「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 歴史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 歴史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年12月30日木曜日

書評『明治維新の研究』(津田左右吉、毎日ワンズ、2021)―「明治維新」を政治プロセスと政治道徳の観点から見た身もふたもない歴史評論

 

 『明治維新の研究』(津田左右吉、毎日ワンズ、2021)を読了。日本の近現代史のはじまりともいうべき「明治維新」を、政治と政治道徳の観点から俯瞰的に見た、身もふたもない歴史評論というべき内容の本。  

著者自身はそういう言い方はしていないが、「薩長史観」(=王政復古史観)と同時に「皇国史観」も否定している。 

歴史学者の津田左右吉(つだ・そうきち)が、戦後昭和20年(1946年)から没年の1961年まで雑誌などで発表した論考を編集して1冊にしたものだ。 

津田左右吉は早稲田大学教授だったが、戦前に古代史研究を皇国史観の学者たちから批判され、「不敬」だとして古代史関連の著書が発禁になるという被害にあっている。だが、あくまでも実証主義の歴史家であって、マルクス主義者ではなかった。 

いまから40年前の大学時代に『文学に現れたる我が国民思想の研究』という、岩波文庫で8冊にも及ぶ本を通読して大いに感心したことがあるが(・・われながら、よくあんな本を読んだなと思う。当時出たばかりの加藤周一の『日本文学史序説』のつぎに読んだと記憶する)、『明治維新の研究』もまた、やや平版な記述が最初から最初までつづく文体で、正直いって読みやすい本ではない。  

基本的に、「明治維新」の政治プロセスを解剖するかのように記述している論考が7つ収録され再編集されている。 以下に目次を紹介しておこう。

はじめに-明治維新史の取り扱いについて 
第1章 明治の新政府における旧幕臣の去就
第2章 幕末における政府とそれに対する反動勢力
第3章 維新前後における道徳生活の問題
第4章 トクガワ将軍の「大政奉還」
第5章 維新政府の宣伝政策
第6章 明治憲法の成立まで
おわりに-サイゴウ・タカモリ

初出情報がないのが残念だが、いずれも「戦後」に発表されたものだ。固有人名がカタカナ書きなのは著者独自の考えによるものだが、正直いって読みにくい。 

「明治維新」というのは、ある意味では偶然の産物であって、最初から見取り図があったわけではない

きわめて複雑な政治プロセスを経ていくなかで、勢いというか流れができあがり、最終的な勝者となったマキャヴェリストともいうべき薩長勢力が、強引に武力で政権を奪取したものの、政権奪取後にはさらに試行錯誤を繰り返し下からの民衆の動きを押さえるために、上からの憲法制定に至ったというのが、著者の考えている「明治維新」なのである。 そう読み取れる。

藩主という封建諸侯による主導権争いであり、ある意味では戦国時代の再現であった。ただし、違いといえば、長州藩あるいは薩摩藩が単独で制覇できず、薩長同盟という形での制覇となったことである。

したがって、新政府が誕生した時点では、いまだ「封建制」であり(この用語の扱いは現在では慎重を要するが)、「封建制」が解消されるには「廃藩置県」まで待たねばならなかった。

著者が歴史を見る見方は、「政治道徳」にもとづくものであり、ある意味では「人としての常識」にもとづくものだ。だから、道徳的観点から、実質的に朝廷を牛耳り、正統性を担保する天皇を「玉」として扱ったことには否定的な立場になる。

また、著者の歴史に対する態度は、合理主義というか、現実主義といってもいいかもしれない。歴史をある種の特定の枠組み(フレームワーク)に当てはめたり、あるべき理想をそこに見たり、ロマンを見たりはいっさいしないのである。「身もふたもない」というのは、そういうことだ

なるほど、こんな見方や書き方では、必要以上に読者を不快にさせたであろうことは容易に想像がつく。戦前の「皇国史観」の時代にあっては、なおさらだろう。 




帯のウラには、「明治維新とは一口にいうと、薩長の輩が仕掛けた巧妙な罠に征夷大将軍がかかって了ったということである・・・」(本文より)という一節がある。つまり、「薩長史観」を否定しているわけである。

