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2026年9月5日土曜日

書評『モンゴル抑留 ― 見捨てられた死者たち』(井手裕彦、角川新書、2026)― 知られざる「モンゴル抑留」の真相を解明してきたジャーナリストの熱意と執念に感謝申し上げる

 


先週のことだが、『モンゴル抑留  ―  見捨てられた死者たち』(井手裕彦、角川新書、2026)という本を読んだ。この問題を新聞社退職後も私財を投じてまで追ってきたジャーナリストの熱意と執念のたまものである。  

日本政府がなおざりにしてきた「モンゴル抑留」の実態について、著者が知り得た情報をすべて投入して、具体的な固有名詞まで書き綴った重厚なノンフィクション作品である。 

1945年8月の日本敗戦から1947年10月中旬まで約2年間にわたった「モンゴル抑留」。抑留者1.4万人、うち死者が1,700人という、「シベリア抑留」より死亡率の高い「モンゴル抑留」。この本ではじめて「モンゴル抑留」について知ることができた。 

「シベリア抑留」というフレーズを知らない人はいないだろう。大東亜戦争の最末期に始まり、ポツダム宣言受諾後も続いた「日ソ戦争」の結果、現地で捕虜となって抑留され、その多くが強制労働を強いられた日本近代史の悲劇を象徴するフレーズである。 

正確にいうとシベリアだけでなく、極東や中央アジアも含めた旧ソ連の各地に抑留されたのであるが、「シベリア抑留」というインパクトの強いフレーズが定着したために、顧みられることなかったのが「モンゴル抑留」である。なぜなら、ソ連の衛星国とはいえ、モンゴル人民共和国は独立国であったからだ。

モンゴルが最初に独立宣言したのは1911年、北モンゴル(いわゆる外蒙)が中国から独立を勝ち取ったのは1924年のことである。ソ連邦誕生の2年後のことだ。以後、第二次世界大戦が終了し冷戦構造が生まれる前は、モンゴル人民共和国は23年間にわたって、ソ連をのぞけば唯一の社会主義国であった。この事実が重要だ。中華人民共和国の誕生は1949年である。




「モンゴル抑留」の背景にあるのは、「ノモンハン事件」(1939年)に始まる、日本とモンゴルとのあいだの2回の戦争である。前者は「ハルハ河戦争」ともいい、モンゴル人民共和国と満洲国とのあいだの国境線をめぐる紛争がエスカレートし全面戦争に発展したものだ。モンゴル側には大国ソ連、満洲国の関東軍は実質的に日本であった。 

ノモンハン事件の戦後処理は、モンゴルの頭越しに満洲国(とその背後の日本)とソ連のあいだで交渉が行われ、モンゴルは苦杯をなめることになる。国境線沿いの失われた領土は満州国のものとなり、日本の敗戦にともない中国領となってしまったのだ。 

日本とモンゴルの2回目の戦争は、先にも触れた「日ソ戦争」のことである。8月8日に対日宣戦布告したソ連に続き、モンゴルは8月10日に対日宣戦布告、ソ連軍とともにモンゴルから満州国に進軍している。日本軍との交戦もあった。 

この2つの戦争で多数の死傷者を出したモンゴルは、ソ連に対して「戦利品」を要求、それが日本人捕虜であったのだ。「モンゴル抑留」が問題なのは、軍人だけでなく一般人も抑留された。員数あわせのために起こった悲劇である。 

「モンゴル抑留」が知られることなかったのは、日本がモンゴル人民共和国とのあいだで、なんと1972年まで国交がなかったことも要因のひとつである。冷戦構造が背景にあったためだが、モンゴル独立からなんと48年間も国交がなかったのだ。これがソ連による狭義の「シベリア抑留」との大きな違いを生んだ。 

しかも、「モンゴル抑留」にかんする資料の多くは「モンゴル諜報庁」にあるので、アクセスがきわめて困難なのだという。ソ連崩壊でモンゴルは民主化したが、情報機関はそのまま受け継がれているのだ。 

本書を読んでいて強く印象を受けたのは、「モンゴル抑留」の真相解明だけではない。ソ連についで世界2番目の社会主義国として独立したモンゴルはソ連崩壊後に民主化された現在もなおロシアとは密接な関係を維持しており、昨年2025年7月の「天皇皇后両陛下のモンゴル公式訪問」に代表される良好な日モ友好関係からはうかがい知ることのない、アンタッチャブルな「闇の深さ」についてである。 

