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2014年12月22日月曜日

書評『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く


偉大すぎる父をもった二代目の不幸、そして三代目でみずから没落を受け入れた一族の歴史である。

「偉大すぎる父」とは、日本近代化をビジネスの側面から推進した「日本資本主義の父」で子爵となった渋沢栄一である。そして三代目は戦時下の日銀総裁と敗戦後の混乱期に大蔵大臣を歴任した渋沢敬三。そしてその中間にいる「知られざる二代目」は、偉大すぎる父という重圧に耐えきれず遊蕩の世界に惑溺した渋沢篤二。

栄一、篤二、敬三とつづいた「渋沢家三代」の歴史は、名前をつづけると「一二三」となるが、ホップ・ステップ・ジャンプの三段跳びとはいかなかった。敗戦後のGHQ統治下における「財閥解体」を契機に、三代目は「偉大すぎる祖父」の重圧から逃れるため、みずからニコニコと没落を選択する。渋沢家三代は、まさに日本近代そのものであった。

渋沢家三代の当主でもっとも知られているのは、いうまでもなく渋沢栄一である。

渋沢栄一については、「日本資本主義の父」というフレーズで、いまでも語られることのきわめて多い存在である。日本のエスタブリッシュメントといわれる大企業のきわめて多くに渋沢栄一の息がかかっている。

(三代目 渋沢敬三 第17代日銀総裁、民俗学者)

三代目の渋沢敬三は、日銀総裁と大蔵大臣という公人としての側面だけでなく、みずからも民俗学の研究者でありパトロンであったという側面もあった。このことは、本書の著者・佐野眞一氏のノンフィクション作品 『旅する巨人-宮本常一と渋沢敬三-』(文藝春秋、1996)で全面的に取り上げられて以来、ようやく一致して捉えられるようになったが、いまでもまったく相異なる世界であることには変わりない。

柳田國男と折口信夫が日本民俗学の二大巨人であるとすれば、徹底的に日本国内を歩き回った点では折口信夫をしのぐ存在の宮本常一をあげねばなるまい。その宮本常一のパトロン的存在で、かつみずから民俗学者であったのが渋沢敬三であった。 

渋沢敬三が私費を投じたパトロネージのおかげで、民俗学者や人類学だけでなく自然科学から社会科学にいたるまで、かならずしも「実学」ではないが、日本にとって重要な学問が保護育成されたのである。ここには書き記さないが、梅棹忠夫などそうそうたる学者たちの名が239ページに記載されている。渋沢敬三が蒐集した民具のコレクションが、梅棹忠夫が初代館長を歴任した国立民族学博物館(・・通称みんぱく)のコレクションの一部として引き継がれたことは知っておきたいことだ

その意味では、渋沢敬三の存在はきわめて大きなものがあった。江戸時代から昭和にかけての「殿様生物学者」に匹敵する存在であったというべきだろう。

渋沢栄一という希有な存在を持ち得たことは近代国家としての日本にとっては、まことにもって幸いなことであった。だが、プライベートの側面においては、かならずしもそうであったとはいえない。そんな家に生まれてしまったがゆえに受ける精神的重圧。二代目は遊蕩の世界に惑溺したが、三代目は学問の世界で蕩尽した。

著者は、本書の最後を以下のような文言で締めくくっている。

栄一は近代的企業の創設に命を燃やした。篤二は廃嫡すら覚悟して放蕩の世界に惑溺した。そして敬三は学問発展に尽瘁(じんすい)して、ついに家までつぶした。事業にしろ遊芸にしろ、自分の信じる世界にこれほど真摯に没入していさぎよく没落していった一族が、ほかにいただろうか。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

「カネは稼ぐより使うほうがむずかしい」とはよくいわれることだが、社会企業家の先駆者ともいえる渋沢栄一だけでなく、渋沢家は三代にわたって見事にカネを使ったといえるのではないだろうか。

『渋沢家三代』の歴史は、日本近代史そのものである。渋沢栄一だけとりあげて礼賛するだけでは、日本近代を全体的に把握することはできないのである。





<補足>

宮本常一にかんする佐野眞一の記述は、「観察力」のあり方について、拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(佐藤けんいち、こう書房、2012)にも要約して引用しておうたので、ぜひ参照していただければと思う。「第2章 「引き出しの増やし方②-徹底的に観察する」の「4. 観察する際の視点のあり方」で、佐野眞一氏の本から宮本常一の『民俗学の旅』に記された10か条の人生訓を引用している(→ P.97~100)。



