イエズス会が日本布教から撤退した17世紀初頭、南米ではイエズス会のミッションは「教化村」という形で原住民たちとの理想郷をつくりあげていた。現在のパラグアイがその中心であった。南米大陸の中心にある内陸国である。
「神の国」を現世に建設するという宗教的情熱。それを「新大陸」で実現すべく実験的に取り組んだベンチャーが「パラグアイ・ミッション」であった。イエズス会士の指導のもと、先住民のグアラニ族をキリスト教で「教化」した理想郷が「教化村」(=レドゥクシオン)であった。「伝道村」ともいう。
イエズス会のミッションとしてはもっとも成功したが、160年の歴史をもちながら、いまではその痕跡が廃墟として残るのみとなった「パラグアイ・ミッション」は、清朝の中国における「典礼問題」とともに、同時代のヨーロッパではもっとも知られていたイエズス会の活動である。
なぜか本書『幻の帝国 ー 南米イエズス会士の夢と挫折』(伊藤滋子、同成社、2001)にはまったく言及がないのだが、ロバート・デニーロ主演の映画 『ミッション』(1986)の世界である。時間的な制約のある映画では描ききれていない複雑な背景や、「教化村」そのものをめぐる詳細な情報を与えてくれる本だ。
著者自身の中南米での豊富な経験と現地踏査も踏まえた記述には臨場感もある。
(映画 『ミッション』のパンフレット 筆者蔵)
■17世紀の欧州と「新大陸」
背景にある17世紀の世界情勢とは以下のようなものだ。ヨーロッパ世界の南北アメリカ大陸という「新世界」への拡大と急膨張が始まった世紀である。一言でいえば第一次グローバリゼーションの時代である。それはまた「初期近代」(=近世)とよばれる時代でもある。
1492年のいわゆる「レコンキスタ」によるイベリア半島からのイスラーム教徒とユダヤ教徒の追放、そして同じ年に開始されたクリストーバル・コロン(=コロンブス)による「インド発見」航海。その後の南米植民地をめぐるスペインとポルトガルの確執、カトリックの修道会であるフランシスコ会とイエズス会の海外布教をめぐる競争、イエズス会とパトロンとなる王国との関係、衰退するカトリック勢力と新興のプロテスタント勢力との勢力争い、などである。
ヨーロッパの「新大陸」への進出は、God(神)と Gold(金)を求めてのものであったとはよく言われることだが、まさに世俗権力の欲望とカトリックの海外布教は表裏一体のものであった。
この事実に気づいていた為政者がキリスト教勢力排除した後、島国のなかに引きこもって「パックス・トクガワーナ」(=徳川幕府時代の平和)という天下太平の夢を日本列島の住民が享受していたあいだ、「新世界」を舞台に展開していたことの一つがイエズス会の「パラグアイ・ミッション」なのである。
南米というとエンコミエンダという大土地所有制度が存在し、そのため貧富の格差が拡大したまま経済が停滞していたということを地理の授業で習った記憶があるかもしれない。労働集約型で生産性の低い大規模農場において、つねに不足していたのが人間であったことが重要である。不足する労働力はアフリカから連れてきた奴隷か、原住民狩りによって供給されていた。
こういう状況のなかで、植民者たちから原住民を保護することに貢献したのがイエズス会による「教化村」であった。
意外に思えるかもしれないが、激しい神学論争の末に先住民のインディオを「人間」として認める結論を下したのはバチカンであり、そのなかでもスペインだけは先住民保護に心を砕いたという側面があったのである。
初期のスペイン人征服者(=コンキスタドール)による中米やカリブにおける非道ぶりが目につくが、人口密度が低く希少であった南米では事情はやや違っていた。この点は本書の眼目でもあるので注意しておきたい。
ポルトガルの植民地であったブラジルでは、奴隷制度が廃止されたのは、なんと1888年(明治21年)だったのである。
(グアラニ布教地 「南米大陸のイエズス会布教地」 P.127より)
グアラニ族は比較的早い段階でキリスト教化されただけでなく、好戦的な戦士としての性格をもちながも国家形成にまでいたっていなかったことが、イエズス会によるマネジメントが成功した理由の一つのようだ。マネジメントは統治の技法でもある。
そのために活用されたのが「カシケ」と呼ばれた首長たちで、かれらはグアラニ族のなかではもっとも早い段階でキリスト教を受け入れた人たちであった。その意味ではイエズス会の統治も「間接統治」であり、ある意味では、敗戦後の日本で米国を中心とする占領軍が行った統治と似ている。
