映画『ミルカ』(2013年、インド)をTOHOシネマズ日比谷で見てきた(2015年2月4日)。この映画にはほんとうに感動した。余計なコメントなど必要ないくらいの感動大作だ。
英国の植民地だったインドでは、クリケットやポロという球技がスポーツの中心というイメージがある。だが、400メートル走という個人競技で、メルボルン(1956年)とローマ(1960年)の二度のオリンピッックにも出場したトップアスリートがいたことは、この映画の存在を知るまでまったく知らなかった。
原題は Bhaag Milkha Bhaag(=『走れミルカ、走れ!』)。153分のヒンディー語映画。映画大国インドの、いわゆるボリウッド映画である。
主人公は、国民的スポーツヒーローであったミルカ・シン(1935年生まれ)。実人生の実話をもとにした映画である。ミルカは、獅子(=ライオン)を意味するシン(Singh)という名字でわかるようにシク教徒。シク教は、インド世界の二大宗教であるヒンドゥー教とイスラームを平和的に融合させようとして成立した宗教である。言い換えれば、インドの二大宗教の架け橋的存在でもある。
シク教徒の男性は、長髪を丸髷に結うことが宗教上の義務となっている。正装する際にはターバンを巻く。ミルカはスタート前に、手を合わせて神に祈り、シク教の創始者のグル・ナーナクに祈りを捧げる。「走る聖者」とか、飛ぶような走りを形容して「空飛ぶシク教徒」(The Flying Sikh)とよばれていたのだそうだ。
(インド版ポスター)
シク教徒のコミュニティに生まれて幸せな少年時代を送っていたミルカは、大英帝国からのインド独立で人生が暗転する。それは1947年、ミルカ12歳のときであった。
独立じたいはインド人の悲願であったのだが、残念なことにヒンドゥー教徒が主体のインドと、イスラーム教徒が主体のパキスタンという形での「分離独立」となってしまう。ヒンドゥー教徒のガンディーがヒンドゥー至上主義者に暗殺されただけでなく、ミルカもその一人であったシク教徒のコミュニティにも悲劇がもたらされたのであった。
なぜなら、シク教徒の多いパンジャーブ地方は、インドとパキスタンの国境地帯にあり、現在のパキスタンにあったミルカの一族は立ち退きを拒否して戦うことを選択したために皆殺しにされ、生き残ったミルカとその姉は難民となってインド側に命からがら逃れることになったのである。自分の目の前で家族が惨殺されるという残酷な体験がトラウマとなり、ときにフラッシュバック現象となってミルカの人生を苦しめつづけることになる。
(シク教徒の多いパンジャーブ地方 『シーク教の世界』(帝国書院、1988)より)
難民となった少年ミルカは、敗戦後の日本国民がそうであったように、生きのびるために盗みやかっぱらいなどで手腕を発揮する。一言でいってしまえばゴロツキである。「兄貴」としての存在感をもっていたが、ひと目惚れした美少女のために真人間になることを誓って足を洗い、最終的には19歳で新制インド陸軍に入隊することになる。
そこで出会ったのが陸上競技であり、厳しくて愛情あふれる同じシク教徒のコーチでもあった。まさにその出会いから人生が変わっていったのである。ミルカのつぎの世代になる日本人マラソンランナー円谷幸吉(つぶらや・こうきち)もまた自衛隊員であったことを想起する。選手として選出されれば軍務から解放されるのだ。
ミルカはランナーとしてインド代表になる夢をイメージとして心に焼き付け、世界最高記録を出すために、あらたなコーチのもとで過酷なトレーニングに耐え抜く。そしてインド陸上競技会のトップに躍り出ることになる・・・。
(原作のミルカの自叙伝はインドのベストセラー)
という内容であれば、過酷な前半生をもったトップアスリートのサクセスストーリーを描いたヒューマンドラマということになるのだが、そこはなんといてもボリウッド映画!
シリアスなヒューマンドラマ一本槍の映画と思いきや、映画がはじまってからしばらくたって始まったのは歌ありダンスありのシーン。歌とダンスのないボリウッド映画など存在しないのである。その後は、全編にわたって歌とダンスのシーンが挿入され、喜怒哀楽は役者の演技だけでなく、パンジャーブ地方のバングラ・ビートをつうじて全身で表現されるのだ。
感動で涙した瞬間、つぎの瞬間にくるのは笑い。トップアスリートの栄光と挫折に、いったいなんど涙がこみ上げてきたことか。ほんと喜怒哀楽てんこ盛りの映画である。まさに映画大国インドのボリウッド映画。人間くさい等身大の主人公がまた、映画を見る者を共感で捉えて離さない。
こういった感想をコトバだけで表現するのは絶対に不可能だ。ぜひ映画館に足を運んで、この生きたインド現代史そのものである主人公の実人生をもとにした感動大作を体験してほしい。そして思いっきり涙してほしい。間違いなく泣ける名作だから。
『ミルカ』日本版公式サイト
Bhaag Milkha Bhaag official trailer (公式トレーラー 英語字幕つき)
■ボリウッド映画(=インド映画)
ボリウッドのクリケット映画 Dil Bole Hadippa ! (2009年、インド)-クリケットを知らずして英国も英連邦も理解できない!
ボリウッド映画 『ロボット』(2010年、インド)の 3時間完全版を見てきた-ハリウッド映画がバカバカしく見えてくる桁外れの快作だ!
ボリウッド映画 『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(インド、2007)を見てきた
■近代スポーツ
「近代スポーツ」からみた英国と英連邦-スポーツを広い文脈のなかで捉えてみよう!
■シク教などインドの宗教事情
書評 『インド 宗教の坩堝(るつぼ)』(武藤友治、勉誠出版、2005)-戦後インドについての「生き字引的」存在が宗教を軸に描く「分断と統一のインド」
タイのあれこれ(17) ヒンドゥー教の神々とタイのインド系市民
・・バンコクにはパンジャーブ地方出身のシク教徒が多い
書評 『世界を動かす聖者たち-グローバル時代のカリスマ-』(井田克征、平凡社新書、2014)-現代インドを中心とする南アジアの「聖者」たちに「宗教復興」の具体的な姿を読み取る
書評 『必生(ひっせい) 闘う仏教』(佐々井秀嶺、集英社新書、2010)
・・インド社会の底流にあるどす黒い現実に目を向けるという意味でも必読書
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド
・・コルコタ(=カルカッタ)で布教に邁進するカトリック修道会
■インド文明とインド文化
梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・インド世界と中東という「中洋」の発見
「ナマステ・インディア2010」(代々木公園)にいってきた & 東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")見学記
インド神話のハヤグリーヴァ(馬頭) が大乗仏教に取り入れられて馬頭観音となった
■インド社会の問題
書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察
書評 『必生(ひっせい) 闘う仏教』(佐々井秀嶺、集英社新書、2010)
・・インド社会の底流にあるどす黒い現実に目を向けるという意味でも必読書
書評 『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中島岳志、中公新書ラクレ、2002)-フィールドワークによる現代インドの「草の根ナショナリズム」調査の記録
■難民問題
ハンガリー難民であった、スイスのフランス語作家アゴタ・クリストフのこと
・・1956年のハンガリー革命でスイスに難民として亡命した作家
『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版,2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する
書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える
(2015年2月13日 情報追加)
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