「モンゴル抑留」という日本近代史の悲劇と、いまだ南北で分断状態にあるモンゴル民族中国とロシアという二大大国のはざまで生きる内陸の小国家のあり方について考える材料として、読むべき価値のある本である。もちろん、著者の熱意と執念に感謝申し上げるべきことは言うまでもない。 


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目 次
はじめに モンゴルの KGB への挑戦 
第1章 置き去りにされてきた抑留者 
第2章 二つの戦争が抑留の起こりだった 
第3章 民間人が無差別に拉致された「日本人狩り」 
第4章 食料も防寒服も寝具も何もない「絶望の国」へ 
第5章 当局に迎合した抑留者、抵抗した抑留者 
第6章 死亡記録から見える「さまざまな死」 
第7章 突然の一斉帰還命令と残留させられた抑留者たち 
第8章 抑留問題に向き合ってこなかった日本外交 
最終章 「歴史の扉」は開いたのか 
おわりに 近くて遠い国 
主要参考文献 
モンゴル抑留関連年表


 著者プロフィール
井手裕彦(いで・ひろひこ) 
1955年、福岡県生まれ。ジャーナリスト。京都大学文学部卒業後、1978年、読売新聞大阪本社入社。社会部で主に調査報道を担当。論説委員、編集局次長、編集委員を経て2020年退社。新聞記者時代から丸10年にわたりモンゴルでの日本人抑留の解明に挑み、モンゴルの公文書館で捜し出した抑留者の死亡記録を日本政府に情報提供。自作のホームページ「モンゴル抑留死亡者名簿」で政府を上回る死亡者の情報を公開し、全国を回って遺族に無償で死亡記録を届けている。著書『命の嘆願書 モンゴル・シベリア抑留日本人の知られざる物語を追って』(集広舎)は2023年度のシベリア抑留・記録文化賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの) 

◆モンゴル抑留志望者名簿 



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2025年9月13日土曜日

『象徴天皇の実像 ―「昭和天皇拝謁記」を読む』(原武史、岩波新書、2024)が面白い。 「人間的な、あまりに人間的な」昭和天皇の肉声のダイジェスト版

 


 「昭和天皇拝謁記」とは、初代宮内庁長官をつとめた田島道治氏が残した詳細な記録である。1949年(昭和24年)から4年10か月にわたり昭和天皇との会話を詳細に記録したものだ。 

「人間的な、あまりに人間的な」といいたくなるような昭和天皇その肉声が聞こえてくるようだ。そんなことも発言しているのか、そんなこと口にしていいのか、という発言まで記録されているのだ。 

「昭和天皇拝謁記」は、2021年に岩波書店から全文が公刊されているが、全7巻もあるのでさすがに読むのはためらわれる。そこで、ダイジェスト版というわけではないが、天皇研究の第一人者である原武史氏のものを読んでみたわけだ。 

約5年間にわたる発言をテーマ別に整理しているが、もちろん鉄道オタクである著者のテイストが随所に反映されている。どういうテーマで整理されているかは、「目次」を一覧すればわかるだろう。 


序章 『昭和天皇拝謁記』とは何か 
第1章 天皇観 
第2章 政治・軍事観 第3章 戦前・戦中観 
第4章 国土観
第5章 外国観 
第6章 人物観1―皇太后節子(さだこ)
第7章 人物観2―他の皇族や天皇 
第8章 人物観3―政治家・学者など 
第9章 神道・宗教観 
第10章 空間認識 
終章 『拝謁記』から浮かび上がる天皇と宮中 


第1章から5章までは、日本現代史そのものにかかわるものだ。 

大日本帝国憲法下の天皇と、日本国憲法下の天皇の位置づけの違いにかんしては、昭和天皇は十分に認識していなかったことが浮かび上がってくる。まあ、それは無理もないだろう。40歳を過ぎた「人間」の考えなど、そう簡単に切り替えができるものではない。 

なんといっても、第6章から8章までの昭和天皇による人物観が興味深い。 

大正天皇の皇后であり、昭和天皇にとっては母親であった貞明皇后こと皇太后節子(さだこ)との確執がとくに印象的だ。グレートマザーとして、昭和天皇に重くのしかかっていた存在だったのだ。また、弟宮たちへの感想も辛辣である。皇国史観に対しても批判的であったこともわかる。 

