「家畜が解体されて食肉になるまで」のプロセスを、文章とイラストで微に入り細にわたって描いた自分語り系ノンフィクション作品である。屠畜と書いて「とちく」と読む。一般には屠殺(とさつ)として知られている食肉解体プロセスのことだ。
現在は文庫化もされているが、わたしが読んだのはオリジナルの単行本版。本文二段組みで367ページもある大作だが、面白いので一気に読んでしまった。
肉食が本格的に「解禁」されてから百数十年。「まだ」というべきか、「もう」というべきかはさておき、日本にもすっかり食肉文化が定着している。だが、意外なことに食肉解体の世界がどうなっているのか知られていないし、知ろうとしない人が多いのも否定できない事実だ。
-動物を殺すのはかわいそう・・
-じゃあ、肉食べるのやめたら。
-魚を丸ごと一匹さばいたことはないな。
-それじゃ、ますますリアル感覚がなくなるね。
解体処理済みの肉や刺身だけを食べているのでは、生き物を殺して自分の生命を維持するということの意味をほんとうに理解できない。もちろん、肉や魚はいっさいクチにしないという完全なベジタリアンとして生きる道はある。
だが、圧倒的多数の日本人は、肉を食べ魚を食べている。自分以外の生き物をの生命をいただいて生きていることに、ときには感謝しなくてはならないのは当然というべきなのだ。
そして、食肉解体のじっさいを知ることもきわめて重要なことだ。自分が食べているモノがどうつくられているのか知ることは、リアリティ回復のための第一歩でもある。
動物の息の根を止めて、皮を剥(む)き解体するプロセス。たとえ家畜や狩りの獲物を解体することなくても、魚を丸ごと一匹さばいて内蔵を処理した経験があれば類推は可能だろう。あるいは高校の生物の授業で牛の目玉やヒヨコの解剖を体験しているかもしれない。家畜と鳥や魚ではだいぶ違うのだが、それでも共通していることも多い。
ほんとうはじっさいに解体する場面を見学したほうがいい。それがムリなら映像で。すくなくとも枝肉としてぶら下がっているシーンくらいはテレビでも見ることもあろう。解体シーンを映像で見るのに心理的抵抗があるなら、まずは本を読む。その意味では、一般向きに書かれたこのルポを読むのがいい。
それにしても、まあよくここまで世界中を、しかも自腹を切って取材し回ったものだと感心する。訪れた国も、牧畜文化圏はほぼ網羅している。もともとバックパッカーであった著者ならではのフットワークの軽さといっていい。
取材対象地として韓国が多いかなという気はするが、「近くて遠い国」は、日本とは違って食肉解体の歴史が長い肉食文化圏、しかも犬肉を食する文化圏であることは考慮にいれるべきだろう。その犬肉のルポも詳細でよい。わたしも犬肉は数回食べたことがある。
牧畜文化圏といえば、ユーラシア大陸のほぼ全域に分布している。本書で取り上げられているモンゴル、エジプトを含んだイスラーム世界、インド、そして中欧のチェコもまた。モンゴルとイスラーム世界は羊、チェコはブタの世界である。そういえばチェコはビールが旨いが、肉料理ばっかりだったなと思い出した。
わたし自身は、チベットの高地で羊の解体作業を目撃したことがある。腹を割いたばかりの羊からは血に染まった内蔵が丸見えであるが、それはさておき、冷たい外気のなかでは羊から湯気が立っていたことが印象にのこっている。たいへん貴重な経験であった。
基本的にモンゴルもチベット文明圏であるので、似たようなものだろう。モンゴルにはまだいったことがないのが残念だが・・・。
面白いのはマジョリティがブタは禁止のイスラーム圏であっても、マイノリティのためのブタの食肉解体はムスリムによって行われているという現実だ。こういうことは、わたしもこの本を読むまでまったく知らなかった。
そしてその他のアジアでは、バリ島に沖縄。ともにブタ食文化圏である。伝統的な共同体の力の強い地域でもある。バリ島におけるブタの丸焼きの描写や、沖縄におけるブタとヤギについての記述も興味深い。韓国もまたブタ文化圏である。
このほか、日本の芝浦屠場(とば)のルポが詳細をきわめている。時間をかけてじっくりと人間関係を構築したうえで、いろんな話を聞き出すことに成功している。内部関係者ではなく、外部のライターである以上、それは必要な取材プロセスといえるだろう。
もっとも東京の芝浦に立地しているので、コトバの問題も含めて取材費の制約にあまりとらわれることはない。地の利というやつだ。
内部体験者の記録である作家・佐川光晴氏の『牛を屠る』と読み比べてみると有意義だろう。機械化の進んだ芝浦と、佐川氏が勤務していた頃の大宮とではかなり異なることは、佐川氏自身が『世界屠畜紀行』を読んだ感想を『牛を屠る』に書いている。
最後に著者は、いままで避けてきたアメリカに取材を行っている。時まさに狂牛病(BSE)が猖獗していた頃の話である。芝浦の記述を読んでからアメリカの状況を知ると、日本サイドの要求がかなりムリのある話であることもわかる。もちろん、アメリカの状況を是認するつもりはないが、事実は事実として捉えることも必要だろう。
著者は、もっと取材をしたかったと書いているが、分量的にも取材費の関係からも断念したようだ。やたら「ウチザワ」という形で本人の感想やコメントが入るのがうっとおしいと思う人もいるかもしれないが、「自分語り系ノンフィクション作品」として割り切って読めばいい。
