文化人類学者・山口昌男氏がお亡くなりになった。けさ(2013年3月10日)のことだという。享年81歳。お悔やみを申し上げます。
1981年に大学に入学して以来、山口昌男の著作はいったいどれだけ読んだことだろうか。ほとんど読んでいると思うのだが。あえて羅列することもないと思う。もっとも影響を受けた学者・知識人の一人であった。
当時はまだあった一橋大学小平分館附属図書館の開架式スペースでみつけて読みふけっていたのが、せりか書房から出ていた大型本 『人類学的思考』(1971)の初版である。筑摩書房版では多くの論文が削除されてしまったので、この初版のほうが重要なのだ。かなり戦闘的であった頃の山口昌男である。
『道化の民俗学』や『文化と両義性』といった著作もあるが、わたしはとくに『知の遠近法』(岩波書店、1978)は枕元においていつも読みふけっていた。「地の遠近法を学にたまえ」という一章からつけられたタイトルだが、早いうちにこういう文章を読んでおくとアタマの柔軟性が確保されるものだと、いまになって思うのだ。
このほか、当時は文庫本で簡単に入手できた『本の神話学』(中公文庫、1977) や 『歴史・祝祭・神話』(中公文庫、1978)もなんども読んでは大きな影響を受けたものだ。このほかにも『アフリカの神話的世界』(岩波新書、1971)などフィールドワークから編み出された文化人類学の理論を扱った著作も勉強になった。『二十世紀の知的冒険』(岩波書店、1980)という世界の知性との対談集にも読みふけったものだ。
1980年代の「ニューアカ」(=ニュー・アカデミズム)ブームを牽引した浅田彰や中沢新一の師匠筋にあたるのが山口昌男。さらにその精神的師匠といえば編集者で思想家の林達夫ということになる。そのいずれの著作にも親しんでいたのは、1980年代前半の知的風景であったと思う。バブルがはじまる前のことだ。
そんなこともあって、大学学部の後期課程ではなにを専攻するかにあたっては、歴史学か人類学か言語学にするかおおいに迷っていたのだが、結局は歴史学にすることにしたのは、すでに大学二年の前期ゼミで阿部謹也先生のゼミをとっていたこと、『地の遠近法』に収録されていた中世史のジャック・ルゴフなどのフランスの歴史学者の日本における講演にかんする文章で、「歴史人類学」というカテゴリーを知っていたことも大きいかもしれない。
『地の遠近法』に収録された「第10章 歴史人類学或いは 人類学的歴史学へ-J・ル・ゴフの「歴史学と民族学の現在」をめぐって-」である。後期課程の阿部謹也ゼミナールで講読したのが、このなかでも紹介されているル・ロワ・ラデュリーの『モンタイユ』であったのも、なにかの縁だろうか。もちろん当時は『モンタイユ』の日本語訳はなかったので、ゼミナール参加者はフランス語あるいはそのドイツ語訳で読んだ。
■いまこそ 『「敗者」の思想史』を読むべきだ
岩波書店の編集者で、山口昌男や河合隼雄と「伴走」した大塚信一氏(元社長)は、『山口昌男の手紙-文化人類学者と編集者の四十年-』(トランスビュー、2007)のなかで、『挫折の昭和史』以降の後期の著作については、初期の論争的なものが失われて好事家的だと批判的であるが、わたしはこれから生きていく日本人にとっては、むしろ 『「敗者」の思想史』以降の一連の著作のほうが意味があると考えている。
『「敗者」の思想史』のつぎは『挫折の昭和史』(岩波書店、1995)そして三部作の最後となる『内田魯庵山脈―「失われた日本人」発掘』(晶文社、2001)。そしてこれから派生していった一連の著作。
たとえば、NHKでの放送をもとにした 『知の自由人たち』(NHKライブラリー、1998)、『敗者学のすすめ』(平凡社、2000)、経営者の精神史というありそうでなかった分野に踏み込んだ 『経営者の精神史-近代日本を築いた破天荒な実業家たち-』(ダイヤモンド社、2004)なども面白い。これはわたしがビジネスマンであることも理由の一つであろうが。
その 『敗者学のすすめ』(平凡社、2000)の出版社による紹介文は以下のようになっている。
近代日本の“タテ型社会”からはみ出しもうひとつの道を選んだ維新の敗者たち。歴史の闇に埋もれ、顧みられることのなかった彼ら敗者たちが築いた“知のネットワーク”を山口人類学が鮮やかな手法で掘り起こす。
出発点となったのが、大著 『「敗者」の思想史』(岩波書店、1995)なのである。「精神史」などという文言がタイトルに入っているが敬遠する必要はない。維新の敗者、つまり負け組となった人びとが築き上げたさまざまなネットワークを、埋もれていた古書のなかに求めて再浮上させた試みだと捉えたらいい。歴史人類学の成果である。
出版されたのは1995年、雑誌連載されたのは1991年から1994年にかけて。バブル崩壊で精神的虚脱状態に陥っていた日本人に、オルタナティブな違う生き方がるのだよと指示してくれた本であるといっていいと思う。
この大著は、現在は岩波現代文庫として二冊本となっているので、さらに読みやすくなった。目次を掲載しておこう。
1 明治モダニズム-文化装置としての百貨店の発生(一)
2 近代におけるカルチャー・センターの祖型-文化装置としての百貨店の発生(二)
3 軽く、そして重く生きる術-淡島椿岳・寒月父子の場合(一)
4 明治大正の知的バサラ-淡島椿岳・寒月父子の場合(二)
5 敗者たちの生き方
6 敗者たちへの想像力
7 明治出版界の光と闇―博文館の興亡
8 青い眼をした人形と赤い靴はいてた女の子の行方―日米関係のアルケオロジー
9 二つの自由大学運動と変り者の系譜
10 大正日本の「嘆きの天使」-吉野作造と花園歌子