イエズス会による「教化村」がモデルとしたのは、まずはアウグスティヌスの『神の国』である。このほかトマス・モアの『ユートピア』、プラトンの『国家』が「モデルであった。
プラトンの『国家』は、少数の選ばれたエリートが行う「哲人政治」を説いたものだが、イエズス会による「教化村」もまた、現地に骨を埋める覚悟のきわめて少人数のイエズス会士が膨大な数の現地人をマネジメントする方法論として機能したという言い方も可能だろう。
「教化村」における活動がローマの本部に報告されるだけでなく、現地に散在する「教化村」どうしのあいだでイエズス会士たちは情報共有していたようだ。
ただし、イエズス会批判の急先鋒であった18世紀フランスの啓蒙主義者ヴォルテールが指摘しているように、パラグアイの「教化村」においては原住民自身による自治が行われていなかったことも否定できない事実だ。
この問題は、外資系企業におけるガバナンスとマネジメントをめぐる問題として、21世紀の現在でもアクチュアルな意味をもっているというべきだろう。
(映画 『ミッション』のパンフレットより 筆者蔵)
■「パラグアイ・ミッション」のもつ意味
地上における「神の国」というユートピアを実現していた「教化村」だが、外部環境の激変によって終わりを告げることになる。
つねに拡大志向で勢力を伸ばすポルトガル勢力に対して、スペインとポルトガルの国境線に入植された屯田兵村のような存在でもあった「教化村」だが、移動命令を拒否したグアラニ族による、ヨーロッパにも衝撃を与えたという二度にわたるグアラニ戦争、18世紀の啓蒙主義時代の欧州における反イエズス会のたかまりなどがその環境激変の内容だ。
その結果、1768年にはついには「教化村」も解体することになりイエズス会士も追放された。1609年にはじまった「教化村」は160年で歴史を閉じたのである。イエズス会のミッションが成功したがゆえに、攻撃を招いたという側面があったとも考えられる。
しかも、イエズス会じたい1773年には教皇令によって解体、フランス革命とナポレオン戦争による欧州動乱が収束した1814年まで40年間にわたって禁止されていた。今年はちょうどイエズス会復活から200年になる。本書には記述はないが、19世紀以降のカトリックの海外布教の担い手はイエズス会ではなく、フランスのパリ外国宣教会が中心となる。日本もまた例外ではなかった。
イエズス会による「教化村」は、功罪ともにある英国の植民地統治とならんで特筆に値すべきものだろう。現在なら外資系企業の方法論でもあるが、日本も海外のアウェイでは少人数で圧倒的多数の現地人をマネジメントする立場になることから考えれば、大いに参考になるのではないだろうか。
その意味では、「第7種 村のなかの生活」、「第8章 教化村の経済」、「第9章 教化村の文化」において、「教化村」の実際について詳しく書かれているのが参考になるだろう。とくにグアラニ族におkる、同時代の音楽であるバロック音楽の普及ぶりには驚かされるばかりだ。日本の西洋音楽受容は、いったん17世紀で断絶してしまったのだが・・・。
イエズス会士によるグアラニ語の研究と標準語化が、現在のパラグアイにおいても活かされているることは特筆に値する。なんと内陸国パラグアイにおいてはスペイン語だけでなく、人口400万人のほとんどがグアラニ語を理解できるということだ。日本においてもイエズス会士による日本語研究の成果が『日葡辞書』などととして残されていることを考えれば、イエズス会による知的貢献には大きなものがあったというべきだろう。
日本人の「常識」からは認識の空白地帯となっていた17世紀と18世紀のイエズス会の動きについて知ることができるとは、以上のような意味なのである。イエズス会が清朝の中国において引き起こした「典礼問題」とともに、「パラグアイ・ミッション」についても「常識」としてきたいものだ。
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目 次
序-ユートピアを巡って(イエズス会士 バルトメウ・メリア博士)
関連人物一覧
序章 新大陸の「神の国」
第1章 ラプラタ地方のはじまり
第2章 イエズス会の到来
第3章 教化村の創設
第4章 外部の敵-バンデイランテ
第5章 内部の敵-カルデナス司教
第6章 教化村の隆盛とラプラタ地方
第7章 村のなかの生活
人口の推移
村の運営
村人はみんなが兵士
会士の役割
会士の暮らし
家族の暮らし
子どもの暮らし
村の行事
聖週間
守護聖人の祭
信徒団
司教の訪問
病気の治療
疫病が流行した時
医療の水準
第8章 教化村の経済
農業
個人の土地と共同の土地
マテ茶刈り