さらに「第9章 神道・宗教観」も興味深い。

昭和天皇は、キリスト教に親近感を感じていたのである。国民が想っているよりも、皇室とキリスト教との関係が深いことを知っておく必要がある。これはけっして戦後に始まったものではない。 

そもそも初代宮内庁長官をつとめた田島道治氏自身、新渡戸稲造の弟子で、内村鑑三の薫陶を受けた人物である。さまざまな事情があって田島氏はキリスト教徒にはならなかったものの、昭和天皇の子ども時代の養育係や歴代の侍従にキリスト教徒がすくなからずいたことも知っておく必要があろう。 

1962年生まれの著者は、わたしとは同年代にあたるが、政治観についてはだいぶ異なるものがある。とはいえ、昭和史を知るためには、このダイジェスト有用である。一度は目を通しておいたほうがいいだろう。 


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著者プロフィール
原武史(はら・たけし)
1962年、東京に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。東京社会部記者として昭和天皇の最晩年を取材。東京大学大学院博士課程中退。東京大学社会科学研究所助手、山梨学院大学助教授、明治学院大学教授、放送大学教授を経て、明治学院大学名誉教授、放送大学客員教授。専攻、日本政治思想史。著書、『昭和天皇』(岩波新書、司馬遼太郎賞受賞)など多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2024年2月22日木曜日

書評『霊能一代(増補改訂版)』(砂澤たまゑ、二見書房、2024)ー 「霊能者」の聞き語りだがタイトルから連想されるような「オカルト本」ではない

 

 『霊能一代(増補改訂版)』(砂澤たまゑ、二見書房、2024)という本を読んだ。  amazonでレコメンドされて、はじめてその存在を知った本だ。

まだ出版されたばかりなのに、レビューの数と熱度が高い。いずれもやらせレビューではない。これは読まねばなるまいと、勝手に決めてすぐにポチ。どうしても、この手のタイトルに惹かれるものがあるのだ。なぜか「引き寄せ」てしまう。いや、AIの解析結果のレコメンドに過ぎないのだが(笑) 

内容は、帯に書いてあるとおりだ。「伏見稲荷のオダイが辿った数奇な運命の物語。希有な霊能者が語るお稲荷さんの不思議な力と神秘体験の数々・・・」。 いかにも読みたくなるコピーだな。

「オダイ」とは「お代」神さまの代わりに、神さまのことばをとりつぐ霊能者のことだ。具体的にいえば、「稲荷大神様」の「行者」(ぎょうじゃ)である。 伏見稲荷といえば、京都の伏見稲荷である。

本人もなぜそのような人生を送ることになったのかわからない、と語っているように、自分の意思とは関係なく、神さまに選ばれてしまったのだから仕方がないのだ。 

最終的に覚悟を決めて、その道に進むことになったが、それはもう厳しい修行の道であったことが語られている。塩水だけの「百日断食」なんて、まずふつうの人には不可能だろう。

 この本は、長年にわたってオダイから聞き取りを行ってきた翻訳著述業に従事する内藤賢吾氏が、聞き書きの内容を整理し、構成と執筆を行って2004年にでた原本の「増補改訂版」である。 

「第一部 神様に導かれて歩んだ」と「第二部 信者さんたちとともに歩んだ道」の二部構成になっている。 

20年後の「増補改訂版」では、出版にいたる経緯をまとめた内藤氏による「まえがき」と「追記」、「あとがきに代えて」が加えられている。なによりも内藤氏による「註」に意味がある。著者の語りの記憶違いなどを、できるかぎり事実関係の検証を行っているからだ。 

通読してみて思うのは、タイトルから連想されるような「オカルト本」ではない、ということだ。激動の日本近現代史を生きたひとりの女性のライフストーリーである。それがたまたま「霊能者」であったということに過ぎない。そんな読み方も可能だろう。 

とはいえ、そんな霊能者の言うこと(・・いやいや違う、霊能者の口をつうじて神さまが言うことだ)に耳を傾ける悩める人たちが、熱心な信者になっていったということ。その意味では、ごくごく普通の日本人の精神世界を描いているともいえる。