11 小杉放庵のスポーツ・ネットワーク-大正日本における身体的知
12 「穢い絵」の問題-大正日本の周縁化された画家たち
13 西国の人気者-久保田米せんの明治
14 幕臣の静岡-明治初頭の知的陰影
結びに替えて
主要参考文献
主要人名索引
この本にでてくる人名は、ほとんど知られていないものも多いし、一読しても忘れてしまうものも多々ある。だが、記憶のなかに残る人名もきっとあることだろう。いつの時代でも「負け組」として生きるということは出世街道から下りてしまうことを意味していたが、趣味人として生きるという道もあることなどさまざまな道があったことがわかるのだ。
ことしのNHK大河ドラマは『八重の桜』という、維新の負け組となった会津藩士たちのその後を描いたものだが、『「敗者」の思想史』の「5 敗者たちの生き方」と「6 敗者たちへの想像力」を読めば、新島八重(=山本八重)もさることながら、その兄であった山本覚馬という人が、いかに立派な人であったかがわかるはずだ。
明治になってから旧幕臣や佐幕派の武士たちがキリスト教徒になった者が少なくないのはなぜか、その理由と意味についても「敗者」という視点を入れることで見えてくるものがあるのだ。
戊辰戦争の鳥羽伏見の戦いで薩摩藩の捕虜となった山本覚馬が、首都移転後の京都の再興に大いに貢献したこと、その友人となったキリスト教宣教師の新島襄が同志社設立するに際して京都にもっていた土地を提供したこと、その関係で山本八重が新島襄と結婚したことなども本書に書かれている。
なぜ同志社の歴史のなかで山本覚馬や山本八重が表舞台に登場しないかは、『敗者学のすすめ』(平凡社、2000)を読むといい。そこには熊本バンドとよばれた旧武士階級のキリスト教徒たちが同志社の実権を握ったことによって、会津藩関係者が退けられていったのではないかという推測が書かれている。
旧会津藩士たちは西南戦争に参加することによって薩長に復讐するつもりが、熊本で大暴れしたことによって熊本の人たちのうらみを買ったことになるらしい。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」、である。
わたし自身が、維新の負け組の末裔であるということもあるが、たとえ「負け組」あるいは「敗者」となってもそれで人生のすべたが終るのではないこと、オルタナティブな生き方も可能であることを教えてくれる本なのである。
中心ではなく周縁。あたらしいことやイノベーションはつねに周縁から始まるのである。敗者もまた、周縁に位置する者たちだ。
だからこそ、これからの日本人にとって 『「敗者」の精神史』は読み継がれていくべきだし、その著者である山口昌男氏のことも記憶に残ってほしいと思うのである。
文化人類学者の山口昌男さん死去 日本の知の世界牽引“ニューアカデミズムの祖”(MSN産経 2013年3月10日)
NHK大河ドラマ 『八重の桜』 (公式サイト)
『本の神話学』 と 『歴史・祝祭・神話』が岩波現代文庫から復刊!-「人類学的思考」の実践のために
山口昌男の『道化の民俗学』を読み返す-エープリルフールといえば道化(フール)②
書評 『学問の春-<知と遊び>の10講義-』(山口昌男、平凡社新書、2009)-最後の著作は若い学生たちに直接語りかけた名講義
書評 『河合隼雄-心理療法家の誕生-』(大塚信一、トランスビュー、2009)-メイキング・オブ・河合隼雄、そして新しい時代の「岩波文化人」たち・・・
・・「西洋中世史のゼミナールに属しながらも、自分自身を西洋人にはまったくアイデンティファイできない私は、どちらかというと文化人類学的な思考方法には大きく惹かれていたし、1980年代初頭にいわゆるニューアカ(・・ニューアカデミズムの略称)とよばれた浅田彰や中沢新一の出現を準備したともいえる山口昌男の『知の遠近法』(岩波書店、1979)は、大学一年のときからベッドの枕もとのミニ書棚において、寝る前にしょっちゅう読んでいたものである」・・山口昌男の『知の遠近法』を読みふけっていた当時の回想である
書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相
「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた
・・敗者トロツキーとフリーダ・カーロ
ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇-知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている
・・ヘルメス(=マーキュリー)は山口昌男のトリックスター論の典型
エープリル・フール(四月馬鹿)-フールとは道化のこと
・・山口昌男の『道化の民俗学』を参照
「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた・・敗者と人類学者の関係
書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある
「敗者」としての会津と日本-『流星雨』(津村節子、文春文庫、1993)を読んで会津の歴史を追体験する
Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)
・・「南北戦争」の「敗者」であるアメリカ南部
(2014年2月21日、2016年6月19日 情報追加)
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