(バンコク市内の水上バス)
ヴェネツィアはイタリア北部のアドリア海に面した「海洋国家」で、マルコポーロ以来、「東洋への窓口」として生きてきた。「ヴェネツィア映画祭」で日本をはじめとするアジア人監督の作品の受賞が多いのは、そうしたヴェネツィアの歴史によって形成されてきた風土があるからだろう。
ヴェネツィアが、水と共生してきた都市国家の長い歴史を有していることは、塩野七生の名作 『海の都の物語』で日本人にも親しいものとなってきた。また、須賀敦子の『ヴェネツィアの宿』など、日本でもヴェネツィアを舞台にした作品は多い。
ヴェネツィアは「水の都」と呼ばれることも多い。ロシア帝国の首都であったサンクト・ペテルブルクは「北のベニス」と言われてきた。オランダのアムステルダムをモデルの設計されたペテルブルクもまた、運河の多い美しい港町である。
(これが本家本元のベニス=ヴェネツィア 筆者撮影)
「●●という町は▲▲のベニスと言われてきた」という記述は多いのだが、逆に「▲▲のベニスと言われてきたのは●●である」という記述が意外に少ない。では「東洋のベニス」とはどこを指しているのか?
まずは、日本でもファンの多い中国は江南の蘇州であろう。蘇州は、わたしはまだ訪れたことがないのがじつに残念なのだが、写真や映像で見る限り、日本人好みの漢詩的な風景がいまでも保存されている、たいへん風情のある観光名所だ。
縦横に張り巡らされた水路が旅情を誘う蘇州だが、日本でいえば福岡県の柳川や佐賀県の佐賀市の「クリーク」(creek)ようなものか。江南の地の水路はかつては日本でもクリークと呼ばれていたようだ。ノスタルジックで風情ある、まさに絵になる風景である。
かつてバンコクもまた、「東洋のベニス」と呼ばれていたことがあるのをご存じだろうか。19世紀の頃だ。西欧人がそう命名したのである。
バンコクはいまでは水路が埋め立てられて、そのほとんどが道路となってしまっているが、かつては縦横に水路が張り巡らされた文字通りの「水の都」だったようだ。これは東京も同じようなものだろう。
(お茶の水 神田川にかかる聖橋 筆者撮影)
東京には数寄屋「橋」や京「橋」、それに日本「橋」といった地名が現在も残っているが、そこには水路も橋も存在しない。数寄屋橋が水路のままだったら、どれだけ風情のあることだろうか。バンコクもまた同じである。
(東京・月島付近 隅田川ウォーターフロント)
厳密には東京都内ではないが、東京ディズニーランドが立地する東京湾岸の千葉県浦安市は、「3-11」の大地震の際に大規模な液状化が発生したことが記憶にあたらしい。
バンコクもまた、ヴェネツィアと同様に地盤沈下という問題を抱えている。かつてのような美しさはすでに失われているが、水辺の弱い地盤という地質学的な状態にかんしては、現在でも「東洋のベニス」であることは確かなのである。
■クロンというタイの水路
バンコクの水路はタイ語でクロン(klong)という。水路はすべてが埋め立てられたわけではなく、市街地のなかに生き残っている。
水路を生活に利用しているバンコクの姿は、Klongs - Thai Waterways and Reflections of Her People (Pamela Hamburger, 2008)というカラーの写真集がおすすめだ。バンコクで出版されたこの写真集は現在は電子書籍化されて Kindle で見ることができる。外交官の妻であるアメリカ人アーチストによるものだ。
(バンコクの水路をテーマにした写真集)
タイ人自身によるものとしてはスラット・オスタヌグラフ氏(1930~2007)の『グッバイ・バンコク Goodbye Bangkok』(バンコク、2003)というモノクロの写真集がじつに味わい深い。たまたまバンコク市内の洋書店でみかけて、気に入ったので購入したものだ。
(「消えゆくバンコク」を写したタイ人写真家の写真集)
スラット氏はリタイア後に本格的に写真をはじめた人らしいが、1999年から2001年にかけて撮影されたモノクロ写真の数々を見ていると、写真家が水辺で暮らす人々の日常生活に抱いている古き良きバンコクを愛惜する気持ちが伝わってくる。Vanishing Bangkok (消えゆくバンコク)という写真展(2002年)のサイトをみてみるといいだろう。
この記事の冒頭に掲載した写真は、ジム・トンプソンハウスの裏にある水路。ヴェネツィアのヴァポレット(Vaporetto)と同様、現在でもバンコクでは水上バスが現役である。
道路の混雑ぶりは、BTS(高架鉄道) ができても MRT(地下鉄)ができてもいっこうに改善される見込みがないが、水上バスは混雑とは無縁のようだ。
ただし、バンコクの水路には生活排水が流れ込み、ゴミも不法投棄されていて汚染されている。悪臭を放つドブのようなものも多い。
水上バスの乗客は、水路の汚染水の水しぶきを浴びないように気をつける必要がある。水上バスにはビニールシートが貼ってあるが、十分ではない。
■「東洋のベニス」だった頃の前近代のバンコク
バンコクの水路が「東洋のベニス」と呼ばれていた頃はどんなものだったのか想像してみるには、観光スポットになっている水上マーケット(floating market)を訪れてみればいい。
あるいは隣国ミャンマーのインレー湖を訪ねてみるといいだろう。生活のほぼすべてがモーターボートや小舟の利用によっている。三度目のミャンマー、三度目の正直 (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)というブログ記事を参照されたい。
前近代のタイの水路を想像するのは、『ナン・ナーク』(1999年)のようなタイ映画をみるとよいだろう。
(タイ映画 『ナン・ナーク』 予告編より)
『ナン・ナーク』(Nang Nak)は、19世紀の実話に基づいた定番の怪奇映画で、1999年製作の最新版が映像とゆったりした時間の流れがいかにもノスタルジックなものを感じさせる映画のなかではバンコクと近郊の農村を水路をつかって舟で縦横に移動するシーンがたくさんでてくる。
