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2025年1月9日木曜日

書評『モンゴル帝国 ― 草原のダイナミズムと女たち 』(楊海英、講談社現代新書、2024)― モンゴル人研究者の著者が日本語で書いた「女たちのモンゴル帝国」

 

昨年(2024年)7月に出版されたまま「積ん読」となっていた『モンゴル帝国  ー 草原のダイナミズムと女たち 』(楊海英、講談社現代新書、2024)を読了。  

ドラマのタイトル風にいえば、「女たちのモンゴル帝国」というべき内容。最新の研究動向を踏まえた、歴史学と人類学の融合の成果。モンゴル帝国史にかんする最新の書籍であり、新書本にしては、かなりボリュームのある1冊だ。 

著者の楊海英氏は、中共支配下の内モンゴル(=南モンゴル)に生まれたモンゴル人。日本に帰化して日本名をもっているが、モンゴル名はオーノス・チョクト。中国風の楊海英という著者名は、もっぱら学術用に使用しているペンネームだ。 

そんな「モンゴル人」としての著者が、「当事者」として日本語で書き上げた「モンゴル帝国史」である。無意識レベルの偏見や誤解にもとづく、日本人を含めた外国人による研究への異議申し立てでもある。 

モンゴル史は、学術的には旧ソ連や日本がリードしてきた分野だ。だが、近年では米国をはじめとする英語圏でも活発になっているらしい。ソ連崩壊後に活発している最新の研究動向については、「第1章 遊牧民と女性が世界史をつくった」に詳しい。 

「世界史」は13世紀のモンゴルによるユーラシア大陸制覇から始まるというのは、1992年に『世界史の誕生』と題した著書で発表された、歴史家の岡田英弘氏によるテーゼだが、現在ではすでに「常識」となっていてしかるべきものである(もし、「常識」としていないのなら、すくなくとも歴史家としては恥ずべきことだ)。 

モンゴル帝国成立以前に「世界史」は存在しないのである。存在していたのは、あくまでも現在につながる「人類史」である。

モンゴル帝国が実現させたのは「初期グローバル化」(・・わたしなら「第0次グローバリゼーション」と表現したい)である。ユーラシア大陸を東西に結びつけたことで「世界史」が始まったのである。 


■モンゴル帝国をつくりあげたのは「母親の息子」

その「モンゴル帝国」を一代でつくりあげたのは、モンゴルやテュルクなど、まとまりのない遊牧諸民族をまとめあげた、チンギス・ハーンという空前絶後の傑物であったことは言うまでもない。

逆にいえば、チンギス亡きあとのモンゴル帝国が絶頂を迎えたのちバラバラとなり、あっけなく崩壊に向かったのも、ある意味では当然だというべきかもしれない。

企業経営における創業経営者と同様、傑出した創業者のリーシップもカリスマも、たとえ血がつながっていても継承不可能だからだ。ティトー大統領亡きあとのユーゴスラヴィア崩壊を想起させるものがある。とはいえ、「継承原理としてのチンギスの血脈」は長くユーラシアで生き続けた。 

空前絶後の傑物チンギス・ハーンを育てたのは、モンゴル人女性であった母親だ。それだけではない。大きな役割を果たしたのがチンギス・ハーンの王妃となった妻たちであり、姫である娘たちであった。 

領土的野心の薄い遊牧民ではあるが、男たちが支配領域を拡大し、獲得された領土を女たちが保全する。「性差による役割分担」といってしまえばその通りなのだが、遊牧民の女たちを抜きにモンゴル帝国は成立しえなかったのである。本書は、全編にわたってこの事情が活写されている。 

モンゴル人として生まれ育った著者は、モンゴル人社会における女性について、「母性愛に淵源する遊牧民の精神世界」、「女のいない遊牧民の歴史は成り立たない」、「東西を自由に行き来する女性たち」などのフレーズで表現している。 


同書によれば、相撲界の力士に代表されるように、腕力にかんしては男性に優位性があるにしても、知性という面では女性に優位性があるようだ。男女ともに馬に乗れるモンゴル人だが、モンゴル人女性は高学歴志向が高いと書いてあったと記憶している。ウランバートル出身の照ノ富士もまた、モンゴル人の賢妻に支えられているようだ。  

都市部への移住が進んでいる現在のモンゴル国においても、依然としてモンゴル人は遊牧民としての特性を持ち続けているということになる。言い換えれば、女性の存在を抜きにモンゴルを語ることはできないのである。 

そんな女たちがつくった「モンゴル帝国」だが、著者はモンゴル史を通観して、13世紀のチンギス・ハーンによるモンゴル帝国の建設から、14世紀以降のモンゴル帝国崩壊後の15世紀まで描いている。 

西欧が主導した16世紀以降の「第1次グローバリゼーション」によって、モンゴルは世界史の表舞台からは後退していくことになるが、モンゴル帝国が主導した「第0次グローバリゼーション」が「世界史」においてもつ意味についてはいうまでもなく、その存在を支えたものが何であったのか。本書を読むと、それが手に取るようにわかるのである。 

