つねづね疑問に思っているのだが、ほんとうにアメリカは衰退しているのだろうか? 「衰退論」というのは「ためにする議論」であり、「願望」に過ぎないのではないか、と。
現在でも全世界に空母部隊を展開できる圧倒的な軍事力、それを支えるGDP規模世界一の経済力、そして米ドルという基軸通貨などを考えれば、依然としてアメリカの存在は圧倒的だ。しかもシェールガス革命によってエネルギー自給も可能となった。
たしかに中国が台頭し、その他インドも含めた「新興国」の登場がアメリカの絶対的優位性を弱めていることも確かだろう。冷戦崩壊後にスーパーパワーとしての「米国一極化」が実現したが、四半世紀前のそのイメージと比較すれば陰りがみえるのも、当然と言えば当然だろう。
そんなことを考えているなか、『沈まぬアメリカ-拡散するソフトパワーとその真価-』(渡辺靖、新潮社、2015)という本の存在を知って、さっそく読んでみた。なによりもタイトルに惹かれたからである。
■「ソフトパワー」をつうじて影響力を行使しつづけるアメリカ
そう、衰退論に欠けているのはソフトパワーという視点なのだ。軍事力というハードパワーだけでなく、ソフトパワーという視点をもたないと見誤るのである。一国のパワーはハードパワーとソフトパワーに区分して考えるべきだと主張したのは、たしか米国の政治学者ジョゼフ・ナイだったと思うが、きわめて重要なポイントだといえる。
文化人類学者でアメリカ研究を専門とする著者が取り上げているのは、ハーバード―大学、リベラル・アーツ、ウォルマート、メガチャーチ、 セサミストリート、政治コンサルタント、ロータリークラブ、ヒップホップの8章。
メガチャーチや政治コンサルタントは、いまだ日本文化には浸透していないが(・・今後もないかもしれない)、ヒップホップを「現代アメリカ文化の象徴」としているのは興味深い。ジャズやロックも、かつてその役割を果たしてきた。
アメリカのソフトパワーといえば、上記のほかにハリウッドやディズニーランド、マクドナルド、スターバックス、ベースボール、アマゾン、フェイスブックやツイッターなどのSNSがあるが、あえてこれらの定番はとりあげなかったという。著者があげていないものでいえば、アメリカンフットボールやコカコーラもあげておくべきだろう。
このようにアメリカ発のソフトパワーは列挙するだけでも多岐にわたって枚挙にいとまがない。著者は、文化人類学者としてアメリカだけでなく世界中をフィールドワークして、アメリカのソフトパワーがいかに世界中で受容されているかをつぶさに調べている。
アメリカのソフトパワーは、けっして上流から下流への一方的な流れではなく、それを受容するサイドの取捨選択が働くし、経済性の問題もある。これは日本だけでなく、世界中どこでも同様だ。価値観の異なるはずの中国やイスラーム圏でもアメリカのソフトパワーは部分的に浸透していることに示される。受け入れ側で定着するのはローカーリゼーション、つまり土着化が必要となる。
そして、世界に拡散したアメリカのソフトパワーは、それがすでにアメリカ起源だと意識されなくなっても依然として大きな影響を与え続けている。世界中でその土地のローカル文化に浸透しており、ことさらアメリカというイメージで飛びつくわけでもない。それが「拡散」という意味であるが、さらにいえローカルでカスタマイズされた文化がアメリカに逆輸入されるという「逆流」もある。
「帝国」であるとは、文化という側面でいえば、支配地域の文化を取り入れて自らも変化することだ、という捉え方がある。「逆流」とはその流れである。まさにこの動きによって「アメリカ帝国」は成熟期に入っているといえるかもしれない。
ピーク(=絶頂)は過ぎて「衰退」期に入っているとはいえ、滅亡まではまだほど遠い。大英帝国も同様のプロセスをたどった。ローマ帝国もまたそうだったではないか。
■「アメリカ衰退論」は20年ごとに繰り返される
「アメリカ衰退論」は、著者によれば20年に一回は繰り返されてきたという。たしかに言われてみればそのとおりだ。
今回の2008年のリーマンショック後の「衰退論」は、ハードパワーにかんしては相対的な意味ではそうかもしれないが、ソフトパワーにかんしては明らかに異なる、と結論していいかもしれない。もちろん、アメリカ国内には格差問題が存在するのではあるが、格差問題にかんしては日本もまたひどいものがある。
