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2014年4月19日土曜日

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860 ~ 1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた(2014年4月15日)ー まさに内容と器が合致した希有な美術展

(三菱一号館美術館の入り口)

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた。会期は、2014年1月30日から5月6日まで。

「英国の世紀末美術」である「唯美主義」の全体像を紹介した美術展だ。絵画、素描、家具、工芸、宝飾品などで構成されている。

「唯美主義」とは、「美のための美」をモットーにしたもの。「美」以外の、いかなるものでもない「美のための美」。英語では art for art sake(・・フランス語なら L'art pour l'art)である。

それにしても三菱一号館美術館の趣味はいい。しかも、美術展の展示内容が、オリジナルの三菱一号館が東京・丸の内に建設されたのと同時代。土佐の岩崎彌太郎が創業した日本郵船会社(NYK)という海運を中核に財をなした三菱財閥がモデルとしたのは、言うまでもなく英国であった。

当時は、大英帝国の最盛期であり、日本のビジネス界全体が英国をモデルにしていたのである。そのためであろう、英文学その他の文芸美術もまた、キャッチアップすべき先進国であった英国風が好まれた時代であった。


(復元された三菱一号館と美術展のバナー)

文部省から派遣されて1900年(明治33年)から2年間ロンドンに留学していた夏目漱石は、研究対象の英国文学だけでなく、最盛期は過ぎていたとはいえ、ほぼ同時代人として(!)リアルタイムで鑑賞していた英国の世紀末美術に影響されている。漱石理解を深めるためにも熟知しておく必要のある美術展であるといってもいい。

主催者による美術展の内容を紹介しておこう。

19世紀後半の英国でおこった唯美(ゆいび)主義運動の全体像を、日本で初めて紹介する展覧会です。
唯美主義運動とは、「芸術のための芸術」を合言葉に、芸術はただ美しくあるべきだとする立場です。産業革命を経て工業化が進展した1860年代、英国の芸術家たちは、効率や生産性を追求するあまりデザイン性に劣る自国製品に不満を持ちました。そこで従来とは異なる視覚的な美しさを追求した絵画のほか、日本やギリシャの影響を受けた斬新な家具や工芸品を生み出していきます。
唯美主義は書籍などを通じて一般家庭にも浸透し、一般家庭のインテリアをも変えていきました。やがて世紀末には退廃的なデカダンスへと発展し、その終焉を迎えます。
本展では、英国のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の所蔵品を中心に、絵画、家具、工芸、宝飾品、写真など約140点を展示します。運動の多様な広がりを示すように、出品作家は多岐にわたります。室内装飾などで知られるデザイナーのウィリアム・モリスをはじめ、画家であり詩人としても活躍したダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、画家のフレデリック・レイトンやアルバート・ムーア、さらには戯曲「サロメ」を書いた作家オスカー・ワイルドとその挿絵を描いたオーブリー・ビアズリーまでを一挙にご紹介します。

「英国の世紀末芸術」といえば、なんといってもバーン=ジョーンズであろう。

(バーン=ジョーンズ 「いばら姫」連作(1870~1890)の一枚)

同時期に六本木の森アーツセンターギャラリーで開催されていた『ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢』(2014年1月25日~4月6日)には行かなかったのは、すでに展示品の大半は過去何度も開催されてる美術展で何度も見ているからだ。

「ラファエル前派」といえば、エドワード・バーン=ジョーンズ以外にはダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとジェイムズ・マクニールホイッスラーの名前をあげなくてはならない。

面白いことに、ロセッティは名前からもわかるようにイタリア系英国人ホイッスラーは米国人であった。このほか今回の美術展でも紹介されているシメオン・ソロモンなどユダヤ系の画家や、彼らのパトロンが海運で財を築いたギリシア系英国人実業家であったりと、世界中の富がロンドンに集積していた時代のグローバルパワーが大英帝国であった。

「英国の唯美主義」とは、ヴィクトリア時代の道徳至上主義への反発から生まれたものであったが、資本主義の中心であった大英帝国の存在抜きには成り立たないものであったことは注意しておく必要があるだろう。