ただし、日本人読者の立場からいえば、中国史でいう「元朝」、モンゴル史でいう「大元ウルス」については、もっと詳しい記述がほしかったところだ。 

遊牧民であるモンゴル人が定住農耕民である漢人を支配した体制、そして隣接する朝鮮半島の高麗人と複雑にからみあう歴史は、遊牧文明と農耕文明とのせめぎ合いと、その末路を示している。 

「蒙古襲来」という形で日本とのかかわりの深かった13世紀から先は、専門研究者ではない一般の日本人にはなじみにくい。記憶に残りにくいカタカナの人名や地名ががつらなり、ズンズン読み進めたいという気持ちになりにくいのは、正直いって仕方ないであろう。


■「王妃マンドハイ以後」のモンゴル史は? 

本書は、モンゴル史において、きわめて大きな役割をはたした15世紀の王妃マンドハイで締めくくられているが、著者による「マンドハイ以後」のモンゴルと遊牧民の歴史については、ぜひまとまった1冊を期待したいところだ。 

というのも、モンゴル帝国の最盛期はさることながら、その後のモンゴル史については、日本語で読めるものは、日本との関係が密接になった以降の近現代史にかんするものしかないからだ。著者が精力的に研究を推進している分野を含めて、先にあげた宮脇淳子氏によるものくらいしかない。

モンゴル人を中心とする「遊牧民の世界観」を明確にするため、『草原の遊牧文明』(財団法人千里文化財団、1998)に掲載されている「モンゴル高原からの視点」と題された、南北を逆転した「逆さ地図」が本書にも必要だったのでないか、とも思う。

『東洋的専制』の著者ウィットフォーゲルが定義する「亜周辺」である日本列島からは、どうしても「中心」となる中国の存在が大きく見えてしまうからだ。ちなみに中国からした「周辺」は朝鮮半島であり、日本海で隔てられた日本列島は「亜周辺」となる。

本書は歴史人類学の成果であって、社会経済史ものではない。したがって、後者にかんする記述が薄いのは仕方がない。

また、ユーラシア大陸西部のジョチ・ウルス(=キプチャク・ハーン国)や、中東のフレグ・ウルス(=イル・ハーン国)についての記述が薄いのも、やや残念なところだ。大学学部時代に西洋中世史を専攻したわたしは、モンゴル帝国の西側への関心がつよいから。

モンゴル帝国を構成していたこれらのハーン国は、現在のロシアやイランを知るために不可欠である。従来は、それぞれロシア史と中東史の一部として扱われてきたが、当然のことながら今後は「西欧中心史観」や「中華史観」だけでなく、「ロシア中心史観」などからの「脱構築」も必要となる。
 
ユーラシア大陸を東からの進出で陸路で東西を結び、はじめて「世界史」を誕生させた「モンゴル帝国」については、わたしとしても腰を据えて取り組まなくてはいけないなと、本書を読んで、あらためて痛感している。


(画像をクリック!)


目 次
第1章 遊牧民と女性が世界史をつくった 
第2章 チンギス・ハーンと四つの宮帳(オルド) 
第3章 国母ウゲルンとボルテ后 
第4章 キリスト教徒の姫君と遊牧社会 
第5章 帝国のために、名誉のために 
第6章 ハラ・ホリムとオゴダイ・ハーンの宮廷 
第7章 二人の孤独な女 
第8章 ソルカクタニ・ベキとその息子たち 
第9章 大都に交錯する光と血 
第10章 高麗の虹 
第11章 ユーラシア大再編のなかで 
第12章 マンドハイ妃の物語 
あとがき 
年表
参考文献

著者プロフィール
楊海英(よう・かいえい)
静岡大学人文社会科学部教授。1964年、南モンゴル・オルドス高原生まれ。楊海英は中国名のペンネームである。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業後、来日し文化人類学を修める。国立総合研究大学院大学博士課程修了。2000年に帰化。2006年より現職。モンゴル近現代史にかんする著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。



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2022年6月23日木曜日

書評『ANTHRO VISION(アンスロ・ビジョン)人類学的思考で視るビジネスと世界』(ジリアン・テット、土方奈美訳、日本経済新聞出版社、2022)―「見えないもの」を視る、「聞こえない声」を聞くための思考のフレームワークとは

 


たいへん面白い本だった。知的ビジネスパーソンのためのビジネス書というべきだろう。昨年2021年に原書から出版されるのを知って、ぜひ読みたいと思っていた。そうこうしているうちに、ことしの1月に日本語訳がでたので、翻訳版で読むことにした。 

帯には、「なぜ経済学やビッグデータ分析は問題解決に失敗するのか。」という問いが書かれている。その問いに対する著者の答えが「ANTHRO VISION」すなわち「人類学的思考」である。 

「ANTHRO」とは「Anthropo-logy」(人類学)の略称であるが、もともとはギリシア語で「人間」を意味する「Anthropo」からきている。「Anthropo-cene」は「人新世」、「Anthropo-sophy」は「人智学」である。 データの背後にある「人間」を見よ、というメッセージでもある。