「開国」後の幕府の高級官僚たちによる開明的な政策を邪魔したのが、攘夷という妄想にもとづく志士たちのテロ行為であり、長州藩の動きだったとする。最終的に薩摩藩が長州藩と組んだことで討幕が実現したわけである。まさにその通りである。

岩倉具視や薩長関係者によるクーデターとして仕掛かけられた「王政復古イデオロギー」の虚妄性を暴き、その延長線上にあった「皇国史観」も否定しているのである。「天皇親政」という、日本史上において、ほとんど存在しない虚構を隠れ蓑にした虚偽宣伝であったのだ、という見方はその通りだろう。

さすが、先にもふれた『文学に現れたる我が国民思想の研究』(1916~1921)の著者ならではである。日本史を通観して研究して得た、日本人の天皇観を熟知している歴史家ならではである。

皇国史観の被害者ではあったが、マルクス主義者ではなかったこの歴史家は、戦前と戦後で論旨にブレがない。「津田史観」というものが存在するとすれば、それはそういうものだ。 

とはいっても、著者の立場は、旧幕寄りというわけではない。「薩長史観」が嫌いだという人が読んで、鬼の首を取ったように溜飲を下げる内容ではない。そういう観点から本書を手にとった人は失望するのではないか。

政治道徳的には否定される薩長による討幕であるが、政治におけるマキャヴェリズムという観点に立てば、ある意味では見事であるともいえる。水戸藩主斉昭の息子として生まれ育ち、尊皇姿勢を持ち続けた慶喜は、アタマの切れがすばらしかったが真情においてはナイーブに過ぎたのかもしれない。

幕府の開国政策の開明性については高く評価しているものの、廃藩置県を行って武士階級を解体した維新政府の功績についても語っている。功罪の両面について指摘しており、歴史に対して比較的フェアな態度だといえよう。 あくまでも醒めた精神の持ち主による是々非々の立場である。

とはいえ、あくまでも政治プロセスを観察した政治史であり、政治道徳の観点から「明治維新」を見たものであって、経済史や社会史の観点はいっさいない。ましてや、人物伝でもない。その意味では、面白みに欠けるものだ。 

薩長を結んだ坂本龍馬にであれ、幕府側に立った近藤勇にであれ、自分を投影して歴史上のヒーローたちを追体験したいという気分の持ち主には、不快感以外のなにものでもないかもしれない。司馬遼太郎などのヒーローものの歴史小説が大好きな人には不向きな本である。 

著者は、あくまでも戦後の1946年から1961年にかけての時点で、「明治維新」を振り返って上空から俯瞰しているのであって、その「渦中」にいた人たちには見えていなかったものを見ているのである。 

著者のように見ることのできる人は、当然のことながらリアルタイムには「明治維新」の時代には存在しなかったことに注意しなくてはならない。しかも、本書に収録された論考がは発表されてから、すでに60年以上もたっている。

歴史というものは、おなじ事実を対象に扱ったとしても、誰がどの時点で見たかによってもまた、違う絵が見えてくるものなのだ。 認知バイアスが働くからである。


画像をクリック!


PS 収録論文は、『維新の思想史』(津田左右吉、書肆心水、2013)と重なっている。こちらのほうは見ていないが、初出情報などが掲載されているのであろう。http://www.shoshi-shinsui.com/book-tsuda-ishin.htm

参考までに目次を掲載しておこう。太字ゴチックは、『明治維新の研究』(津田左右吉、毎日ワンズ、2021)とは重ならない論文である。タイトルを見れば、津田左右吉が「政治道徳」の観点から「明治維新」を見ていることがわかる。
  
幕末における政府とそれに対する反動勢力
幕末時代の政治道徳
維新前後における道徳生活の問題
君臣関係を基礎とする道義観念
明治の新政府における旧幕臣の去就
維新政府の宣伝政策
明治憲法の成立まで
近代日本における西洋の思想の移植 福沢・西・田口-その思想に関する一考察



<ブログ内関連記事>





・・「明治維新は薩長土肥という「西南雄藩」が主導の革命だが、財政改革によって強化された経済を背景にした西日本の「人口圧力」が明治維新の主動力になったという「仮説」も興味深い(P.125)。人口が増大したのは北陸と西日本の大都市であり、同時代の関東地方や近畿地方には、そういった人口圧力は存在しないようなのだ。」


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2020年8月5日水曜日

書評『習近平と永楽帝 ― 中華帝国皇帝の野望』(山本秀也、新潮新書、2017)― 歴史をさかのぼると現在が見えてくる 



習近平とは何者か? 何をしようとしているのか? 