やはり、「アメリカ衰退論」というのは「ためにする議論」であり「願望」に過ぎないのではないか、と言っても言い過ぎではないだろう。いわゆるポジショントークのたぐいである。過去なんども衰退論が声高に語られていたことを思い出すが、そのたびにアメリカは復活し、しかも日本をぶっちぎりで驀進さえしてきたではないか。
米国一極中心の世界が終わったのは、米国のパワーが衰えたからというよりも、インターネット時代の「非国家アクター」の存在が急速に増大化し、拡散しつつあるからだ。その結果、米国もそのアクターの一つにしか過ぎない存在となってしまったのである。
なにごとも、世の中の論調だけで判断せず、実感を大事にして、自分のアタマで考えることが重要だ。参照軸としてのトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』からの引用も適切だ。フランス貴族のトクヴィルもまた、自分で観察し、実感を大事にして自分のアタマで考えた人だ。
「アメリカ衰退論」に疑問をもつすべての人に勧めたい。
目 次
はじめに-衰退か、それとも拡張か
第1章 ハーバード-アメリカ型高等教育の完成
ハーバードの神話
ハーバードとは何だったのか
リベラル・アーツ教育
反知性主義と「アメリカ型高等教育」
第2章 リベラル・アーツ-アメリカ型高等教育の拡張
中東のニューヨーク
アブダビにとっての「アメリカ」
東アジアの新興国へ
理念の拡張か、妥協か
「アメリカ型高等教育」のレガシー
第3章 ウォルマート-「道徳的ポピュリズム」の功罪
ウォルマートの「聖地」
スモールタウンの経営哲学
「ウォルマート・ネーション」
ウォルマートの南部性
ウォルマーティゼーション
道徳的ポピュリズム
第4章 メガチャーチ-越境するキリスト教保守主義
「ウガンダへのクリスマス・ギフト」
「神様はウガンダを愛する」
Cストリート
したたかなダブルスタンダード
ワトト教会
アメリカのジレンマ
シンガポールのメガチャーチ
拡散する信仰のOS
第5章 セサミストリート-しなやかなグローバリゼーション
"セサミストリート" はどこにある?
革新的な制作手法
リベラルマインドの結晶
綿密なローカライゼーション
その理念は日本にも届いたのか
文化外交のツールとして
中国化するセサミストリート
第6章 政治コンサルタント-暗雲のアメリカ型民主主義
政治のビジネス化の幕開け
「信条よりもビジネス」
越境するアメリカの政治手法
色褪せるアメリカン・デモクラシー
第7章 ロータリークラブ-奉仕という名のソフト・パワー
奉仕のクラブ
日本人も会長に
第二次世界大戦後の躍進
世界的展開とその限界
奉仕大国・アメリカ
ミドルクラスが担う世界
第8章 ヒップホップ-現代アメリカ文化の象徴
セジウィック・アベニュー1520番地
現代アメリカ文化の顔へ
ポストモダン的拡張
政治や外交の手段としてのヒップホップ
ヒップホップとアメリカ文化の伝統
終章 もうひとつの「アメリカ後の世界」
地域コミュニティからテーマ・コミュニティへ
アメリカナイゼーションの実態
通底するデモス=市民へのこだわり
マーケットの論理や力学への信頼
アメリカナイゼーション批判の陥穽
私たちは如何なる代替案を持ち得るのか おわりに
おわりに
<ブログ内関連記事>
月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.12 を読む-特集テーマは「The World Ahead」 と 「インド、パキスタン、アフガンを考える」
・・「国際政治の文脈で、いち早く、軍事や産業などの「ハード・パワー」ではない、文化などの「ソフト・パワー」が重要だと主張したナイ教授は、最近は「スマート・パワー」(smart power)概念を打ち出している。・・(中略)・・ まさに文字通り「賢いパワー」として、きわめて強力なものとなるであろう。 ただし、ナイ教授が言うように、パワーは善し悪しや大小で論ずべきものではなく、自らがもてるパワーリソース(=パワーを支える資源)をいかに優れた戦略に結びつけることができるかという方法論で決まってくる。だからこそ、賢いパワーなのである。情報化時代における同盟とネットワークのありかたについても示唆の多い論文である」