全体を「俯瞰」する「鳥の目」だけでなく、個別具体的な事象を「観察」する「虫の目」の必要性である。この両者が必要なのだ。 

「アウトサイダー(=外部観察者)であって、かつインサイダー(=中の人)」である。あるいは、「インサイダーでありながら、アウトサイダーとして距離をとって見る」という視点でもある。 

「相異なる2つの視点」を持ち合わせることなのだ。 


(英国版の副題は、How Anthropology Can Explain Business and Life)


■人類学の博士号をもつ著者は金融ジャーナリストとして長銀破綻を本にしている

著者は、英国のFT(フィナンシャル・タイムズ)の記者で、現在はFT米国版の編集委員会委員長を務めている。30年の経験をもつベテラン・ジャーナリストである。 

そんな著者がこのような本を書いたのは、ケンブリッジ大学で「社会人類学*」で博士号(Ph.D)を取得した人でもあるからだ。

ソ連崩壊前、中央アジアのタジキスタンでのフィールドワークがその出発点にある。 小さな村に3年暮らして、社会主義政権下のムスリムたちの婚姻慣習を観察して博士論文を書き上げた。そんなバックグラウンドの持ち主なのである。

*英国では「社会人類学」、米国では「文化人類学」という。先日亡くなった中根千枝博士は「社会人類学者」を名乗っていた。

この本は、人類学者として出発した著者の半自叙伝といった形をとっているが、読者もまた著者とともに、この30年間の激変を振り返ることにもなる。 

ソ連崩壊とグローバリゼーション、リーマンショックなどの金融危機、インターネットが社会基盤となってスマホとSNSが普及、地球環境問題が待ったなしの状態となり、パンデミックにも襲われた。ビジネスと社会をめぐるコンテクストの変化はすさまじい。

そんななかでも、「第10章 モラルマネー-サステナビリティ運動が盛り上がる本当の理由」は読み応えがある。ソ連崩壊によって東西問題が終わり、環境問題の観点から南北問題が浮上したのが1990年代のことだ。持続可能性(サステイナビリティ)が中心テーマとなってきた。 

著者の名前を知ったのは、2003年に出版された『Saving the Sun: A Wall Street Gamble to Rescue Japan from Its Trillion-Dollar Meltdown』というノンフィクションを読んでからである。 


 

その後、『セイビング・ザ・サン-リップルウッドと新生銀行の誕生』というタイトルで翻訳されたこの本は、バブル経済崩壊後の日本の金融危機を、長銀(いまは亡き日本長期信用銀行。R.I.P.)を中心に描いたものだ。著者は、FT記者として5年間日本に駐在経験をもっている。  

そう考えると、著者は金融ビジネスを中心に日本社会をフィールドワークしていたこのになるわけだ。ただし、その時点では著者は人類学者としてのバックグラウンドは公にしていなかった。


■「異文化マネジメント」と重なる問題意識

「第2章 カーゴカルト-インテルとネスレの異文化体験」には、ネスレ日本の「キットカット」の事例が登場する。「きっと勝つど」である。この事例は、日本のビジネスパーソンにとってはなじみ深いものであろう。 

この例でもわかるように、著者のいう「人類学的思考」は、ある意味では「異文化コミュニケーション」や「異文化マネジメント」と重なり合う部分がある。

「第5章 企業内対立ーなぜGMの会議は紛糾したのか」などは、その最たるものだ。

「会議」の意味づけがことなる出身者があつまった合弁企業における事例だが、おなじ会社のなかでもよく経験するコミュニケーションギャップである。 部門による違いは、ときにコミュニケーションを阻害する要因になりかねない。


(米国版の副題は、A New Way to See in Business and Life)


■欧米企業では人類学者を多用している!

読んでいて驚かされたのは、米国を中心とした欧米企業では人類学者を雇用しているケースがじつに多いという事実だ。 

「見えないものを視る、聞こえない声を聞くため」に人類学の専門教育を受けた研究者を雇用しているのである。ハイテク企業の設計者やエンジニアの直線的思考の盲点を補うための手段だという。 

日本企業でも、かなり昔から顧客を知るため、現場レベルでさまざまな手法を工夫し実践してきたが、さすがに人類学で博士号を取得した研究者を雇用する習慣はないようだ。 

欧米社会と日本社会では、「博士号」という「学位」の意味合いと位置づけが異なるためだろう。これじたいが社会学や人類学の研究テーマになりうることだ。「センスメーキング」のテーマでもある。 

個人的には、1980年代の社会科学系の大学で学生時代を送ったわたしは、当時流行していた「ニューアカ」(・・ニューアカデミズムの略。中心にいたのは浅田彰や中沢新一)の影響もあって、文化人類学者の山口昌男の本を中心に、人類学関連の本はかなり読んできた。専攻は社会人類学にするか、社会言語学にするか迷ったくらいだ。最終的に社会史(歴史学)にしたのではあったが。 

大学卒業後は、自分自身は研究者ではないので論文は書かないが、マインドセットとしては、ビジネス社会をフィールドワークしてきたつもりだ。「インサイダー」でありながら「アウトサイダー」の視点をもちながら。