この問いにかんしては、中国共産党の最高指導者に選任された2012年前夜から膨大なアプローチがなされてきたが、そのいずれも習近平その人と中国共産党という枠組みのなかでの考察がほとんどだった。 

そんな一般的なアプローチとは異なる1冊がある。『習近平と永楽帝-中華帝国皇帝の野望』(山本秀也、新潮新書、2017)という本だ。この本は面白い。  

この本がユニークなのは、歴史上の人物である明朝の永楽帝(1360~1424、在位:1402~1424)と習近平(1953~)を、時空を超えて比較した「対比列伝」形式で描いていることだ。 

「600年」を隔てた永楽帝と習近平の共通点と相違点を明らかにすることで、習近平が何を考えているのか、中国をどこにもっていこうとしているのかが見えてくるのだ。

ジャーナリストの著者は、これを「シノロジー(支那学)にもとづく報道」と命名している。歴史を踏まえて現在と近未来を観るという方法論である。 歴史をさかのぼると現在が見えてくるのだ。

明朝は、モンゴル人による元朝が滅亡したのちに天下を取った漢民族の王朝である。中国共産党もまた漢民族による体制だ。この点がまず共通している。中国共産党は清朝時代の最大版図を念頭においているが、当然のことながら女真族(=満洲族)の清朝が継承したのは明朝であり、漢民族王朝としての明朝も視野のなかにある。 


●権門出身という血統のよさ 
●権力掌握前の苦節 
●正統性を証明するため、政権創設者に範を取りつつ、前任者を超える政治実績を示すことを迫られた立ち位置
●「法治」を掲げた苛烈な政敵排除や国内統制 
●政権の威光を高めるための対外拡張とアジア秩序構築への意欲・・


書籍紹介の文章をそのまま引用したが、これらが永楽帝と習近平の共通点だ。 

それにしても、永楽帝という皇帝がやったことは、じつにすさまじい帝位を甥から簒奪した武人であり、正統性(レジティマシー)を示すために行った大量虐殺しかり、朝貢国を求めて派遣した鄭和の大艦隊などなど枚挙にいとまがない。

もちろん永楽帝は、「小者」である習近平とは比較しよういもないほどの「大物」である。だが、この永楽帝を比較対象の「鏡」とすると、習近平がアタマの中身が見えてくるのだ。

それが、いまコロナ後に積極攻勢に出ている軍事侵攻として顕在化していることは言うまでもない。 習近平のアタマのなかには、中国式の上下関係による華夷秩序しかないのだ。

この1冊で、600年前の14世紀の明朝の永楽帝と、21世紀の中国共産党の習近平の2人が理解できてしまうお得な内容でもある。いわゆる「Two in One」である。読みでのある本だ。関心のある人にはお勧めしたい。

中国をはじめ中華文明圏に属する国々での駐在だけでなく、歴史に精通した著者ならではの叙述は大いに読ませるものがある。 


画像をクリック!



目 次
序章 帝国の残照と現代中国 
第1章 永楽帝誕生 
第2章 習近平の半生 
第3章 王朝創始者の権威利用 
第4章 粛清の時代 
第5章 「盛世」の夢 
第6章 「天下」の拡大と「大一統」 
終章 習近平は永楽帝たり得るのか 
コラム 明という時代/中国の歴史と儒教 
【永楽帝】解説・年譜/【習近平】解説・年譜 
参考文献


