『新・台湾の主張』(李登輝、PHP新書、2015)は、現在 92歳の元中華民国(=台湾)総統が語る自分史としての台湾近現代史を踏まえた日本語読者へのメッセージである。
それは必然的に「台湾近代化」への日本の貢献と、総統として実現に尽くした「台湾民主化」について語ることになる。そしてその「民主化」が現在第二段階にあることも。
李登輝氏についてはとくに説明する必要はないだろう。日本の植民地時代に自己形成した「日本語世代」で、民主化後の台湾の数々の危機を乗り越えてきた学者出身の政治家である。現在92歳の李登輝氏は、現在91歳のシンガポールの哲人政治家リー・クワンユー(李光耀)氏と同じく、客家(はっか)の出身である。
本書では、李登輝氏はみずからの出自については語らず、「新台湾人」というアイデンティティを前面に打ち出している。この点は「シンガポール人アイデンティティ」の確立に成功したリー・クワンユー氏と同じといえよう。アジアでは近代化に成功した数少ない国家であるシンガポールは、華人がマジョリティを占めながらも、国民国家としてのアイデンティティがすでに形成された多民族国家という点では台湾とも共通するものをもっている。
『新・台湾の主張』という本書のタイトルは15年前の著書『台湾の主張』を念頭においたものだという。わたし自身は、1980年代後半の台湾の戒厳令廃止と台湾民主化をリアルタイムで見てきた世代で、李登輝氏の言動はつねに注意してきたが、あえて著書を読むことまではしていなかった。だが、この最新著を読んだのは正解だった。
なぜなら、この『新・台湾の主張』は、まさにタイミング的には最高といえるものだからだ。というのも、2014年に台湾で大ヒットした映画『KANO』(2014年)の2015年1月の日本公開にあわせたような出版となっているからである。本書は『KANO』の話題に始まり、『KANO』の話題で終わる。『KANO』とは、日本の植民地時代に甲子園に初出場して準優勝した台湾南部の嘉義農林の実話をもとにした台湾映画だ。当時は植民地からも甲子園大会に出場していたのだ。
李登輝氏は、台湾人を形成した「日本精神」(リップン・チェンシン)とはなにかをテーマにしたこの映画を見て泣いていたという。「日本精神」とは、日本統治時代の日本人がもっていた「誠実」「勤勉」「奉公」「遵法」などの精神である。
この「日本精神」があってこそ、小国の不屈の精神である「台湾精神」が生まれたのである、と。台湾人のアイデンティティ確認のため、「台湾人こそこの映画を見るべきだ!」と、李登輝氏は映画を見たあと言ったと本書で語っている。
そして『KANO』のプロデューサーをつとめた俳優の魏徳聖(ウェイ・ダーシヨン)氏との対談内容をページを割いて紹介している。魏徳聖氏は、同じく台湾人アイデンティティ模索をテーマとして日本統治時代を扱った『海角七号』(2008年)や『セデック・パレ』(2011年)の監督でもある。
昨年(2014年)、台中サービス貿易協定の締結によって中国に呑み込まれることに断固NO!を主張した「ひまわり学連」の学生たちが23日間にわたって立法院を占拠した際、メッセージを求められた魏徳聖(ウェイ・ダーシヨン)氏は『KANO』を見てくれといい、占拠中の立法院内で無料で特別上映されたという。
魏徳聖(ウェイ・ダーシヨン)氏の発言をここにぜひ引用しておきたい。この発言を本書で紹介しているのは、李登輝氏自身の思いでもあるからだろう。
台湾はほんとうに小さな国なんです。台湾からみれば、日本は大国ではないですか。なぜ日本は台湾を国として公平に扱わないのですか。日本は外国に管理でもされているのですか。かつて日本と台湾は同じ国だった。そして日本人と台湾人は甲子園優勝という同じ目標を抱いたこともあった。そのことをいま、日本人に知ってほしいのです」(P.196)
1969年生まれの魏徳聖氏と、1923年生まれの李登輝氏の思いは台湾人として世代を越えて響きあいシンクロする。そしてこの発言は日本人をも巻き込んでいくことだろう。
台湾の運命は日本の運命でもある。対等の「国家」として、運命共同体であるという認識をもつべきだ。台湾の法的位置づけにかんしてはさまざまな見解があろうが、「実質的に独立国家」であるのであえて独立宣言をする必要もない、という李登輝氏の認識でよいと思う。
日本人はけっして台湾に無関心だったわけではない。日本人は遠慮しすぎていたのだ。「植民地」として支配したという、後ろめたさのような感情をもっていたのかもしれない。だが、映画『KANO』の日本公開以後の日本人は、もうおおっぴらに語っていいのではないか。台湾こそ日本にとってもっとも大事な国なのだ、と。
日本人はけっして台湾に無関心だったわけではない。日本人は遠慮しすぎていたのだ。「植民地」として支配したという、後ろめたさのような感情をもっていたのかもしれない。だが、映画『KANO』の日本公開以後の日本人は、もうおおっぴらに語っていいのではないか。台湾こそ日本にとってもっとも大事な国なのだ、と。
地政学的条件から大国に翻弄される台湾という小国の運命。台湾は海洋国家であり、日本もまた海洋国家である。ともに大陸国家でもなく、半島国家でもない。歴史的な経緯だけでなく、地政学的な条件の違いもまた大きい。海洋国家どうしの気質が合うのかもしれない。日本もまたきわめて長い時間にわたってさまざまな民族が融合してできあがったハイブリッドである。台湾は、まさにそのプロセスの渦中にある。アイデンティティ摸索の渦中にいるのだ。
台湾の運命は日本の運命でもある。台湾と日本は、ある意味では運命共同体なのである。激動する東アジア情勢のなかでいかにサバイバルしていくか、その課題は共通しているのである。だからこそ、問題意識は共有しなくてはならないのである。
本書は、台湾と日本の未来に向けての熱いメッセージでもある。日本人なら、しかと受け止めるべきではないか!