そんなこともあって、本書に登場する人類学者の名前や人類学の専門タームにはなじみがあって、大いに楽しみながら読んだのだが、おそらく一般のビジネスパーソンにとっては、はじめて聞く名前や概念ばかりだろう。 

自分が知らない「未知」の遭遇は、それじたいが「異化」効果をもたらすものだ。とはいえ、人類学的思考をビジネスと社会を理解するためのツールとして、使いこなすには不親切というべきではないか。 

日本語版には「人名解説」や「用語解説」を付加価値としてつけるべきだったのではないか。日本語訳がこなれた訳文になっているのに、もったいないことだ。


■「データ分析と人類学」の組み合わせも必要に

スティーブン・ジョブズの「テクノロジーとリベラルアーツの接点」が重要だというフレーズは、もっぱら製品開発にかんするものだが、変化のスピードが激しい「VUCAの時代」には、ビジネスと社会を理解するためには、著者がいうように「データ分析と人類学」の組み合わせも必要となる。 

もちろん、かならずしも「人類学」でなくてもいい。著者もまた、広い意味での「社会科学」として、「社会学」や「人類学」、「エスノグラフィー」をあげている。個々の人間を見ることが必要であり、「人間と人間の関係性」を見る視点が重要なのだ。 

ビジネスもまた、広いコンテクスト(=文脈)に位置づけて考える必要がある。社会のなかの一つの構成要素として存在しているからだ。 

「応用人類学」ともいうべき本書を読んで、ビジネスを異なる視点で見る習慣を身につけるキッカケにしてほしいものである。 

と、ここまで書いて、わたしの著者デビュー作『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012)のテーマがまさにそれであったことに、あとから気がついた。自分が実践してきたことは、ジリアン・テット氏の主張とまったくおなじではないか!



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目 次
まえがき もうひとつの「AI」、アンソロポロジー・インテリジェンス 
第1部 「未知なるもの」を身近なものへ 
 第1章 カルチャーショック-そもそも人類学とは何か
 第2章 カーゴカルト-インテルとネスレの異文化体験
 第3章 感染症-なぜ医学ではパンデミックを止められないのか
第2部 「身近なもの」を未知なるものへ
 第4章 金融危機-なぜ投資銀行はリスクを読み誤ったのか
 第5章 企業内対立-なぜGMの会議は紛糾したのか
 第6章 おかしな西洋人-なぜドッグフードや保育園におカネを払うのか
第3部 社会的沈黙に耳を澄ます
 第7章 「Bigly」-トランプとティーンエイジャーについて私たちが見落としていたこと
 第8章 ケンブリッジ・アナリティカ-なぜ経済学者はサイバー空間に弱いのか
 第9章 リモートワーク-なぜオフィスが必要なのか
 第10章 モラルマネー-サステナビリティ運動が盛り上がる本当の理由
結び アマゾンから Amazon へ―誰もが人類学者の視点を身につけたら
あとがき 人類学者への手紙
謝辞
参考文献
原註


著者プロフィール
ジリアン・テット(Gillian Tett)
ケンブリッジ大学にてPh.D.取得(社会人類学専攻)。1993年から “フィナンシャル・タイムズ” 紙にて記者として活躍、ソ連崩壊時には中央アジア諸国を取材した。1997年から2003年まで同紙東京支局長。その後、英国に戻り同紙の名物コラム「LEXコラム」の副責任者。現在はFT紙アメリカ版の編集長であり、FT紙有数のコラムニストでもある。2007年には金融ジャーナリストの最高の栄誉「ウィンコット賞」を、2008年には「ブリティッシュ・ビジネス・ジャーナリスト・オブ・ジ・イヤー賞」を、また2009年には『愚者の黄金―大暴走を生んだ金融技術』で「フィナンシャル・ブック・オブ・ジ・イヤー賞」を、金融危機の報道でイギリス新聞協会の「ジャーナリスト・オブ・ジ・イヤー賞」を受賞している。そのほか、ベストセラーになった『サイロ・エフェクト』がある。(各種資料をもとに編集)。


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・・日本でも大企業から取り組みが始まっている


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2015年11月12日木曜日

書評『アルゼンチンのユダヤ人 ― 食から見た暮らしと文化(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻⑨)』(宇田川彩、風響社、2015)― 食文化の人類学という視点からユダヤ人について考える



『アルゼンチンのユダヤ人  ―  食から見た暮らしと文化(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻⑨)』(宇田川彩、風響社、2015)は、フィールドワークをもとにした文化人類学的ユダヤ研究の成果である。

それも食文化をつうじてのアプローチというのが新鮮だ。彼らが日常的に食べてきたもの、儀礼で食べるものをつうじて、ユダヤ人の特質に迫っている。

対象となっているのはアルゼンチン、しかも首都ブエノスアイレスに集中して居住するユダヤ系市民である。意外と知られていないが、アルゼンチンのユダヤ系人口は20万人で南米一、しかも世界的にみれば第8位になる。スペイン語を第一言語としている民族集団だ。