(三菱一号館の建物内部 美術館の外)

わたしがバーン=ジョーンズに目覚めたのは、大学学部時代に聴講した英文学者・河村錠一郎教授の「美術史」の影響が大きいと思う。モローやルドンが好きだというもともとの傾向に加え、ベルギー象徴派やラファエル前派の存在を教えていただいたことは大きい。スライドを多用し、独自の美学に基づいたレクチャーであった。

わたしは正直なところ、英国というものにそれほど強く心惹かれるわけでない。だが、「ラファエル前派」だけは別だ。英国の世紀末美術は別格なのだ。

ヴィクトリア時代への反動が生み出した唯美主義は、もともとはアンチとしての「中世」であったわけだが、アンチが対象としたヴィクトリア朝がとうの昔に消え去ったいまでも「ラファエル前派」の魅力がいっこうに薄れる気配もないのは、「世紀末美術」というものが、すでに評価が定まり、流行に左右されることがなくなったからであろうか。

「世紀末美術」と「アーツ&クラフツ運動」という工芸品の世界との関係を知るうえでも必見の美術展である。繰り返すが、中身と器の両方がフィットした希有な美術展である。

ポスターに使用されているアルバート・ムーアの「真夏」は大作である。この作品は今回の美術展の目玉の一つといっていいだろう。

(アルバート・ムーア 「真夏」 1887年)


アングロ・ジャパニーズ・スタイル

「英国の世紀末芸術」である「唯美主義」にもっとも大きな影響を与えたのは古代ギリシアと日本である。とくに日本美術がインスピレーションの源泉として大きな位置づけをもっていたようだ。

帝国主義のパワーを背景に古代ギリシアの遺跡を発掘しては美術品を持ち帰り、大英帝国の国際貿易をつうじて日本の美術品が世界の中心であるロンドンに集まってきた。

デザインの世界ではアングロ・ジャパニーズ・スタイル(Anglo-Japanese Style)という折衷様式も生まれていたようだ。wiikipedia の記述の一部を引用しておこう。

The Anglo-Japanese style developed in the period from approximately 1851 to 1900, when a new appreciation for Japanese design and culture affected the art, especially the decorative art, and architecture of England. The first use of the term "Anglo-Japanese" occurs in 1851. The wider interest in Eastern or Oriental design and culture is regarded as a characteristic of the Aesthetic Movement during the same period.

Googleで Anglo-Japanese Style を画像検索すれば、どういうスタイルか理解できるだろう。装飾性豊かな工芸品がことのほか当時の英国では好まれたようだ。インテリアや紅茶カップなどの日用品のデザインである。

日本趣味というと、フランス語の「ジャポニスム」(japonisme)として、どうしてもフランス印象派やゴッホなど浮世絵からの影響を想起するが、大英帝国もまた英語の「ジャパニズム」(Japanism)として日本趣味を全面的に受容したのである。




その背景にあったのが、ウィリアム・モリスを中心とした「アーツ・アンド・クラフツ運動」である。モリスのデザインといえば、とくに壁紙(ウォールペーパー)が有名である。

大量生産の規格品に対するアンチテーゼとしての手工芸品(ハンドメイド)であったが、手作りの特注品であるだけにかえって高価となり、一般民衆とは遠いものなってしまったのが現実であった。

ようやく一般庶民のものとなったのは、大量生産によって「複製」されることによってである。


唯美主義から耽美主義へ-オスカー・ワイルドとオーブリー・ビアズリー

いわゆる「耽美主義」の代表者である画家のビアズリーや文学者のオスカー・ワイルドが好きだといっても、正統派の美術や文学趣味とは見なされてこなかった。いまでもそうかもしれない。

わたしは高校時代からビアズリー好きなのだが、それはビアズリー画集が廉価版のペーパーバックとして出版されており、日本でも洋書店で簡単に入手可能だったことも理由の一つかもしれない。黒白の線画は、複製する際にもコスト安のはずだ。