目 次
はじめに
李登輝・関連年表
第1章 日本精神に学ぶ
映画『KANO』のこと
台湾近代化の基礎を築いた後藤新平
新渡戸稲造による製糖業発展の基本方針
「嘉南大・・」の父、八田與一(はった・よいち)
日本はなぜ台湾を捨てたのか
匪賊から逃げなかった日本語教師たち
日本統治下の台湾人の政治運動
自我意識に苦しんだ少年時代
旧制台北高等学校に進学私の生き方に影響を与えた本
「武士道」-日本人の精神の道徳規範
「決戦下の学徒として」陸軍に志願
海軍特別志願兵の兄が私に遺した言葉
青島で初めて中国人の姿をみる
東京大空襲で奮闘
戦死から62年後、靖国神社で兄と再会
日本は英霊の魂をもっと大切にすべき
近代日本が失敗した原因
新渡戸稲造と後藤新平に学んだ信仰と信念の大切さ
第2章 台湾民主化への道
第3章 新台湾人の時代へ
第4章 日本と台湾の国防論
日本の集団的自衛権行使を歓迎する
なぜ人類は戦争を繰り返すのか-トルストイの箴言
グローバル資本主義が招く戦争の危機
武力の必要性
台湾の地政学的重要性
残念な日本の姿勢
日台間に領土問題は存在しない
日本の最大の課題は憲法改正
「失われた二十年」の原因
まやかしの「北京コンセンサス」
日本の「専業主婦願望」は意外
女性の活用は台湾に学べ
東日本大震災での痛恨事
あまりに嘆かわしい日本政府の対応
「台湾は中国の一部」がいかに暴論か
台湾人が感動した安倍首相の「友人」発言
「台湾加油」「日本加油」
学生の行動力に感心している
日台の絆は永遠に
あとがきに代えて
参考文献
著者プロフィール
李登輝(り・とうき)
1923年、台湾・淡水郡生まれ。元台湾総統。農業経済学者。米国コーネル大学農業経済学博士。拓殖大学名誉博士。旧制台北高等学校を卒業後、京都帝国大学農学部に進学。1943年、日本陸軍に入隊。終戦後、台湾大学農学部に編入学。台湾大学講師、米国留学などを経て、台湾大学教授に就任。1971年、国民党に入党。1972年、行政院政務委員として入閣。台北市長、台湾省政府主席、副総統を歴任。88年、蒋経国総統の死去にともない、総統に就任。1990年の総統選挙、1996年の台湾初の総統直接選挙で選出され、総統を12年務め、台湾の民主化を実現(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<関連サイト>
戦後70年特別企画 遺言 日本の未来へ 【李登輝】「大切なことは『武士道』にある」 台湾民主化の父を支えた日本の道徳 (日経ビジネスオンライン、2015年7月29日)
台湾地震で恩返しの応酬を繰り返す日本と台湾、政治利用を目論む中国(メルマガ 『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』、2016年2月12日)
・・「今回の台湾南部の地震では、日本から再び恩返しの支援が届きました。こうして日本と台湾がお互いに恩返しの応酬を繰り返していることは、惨事のショックにある台湾人にとって、大いに慰められることだと思います。やはり日台は「一蓮托生」の関係であると痛感します。」
(2015年7月29日 項目新設)
(2016年2月12日 情報追加)
<ブログ内関連記事>
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