だが、ユダヤ人といっても出自はさまざまだ。もともとスペインの植民地だったこともあって古くは16世紀にまでさかのぼるが、大半は19世紀以降の移民である。ロシアや中東欧を中心としたアシュケナジームが中心となり、20世紀に入ってからはポーランドから、さらにホロコーストを逃れてドイツ・東欧・イタリアからも入ってきている。その他、さまざまな地域から移民してきており、出自からみれば雑多な集団である。ユダヤ民族という共通性はもちながらも、言語も文化・習慣も異なっていた。

一言でいってしまえば、移民社会アルゼンチンにおける多様なバックグラウンドをもった民族集団ということになる。週一回の安息日や年中行事としての過ぎ越しの祭りなどにおける宗教儀礼をどこまで遵守しているかは、正統派や改革派などの宗派によって異なるし、個人レベルでも異なるのは日本人と同様である。

そんなブエノスアイレスのユダヤ人であるが、本書で取り上げられているのが日常食としてのゲフィルテイッシュ、安息日のハラー、そしてユダヤ人の味覚の中心にある苦味と甘みについてである。もちろんアルゼンチンであるから、ユダヤ人であっても牛肉は日常的に食べられている。

宗教と食事が密接な関係にあるのが安息日のハラーである。小麦粉からつくったパンであるが、興味深いのは安息日向けの特別なレシピによるものではない、ということだ。同じ事物でありながら特定の「時間」には聖別されるのがユダヤ的な思考法。特定の「場所」を聖別する日本の神道とは異なる。

年中行事的な儀礼には、苦味のある食べ物をつうじて苦難の歴史を追体験し、ユダや暦の新年にはリンゴとハチミツという甘みを味わう。苦味と甘みはセットになっている。

日本語でも苦い経験や甘い記憶といった表現があるが、ユダヤ人は味覚をつうじた家庭内の個人的な身体経験を、民族全体の記憶として共有する仕組みをつくりあげているのである。これはある種の「食育」といってもいいのかもしれない。

何を食べるかにとって人間は変わってくる。それはただ単に生理学的な意味だけでなく、その食に込められた意味、食にまつわる記憶をつうじてである。だからこそ食文化なのであり、ある意味では文化そのものを超えた意味合いをもつ。

ユダヤ人の食文化という特殊なテーマではあるが、日本人みずからの食文化について振り返るヒントになるかもしれない。


(画像をクリック!)


目 次

はじめに
ユダヤ人とは誰か
一 アルゼンチンのユダヤ人
 1 アルゼンチンという国
 2 アルゼンチンのユダヤ人の来歴
 3 言語・教育
 小括
二 安息日のハラー
 1 安息日の食事
 2 ロミナ家の安息日の晩餐
 3 食餌規定と聖なるもの
 小括
三 苦菜と蜂蜜
 1 苦いものと甘いもの
 2 ジュディス家の過ぎ越しの祭
 3 言葉と食べ物
 小括
四 牛肉とアサード
 1 牛肉とアルゼンチン人
 2 お母さんの料理とユダヤ料理
 小括
五 食べ物がもたらすつながり
 1 「ホーム」と食べ物
 2 食べ物を分かち合うこと
 おわりに
注・参考文献
あとがき


著者プロフィール 

宇田川 彩(うだがわ・あや)
1984年、横浜市生まれ。東京大学総合文化研究科博士課程在籍。主要業績に、「似たものとしてのブエノスアイレスのユダヤ人─《私》から考えるユダヤ人アイデンティティ」『ユダヤ・イスラエル研究』2011年、第24号、"Spiritual Searchers without Belonging: through the case study of Buenos Aires Jews"『文化人類学研究』2014年、第14巻など。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)-南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である
・・移民社会ブエノスアイレスについての考察

ユダヤ教の「コーシャー」について-イスラームの「ハラール」最大の問題はアルコールが禁止であることだ
・・何を食べてはいけないか、何を食べたらいいかは宗教によって規定されている

『イスラエルのハイテクベンチャーから学ぶ会』」に参加-まずはビジネスと食事から関心をもつのがイスラエルを知る近道であろう

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる

書評 『食べてはいけない!(地球のカタチ)』(森枝卓士、白水社、2007)-「食文化」の観点からみた「食べてはいけない!」


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2014年7月3日木曜日

書評『現代世界と人類学 ― 第三のユマニスムを求めて』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)― 人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る



『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)は、フランスを代表する人類学者で、かつ西欧を代表する知性であったクロード・レヴィ=ストロース(1908~2009)が、1986年に日本で行った三回連続の講演会の記録を質疑応答とともに活字化したものだ。

現在では『レヴィ=ストロース講義-現代世界と人類学-』とタイトルを変更して2005年に平凡社ライブラリーから再刊されている。同時通訳の老舗サイマルインターナショナルの出版部門であったサイマル出版会は、解散していまは存在しない。

この本を1986年の単行本初版で購入したのは、講演録のフランス語原文もついているからであった。当時はまだ大学を卒業してからさほど日もたっておらず、せっかく身につけた(?)フランス語能力を落としたくなかったこともある。しかも、レヴィ=ストロースも難解な論文ではなく、ですます調の講演スタイルで読めるので一石二鳥だと。

フランス語のタイトルは、L'anthropologie face aux problèms du monde moderne (現代世界の諸問題に直面する人類学)である。1986年に石坂レクチャーとして行われたものだ。1981年に行われた日本を代表する哲学者・井筒俊彦のレクチャーは『イスラーム文化』として岩波書店から出版されている。


■人類学が現代が抱えている問題に貢献できることとは?