著者プロフィール 
山本秀也(やまもと・ひでや) 
1961年生まれ。産経新聞編集委員兼論説委員。北京大学哲学系卒。シンガポール、台北、香港、北京、ワシントン支局長を歴任。著書に『本当の中国を知っていますか?』『南シナ海でなにが起きているのか』、共訳書に『李登輝実録』など(本データは書籍カバーより転載したもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『米中戦争前夜-新旧両大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ-』(グレアム・アリソン、藤原朝子訳、ダイヤモンド社、2017)-「応用歴史学」で覇権交代の過去500年の事例に探った「トゥキディデスの罠」

書評 『習近平の敗北-紅い帝国・中国の危機』(福島香織、ワニブックス、2019)-傍若無人に振る舞う超大国・中国は、安定とはほど遠い存在だ

書評 『なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか-中華秩序の本質を知れば「歴史の法則」がわかる-』(石平、PHP新書、2015)-首尾一貫した論旨を理路整然と明快に説く

書評 『「中国製造2025」の衝撃-習近平はいま何を目論んでいるのか-』(遠藤誉、PHP、2019)-中国共産党が注力しているのが「軍民融合」分野の半導体と宇宙開発だ

書評 『習近平 vs. トランプ-世界を制するのは誰か-』(遠藤誉、飛鳥新社、2017)-「米中ビッグディール」という「密約」に警戒せよ!

書評 『習近平-共産中国最弱の帝王-』(矢板明夫、文藝春秋社、2012)-「共産中国最弱の帝王」とは何を意味しているのか?


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2020年3月23日月曜日

『幻の東京オリンピック ― 1940年大会 招致から返上まで』(橋本一夫、講談社学術文庫、2014)で「幻の大会」となった80年前の東京オリンピックについて知る



2020年東京オリンピック大会が開催されるのかどうか、気が気でない人も少なくないだろう。

予定どおり開催されるなら、オリンピックは7月24日から8月9日まで、パラリンピックは8月25日から9月6日までの予定だ。

だが、突然やってきた「不可抗力」によって、開催が微妙になってきている。中国湖南省武漢で発生した新型コロナウイルスが、ついにパンデミック(=世界的な感染爆発)となってしまったからだ。感染拡大を防止するためには、「濃厚接触」を避けなくてはならない。その意味では大規模イベントの開催は自粛する必要があるからだ。

はたして開催決定のギリギリの期限である5月末までに世界的なパンデミックは終息するのか?・・・

オリンピックは「中止」か? それとも「延期」か? 「延期」だとしたら年内か、それとも来年か、再来年か??(*)


(*注)この文章を書いている時点ではこのような状態だったが、2020年3月24日に安倍首相がIOC委員長との電話会談の結果、1年以内に延期で決定した。だだし、具体的なスケジュールについては現段階では未確定である(2020年3月25日 記す)


そんなときだからこそ、過去を振り返ってみる必要があるだろう。そこで、『幻の東京オリンピック-1940年大会 招致から返上まで』(橋本一夫、講談社学術文庫、2014)という本を読んでみた。 

いまから80年前の1940年に開催されるはずだった「東京オリムピック」はIOC(国際オリンピック委員会)への開催権の「返上」によって「中止」となったのである。現在に至るまで、唯一の「幻のオリンピック」となってしまったのである。

1940年(昭和15年)は皇紀2600年であった。この祝典にあわせてオリンピックを誘致したいという構想が生まれ、国際親善のオリンピック理念との齟齬を残したまま、構想は実現へと向かう。

紆余曲折を経るなか、ムッソリーニの協力によってローマ開催を取り下げてもらい、1936年のベルリン大会を成功させたヒトラーの後押しで、1940年大会の誘致に成功した日本国と東京市。その後、日独伊三国同盟が締結される。

東京オリンピック開催にあわせて、ベルリン大会以上にテレビ中継を実現したいというNHKの強い思いが、テレビの研究開発に拍車をかける。

だが、組織委員会の不統一やボタンの掛け違いなどで、会場施設建設が遅々として進まないなか、1937年の「盧溝橋事件」が発端となった「日中戦争」勃発が最終的にとどめを刺すことになった。