社会の表層がいかに「近代化」しようが、深層にある日本人の精神世界は連綿としてつづいている。「稲荷信仰」は現在なお根強い人気がある。「商売の神さま」というだけの存在ではない。 

語り手である著者が本拠地にしていたのが京都府の福知山だ。わたしは福知山にはそれほど土地勘はないが、聞き語りになんどもでてくる舞鶴は生まれ故郷なので、なんだか親近感を感じるものがあった。

著者が語っているのは、「信じる者は救われる」ということに尽きる。そのためには、「素直な心」が重要だと説いている。 

「素直な心」といえば「経営の神さま」となった松下幸之助が残したことばを想起するが、本書によれば幸之助翁は若き日に伏見稲荷で熱心に行(ぎょう)を行っていたらしい。 なるほどそういうことだったのか。著者の砂澤たまゑは、実際に何回か直接会っているという。

また、痔の治療薬であるボラギノールは、福知山出身者の創業者が、悩み多き若き日に伏見稲荷に籠もっていたときに思いついたのだという。福知山で活動していた著者ならではの話だ。

ただし、本書全体をつうじて著者が語るところに耳を傾けるかどうかは、読者次第であることは言うまでもない。 


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目 次
増補改訂版まえがき 
復刊に至るまでの奇妙な出来事 
はじめに 
第一部 神様に導かれて歩んだ 
第二部 信者さんたちとともに歩んだ道 
おわりに 
増補改訂版『霊能一代』の註 
【追記】最晩年の砂澤
増補改訂版のあとがきに代えて 砂澤は「生きていた」 


著者プロフィール
砂澤たまゑ(すなざわ・たまえ) 
1922年、兵庫県朝来郡和田山村(現在の朝来市)に生まれる。稲荷信仰の行者(オダイ)。稲荷神など神の声が聞こえる稀代の霊能者だった。若いころから厳しい行をおこない、京都府福知山市の内記稲荷神社を世話しながら神様を祀っていた。独力で京都・伏見稲荷大社の支部である三丹支部を立ち上げ、多くの信者を集めた。2009年9月11日に逝去。2021年9月、第13代・伏見稲荷大社名誉宮司の故・坪原喜三郎氏とともに同社内の霊魂社に合祀される。(書籍カバーおよび出版社の書籍サイトより)



PS 『お稲荷さんと霊能者』(内藤憲吾、河出文庫、2021)

『お稲荷さんと霊能者』(内藤憲吾、河出文庫、2021)を読むと、『霊能一代(増補改訂版)』(砂澤たまゑ、二見書房、2024)成立の経緯がよくわかる。

『霊能一代』が内藤氏のよる聞き書きであることは同書にも記されているが、『お稲荷さんと霊能者』にはその事情がより詳細に記されているので、あわせ読むといいだろう。

不思議な現象に翻弄されながらも、次第次第に霊能の世界に目覚めていく著者の体験記でもある。1995年に会社を辞めてフリーになってから、著者が霊能者の口をつうじて語られる神さまのお導きで生き延びてこられたのである。

それが著者自身の実感であり、主観的だとはいえ、著者にとっての「真実」なのだということも。まこと「信じる者は救われる」のである。「素直な心」がいかに大切なことであることか。   (2024年3月5日 記す)


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2022年12月31日土曜日

書評『イノベーターたちの日本史 ― 近代日本の創造的対応』(米倉誠一郎、東洋経済新報社、2017)― 危機的状況を「創造的対応」で切り拓いてきたイノベーターたち

(前列左から伊藤博文、大隈重信、井上馨)


『イノベーターたちの日本史ー近代日本の創造的対応』(米倉誠一郎、東洋経済新報社、2017)を読んだ。この本は面白かった。ビジネスパーソンであれば、そうでなくてもぜひ読むことを勧めたい本だ。

5年前に出た本だが、すぐに読む必要はなかろうと思って、ほったらかしにしていた。高峰譲吉もまた本書に登場する重要人物であることを知って読むことにしたのだがが、期待をはるかに上回る内容であった。

取り上げられているのは、高島秋帆、大隈重信、笠井順八、三野村利左衛門、中上川彦次郎、岩崎弥太郎、岩崎弥之助、高峰譲吉、大河内正敏、などである。といっても、大隈重信と岩崎弥太郎以外はあまり知られていないだろう。