講演が行われた1986年からすでに28年(!)もたっているのだが、講演の基本姿勢はもとより、講演で取り上げられたテーマは、いまなおアクチュアルなものがある。とくに人工授精問題は、2014年のいま日本ではホットイシューの一つである。

人工授精問題は、生殖技術の発展によって「生物学的な親」と「社会的な親」をめぐって発生している問題で、法的、心理的、道義的な側面がかかわっている。

レヴィ=ストロースは講演のなかで、人類社会においては「親族関係」がもっとも基本単位であることを確認したのち、生物学的親と社会的親との関係が違和感なく共存しているアフリカ諸部族の事例を引いている。

DNA検査が安価で簡単にできるようになった現在、昨年あたりから芸能人をはじめとして、日本でもさまざまな問題を生み出しているが、この議論に人類学者が貢献しているとは寡聞にして聞かない。

アフリカの事例もそうだが、こうした問題を考えるあたって重要なことは、「モデルではなく事例(!)」という考えだ。 

質疑応答のなかで、ピカソの発言として引用したこのフレーズこそ重要なものはない。これはピカソがアフリカ美術を賞賛した際の発言らしいが、2014年現在の日本人にとってもきわめて示唆に富むものだ。

特定の国で行われている先進的な取り組みを「モデル」とするのではなく、さまざまな問題を解決するためのヒントになる「事例」として参照する。参考となる事例は未開文化に求めることも可能であり、そこにこそ人類学者の貢献できる余地があるというわけだ。

現代日本の人類学者には、自分の専門分野に閉じこもるだけでなく、その専門分野によって大いに現実問題の解決に示唆を与えるという形で社会貢献していただきたいものである。


(フランス語原文と対照させながら読むもよし)


■「第三のユマニスム」-「文化相対主義」と西欧の終焉

単行本初版の副題には「第三のユマニスムを求めて」とある。人類学こそ、それに該当するといういのがレヴィ=ストロースの基本姿勢である。

ユマニスムとはフランス語で人文主義の意味。英語でヒューマニズムというと人間中心主義の意味が強いが、ここでは『エセー』で有名な16世紀のモンテーニュを想起すべきだろう。

16世紀のルネサンスと大航海時代(=第一次グローバリゼーション時代)のいわゆる「ユマニスム」、19世紀の第二次グローバリゼーション時代における西欧文明=植民地主義における「ブルジョワ・ユマニスム」、そして20世紀以降の「第三のユマニスム」。

「第三のユマニスム」においては人類学がその担い手となるというのがレヴィ=ストロースの主張である。そして、彼自身もそのなかの一人である西欧文明も相対化される。「文化相対主義」をもたらした人類学的認識が、西洋文明至上主義の終焉に果たした役割は大きい。

いわゆる「文化相対主義」によって、みずからが依って立つ文明も相対化すること。これが、第三でかつ最後のグローバリゼーション時代には求められるのである。これは明治維新以来、西欧文明をみずからの血肉としてきた日本人にとっても1970年代以降は同様の状況にある。いわゆるスタンスをとって遠くから見るという視点である。この点についてはレヴィ=ストロースは世阿弥の「離見の見」(りけんのけん)を引いて日本人聴衆に説明している(・・これについては後述する)。

ただ、1986年時点においてすでに、西欧文明が弱体化しつつある状況を憂いているようにも聞こえなくもないレヴィ=ストロースの口調だが、2014年現在ではそれがさらに進行しているというべきだろうか。西欧文明は吸収されつくされて、もはや「常識」と化しているから不可視の状態になっていることもある。とくにフランスの凋落ぶりはいちじるしい。すでに欧州内でも周辺化しつつある。

日本人としては、人間中心主義という意味もあわせもつ「ユマニスム」の限界そのもにまでは踏み込んでいないという印象も受けるのだが、それはある意味では西欧知識人の限界であったのかもしれない。

現在では英語圏を中心にアニマル・ライツ(=動物の権利)という概念が浸透しているが、いわゆるヒューマニズム(=人間中心主義)といかなる関係になるのか、レヴィストロースには聞いてみたい気持ちもする。



■「神話的思考」と「歴史的思考」

南米と北米の先住民の神話の分析をつうじて「神話的思考」を明らかにしたことは、レヴィストロースによる大きな業績である。これは「第2講演」の主要テーマの一つである。

神話とは「感覚世界からとりだされたイメージ」であり、哲学的思考や科学的思考が「概念の連鎖によって論理を進める」のと対照的である。

無文字社会にとっての神話の意味は以下のようなものである。(*以下、引用文の太字ゴチックは引用者=さとう)によるもの)。

私たちをとりまく世界の秩序と、私たちが生まれた社会の構造を解き明かし、その存在理由を示すことであり、世界全体あるいは個々の社会が、始原の時に創りだされた姿のまま存続してゆくであろうという、心を安らかにする確信を与えることでした。