マテ茶の輸出
海の牧場
松林の牧場
その他の産業
商業
商品の輸送と販売
村を訪れる商人
第9章 教化村の文化
村の建設
中期の村
広場の役割
建物の配置図
伽藍の建設
サン・イグナシオ・ミニ
サン・ミゲルとトリニダード
遺跡の復元と発掘調査
発掘の一例-ロレト
交通網
グアラニ・バロックの彫刻
グアラニ語の実用化
グアラニ語の作品
グアラニ自身の手になる作品
グアラニ語の近代化
印刷機
教化村の音楽
音楽家会士シボリ
セップの活躍
第10章 ブルボン朝のもとで
第11章 グアラニ戦争
第12章 イエズス会の追放
参考文献
関連年表
あとがき
著者プロフィール
伊藤滋子(いとう・しげこ)
1942年大阪市に生まれる。1964年大阪外国語大学アラビア語学科卒業。NHK国際局アラビア語班に入局。1965年より大使館勤務の夫とともに中南米諸国に通算25年間在住。1965~1969年コレヒオ・デ・メヒコ(大学院大学)聴講生。1983年~1986年国立メキシコ自治大学修士コース聴講生。コロニアル時代の歴史(主にキリスト教布教史)を研究。1986~89年上智大学でラテン語、神学、哲学を聴講。1989年アルゼンチン在住のころよりイエズス会のグアラニ・ミッションに関する研究に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
The Mission - Trailer - (1986) - HQ (YouTube)
・・映画 『ミッション』 トレーラー(英語)
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・・第一次グローバリゼーションとイエズス会による日本布教
「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・ブラジルで「未開民族」をフィールドワークしたレヴィ=ストロース
書評 『ドラッカー流最強の勉強法』(中野 明、祥伝社新書、2010)-ドラッカー流「学習法」のエッセンス
・・「ルター派とイエズス会が同時並行的に採用した「自己目標管理」制度(MBO:Management by Objective)について付け加えておけば、イエズス会では6年ごとに配置転換がある」
なぜ「経営現地化」が必要か?-欧米の多国籍企業の歴史に学ぶ
■17世紀ヨーロッパと新大陸-対抗宗教改革とイエズス会
書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために
・・エル・グレコ(1541~1614)が活躍したのは17世紀前後。大航海時代の地中海。バロック
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・・ドイツ三十年戦争(1618~1648)。同上
イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」
「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人
「聖週間 2013」(3月24日~30日)-キリスト教世界は「復活祭」までの一週間を盛大に祝う
・・中米メキシコのサン・クリストーバル・デ・ラスカサスの「受難劇」の写真
カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである
・・イエズス会士に必須のスピリチュアル・イメージトレーニングの『霊操』について言及している
■18世紀ヨーロッパと新大陸
「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?
「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・イエズス会のパラグアイ・ミッション批判の急先鋒に立ったのがフランスの啓蒙主義者ヴォルテールであった
「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ
・・マリー・アントワネットが生まれ育ったハプスブルク帝国はイエズス会の保護者であった
『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)で、18世紀メキシコで花開いた西欧のバロックと土着文化の融合を体感する
(2014年7月25日 情報追加)
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