「国家総動員体制」が導入され、陸軍は現役将校を馬術競技に参加させないと表明、建設に必要な資材や物資もまた「重要物資需給計画」によって、とくに建設に不可欠な鉄材の調達が困難となる。

結局、追い込まれた状況で、当時はオリンピックの所管官庁であった厚生省が開催の「返上」を決定し、内外に向けて告知、組織委員会は否応なく開催断念を受け入れざるをえなくなる。

そして、東京のかわりにフィンランドのヘルシンキで開催されることになったが、1939年に第2次世界大戦が勃発したことで、大会そのものが流れてしまう。

今回2020年も新型コロナウイルスというパンデミックの状況のなかにある。前々回1940年は日中戦争から大戦前夜にあった。ともに世界中が「戦争状態」のなか、はたして予定どおりの開催は可能か? おそらく、日本政府もIOCも、それぞれぎりぎりの決断を迫られ、虚々実々のせめぎ合いの最中であろう。

しかも、2020年現在、1984年のロサンゼルス大会以降の巨大ビジネス化によって、米国の放送業界という巨大利害関係者の意向も大きく左右する状況だ。さまざまな利害関係者のあいだで神経戦という状態であろう。

1940年の東京オリンピックは開催返上40年後の1980年のモスクワ大会は西側諸国がボイコットそれから40年後の2020年東京大会はいかに? 

どうやら、オリンピックは40年ごとに大きな節目となるらしい。ある種のジンクスというべきか。

どういう結果になるかはさておき、オリンピックという巨大イベントは、ただ単にスポーツの競技大会をいう枠を越えて、国際政治そのものと密接にからみあった存在だということを、あらためて痛感するのだ。

 「オリンピックには魔物がいる」と、大会で敗れ去りメダルを逃した有力選手がよく口にするが、「オリンピックそのものが魔物」なのだなと、この本を読んでいて思った。





目 次 

第1章 オリンピックを東京に-市長永田秀次郎の夢 
 紀元二千六百年を記念して
 腰の重い体育協会
 ロサンゼルスの青い空
 満州国は参加できるのか
 ムソリーニの好意
 オスロ総会の舞台裏 
第2章 招致実現に向けて-ヒトラーも協力 
 ベルリン大会を前に
 IOC会長の変心
 東京招致に成功
 ナチス・オリンピック
 日本選手団騒動 
第3章 戦火ただようなかで-問題山積の開催準備 
 難航した組織委員会の発足
 テレビ中継をめざして
 メーンスタジアムはどこに
 日中戦争勃発
 対立と苦悩の組織委員会
 四面楚歌のカイロ総会 
第4章 オリンピックの火は消えた-ついに大会を返上 
 雄大な聖火リレー計画
 着工できない競技場
 東京大会ボイコットへ
 国策に敗れたオリンピック
 空白の祝祭 
学術文庫版のあとがき
主要参考・引用文献


<ブログ内関連記事>

JBPressの連載コラム第71回は、「「建国記念の日」はいつ2月11日に決まったのか?- 「歴史」と「神話」はイコールではない」(2020年2月11日)

書評 『民警』(猪瀬直樹、扶桑社、2016)-オリンピックという大規模イベントを「警備」という観点から見る

「東京オリンピック」(2020年)が、56年前の「東京オリンピック」(1964年)と根本的に異なること

書評 『東京劣化ー地方以上に劇的な首都の人口問題-』(松谷明彦、PHP新書、2015)-東京オリンピック後がこわい東京。東京脱出のすすめ!?

滝川クリステルがフランス語でプレゼンした理由


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2019年7月2日火曜日

JBPress連載コラム第55回目は、「メコン川に映るべトナム、カンボジア、中国の“悪縁” -ベトナム南部のデルタ地帯はもともとカンボジアだった」(2019年7月2日公開)


JBPress連載コラム第55回目は、メコン川に映るべトナム、カンボジア、中国の“悪縁” -ベトナム南部のデルタ地帯はもともとカンボジアだった(2019年7月2日公開)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56848

メコン川は、ヒマラヤ山脈のチベット高原からベトナム南部まで延長4425キロメートルにわたって流れる、世界第11位の大河。その「流域」には、流域には中国、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムの6カ国が含まれる。 