ビアズリーもまた、日本の浮世絵に大きく影響されて平面的な構図と線描の美しさが特徴であるが、こういった説明を知ったのはあとになってからのことだ。無意識レベルでビアズリーが好きだという気持ちを抱いたのは、「軽さ」を体現していたからであろう。

ビアズリーはイラストレーション以外にグラフィック作品も多く遺している。今回の美術展の主要テーマの一つである「アーツ&クラフツ運動」との関連もある。そもそもバーン=ジョーンズの強い推薦によって『アーサー王の死』を仕上げたのが、ビアズリーがデビューするキッカケであった。

オスカー・ワイルドの『サロメ』の劇作家・福田恒存(ふくだ・つねあり)による旧字旧かなによる日本語訳が、ビアズリーのイラストつきで岩波文庫に収録されている。とうのむかしに著作権が切れているから、こういうことも可能なのだろう。

『サロメ』には、日夏耿之介訳もあることは意外と知られていないようだ。『院曲サロメ(撒羅米)』というタイトルで、こちらもビアズリーのイラスト入り。復刻版が出版されている。福田恒存の訳も旧字旧かなだが、日夏耿之介訳はさらに絢爛な漢字をちりばめた日本語である。


この『サロメ』は、もともとユダヤ系フランス人の名女優サラ・ベルナールのためにフランス語で執筆されたものだ。新約聖書の「マタイ伝」に材をとったサロメは、世紀末にふさわしいファム・ファタールの一つの典型である。

『サロメ』は、英国ではなんと1931年(!)まで上演できなかったという。「不道徳」というレッテルを張られていたためである。偽善に満ちたヴィクトリ朝的な道徳が、20世紀に入ってからも長く続いたということか。ワイルドは同性愛を理由に投獄されることになるが、英国で同性愛が犯罪ではなくなったのは、なんと1967年のことである。

この展覧会ではビアズリーによる『サロメ』のイラストの実物を見ることができる。書籍用のイラストなので判型は小さい。

(明らかに日本の影響とされるピーコックスカート)

谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』のビアズリーばりのイラストと装画は水島爾保布(みずしま・におう)が担当しているが、日本美術の影響を受けたビアズリーの影響を、回り回ってふたたび日本人のアーチストが影響を受けるという関係が面白い。今回の美術展では影響の系譜は展示されてないので付け足しとして。

重要なことを書き忘れていた。オスカー・ワイルドもまた英国人ではあるがイングランドの人間ではないケルトの伝統を背負ったアイルランド人であり、オックスフォード大学で古典ギリシア語で優等で卒業した人である。アイルランド、ギリシア、日本・・とつなげていくと、連想はラフカディオ・ハーンに行き着くことになる。

ワイルドは出獄後はフランスに渡り、1900年にパリにて死ぬ。そしてこの年をもって「英国の唯美主義」も終わりを告げることになる。

ワイルドの死は、「英国の唯美主義」にとっても、きわめてシンボリックなものであったといえよう。

(『サロメ』CDジャケットのオスカー・ワイルド)

<参考>

オスカー・ワイルドと日本趣味

The Decay of Lying  by Oscar Wilde  『虚偽の頽廃』(1889年)

