先日のことだが、じつに20年ぶりに『氣の確立-中村天風と植芝盛平』(藤平光一、東洋経済新報社、1999)を読んでみた。
藤平光一氏は、すでに故人だが合気道十段(これは最高位)、「氣の研究会」を主催した合気道の達人で、かつ「成功哲学」の中村天風師の後継者を嘱望された人。もろもろの事情があって合気会からは離れた人だが、私も間接的にその教えは体験したことはある。
さすがに達人ともなると違うなあと思ったのは(・・新刊で読んだ20年前のことはあらかた忘れていた)、なにごとに対してもあけすけで率直な姿勢と語り口。ある意味では偶像破壊的ですらあるのは痛快だ。 内弟子として仕えた合氣道開祖の植芝盛平翁に対しても、中村天風師に対しても、直接接して熟知しているそれぞれの人柄について、知られざるエピソードを交えた語りが楽しめる。
植芝盛平も中村天風も「氣の巨人」で「成功哲学の巨人」。そんな二人に直接師事した人は、そう多くはあるまい。それぞれについて、藤平氏は以下のように評しておられる。
合氣道の開祖として知られる植芝先生は、「リラックスする」ということを身体で実行され人だった。私は、それだけで先生は十分に後世に残るだけの価値と意義があると思っている。(・・中略・・)そういう先生に出会えたことは、私にとって何よりの喜びである。
中村天風先生にしても同様だ。天風先生の教えの基本は、「心が身体を動かす」という一点のみにある。逆に言うと、そこに氣づけば十分なのだ。
「心と身体の関係」について、「心身一如」の観点から「心身相関」を生涯かけて実践的に考察し、偉大な功績を後世に残してくれた「氣の巨人」について考えるのは、直接この二人に接したことのない私にとっても、大いに喜びである。
この二人の「氣の巨人」たちの思想は、『自省録』のマルクス・アウレリウスにも通じるものがあると、私は個人的に考えている。
(*注)「氣」は「気」の正字体。私はふだんは使わないが、ほんとうは「合気道」も「合氣道」と表記すべきであることは言うまでもない。
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