そもそもルポやノンフィクションは執筆者の主観抜きではあり得ないものだし、事実関係に間違いさえなければ主観的な感想やコメントに問題はない。取材と執筆を行うモチベーションは、まずなによりも個人の好奇心から出発するものである。この姿勢に共感するにせよ共感しないにせよ、ここまで歩き尽くし、観察し尽くし、食べ尽くし、書き尽くしたノンフィクション作品はなかなかない。
肉を食べる人であるなら、読んで損のない大冊である。一気に読める内容だから安心して読み始めるといい。
目 次
まえがき
第1章 韓国: カラクトン市場の屠畜場/マジャンドンで働く/差別はあるのかないのか
第2章 バリ島: 憧れの豚の丸焼き/満月の寺院でみた生贄牛
第3章 エジプト: カイロのラクダ屠畜/ギザの大家族、羊を捌く
第4章 イスラム世界: イスラム教徒と犠牲祭
第5章 チェコ: 屠畜と動物愛護/ザビヤチカ・豊穣の肉祭り
第6章 モンゴル: 草原に囲まれて/モンゴル仏教と屠畜
第7章 韓国の犬肉: Dr.ドッグミートの挑戦
第8章 豚の屠畜 東京・芝浦屠場: 肉は作られる/ラインに乗ってずんずん進め/それぞれの職人気質/すご腕の仕事師世界
第9章 沖縄: ヤギの魔力に魅せられて/海でつながる食肉文化
第10章 豚の内臓・頭 東京・芝浦屠場: 豚の内臓と頭
第11章 革鞣し 東京・墨田: 革鞣しは1日にしてならず
第12章 動物の立場から: おサルの気持ち?
第13章 牛の屠畜 東京・芝浦屠場: 超高級和牛肉、芝浦に結集/枝肉ができるまで/BSE検査と屠畜
第14章 牛の内臓・頭 東京・芝浦屠場: 内臓業者の朝
第15章 インド: ヒンドゥー教徒と犠牲祭/さまよえる屠畜場
第16章 アメリカ: 屠畜場ブルース/ 資本主義と牛肉
終章 屠畜紀行その後
あとがき/主要参考文献一覧
著者プロフィール
内澤旬子(うちざわ・じゅんこ)
1967年東京都生まれ。ルポライター、イラストレーター、装丁家。緻密な画風と旺盛な行動力を持つ。異文化、建築、書籍、屠畜などをテーマに、日本各地・世界各国の図書館、印刷所、トイレなどのさまざまな「現場」を取材し、イラストと文章で見せる手法に独自の観察眼が光る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<関連サイト>
クジラを食べ続けることはできるのか 千葉の捕鯨基地で見た日本人と鯨食の特別な関係(連載「食のニッポン探訪」)(樋口直哉、ダイヤモンドオンライン、2014年9月3日)
・・日本人は家畜の解体には違和感を感じても、マグロやクジラの解体には違和感を感じないのは「文化」によるものであり、「慣れ」の問題でもあろう。【動画】外房捕鯨株式会社 鯨の解体 は必見!
(2014年9月3日 情報追加)
<ブログ内関連記事>
「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・ You're what you eat ! シュタイナーはすでに狂牛病について予言していた
書評 『牛を屠る』(佐川光晴、双葉文庫、2014 単行本初版 2009)-「知られざる」世界を内側から描いて、働くということの意味を語った自分史的体験記
書評 『食べてはいけない!(地球のカタチ)』(森枝卓士、白水社、2007)-「食文化」の観点からみた「食べてはいけない!」
・・羊と羊肉について
サッポロビール園の「ジンギスカン」を船橋で堪能する-ジンギスカンの起源は中国回族の清真料理!?
「馬」年には「馬」肉をナマで食べる-ナマ肉バッシングの風潮のなか、せめて「馬刺し」くらい食わせてくれ!
固有の「食文化」を守れ!-NHKクロースアップ現代で2012年6月6日放送の 「"牛レバ刺し全面禁止" の波紋」を見て思うこと
書評 『イルカを食べちゃダメですか?-科学者の追い込み漁体験記』(関口雄祐、光文社新書、2010) ・・食文化は地方(ローカル)の固有文化である!
書評 『鉄砲を手放さなかった百姓たち-刀狩りから幕末まで-』(武井弘一、朝日選書、2010)-江戸時代の農民は獣駆除のため武士よりも鉄砲を多く所有していた!
・・「猟師だけでなく農民もまた獲物は食べていたようだ。明治になるまで肉食はなかったというのも、どうやらあやしくなってくる。もちろん、獲物がとれない限り、肉をクチにすることはなかったであろうが」
書評 『ぼくは猟師になった』(千松信也、リトルモア、2008)-「自給自足」を目指す「猟師」という生き方は究極のアウトドアライフ
・・こちらはいわゆる「ジビエ」(gibier)の世界
『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る
・・こちらは動物としての人体解剖
アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで!
・・アンクル・サムの本名はサミュエル・ウィルソン、精肉業者(meat packer)であった
(2015年7月1日 情報追加)
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