌」ということになるが、戦術面で「二枚舌、三枚舌」をとるのは方便というべきで、多くの人が無意識にやっていることではないだろか。

ただ、それを無意識でやっているのか、戦術として意識的にやるかの違いはある。新島襄の場合は、かなり意識的に行っていたことが濃厚だ。現在でも意外と英語での発言内容はダイレクトに日本語環境に反映されない(・・逆もまたしかり)ので、こういうケースは少なくない。まあ、程度問題といっていいかもしれないが、微妙なところではある。

内村鑑三は本書のなかでは新島襄の批判者として登場するが、『後世への最大遺物』と題した講演のなかで、慈善活動の資金つくりとしてのカネ儲けと事業の重要性を説いたあとに教育の重要性について語っている。

実際に「見える形」として教育機関をつくった新島襄は教育事業家として、内村鑑三以上に大きな影響を与えた人であると言えるのではなかろうか。


終わりに

NHK大河ドラマ『八重の桜』も終わりを迎え、この時期を逃したら同志社の関係者ではないわたしが新島襄について読むことは、もはやあるまいと考え、購入してから8年たっていた本書を一気に読むことにした。

著者の太田雄三氏の作品は、新渡戸稲造やラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、チェンバレンといった西洋との架け橋となた明治の先人たちの評伝を多く読んできた。いずれも「欧化時代の」明治時代に日本と西洋という二つの世界にかかわった人たちだ。

本書は、結果として「偶像破壊」の書になっているかもしれないが、同志社関係者ではないわたしにとっては、人間・新島襄を知ることのできるよい読書経験となった。

新島襄と彼が残した「事業」について知る上で、内容の充実した評伝である。関心のある人は読むことを薦めたい。





目 次

はじめに
関係地図
第一部 日本時代
 第1章 時代、家庭環境、教育
 第2章 新島の脱国の動機
 第3章 海上の一年
第二部 アメリカ時代
 第4章 ボストン到着後の危機的時期
 第5章 アメリカでの学生生活
 第6章 岩倉使節団との出会いと新しい使命感のめばえ
第三部 帰国後の新島
 第7章 同志社「創立」とその存続・発展のための奮闘
 第8章 ジェーンズと熊本バンドと同志社
 第9章 欧化主義の時代と同志社の発展
 第10章 晩年の新島
 終章 新島の人と事業はどのように評価できるか
参考文献
あとがき
新島襄略年譜
人名・事項索引

著者プロフィール

太田雄三(おおた・ゆうぞう)
1943年生まれ。東京大学助手を経て、1974年からカナダのマッギル(McGill)大学で日本史を教える。マッギル大学史学科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

建学の精神と新島襄 (同志社大学)

The Platters - The Great Pretender - Lyrics (YouTube)



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