映画 『サウルの息子』(2015年、ハンガリー・ドイツ)を見てきた(2016年1月28日)。東京・有楽町のヒューマントラストシネマにて。
ナチスの絶滅収容所アウシュヴィッツ=ビルケナウを舞台にしたヒューマンドラマである。ハンガリー人の無名の新人監督が、いきなりカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したということが日本公開前に紹介されていたことも、観客に足を運ばせる動機のひとつになるだろう。
だが、ヒューマンドラマとはいったが、けっして心温まる映画という意味ではない。極限の不条理な状況で、究極の選択を迫られる主人公の最後の数日間を描いた作品だ。英語タイトルは Son of Saul、ハンガリー語では Saul fia である。
主人公サウルは、ハンガリー系ユダヤ人。音声ではサウルではなくシャウルと聞こえるのはハンガリー語のためか。絶滅収容所内部で特殊な仕事をさせられているゾンダーコマンドの一人である。ゾンダーコマンド(Sonderkommando)というドイツ語は「特殊任務」を意味する。
特殊任務の内容とは、収容所のナチス親衛隊SS将校たちの指揮のもと、同胞のユダヤ人たちをガス室に送り込み、遺体を焼却炉で焼き、遺灰を川に捨てるという作業である。断末魔の苦しみの声を聞き、死臭を嗅ぎ、所持品を奪い取るという、きわめて非人間的な行為である。収容所のドイツ人は自ら手を汚さずに、汚れ仕事をユダヤ人に押し付けていたのだ。
主人公の母語はハンガリー語で字幕がつくが、収容所内で聞こえてくる汚い響きのドイツ語には字幕はつかない。収容所の管理者たちの話すコトバは、ノイズに過ぎないと示唆しているかのように。
しかし、かれらゾンダーコマンドたちも、いずれは「最終処理」される運命にある。八方ふさがりで脱出不可能な生き地獄であることに変わりはない。
(英語版ポスター)
主人公がある日、収容所内で息子とおぼしき遺体を偶然目にしたことからこの物語は始まる。
ユダヤ教の儀式にのっとり葬りたいと思いながらも、収容所内にはユダヤ教指導者のラビがいないため、それが可能とならない。ユダヤ教では火葬が禁じられているためだ。収容所内では有無をいわず焼却炉に送られてしまう。
危険を冒しながら収容所内を奔走してラビを探す主人公の数日間。主人公にとって、息子をユダヤ教の儀式に従って葬るというただ一点に執着することが、生き地獄のなかで「人間性」を維持するためには必要だったのだ。そしてそれが主人公に生きるチカラを与える。
しかも、収容所内ではゾンダーコマンドの有志たちによる脱走計画が進行していた。虫けらのように殺されていくのを甘受するのではなく、強い意志をもって同志として行動を起こすこともまた、生き地獄のなかで「人間性」を維持するための戦いでもあった。
主人公もまた、脱走計画の一員として任務を遂行していたのであったが・・・・。
(ハンガリー語版ポスター)
主人公の視点で動くカメラワークを追いながらの107分はあっという間に過ぎてしまう。けっして内面には踏み込まないのだが、主人公の行動そのものに意味があるのだ。見終わったあとも、一言で片付けてしまうことのできない感じを抱き続けることになる。
どこまで実話にもとづくのかわからないが、極限の不条理な状況に追い込まれた人間が、はたして人間性を維持できるのかという究極の問いを考える材料にはなるのではないか。
結末は、もちろん、ハッピーエンドではない。それを前提に見るべき映画である。
PS その後、この映画の監督が参照しているであろう 『私はガス室の「特殊任務」をしていた-知られざるアウシュヴィッツの悪夢-』(シュロモ・ヴェネツィア、鳥取絹子訳、河出書房新社、2008)を読んでブログに書評として書いてみた。この本を読むと、背景にかんしては事実を踏まえたものであることがわかる。ただし、主人公が実在の人物かどうかはわからない。映画化されていない事実も「特殊任務」生き残りの体験者の証言として文字化されているので、ぜひ読むことをすすめたい。(2016年2月13日 記す)。
PS2 映画 『サウルの息子』(2015年、ハンガリー)が第88回アカデミー賞外国語映画賞受賞! (2016年2月29日 記す)
<関連サイト>
映画 『サウルの息子』公式サイト(日本版)
映画『サウルの息子』予告編(シネマトゥデイ)
<ブログ内関連記事>
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・・アウシュヴィッツから生還したイタリア系ユダヤ人の作家は、最後は自殺してしまう。それほどのトラウマであった収容所体験
『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・『ユダヤ教の本質』の著者であったラビもまた収容所に送られていた
書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」
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