いずれも、技術革新に限定されない広い意味のイノベーションを実行した人物たちなのである。もちろん、著者の主観にもとづく好みが大いに反映されたチョイスである。だからこそ面白い。

著者は、以下のようなテーマ設定を行って、人物を中心にしたケーススタディとして描き出している。

アヘン戦争(1840年)のインパクトをどう受け止め、どう対応したのか。この点で日本は中国や朝鮮とは大きく異なっていただけでなく、幕府はなぜ米国の挑発に乗らずに戦争を回避できたのか。
(*この点にかんしては、大東亜戦争では米国の挑発に乗って、徹底的に叩きつぶされたのとは真逆である)。

攘夷に邁進した下級武士を中心とした志士たちの一部が、なぜ明治維新体制の担い手に転換できたのか。しかも、みずからの出身母体である武士階級を解体するという、自己矛盾に満ちた難問をほぼ無血で解決することができたのか。
(*この点にかんしては、17世紀英国の名誉革命と比較すべきであろう。恐怖政治をもたらしたフランス革命となまったく異なる)。

士族という名称は残ったが、実質的に解体された士族たちは、「秩禄処分」による有償の給付である「士族授産」をどう活かし、企業家として時代の転換期に転換できたのか。

三井家のような商家が、どう激動期を乗り越えてみずから転換し、「財閥」として生き残ることができたのか。三菱のような新興財閥がなぜ必要とされたのか。

そして、近代化が一段落した大正時代以降に、模倣の時代からいかに抜けだし、知識ベースの産業立国へと脱皮していったのか。

「開国」前夜から日本と日本人が、いかにしてシュンペータのいう「創造的対応」によって危機的状況を乗り越えてきたのかを描いた本書は、政治中心の日本近現代史とは違う、「経営史」のアプローチによるものである。

もともと佐々木潤之介ゼミで日本近世史から出発した著者にとっては、集大成ともいうべき内容の本である。著者本来の専門の成果である『経営革命の構造』(岩波新書、1999)とならんで、著者の代表作といっていいのではないか。もっと早く読んでおくべきだった。


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目 次 
はしがき
第1章 近代の覚醒と高島秋帆
 1 イギリスの大英帝国建設とアヘン戦争
 2 情報感受性 ー アヘン戦争をめぐる情報と認識
 3 高島秋帆の情報感受性
第2章 維新官僚の創造的対応 ― 大隈重信 志士から官僚へ
 1 志士たちにとっての外交 
 2 隠れキリシタンが国を創る 
 3 外交から財政へ 
第3章 明治政府の創造的対応 ― 身分を資本へ 
 1 財政再建と秩禄処分 
 2 秩禄処分と士族授産 
第4章 士族たちの創造的対応 ― ザ・サムライカンパニーの登場 
 1 笠井順八とセメント事業 
 2 小野田セメントの創業と公債出資 
 3 苦難の創業期 
 4 最新鋭設備の苦悩と人材投資 
第5章 創造的対応としての財閥 ― 企業家が創り出した三井と三菱 
 1 組織イノベーションとしての財閥 
 2 三井財閥ー人材登用と多角的事業体 
 3 三菱の創造的対応 
 4 財閥という創造的対応 
第6章 科学者たちの創造的対応 ― 知識ベースの産業立国 
 1 世界的科学者・企業家としての高峰譲吉 
 2 大河内正敏と理研コンツェルンの形成 
終章 近代日本の創造的対応を振り返る 
あとがき 

著者プロフィール
米倉誠一郎(よねくら・せいいちろう) 
一橋大学イノベーション研究センター特任教授、法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授 1953年東京都生まれ。一橋大学社会学部、経済学部卒業。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。ハーバード大学歴史学博士号取得(Ph.D.)。1995年一橋大学商学部産業経営研究所教授、97年より同大学イノベーション研究センター教授。2012?14年はプレトリア大学GIBS日本研究センター所長を兼務。現在、Japan-Somaliland Open University 学長、アカデミーヒルズ日本元気塾塾長、『一橋ビジネスレビュー』編集委員長を兼務。2017年4月より現職。イノベーションを核とした企業の経営戦略と発展プロセス、組織の史的研究を専門とする。主な著作に 『経営革命の構造』(岩波新書)、『創発的破壊――未来をつくるイノベーション』(ミシマ社)、『オープン・イノベーションのマネジメント』(共編、有斐閣)などがある。


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