本日(5月3日)は憲法記念日。毎年この日のニュースは「護憲」か「改憲」かという決まり切ったものが多いが、ここ数年は「憲法改正」に向けてのニュースが増えてきているので、憲法記念日の当日ではなくても国民の関心がだんだん高まりつつあるのを感じる。
冒頭に掲載した写真は、東京・竹橋の国立公文書館で公開された「日本国憲法」の「原本」。この時点ですでに華族は男爵・幣原喜重郎外務大臣ただ一人になっている点に注目しておきたい。欽定憲法である「大日本帝国憲法」とのきわめて大きな違いである。
1925年(大正14年)に実現した「普通選挙法」によって、すでに国会議員の大半は平民が中心になっていたのである。民主主義は、敗戦の結果アメリカ占領軍によって与えられたというのは左派による歴史の歪曲である。
制約条件がきわめて大きかったものの、日本は戦時下においても二院制による議会制民主主義であった。戦時下が暗黒時代になったのは、「普通選挙法」と抱き合わせで施行された「治安維持法」が、1941年(昭和16年)に全部改正によって改悪されたためである。
「日本国憲法」はアメリカが作ったものだという主張もあるが、これはかならずしも正しくはない。明治時代前期の「自由民権運動」の流れも入っているのである。自由民権運動の歴史は、自国の日本近代史のきわめて重要な事項として、きちんと踏まえておかねばならない。なにもないところに日本国憲法と民主主義が生まれたのではない。
ことし2015年は「戦後70年」であるが、1947年(昭和22年)に「日本国憲法」が施行されてからことしで68年もたっている。憲法は法律である以上デジューレ(de jure)であるが、すでに68年間も大多数の日本国民が受け入れてきたのであるから、たとえそれがアメリカ占領軍の支配下に制定されたものであっても、デファクト(de facto)であるともいってよいだろう。
とはいえ、「改正」とまでは言わなくても、どう考えても「チューニング」は必要だろう。日本国をめぐる国際情勢は劇的に変化しているし、日本国内の社会情勢も大きく変化しているからだ。「護憲」か「改憲」かという議論は不毛である。
ただし、主権在民(=国民主権)という大原則と、憲法は政府の暴走を防ぐために国民がつくるものという原則をまげることなく、改正を実現したいものだ。
そのためには、国民的議論が必要である。まだまだ国民的議論が足りないので、憲法改正に拙速は禁物だ。だが、議論は活発化する必要はある。憲法に関心をもつことは国民の義務であると強調しておきたい。
わたしは基本的に「憲法改正」に賛成である。現行憲法を時代の変化にあわせてチューニングするという意味において。もちろん、そのなかには憲法9条改正も含まれる。
日本国憲法(日本語全文) (法務省)
THE CONSTITUTION OF JAPAN (首相官邸)
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(2015年5月5日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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