PS 日銀総裁としての渋沢敬三

『歴代日本銀行総裁論-日本金融政策史の研究-』(吉野俊彦、講談社学術文庫、2014 単行本初版 1957)には、第16日銀総裁を歴任した渋沢敬三氏についての記述もある。
   
文人肌で森鷗外についての研究も遺した吉野俊彦氏は、森鷗外と同様に「二足のわらじ」を履いていた日銀調査部長。同じく公人としての務めを果たしながら、学問でも業績を残した渋沢敬三氏への共感を感じることができる内容である。



<関連サイト>

渋沢敬三アーカイブ-生涯、著作、資料- (渋沢敬三記念事業 公式サイト)
・・情報量多し 必見

特別展「渋沢敬三記念事業 屋根裏部屋の博物館 Attic Museum」 (2013年9月9日~12月3日)
・・「みんぱくは屋根裏部屋からはじまった」(キャッチフレーズ)


<ブログ内関連記事>

書評 『日本の血脈』(石井妙子、文春文庫、2013)-「血脈」には明治維新以来の日本近代史が凝縮
・・渋沢家の血脈以外の事例を知るための好著
明治維新以来の日本近現代史が凝縮した本書は、ファミリー・ヒストリー(=家族史)という教科書ではない歴史書

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・ドイツ北部ハンブルクの銀行家の家に生まれたアビ・ワールブルクは、家督を弟に譲り美術史家として生きる道を選択した

「長靴をはいた猫」 は 「ナンバー2」なのだった!-シャルル・ペローの 「大人の童話」 の一つの読み方
・・渋沢家の一員であった澁澤龍彦訳の『長靴をはいたネコ』



渋沢栄一が選択しなかった「世襲」という選択肢

書評 『富の王国 ロスチャイルド』(池内 紀、東洋経済新報社、2008)-エッセイストでドイツ文学者による『物語 ロスチャイルド家の歴史』

「世襲」という 「事業承継」 はけっして容易ではない-それは「権力」をめぐる「覚悟」と「納得」と「信頼」の問題だ!


「殿様生物学」

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)
・・「このように、「みんぱく」のコレクションには、土方久功や、実業家で民俗学者であった渋沢敬三などの個人が収集したコレクションを土台に、大阪万博の際に太陽の塔のなかで展示するために世界各地から収集したコレクションが展示されている」

本の紹介 『鶏と人-民族生物学の視点から-』(秋篠宮文仁編著、小学館、2000)-ニワトリはいつ、どこで家禽(かきん=家畜化された鳥類)になったのか?


渋沢敬三のパトロネージ

書評 『梅棹忠夫-未知への限りない情熱-』(藍野裕之、山と渓谷社、2011) -登山と探検という軸で描ききった「知の巨人」梅棹忠夫の評伝
・・「とくに忘れてはならないのは、パトロンとしての渋沢敬三の存在である。敗戦後に日銀総裁を務めた渋沢敬三は渋沢栄一の孫であり経済人であったが、私財を投じて民族学と民俗学の発展に尽くしただけでなく本人もまたすぐれた学者であった。渋沢敬三が蒐集した民具のコレクションがみんぱくのコレクションの一部として引き継がれたことは知っておきたいことだ」

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)


佐野眞一氏のノンフィクション

書評 『私の体験的ノンフィクション術』(佐野眞一、集英社新書、2001)-著者自身による作品解説とノンフィクションのつくり方

書評 『あんぽん 孫正義伝』(佐野眞一、小学館、2012) -孫正義という「異能の経営者」がどういう環境から出てきたのかに迫る大河ドラマ

書評 『津波と原発』(佐野眞一、講談社、2011)-「戦後」は完全に終わったのだ!

「沖縄復帰」から40年-『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一、集英社、2008)を読むべし!

書評 『沖縄戦いまだ終わらず』(佐野眞一、集英社文庫、2015)-「沖縄戦終結」から70年。だが、沖縄にとって「戦後70年」といえるのか?

(2014年12月27日、2015年8月22日 情報追加)


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