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2019年7月5日金曜日

「旧三河島汚水処分場喞筒(しょくとう)場」を見学してきた(2019年7月3日)ー 大正時代初期の「産業遺産」は国の重要文化財


(ポンプ施設につながる地下下水道 筆者撮影)

旧三河島汚水処分場喞筒場を見学してきた(2019年7月3日)。「喞筒」(しょくとう)とは見慣れない漢字だが、水をくみ上げる「ポンプ」のことだ。

旧三河島汚水処分場の代表的遺構として、高い歴史的価値が認められることから、2007年に国の重要文化財(建造物)に指定されている。日本最初の近代下水処理場である。「日本の下水道発祥の地の碑」が立っているのはそのためだ。

大正代初期の「産業遺産」で、高い歴史的価値があるとされたためだ。明治時代のものが多い「産業遺産」のなかでは珍しい。レンガづくりの建築そのものは「セセッション様式」(=分離派様式)とのことだ。近くに寄ってみないと、その意味はよくわからない。


(旧三河島処分場の全景 筆者撮影)

東京市区改正事業の一環として構想され、完成して運用が開始されたのは、いまから約100年前の1922年(大正11年)のことだ。いまから20年前の1999年に現役を引退して、現在では産業遺跡として保存されている。77年間も使用されていたことになる。

(旧三河島処分場は「日本の下水処理発祥の地」 筆者撮影)

旧三河島汚水処分場喞筒場は、東京都台東区の町屋にある。都電荒川線の沿線だ。隅田川の中流域にある。もともとは水田が拡がっていた低湿地帯だったらしい。処分場計画が持ち上がった際、地主は喜んで売却に応じたらしい。まとまった広さの土地が処分できたからだ。 


(もともと湿地帯が開発された水田地帯であった 筆者撮影)

下水道は、近代的な都市生活を送るためには不可欠のインフラだが、道路工事の現場でも、関係者でなければ下水管の内部に入ることはできないのが残念だ。だから、公開施設を見に行くのだ。


(赤線の範囲内が「喞筒(ポンプ)場」施設 リーフレットより)

下水管は自然の勾配(傾斜角)を利用して流れるように設置されているが、あまり地下深くなってしまうと、さらに深く掘削しなくてはならなくなってしまう。そこで、要所要所で下水を地表近くまでくみ上げて、ふたたび地下に向けて流すためのポンプ場を必要とする。旧三河島汚水処分場喞筒場は、下水処理の最終工程に設置されたポンプである。


(ポンプ施設につながる地下下水道 筆者撮影)

この施設のハイライトは言うまでもなく「喞筒」(しょくとう)すなわち「ポンプ」にある。そのポンプを見るためには地下に入ることになる。これは、なかなか得がたい体験だ。ちょっとした探検気分にひたれる。


(圧着を容易にするため穴のあいたレンガ 筆者撮影)

かつては下水が流れていた地下の下水管は、瓦のようなレンガで敷き詰められている。穴があいているのは、圧着が容易になるためらしい。77年間も取り替えることなく使用できたことが、すべてを物語っているといえよう。レンガは、建築材料としては耐久性の高さが評価されている。


(渦巻き状に下水をくみ上げるポンプの下部 筆者撮影)

下水くみ上げポンプそのものについての詳細は省略するが、1922年(大正11年)に完成したこの施設には、阻水扉室、沈砂池などの一連の建造物が旧態を保持しつつまとめて残っている。


(施設の全体像 リーフレットより)


翌年1923年の関東大震災でも倒壊することなく使用され続けた。現在と違って、むかしは建設に重機も使用できなかったにもかかわらず、堅牢な構造物が作られていたわけだ。 

手抜き工事なんてありえない時代の産業遺跡。さすが日本人の仕事はすばらしい!と言いたいところだが、現代日本人は大いに恥じ入らなくてはなりませんね。


世界遺産に登録された富岡製糸場など、明治時代の洋風建築物や工場やインフラ関係の施設は「産業遺産」として脚光を浴びているが、大正時代の「産業遺産」は、まだまだ埋もれているものも多いのではないかな。


ガイド役は、もともと東京都下水道局に勤務されていた方で、前回の東京オリンピック(1964年)に入局されたのだそうだ。当時はまだ首都東京の都区部でも下水道が完全に普及しておらず、街中をくみ取りのバキュームカーが走っていた時代だったのだ(・・いまでも走っている地域は、まだ日本にはあるでしょう)。


(家庭からの下水道設置を呼びかけたポスター 筆者撮影)

「来日する外国人にバキュームカーを見られたくない!」という、きわめて日本人的な恥の意識からだろうか、東京都は下水道敷設にしゃかりきになっていたのだという。そんな話を生き証人から聞くことができた。

下水道が当たり前になった現在、あって当たり前だと、ほとんど誰もが意識しない状態になってしまっているが、下水処理は近代的な生活に欠かせないインフラであることを意識してほしいものだと思う。日本にとって、下水道の普及は「近代化」そのものであったのだ。

「大人の社会見学」の候補として検討してみてはいかがでしょうか。今回は見学時間帯の見学者が私1人だったので、ぜいたくな時間を過ごせたが、もちろんグループでの見学も可能。入場無料だが要予約。見学時間は1時間半。 



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書評 『水運史から世界の水へ』(徳仁親王、NHK出版、2019)-歴史学から世界の水問題へ「文理融合」の実践


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