『ナン・ナーク』の舞台プラカノーンは現在はバンコク市内になっているが、水路は現在でも現役である。『ナン・ナーク』については、書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-で触れている。
■「水の民」であるタイ人
タイ人は「水の民」だというのは日本のタイ研究の草分けであった石井米雄氏がなんども強調していたことだ。
タイ族は基本的に北から南下してきた民族で、メコン川、チャオプラヤー川などの主要水系によって習俗も異なるという。タイは東西方向のの平面ではなく、南北方向の水系単位で見よ、ということだ。基本的に中国の雲南方面の山岳地帯から南下してきたのがその歴史である。
(バンコク中心部を流れるチャオプラヤー川 平常時でも水かさがある)
エジプトのナイル川ではないが、タイのチョプラヤー川もまた、上流から運ばれてきた肥沃な土壌が稲作に欠かせないものであった。大洪水は大きな問題だがそう頻繁におこるものではない。多少の増水は想定内のものであるし、稲作農業には欠かせないものなのだ。
工業団地の工場の多数が水没(!)するという事態が発生したのだが、水田地帯を埋め立てて工業団地を造成したのである以上、ある意味では避けられないことであったのかもしれない。バンコクは、チャオプラヤー川が大きく蛇行するデルタ地帯の砂州に形成された、地盤のきわめて弱い都市である。
ウィットフォーゲルの『オリエンタル・デスポティズム』(東洋的専制主義)は、水利社会論から中国社会の本質を解明した大作だが、ウィットフォーゲルが政治的支配を生み出す源泉として着目したのは「水の管理」という観点である。
ウィットフォーゲルの区分によれば、「遊牧」、「牧畜」、「天水農法」、「灌漑農法」が区分されるが、「灌漑農法」のもとで巨大官僚制による管理が成立した典型が中国であり、とくに中国北部がそれに該当する。ロシアもまた「東洋的専制主義」そのものであると指摘されている。
タイは日本と同様に「天水農法」に分類される。水にめぐまれた風土では、中国のように人間のチカラで大規模に水利を管理しようという発想が生まれにくい。自然にさからわず、自然のめぐみを享受するという発想だ。ときには自然の猛威に翻弄されることもあるとはいえ・・・。
(欧米人にはタイ人は「水の民」というイメージがある)
水との共生、水とともに生きる人々。この点に日本人が無意識レベルでタイに引かれる側面があるのかもしれない。だが現実には、エンターテインメントや食事など別の要素がタイとバンコクへと日本人をいざなう要因となっている。
いつの日か、バンコクがふたたび「東洋のベニス」と呼ばれていたことが思い起こされるといいのだが・・・。ポストモダン(後近代)の観光資源としては、仏教寺院などよりもはるかにリピーターを呼び寄せることのできるものになるはずと思うのだ。
だが、そのためにはまず水路網の再整備と水質浄化が課題となる。まだまだ開発経済の渦中にあるタイとバンコクには、それは期待してもムリな話かもしれないが・・・。
(バンコク市内を蛇行するチャオプラヤ川 『新詳高等地図』(帝国書院)より)
PS 2012年の秋にバンコクも大きな被害を受けた大洪水の際に書き始めたまま放置していた原稿だが、現在は野党になっている「黄色シャツ派」が呼びかけている「バンコク封鎖」(Bangkok Shutdown)にかかわらず、対策として水上バスを使って通勤する人も少なくないことを知って、執筆を再開することにした。もっと文章を練るべきなのだが、いつまでも放置していても仕方ないので、仕上がり具合はあまりよいとは思わないがアップすることにした次第。 (2014年1月19日 記す)。
<参考文献>
●『タイの水辺社会-天使の都を中心に-(水と<まち>の物語)』(高村雅彦=編著、法政大学出版局、2011)
●『バンコクの高床式住宅-住宅に刻まれた歴史と環境-(ブックレット≪アジアを学ぼう⑨≫』(岩城孝信、風響社、2008)
●『東南アジアの自然 講座東南アジア学②』(高谷好一=編集責任、弘文堂、1990) 「第Ⅲ部 世界のなかの東南アジア 7章 稲作と水利」
<関連サイト>
スラット・オスタヌグラフ氏のウェブサイト (英語)
スラット氏のfacebookページ (英語)
タイ映画「ナンナーク」 日本版予告編
<ブログ内関連記事>
『龍と蛇<ナーガ>-権威の象徴と豊かな水の神-』(那谷敏郎、大村次郷=写真、集英社、2000)-龍も蛇もじつは同じナーガである
三度目のミャンマー、三度目の正直 (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)
書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-
・・『ナン・ナーク』などのタイの「怪奇映画」
書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ
書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-
・・『ナン・ナーク』などのタイの「怪奇映画」
書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ
バンコクへの渡航は自粛を!-タイの大洪水と今後の製造業立地の方向性について (2011年10月26日)
・・チャオプラヤー川とバンコクの関係について
ひさびさに隅田川で屋形船を楽しむ-屋形船は東京の夏の楽しみ!
書評 『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ、清水由貴子訳、柏書房、2013)-出版ビジネスを軸にしたヴェネツィア共和国の歴史
(2014年5月11日 情報追加)
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