出版直後に購入したまま読んでいなかった本を「馬」年関連なので読んでみる。これはその一冊である。
いまから16年前の1998年に出版されたこの本を買ったのは、社会言語学者でモンゴル学者の田中克彦氏の本によく出てくるのが、その先生である亀井孝(かめい たかし)氏だからだ。
わたしが大学に入った頃は亀井氏はすでに退官して久しかったので残念ながら謦咳に接したことはない。この選書版も著者の死後4年目に出版されたものだ。
亀井孝(1912~1995)は、「かめい たかし」と名前をひらかなで書くことも多い。一センテンスが長く、ちょっとまわりくどい独特の文体である。とはいえ、小説家の谷崎潤一郎の文体もそうだが、見かけのとっつきにくさとは異なり、じっさいに読んでみると、長いセンテンスであるのにかかわらず、切れ味の鋭いきわめてロジカルな文章である。
本書は、日本語の単語の語源を専門の言語学の観点から追求した論考が編集されて一冊になったものだが、収録されている「かァごめかごめ」(1971年)という論文は内容もさることながら文体に特徴がある。ひらかなの多い、しかも分かち書きの文章は、日本語が漢字を廃止してかな文字化したりローマ字化したらこういう文章になるという見本と考えてもいいだろう。
■語源を日本語の「音」からさぐる随筆的論考の数々
馬のいななきの「ひんひん」も「ピンピン」だったと考えると、いななきの音声をそのまま写したのではなく、馬が立ち上がりながらいななく姿に「ピンピン」の語感が反映していると捉えるべきだという主張には説得力がある。
「古代人のわらいごえ」(1960年)によれば、「は」はもともと「パッ」というはじける音だから爆笑を意味する表記。現在風にいえば(爆)と表記されるところだろう。かならずしも「は」という音声を示しているのではない。
「春鶯囀」(1959年)と「誰か鴉の声を弁ぜん」(1946年)もまた、日本語の「ハ行」の音についての論考であもある。日本語の「h音」がかつては「p音」で発音されていたことは常識としておきたいものだ。
鳥のさえずりピーチクやおしゃべりのペチャクチャもそうだ。鳥が「ピーチク」というのはお馬が「ひんひん」と同じで鳥の鳴き声そのものではない。ピーチクとペチャクチャに共通するのは「*p-t-k」音。ウグイスの「いす」も「ひす」であり、かつては「ピス」であったことを考えてみるべきだ、と。
このほか、「かァごめかごめ」(1969年)は、「かごめ」は「囲む」の異形「かごむ」の命令形「かごめ」だが、なぜ濁音 なのか? このテーマは、「懴悔考・女郎考」、「女郎考補記」、「女郎考追記」(いずれも1959年)にも共通するが、高い身分であった「上臈」が「女郎」に変化する社会言語学的なコトバと社会の関係の考察が面白い。女郎とお嬢さんが関係語だとは現代人は考えもしないだろう。日本語は漢字にとらわれず音韻で考えることが必要なのだ。
「「さざれ」「いさご」「おひ(い)し」-石に関することばのうちから」(1962年)は、古代日本人の生命観が反映した「いし」というコトバにかんする論考。『古今集』の歌をベースにした「君が代」の歌詞にでてくる「さざれいし」の意味もこれであきらかになる。『天皇制の言語学的考察』(1974年)をもともとドイツ語で執筆した人であることも想起しておきたい。
言語学と民俗学の接点に近いものといえようか。折口信夫は直観的な発想をそのまま断定的に書いているが、亀井孝の場合はあくまでも言語学にもとづいたロジカルな推論を記している。
■亀井孝の「国語学」と「言語学」
亀井孝の基本的な姿勢は以下の三つのフレーズに集約されていると思う。
「おとこそ たましい である」(P.79 「かァごめかごめ」)
「文字は所詮ことばの幻影でしかない」(P.147 「女郎考追記」)
「意味の研究はすぐれて民俗の研究であるといいうるのである」(P.211 「虹二題」)
コトバを音韻を基本にして歴史的にさかのぼって考える姿勢だ。国学者の学問の基本は言語研究(フィロロギー)にあるのだが、亀井孝氏はそういう国学者の言語研究を近代言語学の方法論によって行った人だといえるような気もする。
亀井孝の師匠の一人は、音韻にもとづく厳密な研究を行った国語学者の橋本進吉。岩波文庫に『古代国語の音韻に就いて(他二篇)』が収録されている。国語学者・大野晋の師でもある。もう一人の師は国文学者の倉野憲司。おなじく岩波文庫で、『古事記』(1963)を校注している。
そして忘れてはいけないのが近代言語学の父であるソシュールである。亀井氏はソスュールとフランス語の原音に近い表記をしているが、ソシュールのシニフィアンとシニフィエ、通時的と共時的という概念を知っていると本書に収録されている論考をさらに面白く読めることだろう。
書籍紹介には、「戦後半世紀の国語学界の歯に衣きせぬ論客であり、「超俗の風流人」と幸田露伴に言わしめた、学問真実以外の何者をも恐れなかった「畸人」一橋大学名誉教授・亀井孝の学風と人生を追う」、とある。
亀井孝の肩書は「国語学者」であるが、古典ギリシア語やラテン語にも精通しており「言語学者」としての素養を根底にもつ人でもあった。室町時代後期から戦国時代にかけての日本語の貴重な宝庫である『日葡辞書』はイエズス会の宣教師が日本布教のために作成されたものだが、その読解にはラテン語が不可欠である。「"月のごとくにいつくしき"-古版のまりあの像の、その賛について」(1963年)はその好例をみることができる。
その人となりと業績については、『圏外の精神-ユマニスト亀井孝の物語-』(小島幸枝、武蔵野書院、1999)という本がじつに面白い。「圏外」というのは「圏内」でも、「境界上」の人でない。生前も死後も権威主義の象徴である叙勲をいっさい拒否した人の、学会もその一つである「世間」との距離の取り方は独特なものであった。
目 次
古代人のわらいごえ
死に関する日本語について
春鶯囀誰か鴉の声を弁ぜん
お馬ひんひん
かァごめかごめ
「さざれ」「いさご」「おひ(い)し」-石に関することばのうちから
懴悔考・女郎考
女郎考補記
女郎考追記
長夜十眠-歳旦にちなみて
"月のごとくにいつくしき"-古版のまりあの像の、その賛について
鐘楼蝙蝠録
虹二題
調
編集の後に(小出昌洋)
著者プロフィール
亀井孝(かめい・たかし)
1912年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。一橋大学、成城大学教授を経て、東洋文庫研究員。「国語学よ、死して生れよ」をテーゼとする。主要著書に「亀井孝論文集」。1995年没。(hontoの著者紹介文より)。
『言語学の戦後-田中克彦が語る〈1〉』(田中克彦、聞き手:安田敏朗/土屋礼子、三元社、2008)には、「天皇制の言語学的考察―ベルリン自由大学における講義ノートより」(亀井孝)が寺杣正夫(=田中克彦)による抄訳によって収録されている。
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古事記と勾玉(まがたま)
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