じつはこの神話的思考は無文字社会に限ったものではない。先進国でも現在の世界の成り立ちが「始原の時」について繰り返し言及し、繰り返し想起することによって確認されるのである。

フランス人は、現在のフランス社会の状況を大革命を出発点として解き明かします。今日の状態を是とするか非とするかによって、大革命の解釈は異なったものとなり、将来の展望も異なってきます。言い換えれば、近い過去あるいは遠い過去について私たちが作りあげるイメージは、神話の性質にきわめて近いものなのです。・・(中略)・・日本の歴史についての私のわずかな知識から言うと、明治維新の前夜、江戸幕府を支持した人びとと王政復古を唱道した人びとについても、同じことが言えるのではないかと思うのです。

フランス革命が近代ナショナリズムの起源であり、フランスのみならずドイツでも、現代につながる近代主義の原点であると欧州では認識されている。日本についての言及もまたその通りだというべきだろう。大河ドラマや歴史小説で繰り返し言及されるのが幕末ものである。

社会秩序と世界観に根拠を与え、物事をかつてのありかたによって説明し、物事の現状を過去の状況によって正当化し、そこから将来を考える、という無文字社会で神話が果たしている役割はそのまま、私たちの文明の歴史に課しているものです。

無文字社会における神話的思考は、現代人にとっての歴史的思考も規定していることがわかる。共時的な思考を行う人類学が、通時的な思考を行う歴史学の意味と限界を示したといえようか。少なくとも年表的な時系列が歴史ではないということを示しているといえる。

「歴史」は、現在が過去の再生産であり、未来が現在の持続であることを期待させるのではなく、現在が過去と異なるように、未来も現在とは異なると言うことを期待させるためのものなのです。・・(中略)・・現代文明において用いられる「歴史」が、客観的真理よりはむしろ予断と希望の表明であること・・(中略)・・ここでも人類学は、私たちに批判精神を教えてくれるのです

そして科学の発達が人間の認識に大きな変化を与えつつあることを次のように語っている。


科学が進歩すると同時に、時空間のスケールの拡大によって、対象となる現象は人間の知的能力を超え、それを思考によって統御することはますます困難になってゆく・・(中略)・・宇宙の歴史は私たち死すべき人間にとって、ある種の大いなる神話の相貌を帯びてきます。なぜならそれは特異な出来事であり、一度限りの、繰り返しのきかないものとして、その現実性を検証することのけっしてできないものだからです。

科学的思考と神話的思考は長く別個のものと考えられてきたが、一つのものに収斂していく可能性もあるということだ。

それは同時に、因果律的な決定論ではなく、偶然という要素を重視した確率論的な世界観への変化としてもあらわれている。

すでに「人種決定論」が誤謬(ごびゅう)であることは常識であるが(・・一般認識としてはかならずしもそういえないかもしれないが)、レヴィ=ストロースが言及しているように、「文化が遺伝を決定する」という要素のほうが大きいと考えるべきだろう。

文化を環境と考えれば納得のいく話である。個体レベルの遺伝子やゲノムだけではなく、集団全体を遺伝子プールと捉えれば、文化の違いが環境として働くことは説明可能だ。


■西欧と日本
 
フランス知識人にとくに強い傾向だと思うが、レヴィ=ストロースもまた日本の独自性を称揚している。子どもの頃からの浮世絵ファンで、日本美術のみならず日本について深い知識を有していたことは、一般に経営学者として知られている社会生態学のドラッカーとも共通している。

西欧文明を全面的に受け入れながらも、その後の期間で咀嚼してみずからの固有性をけっして失わない姿勢が日本にあるという指摘には、レヴィ=ストロースの日本認識がきわめて正確であることがわかる。

こういう認識をもつのは、レヴィ=ストロース自身は西欧文明のなかで知的形成した人でありながら、名前からもわかるようにユダヤ系であることも少なからず影響しているのではないかと思う。祖父がユダヤ教の宗教指導者ラビであったがことが、知的自伝でもある『悲しき熱帯』で言及されているが、ユダヤ民族もまた西欧文明との出会いでその影響をどっぷりと受けながらも、独自性を失わない民族である。

あまりそのことを強調すると「人種決定論」に聞こえかねないが、文化を環境として考えればけっしておかしな話ではない。

本居宣長による「国学」にも言及がある。「国学」が「他者」を前提とした自己認識の探求であり、16世紀以降の西欧世界におけるに「他者」の発見と自己相対化が対称的な関係にあるという指摘に深いものを感じる。

本居宣長が主張したの「やまとごころ」は、「からごころ」という概念を設定することによって、はじめて特徴を明らかにすることができたものである。「文化相対主義」までは行ってないが、人類学的思考にも共通する認識がある。