VIVIAN. I don't think so. After all, what the imitative arts really give us are merely the various styles of particular artists, or of certain schools of artists. Surely you don't imagine that the people of the Middle Ages bore any resemblance at all to the figures on mediaeval stained glass, or in mediaeval stone and wood carving, or on mediaeval metal-work, or tapestries, or illuminated MSS. They were probably very ordinary-looking people, with nothing grotesque, or remarkable, or fantastic in their appearance. The Middle Ages, as we know them in art, are simply a definite form of style, and there is no reason at all why an artist with this style should not be produced in the nineteenth century. No great artist ever sees things as they really are. If he did, he would cease to be an artist. Take an example from our own day. I know that you are fond of Japanese things. Now, do you really imagine that the Japanese people, as they are presented to us in art, have any existence? If you do, you have never understood Japanese art at all. The Japanese people are the deliberate self-conscious creation of certain individual artists. If you set a picture by Hokusai, or Hokkei, or any of the great native painters, beside a real Japanese gentleman or lady, you will see that there is not the slightest resemblance between them. The actual people who live in Japan are not unlike the general run of English people; that is to say, they are extremely commonplace, and have nothing curious or extraordinary about them. In fact the whole of Japan is a pure invention. There is no such country, there are no such people. One of our most charming painters went recently to the Land of the Chrysanthemum in the foolish hope of seeing the Japanese. All he saw, all he had the chance of painting, were a few lanterns and some fans. He was quite unable to discover the inhabitants, as his delightful exhibition at Messrs. Dowdeswell's Gallery showed only too well. He did not know that the Japanese people are, as I have said, simply a mode of style, an exquisite fancy of art. And so, if you desire to see a Japanese effect, you will not behave like a tourist and go to Tokio. On the contrary, you will stay at home and steep yourself in the work of certain Japanese artists, and then, when you have absorbed the spirit of their style, and caught their imaginative manner of vision, you will go some afternoon and sit in the Park or stroll down Piccadilly, and if you cannot see an absolutely Japanese effect there, you will not see it anywhere. (*太字ゴチックは引用者=さとう)

とくに最後の一節の内容に注目されたい。わたしなりに意訳しておこう。

「ジャパン・エフェクト(=日本趣味によってもたらされるもの)を感じるためには東京に行く必要はない。自宅にいてジャパン・エフェクトのインテリアのある部屋に身を浸していればいいのだ。そしてロンドン市内のハイドパークのベンチに座り、ピカデリーサーカスを散歩してみればいい。もしそこに究極のジャパン・エフェクトを見いだせないのなら、どこにも見いだすことはできないということだ」

「自然は芸術を模倣する」理論を日本趣味に適用した発言である。ワイルドは作家としてデビューする前にすでに「唯美主義」を体現する人物として有名であったが、1882年のアメリカ講演旅行が成功した際にには、ついでに「唯美主義の聖地」である日本まで行きたいという希望を持っていたらしい。資金の見通しがないので実現はしなかったようだ。その時点では、すでに米国と日本を結ぶ太平洋航路は存在していた。

残念ながら、7年後の1889年に書かれた、上掲の『虚偽の頽廃』(The Decay of Lying)にあるとおり、結局のところ生きているあいだに日本にも東京に行くことはなかった。それが本人にとって幸福だったかどうかはわからない。






<参考文献>

『イギリス美術』(高橋裕子、岩波新書、1998)
・・とくに後半のブレイク以降の英国美術は「唯美主義」理解のために必読

『世紀末芸術』(高階秀爾、ちくま学芸文庫、2008 初版 1963)
・・英国も含めた「世紀末美術」を西洋美術史のなかに位置づけた先駆的な名著

『世紀末芸術の楽しみ方(とんぼの本)』(河村錠一郎、青土社、1998)
・・英文学者で美術研究家によるビジュアルな案内本。必携

『オスカー・ワイルド-「犯罪者」にして芸術家-』(宮崎かすみ、中公新書、2013)

『英国の世紀末』(富士川義之、新書館、1999)

『漱石と世紀末芸術』(佐渡谷重信、講談社学術文庫、1994)

『バーン=ジョーンズの芸術』(ウォーターズ、ハリスン、川端康夫訳、晶文社、1997)

『ビアズリーと世紀末』(河村錠一郎、青土社、1980)

『ブックス・ビューティフル-絵のある本の歴史-Ⅰ・Ⅱ』(荒俣宏、ちくま文庫、1995)




<関連サイト>

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館 公式サイト)



<ブログ内関連記事>

三菱財閥関連

「カンディンスキーと青騎士」展(三菱一号館美術館) にいってきた(2010年12月) ・・三菱一号館美術館については、この記事を参照いただきたく

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない! ・・これもまた三菱財閥のもの

書評 『岩崎彌太郎- 「会社」の創造-』(伊井直行、 講談社現代新書、2010)-"近代人"岩崎彌太郎がひそかに人知れず「会社」において実行した"精神革命" ・・三菱財閥の生みの親

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世界中から「富」と「人」が集まってきた大英帝国

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である
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書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?
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(2015年6月17日 情報追加)


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