・・「インターネット「相互接続権力」は、米国のパワーの相対的な低下を招いた要因としては、新興国の勃興に勝るとも劣らない重要な意味をもつようになっている。 インターネットは、ある意味では米国発の「ソフトパワー」であるが、テクノロジーとしてのインターネットの本質は、政治的には「諸刃の剣」であることに注目する必要がある。テクノロジーそのものは価値中立的なツール(道具)であるからだ」
「世界の英知」をまとめ読み-米国を中心とした世界の英知を 『知の逆転』『知の英断』『知の最先端』『変革の知』に収録されたインタビューで読む
書評 『やっぱりドルは強い』(中北 徹、朝日新書、2013)-「アメリカの衰退」という俗論にまどわされないために、「決済通貨」「媒介通貨」「基軸通貨」「覇権通貨」としての米ドルに注目すべし
・・「アメリカ衰退論」への反証
書評 『無人暗殺機ドローンの誕生』(リチャード・ウィッテル、赤根洋子訳、文藝春秋、2015)-無人機ドローンもまた米軍の軍事技術の民間転用である
・・「技術そのものは価値中立的な存在である。倫理的な問題が発生するのは運用面にかんしてである。そしてまたアメリカという国家の底知れぬチカラもまた感じることができるはずだ。アメリカ衰退論などという与太話を一蹴する内容」
映画 『プロミスト・ランド』(米国、2012)をみてきた(2014年9月8日)-衰退するコミュニティ(=共同体)とプロミスト・ランド(=約束の地)
・・「アメリカ中西部のスモールコミュニティにこそ、大都市にはない本当のアメリカがある。「ハイスクールの体育館で行われるタウンミーティングは民主主義(=デモクラシー)の最小ユニットであり原点でともいうべきものだ。コミュニティのことは、コミュニティで決めるという自治の精神。これが現在でも生きているのがアメリカらしさ」。 1980年代に「アメリカ衰退論」が盛んだった頃のスプリングスティーンの名曲を想起する。バブル経済で快進撃の日本とは、えらく対照的であった。「1980年代のこういった曲を思い出しながら、いまの日本はまさにあの時代のアメリカを後追いしているのだなという感をぬぐうことができない。国全体で減少しつつある人口、消滅する自治体・・・。衰退する日本、である。」
鹿のマークの John Deere (ジョン・ディア)-この看板にアメリカらしいアメリカを感じる
書評 『アップル帝国の正体』(五島直義・森川潤、文藝春秋社、2013)-アップルがつくりあげた最強のビジネスモデルの光と影を「末端」である日本から解明
レンセラー工科大学(RPI : Rensselaer Polytechnic Institute)を卒業して20年
アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで!
・・「アンクル・サム伝説が生まれたのは、1812年の米英戦争(・・第二独立戦争ともいう)がキッカケ」
書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる
「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して米海軍横須賀基地内を見学してきた(2014年6月21日)-旧帝国海軍の「近代化遺産」と「日本におけるアメリカ」をさぐる
・・「アメリカ的なものがすっかり日本に溶け込んでしまった現在、アメリカそのものも色あせてしまったような気がしなくもない。一般庶民レベルでは極端な「反米」が消えたと同時に、「親米」も影が薄くなったような気もする。いまや、「戦後」になってからまもなく70年(!)である。
それだけ、アメリカ的なものが日本に溶け込んで一部になってしまったということだろう。現在の「アメリカナイズされた日本」であるが、もはや自覚症状ないくらいアメリカは自明の存在である。この30年のあいだにはすっかりディズニーランドも日本の定着して日本の一部となっている。ことさら、アメリカ、アメリカという発言をするまでもないくらいなわけだ。」
(2022年12月23日発売の拙著です)
(2022年6月24日発売の拙著です)
(2021年11月19日発売の拙著です)
(2021年10月22日発売の拙著です)
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(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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