今回のコラムでとりあげたのは、メコン川の河口域にあるメコンデルタ。カンボジアの首都プノンペンを頂点にした約5万平方キロメートルのデルタ(三角州)である。ベトナム南部とカンボジアが含まれる。 


メコンデルタの「ジャングルクルーズ」にて 筆者撮影

ベトナムとその隣国のカンボジアは、愛憎相半ばする関係にあるが、国境という人為的な枠組みでは理解できない複雑で錯綜とした関係が、メコン川の「流域」という視点からは見えてくるだろう。 

さらに華僑・華人という要素が加わってくるのが、東南アジアの歴史である。これに加えて、いま影響力を強めているのが超大国・中国という存在だ。 しかも、その影響は圧倒的なパワーによるものだ。

つづきは本文で  ⇒  https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56848





<ブログ内関連記事>

JBPress連載コラム第54回目は、「発見に満ちている人工河川・利根川の“流域”-平時から身につけたい流域の視点と発想」(2019年6月18日公開)

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

岩波写真文庫から1958年にでた梅棹忠夫監修の 『タイ』 と 『インドシナの旅』は、『東南アジア紀行』をブログ版としたようなものだ

■ベトナム関連

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)

ベトナムのカトリック教会

映画『夏至』(ベトナム/フランス、2000年)を18年後の「夏至」に見る-雨期のハノイの美しい映像

■カンボジア関連

シハヌーク前カンボジア国王逝去 享年89歳(2012年10月15日)-そしてまた東南アジアの歴史の生き証人が一人去った

今年2011年の世相をあらわす漢字は 「水」 に決まり-わたしが勝手に決めました(笑)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)


   
(2012年7月3日発売の拙著です)







Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2019年6月18日火曜日

JBPress連載コラム第54回目は、「発見に満ちている人工河川・利根川の“流域”-平時から身につけたい流域の視点と発想」(2019年6月18日公開)



JBPress連載コラム第54回目は、発見に満ちている人工河川・利根川の“流域”-平時から身につけたい流域の視点と発想(2019年6月18日公開)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56707



今回は、利根川を「流域」という観点から考えてみたいと思います。関東を群馬県の水源から千葉県の銚子河口まで流れる利根川は、日本最大級の大河川。その利根川は江戸時代は水運で栄え、幕府にとっては戦略的な大動脈であった!

ところが、利根川が現在のような形になってから、まだ400年足らず。江戸時代初期に60年かけた大工事で、流れが変えられたのです。


(『利根川図志』と『新・利根川図志』 筆者撮影)


そんな利根川について、「流域」という観点から捉えたのが、幕末に生きた下総国布川の医師・赤松宗旦(あかまつ・そうたん)下総国布川は、現在の茨城県北相馬郡利根町です。


(『利根川図志』の著者・赤松宗旦の旧宅 筆者撮影)


その著書『利根川図志』と柳田國男による日本民俗学の誕生にまつわる秘話を紹介します。少年時代に利根川沿岸に移り住んで『利根川図誌』を愛読してきた柳田は、後年になってからみずから校訂して、岩波文庫から『利根川図誌』を1938年に出版しています。


(「柳田國男記念公苑」のパンフレット 筆者撮影)



 「流域」の発想で地域を元気に!!!


画像をクリック!



<ブログ内関連記事>

書評 『水運史から世界の水へ』(徳仁親王、NHK出版、2019)-歴史学から世界の水問題へ「文理融合」の実践

「城下町・古河」をはじめて歩いてみた(2019年5月5日)-日光街道の街道筋で利根川と渡良瀬川が合流する地域にある古河は、かつて交通の要衝だった

書評 『柳田国男と梅棹忠夫-自前の学問を求めて-』(伊藤幹治、岩波書店、2011)-「民俗学」と「比較文明論」という独創的な学問分野を切り開いた知の巨人たち

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!

書評 『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992)-静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち
・・富士川「流域」でつながっていた静岡と山梨。旧幕臣でキリスト教の伝道者、そして柳田國男の先駆者であった山中共古

(2019年6月21日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end