とくに印象深いのは、なんといっても世阿弥の「離見の見」(りけんのけん)をヒントに自著のタイトルを決めたというエピソードである。『離れて見る』(Le Regard  éloigné)である。日本語訳は『はるかな視線』となっているようだが。

演じる人が観客を見ながら自分を見るという「「離見の見」は、遠近法による異境化作用(デペイズマン)でもあり、異文化を観察する人類学者が自己をみつめる認識そのものである。

それぞれの講演ごとに行われた質疑応答も、質問者が人文社会科学のそれぞれの専門分野を代表するような日本の知性であるだけに2014年時点で読んでいても面白い。「近代化=西欧化」されながらも日本人の独自性を失っていない現代の日本人のスタンスがクリアに浮かび上がっているからだ。

人類学的思考のエッセンスを知ることのできる、読みやすいが含蓄の深い講演である。


(画像をクリック!)


目 次 (単行本初版)

待ちに待った講演 (前田陽一)
第1講 西洋文明至上主義の終焉-人類学の役割
 人類の歴史と人類学
 人類学とは何か
 客観性と全体性を求めて
 第三の人文主義・人類学
 人類学者は何をなしうるか
 人類学の未来-質問に答えて
第2講 現代の三つの問題-性・開発・神話的思考
 共通言語としての親族関係
 未開社会の "人工受精"
  "低開発" とは何か
 超自然をもつ社会
 神話の意味するもの
 未開社会と現代文明の接点-質問に答えて
第3講 文化の多様性の認識へ-日本から学ぶもの
 人種決定論の誤謬
 文化が遺伝を決定する
 累積的社会・停滞的社会
 文化相対主義と人類学
 日本文化の位置-質問に答えて
レヴィ=ストロース博士の人と学門(川田順造)
《石坂講演シリーズについて》

フランス語原文 目次
L'anthropologie face aux problèms du monde moderne
1 La fin de la suprématie culturelle de l'Occident.
2  Trois grandes problème contemporains: la sexualité, le dévelopment économique et la pansée mythique.
3  Reconnaisance de la diversité culuturelle: ce que nous apprend la civilasation japonaise.





著者プロフィール

クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)
1908年~2009年。ベルギーのブリュッセル生まれ。フランスの文化人類学者。パリ大学法学部卒業後、リセ(高等中学校)教員を経てブラジル、アメリカで民族学を研究、1949年帰国し、パリの人類博物館、高等研究院、コレージュ・ド・フランスなどで教育と研究に従事。社会人類学研究所を創設。画期的労作『親族の基本構造』などで文化の厳密な構造分析方法たる構造主義の旗手となる(別の書籍から転記)。 

訳者プロフィール

川田順造(かわだ・じゅんぞう)
1934年(昭和9年)東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(文化人類学分科卒)、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。パリ第5大学民族学博士。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を経て、現在広島市立大学国際学部教授。著書に『無文字社会の歴史』『口頭伝承論』『声』『ブラジルの記憶』他がある。

渡辺公三(わたなべ・こうぞう)
1949年東京都生まれ。文化人類学者。東京大学教養学部フランス科卒業、同大学院社会学研究科博士課程修了。国立音楽大学助教授を経て、立命館大学教授。著書に『レヴィ=ストロース-構造-(現代思想の冒険者たち)』他がある。


なお、レヴィ=ストロースの業績については、英国の人類学の重鎮エドマンド・リーチの『レヴィ=ストロース』がひじょうにわかりやすく説明している。日本語訳はみていないからわからないが、もともと大学生向けに書かれた英語版はじつに読みやすい。



<ブログ内関連記事>




■ユマニスム(=ヒューマニズム)

・・不寛容の時代に寛容を説いた16世紀の思想家エラスムスは人文主義(ユマニスム)を代表する知性

書評『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)
・・とくに南米とアフリカへの進出が西欧世界にあらたな認識をもたらした

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・1543年鉄砲伝来、1549年キリスト教伝来。ともにその役割を担ったのは「大航海時代」のポルトガル人であった

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・ルソーと並ぶ18世紀のフランス啓蒙思想家ヴォルテール

・・「西欧ヒューマニズムの限界」を体験から指摘した日本人歴史家・会田雄次の専門はイタリア・ルネサンス史

・・「生者」しか考慮に入れないヒューマニズムの限界を指摘した晩年の上原専禄


■人類学的認識と歴史学的思考

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・梅棹忠夫が提唱した「中洋」という概念をレヴィ=ストロースは使用していないが、『悲しき熱帯』の末尾の章を読むと近い認識をもっていたことがわかる

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・山口昌男が目指した「歴史人類学」

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著 ・・訳者の人類学者・川田順造氏は、思想史家の良知力氏、歴史学者の阿部謹也氏と二宮宏之氏と『社会史研究』を立ち上げた同志であった

・・「離見の見」(りけんのけん)について精神医学の観点からくわしく説明されている。人類学的認識との共通点


■人種決定論の問題点


・・ブラジルサッカーの強さもまた「人種」ではなく「文化」である


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